ダンジョン飯が切り開いた?グルメ漫画の新たなる地平 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
自分が好きな漫画を貶める人の評など、普通は読みたくないと思う。
そう思うのだが、前回、あえて「ダンジョン飯」否定論を書いてみた。
書かざるをえなかったのは、
この辺から漫画の新しい流れが生まれたと思うからである。
思ったままのことを言うと、
ダンジョン飯によって、グルメ漫画の第三期が始まったのではないだろうか。
第一期は「美味しんぼ」「ミスター味っ子」のブームだ。
もっと古くはビッグ錠があるのだろうが、この辺の漫画は料理対決が主。
食べたことない至高の美味を表現する時代だ。
第二期は「孤独のグルメ」が象徴していると思う。
「こういうのでいいんだよ」というセリフに現れているが、等身大の美食を描写している。
グルメ漫画は競争の呪縛から解放された!
コンビニで買った夕食だって漫画にすれば面白いという発見がある。
そして俺が第三期だと思うダンジョン飯は、どんなジャンルの漫画にも、
グルメ漫画要素を取り入れることができると気づかせた漫画なのではないか。
例えば「ゴールデンカムイ」は、アイヌの遺した財宝を誰が手に入れるのかという冒険活劇だが、
「ヒンナヒンナ」の台詞に象徴されるように、調理&食事描写がやたら専門的で解像度高いのだ。
手っ取り早く漫画読者の興味を引くには、セックス&バイオレンスだけども、
ダンジョン飯以降はグルメ要素も加わったのでは?と言うのが今回訴えたいことだ。
近年、自分が買った作品もグルメ要素が入ったものが異常に増えた。
だからとりあえずダンジョン飯について語っておかないと、これらの漫画のレビューもままならないと言うことになってしまっている。
「一級建築士矩子の設計思考」は漫画ゴラクに似つかわしくない専門的な建築漫画だが、不思議と人気を集めている。建築事務所と立ち飲み屋を兼業している設定で、お酒や食べ歩きの描写が多い。案外こういうところが呼水になっている可能性は高いと思う。
「手塚治虫アシスタントの食卓」は手塚治虫でもアシスタントでもない、食事が主題だ。
それ以前ではあり得ない発想だとは言えないだろうか。
歴史ロマンもグルメ漫画化している。
「ダンピアの冒険」は大航海時代の実在の偉人の冒険をコミカライズしたものだが、やはり食事の描写が主題だ。どうやって調べているんだろう。何を食べてたぐらいは情報があると思うが、調理手段とか描かないといけない漫画で説得力を出すのは高度な作業だと思う。
「バットゥータ先生のグルメアンナイト」も14世紀の実在の偉人が主人公でグルメ漫画。
あまり達者な絵ではないが、中東が舞台の歴史グルメ漫画はますます難度が高い。
「騎士王の食卓」は中世ヨーロッパの騎士たちが何を食べていたのかの漫画だ。
また現在手に入る食材で、可能な限り再現したレシピを公開するということもやっている。
「雑兵めし物語」もそのまんま。
戦国時代の人間が何を食べていたかの4コマだ。
たぶんこの時代に転生したら死ぬと思う。
食レポ漫画も過激化している。
「ハイパーハードボイルドグルメリポート新視覚版」はドキュメンタリー番組のコミカライズと言う珍しい作品だが、不思議と漫画の方が面白い。なんと世界の危険地帯に行って食レポをするという内容である。
かつてエボラ出血熱が蔓延した土地で、突撃隣の晩御飯をするというのだから凄まじい。
しかもリポーターは潔癖症なのである。
「罪のあと味」は犯罪者が何を食べていたのから事件の背景を探るというグルメ漫画。
もう行くとこまで行っている。
他にも、
バイク漫画「ばくおん!!」はグルメや観光にスポットを当てた番外編の台湾編が5巻まで発売された。
「猫と紳士のティールーム」はベタなウンチク漫画かもしれないが、紅茶漫画というのが珍しい。
「ピッコリーナ」はバニーガールと焼き鳥という変わった組み合わせの恋愛漫画。
「いつか中華屋でチャーハンを」は中華食堂に特化した考察漫画で大好物である。
そういえば最近、ドカ食いして気絶することをコンセプトにした漫画がSNSで話題になっていた。
まあそんな感じでキリがないのでこのぐらいにしておくが、紹介した漫画はいずれも面白い。
迷走してる感じがする刃牙も、もっと食事描写に特化すればいいのではなかろうか。
新章「刃牙らへん」が始まったばかりだし、噛むことがテーマだし。
2008年から2016年まで少年ジャンプで連載された食バトル漫画「トリコ」というのもあった。
社会現象というまでには届かなかった印象だが、それでも3000万部も売れているそうである。
連載開始もダンジョン飯よりも早い。
三大欲というから「食欲」を刺激する漫画は今後も増え続けていくことだろう。
「性欲」漫画はあるから、次にブームが来るのは睡眠漫画ブームだろうか。
SNS時代だから承認欲求漫画も流行るかもしれない。
みなさまはどう思われるか。
つまらない映画は途中退場してFIRE!で炎上、三田紀房「インベスターZ」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
でもきっと株は向いてない。熱くなるアブドゥルみたいな性格だから。
三田紀房「インベスターZ」をPRするツイートが物議を醸している。
インベスターZは株取引漫画。講談社モーニングで2013年から2017年に連載された。
高校生が部活で株取引をする内容で、最初は集英社少年ジャンプに持ち込まれたという。
【お金を払ったからといって、つまらない映画を最後まで観る必要はない。途中でやめる「損切り力」を身につけようって話。】1/5 pic.twitter.com/5Wv8cDbdH9
— インベスターZ公式 | 全巻半額セール開催中! (@investorz_mita) May 1, 2024
炎上したのは2巻に収録されている「テスト・オブ・ムービー」という話。
部活の先輩からの指示で、自腹でつまらない映画を独り劇場で鑑賞させられた主人公。
始まった映画が腹が立つほどのつまらなかったので途中退席してしまうのだが、
実はそれは株取引に重要な才能である「損切り」のセンスが主人公にどれほどあるのかを判別する、
部活のイニシエーションだったというオチ。
「大抵の人は面白くない映画を観ていても席を立つことはない…なぜか
それはチケットを買ってしまったからだ。
(中略)退屈でなんの楽しみも得られない全て無駄な時間を過ごしているにもかかわらず…
投資もこれに当てはまる。
100万円で買った株が50万円まで下がったとする…
50万損した状態で『終わり』にするのが我慢できず売らずに持ち続けてしまう」
わかる話である。
が、これに反発するのが一部の映画ファン。
「ドンデン返しがある『猿の惑星』を途中離席してレビューを書いて恥を書いた批評家がいるぞ」とか、
「つまらないものは何故つまらないか学ぶ機会を逃している」とか、
「全て見て判断するのが礼儀」とか、まあそんな感じ。
こういう意見も分かるが、
株取引マンガで、「映画は最後まで見ないと分からない」なんて教訓が出てくるわけもない。
プロ作家の中には今回炎上した件に関して「お客さんはシビア。途中で切られるのは当たり前に何度も経験すること。」という意見も見かけた。
株で損切りができない人は、
映画館に通い詰めて途中退場を繰り返せばトレーニングになるのかもしれない。
そういえば自分はインベスターZ全21巻中、13巻で損切りしてたのであった。ギャフン。
興味深かったのは、
「映画は半ば強制的に見させられるのが良さでもあった」という意見。
どういうことか?
思い出すのはコミッカーズで連載していた高寺彰彦の連載だ。
ワンダと巨像の上田文人も読み返したくなる高クオリティな漫画論だが、単行本化はされてない。
名作と言われてる映画を見ても、良さが分からないということがある。
その原因のひとつに視聴環境の違いがあることを高寺は指摘している。
むかし映画は映画館でしか見ることが出来なかった。
いまは家庭でも見ることができる。しかしそこでは邪魔が入る。
誰かが訪ねてきたり、スマホの通知が気になって、映画の大事なセリフや場面を見逃したりする。
そんな時は巻き戻ししたり、一時停止すればいい。
しかし映画館ではそうはいかない。
ほとんど一発勝負。しかも決して安くないお金を払っている。
集中力が違う。
言い換えれば、昔の映画は作り手優位に作られているのだ。
だから少し見逃しただけで、話のスジや演出の意図が分からなくなってしまい、名作映画の良さが分からないことが起こりうるのだと高寺氏は書き記している。
「洗い物しながら見ている人もいるんやで」と松本人志が言っていた。
集中を強いる映画と違い、TV番組はそういうフォーマットで作られている。
本来、映画とTVドラマはそれぐらい演出に違いがあるものなのだ。
悪い言い方をすれば、
映画は不親切で、TVドラマはバカでも分かるように作られていると言える。
わかりやすいに越したことはないが、やり過ぎるとチープになるので難しい。
最近では配信限定で作られるような作品も「映画」とされるようだが、
そういう意味で映画の作り方も、よりテレビドラマに近づいているのだろう。
古典映画の良さを知りたいと思うなら、
見る際に邪魔が入らないように気をつけて視聴しよう。
それでも良さが分かるとは限らないけども。
今なお水木しげる完コピを目指す漫画家、村澤昌夫「水木先生とぼく」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
村澤昌夫「水木先生とぼく」を購入した。
とにかく背景絵の緻密さがすごいのだ。
拡大するとこんな感じ。
「うわーッ」の文字のちょい上あたり。
この漫画は特にヨーロッパに渡ってからの作画が過剰すぎる。
こんなのネットでは伝えきれない。ぜひ紙の本を手に取っていただきたい。
こういう高度に発達しすぎたプロアシの仕事は美術館に飾ってもいいのではないかと思う。
どれぐらいの時間をかけているのだろう。
商業誌ペースなのだから、スピードもあるはずだ。
村澤昌夫「水木先生とぼく」は、
水木プロダクション所属の漫画家による、水木しげる回想録だ。
人物なども水木しげるそっくりに描かれている。
BS漫画夜話の「悪魔くん」回を見ていて、いしかわじゅんが水木しげるについて、
「作者そっくりに描けるアシを何人か抱えてる」みたいなことを言っていた。
その時、いしかわが提示したのが元水木プロの森野達弥の作品。
あれこれ調べても分からなかったが一息つくと、ふと「あ、太公望だから釣り雑誌なんだ!」とひらめいて検索すると詳しい作品一覧がヒット!https://t.co/gYCnY0FZZ8
— ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊) (@hondanamotiaru) May 6, 2023
正解は「TheWonderOdyssey 太公望幻談」コミック釣り王1998年6〜12月号連載でした! pic.twitter.com/BiZG5FbLlr
なるほど、映像はボヤけているがそっくりだ。
そもそも自分はホラー系が苦手なので、それほど水木作品は読んだことがないのだが、
お気に入りの「カランコロン漂泊記」も水木本人の筆じゃないのかもしれないと思うと、ちょっとショックだったりもするのだった。
しかしですね!
トシとって目をやられて絵が劣化していくのは自然の摂理であるわけで、
師匠そっくりに描ける弟子を育成しておくのは大事なことなんじゃないかなとも最近思うわけです。
そんな感じで、
水木漫画を読んで「オレだったらもうちょっと似せて描ける」と思った人がいた。
それが「水木先生とぼく」を描かれた村澤昌夫なのである。
水木先生曰く、「彼は当たり」。
あんな作画が過剰だから、
水木さんは「浮浪雲」を読んで背景を簡略化することも考えたそう。
それについて村澤氏は反対したという。
そもそもデフォルメされたキャラクターに対し、背景を描き込むことで商業作品として成立させているというのは作者本人や批評家も認める水木スタイルであるらしい。
作中にも登場する京極夏彦の巻末解説によると、
村澤氏は水木タッチを完全再現するための研究に今なお余念がないという。
似てないと言いたいわけではないが、村澤氏のタッチは見覚えがある。
以下の「中古(ちゅうぶる)」、これは村澤氏の作画ではなかろうか。
いしかわじゅんの発言を聞いて以来、若干注意深くなっていたから思ったことである。
「ちゅうぶる」
— ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊) (@hondanamotiaru) February 21, 2023
中古(ちゅうこ)の古い言い方。
画像は水木しげる「ゲゲゲの家計簿」 pic.twitter.com/OmsJZR7IJD
他にもこの漫画の見どころとして特に推したいシーンが、
つげ義春一家が出てくるところである。
つげ漫画でお馴染みの藤原マキさんがカメラ越しに水木先生に挨拶する。
マキさんの「私の絵日記」を読んで、亡くなられてしまっていたことにショックを受けた。
この本についてもいずれ書きたい。
エロが無い国の50年ぶりヌードデッサン会。李昆武「チャイニーズ・ライフ」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
1980年、改革開放路線に舵を切った中国。雲南省でヌードデッサン会が催される。
「我が国では1930年代に上海で行われただけだ。」というからすごい。
その様子が傑作漫画「チャイニーズ・ライフ」下巻に描写されている。
「チャイニーズ・ライフ」の作者である李昆武(リー・クンウー)はこのデッサン会に参加し、
当時の様子を回想しているのだが、彼がページを割くのは色々口実を作っては現場に入り込もうとする校長先生の姿。李昆武の作家性、人間を見つめる目がどこに向いているのかを象徴するシーンであり、面白いと思う。
左が校長先生。
結局、校長のせいでデッサン会は中止。
諦めきれない李昆武は婚約者にヌードモデルになってくれるように懇願するが、
「二度と顔を見たくない」とドン引き&絶縁宣言されてしまう。
が、次のページをめくると二人が婚姻届を出すシーンになっている。
復縁シーンは描写されていない。この唐突さはフランス漫画の文法なのだろうか?
二人は結局、子供一人作ったあと離婚してしまうのだけれども。
エロ絵のない世界、中国。
そんな世界を目指すツイッターフェミニストの理想郷であるが、
もちろん性犯罪は現在でも普通に多いらしく、最近それで日本に逃げてきた中国人女性のニュースを見た。
エロマンガを撲滅しても、フェミたちの戦いはこれからだ!となることはとりあえず間違いない。
性への興味は人類普遍のものである。人間そのものだ。
興味が行きすぎてトラブルを起こしてもいいわけはないが、
それを描かない、人体構造の研究すらできないでは面白い漫画など描けるはずがない。
漫画を潰してもエロは無くならないが、エロを潰せば漫画は死ぬのである。
ところで最近、
「映画や漫画に無理やり恋愛要素入れるな」というツイートが多くの賛同を集めたのを見た。
まあ取ってつけたような恋愛要素は無しにしても、硬派一直線も考えものだ。
恋愛への興味は人類普遍のものである。人間そのものでエロにも繋がっている。
アオイホノオでも語られていたが、
マニアは序列を逆にして、ご新規さんを遠ざけてるのに気づかないからジャンルを潰すのだ。
みんなリラックスするために作品を読むのを忘れてはいけない。
徳を高めるために漫画を読む変態はごく少数。
ちなみにアオイホノオの島本先生と李昆武は面識がある。
この「チャイニーズ・ライフ」は出版側の要望として、
「恋愛と家族の話も忘れちゃダメよ」と言っているのは実に的確なアドバイスだったと思う。
さて「チャイニーズ・ライフ」は、
文化大革命の時代を生きた親子二代のチャキチャキの中国共産党員の自伝漫画である。
文革のシーンはまるでデビルマンだ。
「うわっ!なんてわいせつなんだ!」
「ひどい!なんでこんなもんが描けるんだ!」
裸婦像やギリシア彫刻はワイセツだと焼かれ破壊され、みんなハイになってしまう。
「封建社会を打倒せよ!」
「反動主義者を一掃せよ!」
この歴史的キャンセルカルチャーに参加した作者は回想する。
>ああ自らを狂気に委ねることはなんと気持ちのよいことだろう。
>昨日まではみすぼらしい無数の水滴の集まりにすぎなかったのに、
>今日はすべてを洗い流す激流になるなんて。
>誰も我々を止めることができませんでした。
>あらゆる時代の貴重な品々を葬り去りました。
>目に見えない塵となって飛び散り、私たちの若い胸を満たしたのです。
(中略)
>他の人たちと同じで、後悔が募るだけなので、私はあまり昔を思い出さないようにしています。
>本当のことを言えば、若さゆえの無知で多くの貴重な文物を破壊した人間は、今日、より歴史的な品々を探し求めているのではないでしょうか。
中国共産党に忠誠を誓う李昆武のお父さんですけども、
時々やばい方に暴走する息子やその友達を見て不安になり、昆武を画家にあずけ絵の勉強をさせる。
こういうのをプロレタリアートというのだろうか。
昆武はそこで毛沢東の絵をひたすら描かされ腕を磨くのであるが、ある日ふと集中力が切れ、先生不在のアトリエで作品を物色していると、そこに裸婦デッサンが隠されていたことに気づくのであった。きゃー、やめてー。
子供が親を密告した時代である。
昆武がチクれば画家先生はただではすまなかっただろう。
吊し上げられて自己批判させられて下手したらリンチされて殺されてたまである。
ツイッターフェミニストさまが役所に集団で押しかけ、担当者に罵詈雑言を浴びせかけてるニュースを見ていると、将来の日本にもそんな日が来ないとも限らないと思うのである。
ところで、
日本でもかつて裸婦の肖像がワイセツだと社会問題になったことがあった。
明治28年の黒田清輝「朝妝(ちょうしょう)」である。
博覧会のような多くの人が出入りする場所に春画を飾るなと新聞にも書かれた。
芸術を理解しないのはけしからんと、この事件を漫画にした漫画家がいた。
作品が歴史教科書にも引用される大物、ジョルジュ・ビゴーである。
「日本の女は雨が降ると裾をまくって足をあらわにするだろ?そっちの方がワイセツだよ!」
というメッセージを漫画に込めた。
(参考:清水勲「近代日本漫画百選」)
どうも日本人は昔も今も、同じようないさかいを繰り返しているようである。
でも忘れてしまうのだ。あまり興味がないのかもしれない。
チャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語【上巻】「父の時代」から「党の時代」へ
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2013/12/21
- メディア: 大型本
チャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語【下巻】「党の時代」から「金の時代」へ
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2013/12/21
- メディア: 大型本
40代※が選ぶマンガ・ベスト47!作田啓一「マンガの主人公」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
「マンガの主人公」という批評本がアツい!
40代の高学歴な漫画好き3人による共著で、
彼らが価値あると思う漫画47タイトルを挙げている。
…と言っても、昭和40年初版の本。
その47本のラインナップがすごい。
君の好きな漫画は入っているかな?
「人の一生」岡本一平
「ひとり娘のひね子さん」長崎抜天
「団子串助漫遊記」宮尾しげを
「ズク小僧一代記」厳谷小波/岡本帰一
「正チャンの冒険」織田信恒/樺島勝一
「ノンキナトウサン」麻生豊
「長靴の三銃士」井本水明/牧野大誓
「のらくろ」田川水泡
「黄金バット」加太こうじ
「スピード・太郎」宍戸左行
「蛸の八ちゃん」田川水泡
「男やもめの厳さん」下山凹天
「甘辛新家庭」田中比佐良
「運藤一家」柳瀬正夢
「あわてものの熊さん」前川千帆
「只野凡児・人生勉強」麻生豊
「無軌道父娘」下山凹天
「荒馬奥さん」前川千帆
「冒険ダン吉」島田啓三
「赤ノッポ青ノッポ」武井武雄
「半田半介・青春バンザイ」サトウハチロー/田中比左良
「タンクタンクロー」坂本牙城
「コグマノコロスケ」吉本三平
「ハツメイハッチャン」武井武雄
「日の丸旗之助」中島菊夫
「思ひつき夫人」平井房人
「推進親爺」松下井知夫
「ガンガラがん太」帷子進
「フクちゃん」横山隆一
「サザエさん」長谷川町子
「ヤネウラ3ちゃん」南部正太郎
「ふしぎな国のプッチャー」横井福次郎
「デンスケ」横山隆一
「アホダラ兄弟」加藤芳郎
「おトラさん」西川辰美
「轟先生」秋好馨
「かっぱ川太郎」清水崑
「プーサン」横山泰三
「少年ケニヤ」山川惣治
「アッちゃん」岡部冬彦
「まっぴら君」加藤芳郎
「月光仮面」川内康範/井上球二
「ポンコツおやじ」富永一朗
「ロボット三等兵」前谷惟光
「鉄腕アトム」手塚治虫
「忍者武芸帳 影丸伝」白土三平
「クリちゃん」根本進
そこには「あしたのジョー(※1967年)」も、「鉄人28号」も、
水木しげるも藤子不二雄も赤塚不二夫も石ノ森章太郎もなかった。
最近、漫画史を調べている俺ですら知らないタイトルがチラホラ。
同じ漫画好きなのに話が合わなそう!
…というか、
俺の好きな漫画も、若いやつからはこういう風に見られるのか!
と思うとショックである。
普通の人が理解できるのはサザエさん、鉄腕アトムぐらいだろう。
月光仮面、黄金バット、のらくろ、などは懐かしのTV番組とかで取り上げられる機会が多いので、まだ知ってる人も多そうだ。
手塚治虫の作品が一作しか無いのに対し、
麻生豊、田河水泡、横山隆一、下山凹天、武井武雄、前川千帆、田中比左良が二作取り上げられている。
「鉄腕アトム」の項も純粋に作品批評であり、手塚治虫の作家性については一切言及がない。
やはり手塚治虫は戦後だったからこそ受け入れられた漫画家なのか。
終戦直後の漫画好き少年は思った。「手塚治虫の新宝島は漫画の退化だ」comic新現実Vol.4
この本を書いているのは
作田啓一(1922-2016年)94歳没(当時43歳)
多田道太郎(1924-2007年)83歳没(当時41歳)
津金沢聡広(1932-2022年)89歳没(当時33歳)
全員がウィキペディアに項目があり、全員大学教授になっとる!Σ(°Д°;
ちなみに、選ぶ漫画がなぜ47作なのかというと、
忠臣蔵四十七士からな訳で、まあ年寄りくさい。
さすがインテリなだけあって、漫画論が賢い。
「近頃の漫画はダメになった」みたいな、チンパンジーみたいな老害意見に陥らない。
「誰だって、若い頃に読んだ漫画が一番!」という真理に到達している。
-----------------以下引用-----------------
そこでわかったことは
マンガの読書はそれぞれ幼少期の思い出にかたく結ばれており、
それ以後の「成長」はみられないということだ。
ひとが思い出のマンガをなつかしむのは、
自分の幼いたましいそのものをなつかしむのである。
マンガの主人公のまわりに、ひとは幼いたましいの思い出を粘品させている。
いや世代の思い出さえそこに結晶させているのである。
「冒険ダン吉」を愛した世代、「ロボット三等兵」を愛した世代、そして「鉄腕アトム」を愛する世代。
日本文化は各世代でするどい断層でたちきられている。
そのことを思いしらせるのも、マンガの歴史の一教訓だ。
ひとは、幼年のたましいをなつかしむと同時に、
歴史のながれにたって自分のたましいそのものを客観視することができる。
自分のすきなマンガを先輩後輩の愛するマンガの群のなかにおけば、
昭和史に位置ずけられた自分のたましいを見さだめることができよう。
---------------引用ここまで---------------
この「日本文化は各世代でするどい断層でたちきられている。」という指摘は鋭いと思う。
意外と世代を超えられる名作というのは少ない。
厳密に言えば、存在しないのかもしれない。
どうでもいいがこの本、誤植が多い。
「スピード太郎」を「スピード小僧」と書いてたり、
「運藤一家」を「運動一家」と書いてたり、
横井福次郎を横井福太郎と書いてたり、他にも微妙な間違いが散見される。
編集に関わってる人があまり漫画に興味がない気がする。
主人公を紹介する、というコンセプトも意思疎通ができてないのではないかとも思う。
自分が入手したのは初版だが、一応増刷もかけられたようである。
冒険ダン吉は「こち亀」などにも名前が出てくる作品なので、
知ってるけど読んだことがないという人が多いと思う。
南の島に漂着した少年が、原住民相手に戦争ごっこみたいなことをする漫画らしいのだが、
「マンガの主人公」の解説によると、少年の頃にこの漫画を読んだ読者が大人になって、
実際に南の島に派兵されてリアルダン吉体験をした、
「ある意味予言の書である」みたいな解説を読んで背筋が寒くなった。
(画像は あおむら純「少年少女日本の歴史」20巻)
なので冒険ダン吉を購入して読んでみることにしました。
かつて日本を抜いた中国漫画のサドンデス。「世相漫画で知る中国」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
いずれ日本は抜かれるであろう!
…みたいな序文が書かれたのは1984年の「中国漫画史話」。
片寄みつぐ氏の見解だ。過去記事参照のこと。
それから4年して、
どうにも事情が一変してしまったらしい。
1988年に蝸牛社から出版された「世相漫画で知る中国」には、こう書かれている。
>それは'80年代初めまで見られたが、以後、政治的風刺は見られなくなった。(39ページ)
>漫画のなかのソビエトやベトナム風刺も’ 82 年8月を最後に紙面から消える。以後、外国批評のテーマは見られなくなった。(49ページ)
>中国で官僚風刺は自由だが、政治家の風刺は許されていない。(65ページ)
ところどころにさらっと真逆のことが書いてあるので誤読を疑ったが、
ところどころにさらっと書くしかなかったのだろう。
前回紹介した中国の100万部紙、「風刺と幽黙(ユーモア)」が、
中国共産党直属の組織だということも、この本(249ページ)からわかったのである。
政府と結びついて、まともな国家権力批判などお笑い草やが。
この「世相漫画で知る中国」は100万部漫画紙「風刺と幽黙」の傑作選だ。
もちろん全て風刺漫画だが、さらにジャンル別に分類されて再録されているので、
現在規制されているであろう表現を見ることはできるが、
段々と規制が強まっていく気配を本から読み取ることはできない。
「風刺と幽黙」の編集者の二人も解説文を寄稿している。
それによると驚くことに、「中国に専業の漫画家はいない」という。
たった4ページの媒体とはいえ100万部も刷って、利益はどこに行っているんだ?
編集員の二人は来日した時に女性漫画家が多いことに驚き、
帰国後に中国でも女性漫画家を育てようと思いついたものの上手くいかず、
「中国の女性はユーモア感覚がないのでしょうか?研究する価値があります。」と結んでいる。
ロクに儲からず、国から睨まれるのに育つわけねーだろ!…と思う。
何度も書いているが風刺漫画は風化する漫画だ。
激しく時代と寝ているので、リアルタイムで読むか、政情に通じていないといけない。
その点、「世相漫画で知る中国」は全ての漫画に解説がついており読みやすい。
しみじみ思うのは、風刺漫画家は政治批判を描くより、
世俗の人々を描いた方が残るものになったのではないだろうか。
「世相漫画で知る中国」に掲載された漫画も、そういったものの方が断然面白い。
「外国製は良いねえ。信じないの?ほら、英語で書いてあるでしょ。」
いちばん面白かったのは巻末の方に収録された、日中漫画家交流の様子である。
来日した中国人漫画家の、素朴な驚きはわかりやすい。
村上もとか「フイチンさん再見!」最終巻で、日本人漫画家の訪中が描かれているが、
その時に日本人漫画家たちが描いた1コマ漫画が「風刺と幽黙」に掲載され、「世相漫画で知る中国」に再録されている。
右のバカボンと万里の長城が、当時の「風刺と幽黙」に掲載された1コマ漫画。
この蝸牛社「世相漫画」シリーズは、
他に「世相で知る韓国」が発売されている。
韓国版は新聞4コマ的な政治風刺漫画でほとんどページが埋められていた。
比べて読むと中国の方がのんびりした作風が多い印象を受ける。
大韓航空機墜落事故は謎ばかり、という韓国の新聞4コマ。
蝸牛社は他に87年の日本の風刺漫画を上下巻にまとめた「世相漫画年鑑」を刊行しており、
「世相漫画で知る中国」の後書きで
>〈世相漫画〉という言葉を、世に定着させようと頑張っている、
>上海の〈漫画世界〉もペアにして発刊したいのだが、それはすべて、本書の成功にかかっている。
と書かれているが、続刊は叶わなかった可能性が高い。
30年以上経った現在、「風刺と幽黙」はどうなったのだろうか?
2015年に開催されたイベントのニュースによると、「世相漫画で知る中国」の二人とは違う人が編集長を経て名誉編集長を務めているとあった。存続はしていると思われる。
漫画という名称は中国のヒラサギという鳥の名前が由来という説と、
随筆に似た漫筆という言葉から江戸時代に作られた造語という説がある。
これが明治時代に流行った侮蔑的な言葉、「ポンチ絵」を払拭するものとして再使用され、
中国にまで普及したというのが現在の定説だ。
清水勲「漫画の歴史」ちょっと読み。
— ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊) (@hondanamotiaru) January 9, 2024
漫画は鳥の名前から来ている説があるらしい。
箆鷺(へらさぎ)の漢名が漫畫。
「孟喬和漢雑画」に描かれたへらさぎ。
君たちはどう生きるかに出てくる鷺とは違う。惜しい。 pic.twitter.com/G0LY4nr6OX
後発だった中国漫画だが、
日本よりも30年も早くの太平洋戦争前から週刊漫画誌が存在したというのだから勢いの程がわかる。
しかしジャンルとしての進化は88年時に、
1コマの風刺漫画の段階でほとんど停滞してしまったように見えるのは不思議である。
他に連環画と呼ばれるストーリー漫画的なものもあるが、ほとんど紙芝居のように見える。
ちなみに88年の日本では「沈黙の艦隊」「夏子の酒」「少年アシベ」「動物のお医者さん」「機動警察パトレイバー」の連載が始まっている。
「世相漫画で知る中国」の解説文よると、中国人は理屈っぽく、
ナンセンス漫画等の洒脱と言われる漫画を理解し難い国民性があるという。
日本人にとって、現在の形に日本の漫画が発展していったのは必然としか思えないのだが、
実際には宇宙に生命が誕生する確率、「廃材置き場の上を竜巻が通過した後で、ボーイング747ジェット機が出来上がっているのと同じような確率。」みたいな偶然の産物なのかもしれない。
大切にしたいですね、表現の自由。
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風刺漫画家が絶賛した中国漫画の今。「中国漫画史話」と史セツキ「日本の月はまるく見える」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
中国の漫画事情って実際どんなもんなんだ?
規制もあるけど、ゲームも映画も勢いがあるという話はよく聞く。
しかしチャイナマネーで漫画がすごくなったという話は聞こえてこない。
とりあえず1984年に筑摩書房から出版された「中国漫画史話」を読んでみた。
その序文によると、
中国の漫画家は長らく不当な弾圧と戦い続けてきたが、
毛沢東死後の政変により一気に良い流れに。
この本の原書が中国で出版された1982年、中国漫画は大繁栄の時を迎えているという。
その苦難の道のりをまとめたものが、この「中国漫画史話」というわけだ。
結論から言うと、中国近代史に詳しくないとついて行きづらい内容に思えた。
とりあえず初見は全体の流れを把握するに留めた。
パンチが効いてるのも片寄みつぐによる序文だ。
片寄氏は日本の漫画家らしいのだが、中国漫画を絶賛する一方で日本の漫画に対して厳しい。
>巨大産業化したものの、その内実は衰退としか思えないのに、
とか、
>この筆鋒によって(中国の)文部大臣級の高官が失脚したといいますから、どこかの国の政治漫画のように、毎日これでもかこれでもか、といわんばかり描いても、一向に悪徳政治家を葬れない非力な漫画とは大違いです。
とか、
>大衆化といえば水割りか低俗な平準化でしかない、日本の大衆路線は改めて考え直されてよいでしょう。
とか、
>最近、わが国は”マンガ大国”だ、などという思い上った声もありますが、そんな態度では、この力強い中国の漫画にやがて追い抜かれてしまうでしょう。謙虚に、その苦闘を学びたいものです。
とか、
日本の劇画ブームに対して手厳しいことから、片寄氏は絶対風刺漫画家に違いないと思った。
名前はその辺の偏った思想を暗示したペンネームなのだろうか。
ちなみに序文が描かれた1984年は、
「アドルフに告ぐ」「課長島耕作」「北斗の拳」「美味しんぼ」「ドラゴンボール」などが連載開始して間もないあたりである。この年の少年ジャンプ発行部数は390万部。
で、
日本の漫画より素晴らしいと片寄氏が序文で讃える中国の漫画が、以下のような作品。
なんか、まんが道に出てくる読者投稿欄を思い出す。
片寄みつぐ氏は、日本がこういった漫画で溢れかえったら幸せだなと考えているのだから、
権力を持たせたらいけない人である。
ちなみに「中国漫画史話」が邦訳される3年前(原書が執筆された前年)に
鉄腕アトムの海賊版が中国で流通している。
(画像は吉本浩二/宮崎克「ブラックジャック創作秘話」3巻)
ところで、
この「中国漫画史話」によると、
大昔から歴史的彫像に漫画的表現が見られるものがあり、
それを「漫彫(まんちょう)」と記述している。
検索してもあまり出てこない言葉だ。
似たようなので横山泰三が「漫刻(まんこく)」というのをやってる。
日本に鳥獣戯画があるように、
中国にも漫彫からなる長い漫画の歴史があるということの説明なのだが、
写実的とは言えない像が漫画表現になるなら、日本の土偶だって漫画になると思うのだが。。。
そもそも中国でも「漫画」と呼称するのは、なんか変な気がする。
というか漫画の「漫」って何なんだという根本的な疑問がある。
浪漫(ロマン)の漫か?と思って調べてみたら、
エッセイ的な文章を示す「漫筆」と言う
これが中国でも使われるようになった、というわけだ。
<訂正>清水勲「漫画の歴史」によると、
「漫筆」は中国の言葉で、そこから日本で「漫画」という言葉が出来た説と、
中国に「漫画」と呼ばれた鳥がいて、その生態から付けられた説があるそうです。
驚くのは、
日本では1959年に誕生した週刊漫画誌が、中国では1928年にすでに誕生している事。
その雑誌「上海漫画」の部数がどのくらいあったか本には言及がないが、100号の表紙が掲載されているので最低でも2年は続いた計算になる。凄まじい勢いである。
本には、
1979年に中国で創刊された「風刺と幽黙(ユーモア)」は隔週刊行で毎回100万部をあっという間に売りさばくとあるのだが、よく見ると「タブロイド版、四頁」と書いてある。タブロイド版とは新聞半分の大きさ。四頁とはひょっとして4ページってことなのか???
…フリーペーパー以下じゃないすか。
その時、中国では本当に漫画が繁栄していたのか?
「風刺と幽黙」をいくらで売っているのか?興味は尽きない。
その雑誌の内容についても、プロパガンダっぽいという感想をネットで見かけた。
片寄氏も序文で言及しているのだが、
「中国漫画史話」本文は1980年代の中国漫画の繁栄がどういったものかについては触れていない。
本当のところ中国の漫画事情はどうなんだいと、さらに検索を続けてみると、
現在「モーニング・ツー」で中国人が漫画を描いていることがわかった。
史セツキ「日本の月はまるく見える」だ。
https://comic-days.com/episode/4856001361133077320
ボーイズラブ好きの中国人女性漫画家が、日本の出版社からオファーを受け、文化や政治の違いに葛藤しつつ執筆するという内容で、まだ単行本化されるほど連載を重ねておらず、全話無料で読むことができる。大変に面白かった。
史セツキ氏は、中国の一人っ子政策をテーマにした短編も描いている。
https://comic-days.com/episode/3269754496647351420
第80回ちばてつや賞一般部門奨励賞受賞作
さらに史セツキ氏のインタビュー記事も発見。
https://gendai.media/articles/-/113266
それによると、作者が中学生の頃の中国はあまり規制もなく、日本の漫画やアニメも普通に楽しんでおり、ネットでシャーマンキングの女性向け同人誌を見つけ、BL好きになったという。表現規制が強まったのは2014年以降で、キスシーンはボーダーにあり、運営が自主規制することもあるらしい。
現在の中国漫画は紙の書籍化は少なく、人気作品にならないと原稿料も発生しない。
作者によると、「日本の月はまるく見える」は現在の中国では公開できない内容とのこと。
今後どんな圧力があるか分からないので、読めるうちに読んでおこう!
そして自由な漫画表現が許される日本に生まれた幸福を噛みしめよう!
(辣椒「嘘つき中国共産党」によると、人気抗日ドラマは日本漫画に影響を受けているものもあるという)
東京MXで放送されていた「魔道祖師」というアニメは、
中国のオンライン小説が原作でコミカライズもされている。
神保町の内山書店では中国漫画の取り扱いが増えているというネット記事も発見した。
ダイヤモンドオンライン
日本の若者の間で「中国発」漫画・ゲームの人気が上昇中、次世代の中国観とは
https://diamond.jp/articles/-/311222?page=2
「静かなブーム」的な見出し詐欺なのはご愛嬌。
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漫画家はどこまで国家権力と戦えるか?「マンガで読む嘘つき中国共産党」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
これは「新聞」というメディアの中でしか漫画家が生きられなかった時代のためだ。
黎明期の漫画家は基本的にカット描きなので、
定期的に大量の注文がなければ生活することが出来ない。
なので新聞の嘱託(しょくたく)になることは必須であり、ステイタスだったのだ。
漫画の始祖の一人である北澤楽天は、福沢諭吉に迎えられ「時事新報」で活躍。
のちに総理大臣以上の知名度になる岡本一平は朝日新聞に入社。
その弟子の近藤日出造は、愛人同伴で読売新聞に所属した。
前回紹介した30年前に書かれた水野良太郎の本によると、
海外も同様で、フリーランスの漫画家を名乗ると軽く見られる傾向があったという。
政治を批判してこそ漫画。
多くの風刺漫画家が劇画ブームを軽蔑して理解できないまま滅んでいったのは、
そういった歴史的な強固な刷り込みによるものもあったのである。
それでは昔の漫画家が、
どれぐらい政道を批判できたのだろうか。
宮武外骨(1867-1955年)は大日本帝国憲法発布をパロディにし、3年8ヶ月投獄された。
一方、
近藤日出造は軍部に積極的に協力したとして戦後批判され、戦犯として逮捕されることに怯えた。
「おとうさんとぼく」を描いたドイツの漫画家、
E.O.プラウエンことエーリッヒ・オーザーもナチスからの依頼に妥協を強いられる。
結局、下宿先の夫婦に密談を聞かれて密告され、処刑の執行を待たず自殺した。
なかなか漫画や偉人伝のように、
火炙りにされても意志を貫くという風にカッコよくはいかないものである。
(画像は蛇蔵「決してマネしないでください」3巻)
命懸けで描かれた漫画は多いが、
他人から命を狙われても批判する漫画を描き続けたのは、
自分の知る限りオウム真理教から暗殺されかけた小林よしのりぐらいだと思う。
(画像はゴーマニズム宣言9巻。この後、殺して平気でシラを切ってたと想像すると怖すぎる)
批判するべき権力というのは国家権力だけではない。
小林よしのりもベストセラー作家になれば権力であるから、
そのことに自覚的でいるべきだと知識人らから諭されるコマがあって、印象に残っている。
批判を許さない不健全な国家には、優れた漫画は存在しない。
実際は不満が顕在化する国ほど良い国で、政治の不満が一切見られない国は悪い国なのだ。
北朝鮮のように。
日本の政治家の多くは、漫画家らにからかわれてナンボという気概を持っている。
森喜朗などは、女性に乱暴する役で漫画に描かれても、宮下あきらの漫画に出演できて喜んでいたというからちょっと許しすぎだし、逆に女性蔑視だと別方向から非難がありそうだ。
(画像は宮下あきら「天より高く」21巻。Kindle Unlimited対象作品。)
国家権力を批判する側は相手が殴り返してこないことに甘えすぎで、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神で職業差別の域にまで達して批判しているのはどうかと思う。
褒めるととこは褒める。批判するところは批判する、でやってくれないと白けてしまう。
例えばこんなものは政治批判でも風刺でもなんでもない。
怒りに任せて人間性を失った人というだけである。
それを支持している人が何十万といるというのだから、本当に呆れ返るしかない。
毎度前置きが長くて申し訳ないが、
今回紹介するのが中国人による風刺漫画、
辣椒(ラージャオ)の「マンガで読む嘘つき中国共産党」だ。
辣椒は元々「変態辣椒」(超・辛口という意味)と名乗って、ネットで政治を批判していた。
絵はかなり上手いと思う。
訪日してるところパスポートを取り上げられ帰国できず、現在はアメリカで暮らしているという。
漫画には、中国で風刺漫画を描くことの困難さ、
政治権力への介入を許さない中国共産党の酷さが描かれている。
辣椒の漫画が面白いと思った人が、勝手に漫画をTシャツにプリントして販売。
そのことで役人がやってきて、色々話を聞かれたことに始まり、
自然災害で起きた人命救助の不備を指摘した記事をRT(拡散)したことにより逮捕される。
R Tで逮捕なのだ。辣椒がインフルエンサー(影響力がある人)だからである。
インフルエンサーになら逮捕に抵抗する対抗手段もある。ネットでSOSを求めるのだ。
「革命が起こったらお礼参りに行く」という脅しには役人も怯えるらしい、というのが面白い。
なろう小説のようにそれで無双はできないにせよ、ある程度の駆け引きが可能なのだ。
まあ、それが通用するのも政治犯としてまだ小物だからなのかもしれないが。
そんな国にいるものだから、来日した辣椒は日本に感激する。
そのことを親日的だと非難され、帰国することが出来なくなるのだが。
辣椒は日本の選挙運動をみて、真っ当だと涙を流すほど感激したという。
同時に、そんな日本の政治を、必要以上に非難する人たちに強烈な違和感を受けたとも漫画に描いている。
ですよね!
また、それによって左翼運動家から非難を受けることもあったようだ。
まあそれも漫画を出版した2017年の話で、
今現在の辣椒が日本に対してどういう感想を持っているかは分からない。
隣の芝生は青く見えるもの。
雁屋哲にとってのオーストラリア、
ひろゆきにとってのフランス、
フェミニストにとってのスウェーデン、
実際に住んでみれば、色々とアラが見えてくるものだ。
問題を抱えてない地上の楽園みたいな国があるとすれば、そんなものは北朝鮮のような国なのだろう。
(画像は小池みき「同居人の美少女がレズビアンだった件。」Kindle Unlimited対象作品)
世界は繋がっている。
他国と比較して、当たり前がどこなのか、
違うとしたらどんな事情があるのか、
変わることでどんな影響が生じるのか、
そこまで加味して風刺する。
そんなことの出来る漫画家がどれぐらいいるか。
見識を持った運動家もどれぐらいいるか。
そして批判によって起こる摩擦にどれぐらい耐えられるのか。
そんなのが、たくさんいるわけは無いのである。
風刺漫画家は、幼稚で浅はかなのが有象無象だと劇画をよく批判していたが、
風刺漫画家にしたって玉石混交だったはずである。
新聞の風刺漫画が、少年ジャンプのようにアンケート競争の完全実力主義だったら、
横山泰三の連載が39年間1万3561回も続いているはずがない、
という事を最近よく考えるのだが、
それで連想するのは成人功「いんちき」の最終回だ。
「うあー なんかこのまま新聞の4コマみたいに1万回くらい続けさせてもらって細々と生きてく人生設計があ〜」
(ちなみに1996年ごろ「アフタヌーン」で連載されていた。全2巻でプレミアがついている。)
風刺漫画がヌルいというのは、何十年も前から国民的共通認識なのかもしれない。
新聞みたいな安定したところで年金もらうような仕事をしている人が、
国家的な弾圧に逆らって漫画を書くことなどできるわけがないではないか。
国家の弾圧に耐えた偉人の漫画はいっぱいあるが、
そこに出てくる拷問は、「勇午」や大西巷一の漫画にように詳しく描かれていない。
のちに自分の伝記が出版されると分かっていたならまだ拷問に耐えられるかもしれないが、誰も知られず痛い思いをして死んでいくぐらいだったら宗旨替えして相手の靴を舐めた方がマシ、という考えも分かる。
そういうことを踏まえた上で、風刺というものを考えていきたいのである。
とりあえず小林よしのりと、辣椒と井上純一は立派だ。
わたしゃ真似できません。
俺がいきなり中国共産党を称賛し始めたら、ステマを疑うのではなく「ああ、この人もうすぐ中国行くんだな」と思っていただけると幸いです。
— 井上純一(希有馬屋)『逆資本論』発売中 (@KEUMAYA) December 4, 2019
これさえ読めば海外漫画通?水野良太郎「漫画文化の内幕」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
1991年に出版された、水野良太郎「漫画文化の内幕」という本を読んだ。
水野良太郎(1936-2018)は早川書房の「キャプテン・フューチャー」のイラストを手がけた人で、風刺漫画家と分類できる。国際的にも活躍しており、漫画協会の理事も勤めていた。
(「世相漫画で知る中国」収録、中国「風刺と幽黙」に掲載された水野氏の似顔絵。左は牧野圭一、右は小野耕世?)
本の前書きから厳しい。
>不勉強なマンガ評論家気取りの、独善的見解の受け売りがマスコミに定着しつつある昨今には苛立つばかりである。見解の相違という次元ではなく、それ以前の知識を持たぬまま、「これが漫画(劇画)だ」なんて、エラそうに言ってほしくない。
これまで何度も風刺漫画家の時代錯誤な漫画評を紹介してきた。
今回もそんな感じになるのかなと思って読み始めたが、手塚治虫が亡くなって2年後の本なせいか、劇画に対する追及が若干弱い気がする。この本によると、この時期の日本のひとコマ漫画業界はほぼ死滅しているらしい。
>「劇画」という言葉は戦後、貸本漫画を描いていた漫画家 辰巳ヨシヒロや、さいとう・たかをなどが、大人を対象にした漫画で物語を軸にした作品に命名したと言われる。
>作品のスタイルとしてはすでに戦前の欧米にあって決して新しいものではない。当時まだ若かった彼等は、そうした海外の漫画事情を知らなかったのではないか。しかし、長いストーリー展開を軸にした作風というのは、これまでの日本の大人漫画にはなかったスタイルだった。
この文章から、
水野氏は辰巳ヨシヒロとコミュニケーションを取ったことが無さそうなのが伺える。
水野氏の劇画への解釈は、単純に写実的なタッチのストーリー漫画が劇画だと受け取れるもので、さらに本の中で海外のそういった作品を執拗に「劇画」と紹介して、辰巳氏の革新性を貶めようとしているのではないかという警戒感が私の中に生まれた。
この辺から、水野氏の本音が見えるような気がする。
>実際のところ日本では、大人が読むにはあまりにも幼稚なイメージの成人向け劇画や《マンガ》本が多すぎる。絵がコドモ成人向け漫画的だと尚更の印象だ。
>欧米の成人向け劇画や漫画でしばしば見られる知的な楽しさや魅力が、日本の劇画に乏しいのは紛れもない事実である。出版物としてのイメージもまた、お粗末すぎる。それらに夢中になる読者の知的センスを疑われるのは当然ではないか。
>劇画スタイルの漫画が好きか嫌いかという次元の問題ではなく、すべて知的で高尚であらねばならないと言うのではない。大人が読んでもハズカシくない、魅力的な劇画が日本で目につかないのが悔しいのである。
>大人の観賞に耐え得る魅力的な劇画が、日本にも無いわけではない.しかし、それらがガサツで薄汚い作品群に埋って掲載される漫画雑誌の在り方は、もっと検討されてもよさそうである。
本に書かれた水野氏の透けて見える本音を要約すると、
漫画は知的なものであるべきだ!
だからもっと海外を見習え!
と、いうことだと思う。この辺、風刺漫画家の限界を感じる。
知的であることは良いことだ。
しかしそのことが風刺漫画家の慢心を招き、読者の需要と乖離してもそれを受け入れられない悪循環を産んだことは、これまで何度も書いてきたことである。
(画像は小林よしのり「新ゴーマニズム宣言」1巻)
その結果、
やっぱり風刺漫画家は絶滅してしまったようなのであるが、その段階に至っても「知的」を錦の御旗に掲げ続ける水野氏の漫画論には首をかしげざるを得ない。
そして、おそらく水野氏的な漫画論の極北にいるドラゴンボールなどの漫画が、現在世界的にファンを増やし続けている現象がある。そこから人間とは何かと考えるのが現代的な漫画論というものだ。水野氏の漫画論はそんな未来を予測するものではない。
なぜメキシコ政府がドラゴンボールのアニメの最終回を1万人のスタジアムを使って放映するに至ったか?フランスの大統領が「ワンピース」や「鬼滅の刃」の新刊を買うのか?なぜ湘南にやってきた中国人が「スラムダンク」に出てきた電車を見て涙を流すのか?水野氏の本の理論では説明できないだろう。
(画像はにしかわたく/初田宗久「ブラック企業やめて上海で暮らしてみました」)
海外にも優れた売れてる漫画は山ほどあるのだろうが、
そこに読者も作り手もコンプレックスを一切感じないことが小説や映画との決定的な違いであり、誇れる部分だと思う。
「漫画文化の内幕」は、
ひどい言い方をすれば水野氏の海外コンプレックスに溢れた本である。
>それにもまして日本の劇画/漫画評論家の絵画的美意識は疑わしいものだ.劇画や漫画が紛れもなく絵画芸術の一分野であることなど思いもよらないのだろう。彼等がソウル・スタインバーグやローラン・トポール、ロナルド・サールについて論じたのを見たことがない。《ブラック・アンド・ホワイトの魔師》と言われたアメリカの劇画家ミルトン・カニフのデッサンの魅力について、日本の劇画/漫画評論家が論じた例を知らない。『ターザンをダイナミックに描いて一世を風摩したバーン・ホガースを知る日本の劇画/漫画評論家がどれだけいるだろうか。
とはいえ、日本漫画最高!の意見に安住しても風刺漫画の末路を辿るだけで不健康だ。
今はネットで手軽に調べてどんな作品なのか雰囲気だけでも分かるのだから、この際だから数件調べてみた。
やはり役立つのはツイッター(エックス)で、誰かしら呟いているので勝手に引用してみた。許されたし。ピンク色の文字は「漫画文化の内幕」での紹介部分である
とりあえず本に対する論評はここまでで、
以下の海外漫画家調査レポートは気まぐれで追記するので、お暇ならまた読みに来てよねーん。
スタインバーグはこないだブログに書いた。
ホガースは現在も書店で技法書が流通しているので省略。
ということでロナルド・サールから。
ロナルド・サール
— 絵画の名前 (@artstitle) June 13, 2022
(Ronald Searle、1920-2011)
『目玉焼きの皿を見つめる菜食主義の猫』
(Vegetarian Cat Regarding a Plate of Fried Eggs) pic.twitter.com/YbmfBm9xfR
ロナルド・サール Ronald Searle(1920-2011)イギリス
戦争では日本軍の捕虜となったり、アイヒマン裁判の法廷画家などもしている。
芳崎せいむ「金魚屋古書店」でも3話にわたって取り上げられている。
「どうぶつ宝島」のオープニングに影響を与えたかと思われる「モンテカルロ・ラリー」。https://t.co/BQa3laVv2J
— 高山文彦 (@nkpnt571) April 25, 2019
イラストレーターはロナルド・サール、有名なのは「素晴らしきヒコーキ野郎」の方だろうが。英兵捕虜として泰緬鉄道で働かされたというから日本との因縁は深い(多分)。
ローラン・トポール Roland Topor(1938-1997)フランス
文章も書くようで、脚本家として「ファンタスティック・プラネット」に関わっているらしい。
【入荷情報】ロラン・トポル(ローラン・トポール) / カフェ・パニック。「カフェ・パニック」に集まるとんでもない客たちの、とんでもない小話・38編。挿絵も著者本人による、奇妙で戯けた具合。https://t.co/vGdfqtBmxU pic.twitter.com/bIJlLMMoqx
— 書肆鯖【ショシサバ】 (@bookssubba) May 14, 2019
ジェラード・スカーフ(Gerald Anthony Scarfe)1936-
>新聞の政治風刺漫画にしてもジェラード・スカーフのような、大胆でシャープなデフォルメによる斬新な作風を試みる雰囲気さえ、日本にはない。
「ジェラルド・スカーフ」表記だとよく出てくる。
ディズニーなどのアニメーション作品も多く手がけており、
代表作は「ピンク・フロイド ザ・ウォール」
ヴァージル・パーチ(Virgil Partch)1916-1984
>ひとコマ漫画専門の漫画家は基本的には一コマ漫画しか描かないのである。(中略)ヴァージル・パーチのコミック・ストリップス「ビッグ・ジョージ」は例外的であり、
代表作「ビッグジョージ」「キャプテンズギグ」
Vintage record album art by Virgil Partch (VIP): pic.twitter.com/oakAnnD1s0
— Tom Heintjes (@Hoganmag) November 8, 2023
レイモン・ペイネ(1908-1999)Raymond Jean PEYNET
>1950年代に「アサヒグラフ」が日本で初めて彼のロマンティックな作風を紹介して以来、日本の菓子メーカーがイメージ・キャラクターに使ったりして、ファンが増えた。
BS漫画夜話で、ペイネが永島慎二に影響を与えていると指摘されていた。
軽井沢にペイネ美術館がある。世界初・日本で唯一の個人美術館なのだそうだ。
レイモン・ペイネ pic.twitter.com/nTIQepP8Gi
— 猪戸バレット (@GUYtpj9nV7d9pa2) August 3, 2020
1908年11/16は画家・漫画家のレイモン・ペイネが生まれた日。
— カトウ・ニニ。 (@ninikatu) November 16, 2018
「ペイネ 愛の世界旅行」(伊仏/1974年)という映画があったことは最近知りました。
’70年代の空気と普遍的なメッセージと。未見ですが、これは観てみたいです。
エンニオ・モリコーネのテーマ曲が美しい
→https://t.co/Y4gBFD28sO pic.twitter.com/jBCHdTT1dD
モルト・ウォーカー(1923-2018)Addison Morton Walker
>アメリカでは人気漫画家モート・ウォーカーが古い城を買い取って、漫画美術館として経営してい る。彼が蒐集した五千点もの漫画の原画を展示し、自ら館長におさまり、入場料を取っての経営 である
代表作「ビートル・ベイリー」
アニメ化もされており、「新兵ベリー」というタイトルでテレビ東京やキッズステーションで放送。
1971年に鶴書房から全10巻、2004年にも文芸社から邦訳版が出ている。
団子鼻でヘルメットで目を隠したキャラデザインは、石ノ森章太郎が踏襲してる気がする。
Today’s Comics Page , Detroit Free Press, Wed., October 5, 1977 pic.twitter.com/xK3v6aTiE8
— CLASSIC COMIC STRIPS (@ClassicStrips) October 5, 2023
【漫画】#メロメロピンク騒動 #ビートル・ベイリー #モート・ウォーカー #根本畏三 BEETLE BAILEY BOOKS #ツル・コミック社 1971年 pic.twitter.com/u4hlXYG1Au
— めぐみ書店 (@Megumishoten) December 20, 2021
ジャン=ジャック・サンペ(1932-2022)Jean-Jacques Sempé フランス
>1970年代にはフランスの世界的な現役のナンセンス漫画家、J=J・サンペのデッサン展も銀座の画廊で開かれたが、どれも当時としてはリーズナブルな価格だった。
8/17は大好きなフランスの漫画家でイラストレーター、ジャン=ジャック・サンペの誕生日!(1932/8/17 ? ) Joyeux anniversaire!ルネ・ゴシニと共作の児童文学「プチ・ニコラ」は何度も映像化されてるし、‘ニューヨーカー’や‘パリ・マッチ’誌の素敵な表紙でも有名。 pic.twitter.com/08dHG1F2hn
— きぬきぬ (@kineukineu) August 16, 2018
ニューヨーカー誌のカバーといえばジャン=ジャック・サンペ。そういえば3月にBunkamuraでサンペ展をやってたんだよなぁ、行けばよかった。3500円くらいする画集も欲しい… https://t.co/qjORkP9jSy pic.twitter.com/JybBsueh0W
— ??????? 1?3 (@unataso) August 29, 2016
【上映作品のお知らせ】
— 刈谷日劇 (@kariyanichigeki) July 13, 2023
『#プチ・ニコラパリがくれた幸せ』
出版から50年を超えフランスでは誰もが知る国民的児童書『#プチ・ニコラ』原作者のルネ・ゴシニ と ジャン=ジャック・サンペの生い立ちや物語の誕生秘話を水彩画風の優しいタッチで生き生きと描くアニメ。… pic.twitter.com/rfYO2FCp2P
アルベール・デュブー(1905-1976)Albert Dubout フランス
>1980年代の中頃だったと思うが、日本橋・三越デパートでは、フランスの国民的人気漫画家だった故アルベール・デュブウの個展が開かれた。40号程の油絵が十数万円前後で売られていて、その大衆的価格に驚いたものである。私のポケット・マネーでも買えそうな価格だっただけに、なぜ見送ったのか今でもひどく後悔している。デュブウは戦前から戦後にかけてフランスでは圧倒的な人気を博した漫画家だったが、日本では殆んどなじみが無く、三越デパート側も彼の評価を迷ったのではないか。展示場所も「フランス・食品フェスティバル」のコーナーの一角に、埋めぐさついでという印象だった。彼の作品が度々『文春・漫画読本』でも紹介されていたのに、誰の記憶にも残っていなかったのだろうか。
尻尾を立ててお尻の穴を見せる感じの猫の絵が、
こないだ発売された荒木飛呂彦「ザ・ジョジョランズ」2巻に出てきたので、ひょっとしてと思う。
'Les Chats' par Albert Dubout pic.twitter.com/sLYfqpxV6U
— Flashbak.com (@aflashbak) April 16, 2020
Time for a musical interlude!
— Biblio Curiosa (@Bibliocuriosa) December 29, 2018
Art by French artist Albert Dubout (1905-1976) pic.twitter.com/jlsBKfrdrh
Albert Dubout (1905-1976) pic.twitter.com/eEHsl1c07h
— Thomas Ragon (@ThomasRagon) May 14, 2018
ジャン・エッフェル Jean Effel(1908-1982)フランス
>パリの小さな古美術店で、ジャン・エッフェルの小さなデッサンが額に入って売られていた。彼も戦後一世を風鯉したフランスを代表する風刺漫画家のひとりだった。
ジャン・エッフェル pic.twitter.com/kpB5ukbP0q
— 芦野公平 kohei ashino (@ashiko) November 30, 2019
ジャン・エッフェルの1966年の作品集。表紙がかっこいい。 pic.twitter.com/pxGzyKoo84
— 芦野公平 kohei ashino (@ashiko) November 28, 2019
ミルトン・カニフ Milton Caniff(1907-1988)アメリカ
彼の描いた『テリー&ザ・パイレーツ』に登場する「ドラゴンレディ」は短気な女性の蔑称として広まったそう。水野良太郎はカニフに影響を受けていると指摘する人もいる。
Just Milton Caniff being an UTTER genius... #miltoncaniff #genius pic.twitter.com/s3fzNDJCEW
— Mack Chater?? (@mackchater) September 8, 2018
Ryotaro Mizuno (水野良太郎)といえば、キャプテン・フューチャーのイラストなんですが、Milton Caniff (ミルトン・カニフ)に絵柄が似すぎ。 pic.twitter.com/LWeOb7QJyI
— 茅 茉莉花 (@qayamariqa) March 23, 2023
<追記>
「あしたのジョー」の時代ぐらいの感覚で読んでいたが、「漫画文化の内幕」が出版された1991年は「ナニワ金融道」「スラムダンク」「沈黙の艦隊」「幽遊白書」「寄生獣」「クレヨンしんちゃん」などが連載している時期である。ジャンプが615万部突破。4年後に650万部達成。この時期にこのセンスはちょっと痛すぎる気もする。外国漫画好きにしたって、何十年前の漫画を持ち上げてるんだ。。。
新人起用に専属契約で大ヒット!知られざる週刊サンデーの歴史 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
「近藤日出造の世界」の305ページに、気になる文章があった。
著者の峯島正行氏が「漫画サンデー」初代編集長なのだ。
創刊に際し、峯島は日出造に協力を仰いだ。
その結果を書いた一文である。
ここでいう漫画サンデーとは、
あだち充や高橋留美子が描いてる小学館の少年サンデーのことではなく、
2013年に休刊した実業之日本社の「漫画サンデー」、略して「マンサン」のことである。
峯島氏はマンサンが最初の漫画週刊誌だと書いている。
そうだったっけかと調べてみた。
最初かどうかは知らないが、
やはり少年マガジン&サンデーの方が、マンサンより半年ほど早く創刊していた。著者の記憶違いなのだろうか。
少年サンデー1959年3月17日
少年マガジン1959年3月17日
漫画サンデー1959年8月11日
そういえば、
少年サンデーとマガジンは創刊当時は総合誌だったという解釈もある。
どちらも創刊号の漫画の掲載本数5本。他はグラビアや小説。そんな時代だったのだ。
だから最初の漫画専門誌はマンサン。そういう捉え方なのかもしれない。その時はそう思った。
「近藤日出造の世界」のあと、
須山計一の「日本漫画100年」という本を読んで震えた。
その本の巻末に漫画史年表があるのだが、
1959年の項目には漫画サンデー創刊とあるのみで、少年サンデー&マガジンは記載がない。
…これか!
繰り返しになるが、震えたのである。
大発見だ!
つまりどういうことか。
少年サンデー&マガジンなど漫画ではない。
その創刊は漫画の歴史に記して残すに値しない瑣末な出来事。
そういう考えが一部にあったということだ。
一部とは何か。
とりあえず峯島と近藤日出造、
それと漫画100年を書いた須山と、それを受け入れる読者と出版&漫画関係者。
何度も書いているが、そういう考えが当時のいわゆる「上流」において支配的だったことがより鮮明になる記述だ。
ちなみに「日本漫画100年」は1968年初版の本で、当時少年サンデー&マガジンは創刊9年目。
1968年はマガジンで「あしたのジョー」が始まった年でもある。
すでに「巨人の星」「天才バカボン」「おそ松くん」「オバケのQ太郎」「伊賀の影丸」「仮面の忍者赤影」「エイトマン」、「サイボーグ009」「ゲゲゲの鬼太郎」など、漫画史に残る傑作の数々が世間を賑わせていた。
「日本漫画100年」を書いた須山計一は明治生まれの漫画家で、
この時代の漫画家の本を読むと名前がよく出てくる。
漫画史研究の本を何冊も出しており、夏目房之介もジッちゃんの名にかけて須山の著作を読むように勧めているほど、その見識を認められている。だから今回読んでみたのだ。ちゃんとした人のはずである。
そのちゃんとした須山の本、「日本漫画100年」の204ページでは、
昭和30年代の「漫画ブーム」に次々と創刊された漫画週刊誌(隔週刊含む)を紹介しているのだが、
漫画タイム、
土旺漫画、
週刊漫画Times、
漫画サンデー、
漫画天国、
そして漫画読売を紹介するにとどまり、
やはりマガジンとサンデーは蚊帳の外なのだった。
ダメ押しとして、
237ページの「漫画界最近の話題」の章にはこうある。
>週刊型の漫画誌の発刊がひきつづいて、四十三年春現在ではその数二十五種もでている。しかしすでに十年以上(原文ママ)の歴史をもっている「漫画サンデー」「週刊漫画タイムス」などをのぞくと、その多くは低俗なエロ雑誌にすぎなく、ただ表紙に漫画という字を冠しているのである。
>とりわけ、アクション漫画、劇画と称するものの中には、退廃的のもの、軍国主義調のもの、変質者的のものなどあって世の批判をうけだしている。
繰り返しになるが、
漫画史研究家として何冊も本を出している須山計一の1968年(当時63歳)の見識がこれなのである。
説明していなかったが、漫画サンデーはいわゆる風刺漫画専門誌である。
もっとも当時は「漫画」とは風刺漫画のことであり、そんな断りをする必要すらなかった。
さて、そんな漫画史の権威が認める漫画サンデーだったが、
「近藤日出造の世界」によると創刊間も無くは予想したより部数が伸びていかなかった。
峯島は近藤と相談し、テコ入れとして新人を起用し、雑誌に新風を送り込もうという話になる。風刺漫画の世界はベテランが仕事を独占し、新人が入りにくい世界だったという。
そこで選ばれたシンデレラボーイが、杉浦幸雄の弟子だった富永一朗である。
のちにお笑いマンガ道場に出てた人だ。
漫画サンデー編集部は、話題作りのために富永に規格外の長編を依頼する。
なんと毎号4ページも与えたのだ。4ページも!
(…風刺漫画なので、4Pでも大長編なのだそうだ。)
そこで富永一朗の描いたのが「ポンコツおやじ」だ。
エッチで下品すぎるという苦情もあったが大評判になったらしい。
その影響から、富永には他社から原稿依頼が殺到してしまう。
それは放置すれば富永が早々に潰されてしまう量だったという。
峯島は近藤らと相談して、富永とマンサンの間で専属契約を結ぶことを思いつく。
ハレンチな新人起用と専属契約。
少年ジャンプの創刊が1968年なので、9年ぐらいは早いことになる。
もっとも、専属と言っても週刊誌でなければ他社でも書いていいという、緩いものではあった。
そもそも任されるページ数が少ないからね。
富永の作風が気に食わない漫画評論家の伊藤逸平が専属契約を含め批判すると、反論を日出造が書いたりして話題になったようではある。ジャンプ編集部がそのことを意識していたのか?とりあえず西村繁男の著書には記述がない。
須山計一「日本漫画100年」にもポンコツおやじに関する記述がある。
その紹介の前に白土三平の「忍者武芸帳 影丸伝」を丸々1ページ使って解説しており、
悪書と呼ばれた劇画にあっても、さすが白土は扱いが別格だなと感心するのだが、ページをめくると…
「日本的アクション漫画の代表は富永一朗の「ポンコツおやじ」であろう」と続くのである。白土三平を露払いにしているかのようである。
白土の紹介記事をよく読むとベタな解説に徹しており、須山の白土三平に対する感想がないし、何よりタイトルを「忍者武芸帖 影丸伝」と間違えている。ちなみに「オバケのQ太郎」の作者を赤塚不二夫だとしている箇所もある。(220ページ)
影丸伝をしのぐ、
日本的アクション漫画代表の「ポンコツおやじ」とはどんな作品なんだ?
検索してみたが、Amazonで見つかるのは1966年の当時の単行本のみだ。
コンビニコミックで復刻とかもない。一過性のものに終わり、読み継がれてはいないらしい。
筑摩書房の全集「現代漫画」の第二期に「富永一朗集」があり、
そこにポンコツおやじもあったので読んでみた。
正直、まったくピンとこない。
50のオッサンと、70のババアの友情ドタバタ劇、というコンセプトらしい。
ハイテンションのセリフ回しが歌の文句みたいで独特のリズムがあり、
訳のわからない展開と併せてトリップしていく感はある。G=ヒコロウみたいだ。
しかしこれで白土三平を超えるアクション漫画とする須山の感性こそポンコツおやじである。
全集「現代漫画」の鶴見俊輔の、子供漫画の解説は感銘を受けたので、
期待して富永一朗の巻末の解説を読んだが、小難しくてよく分からなかった。
不思議なことに富永一朗は風刺漫画の賞、
文春漫画賞には5度もノミネートされているが、一度も受賞に至ってない。
2006年に出版された現代漫画博物館1945-2005には、富永一朗の名前がない。
ついでに言うと近藤日出造の名前もない。
もちろん須山計一の名前もない。
現在、長谷川裕「貸本屋のぼくはマンガに夢中だった」という本を読んでいる。
貸本や、ストーリー漫画に夢中になった作者が、風刺漫画専門誌だった「漫画讀本」について書いているのが印象に残ったので引用したい。
>肝心の絵も、あまり魅力的でなかった。似顔絵を描かせたら天下一品の清水崑や、市井の風景を綴密なタッチで描く六浦光雄など、数少ない例外を除くと、「漫画読本』の大人マンガの絵は、どれも油っ気がなく、淡白に見えた。そこには手塚マンガや杉浦マンガのような、どのページをめくってもあふれ出してくる、ぎらぎらしたものがほとんど感じられなかった。
>それに対して、子供向けのストーリー・マンガや劇画は、たとえデッサンが怪しげだろうが、パースが狂っていようが、そんなことを忘れさせてしまうほどの熱気、生命力にあふれていた。劇画やストーリーマンガの若き作者たちは、不器用ながらも、むずかしい構図や人物の微妙な表情などを、なんとか描き込もうと努力していた。その結果はおおかた野暮ったく、どこか破綻しており、けっして成功しているとは言いがたかったけれども、そこには作者の真剣さがにじみ出ていて、その迫力が読者をとらえて放さなかったのではないか。
>そうした貸本マンガ・劇画にくらべると、私には、「漫画読本」の大人マンガは手抜きにしか見えなかった。というよりは、ネームとコマ割りをみっちりと構成し、一コマ一コマを多大な労力をかけて埋めながら描かれた、新興のストーリー・マンガや劇画には、さらりと淡白な味をねらったこれまでの大人マンガを手抜きに見せてしまうほどの、強烈なエネルギーが充満していたということなのだろう。
>それから四十年たった現在でも、時事マンガ、一コマ・マンガの類は、旧態依然のまま、まったく変化していない。戦後のストーリー・マンガや劇画があれほど激しく、その表現様式を変化、発展させていったことを考えると、これはなんとも不思議なことだ。
>いずれにせよ、熱気とエネルギーを欠いた大人マンガが、子供の目に退屈に映ったのは当然で、いかに軽妙酒脱だろうが、デフォルメの妙があろうが、「漫画読本」は、貸本マンガや劇画の持つ圧倒的な。パワーの前には勝負にならなかった。このころが全盛だった「漫画読本』は、以後、しだいに読者を失い、ついには廃刊に追いやられる。
漫画讀本が廃刊になるのは「日本漫画100年」の2年後の1970年。
「日本漫画100年」には同じく1970年に常識外の負債を近藤日出造らが抱えて倒産する、日本初の漫画専門学校「東京デザインカレッジ」開校についても華々しい話題として扱っている。涙。
「劇画は邪悪」
おそらく明治大正から生きていた人は、こうとしか考えられなかったのだろう。
それだけに戦後の漫画の変化は予測不能で劇的で、強いアレルギーを伴うものだった。
それは手塚治虫や劇画がもたらしたものだと言って間違いない。
なぜ戦前の漫画史は一度人々の記憶から消え、手塚トキワ荘史観がはびこったのか?
…と言う疑問のヒントも、ここにあるような気がする。
劇画の第一人者のさいとうたかをも、かつては「劇画は漫画とは全く違うもの」と言っていた。
スマホの縦読み漫画にAIイラスト。
漫画を取り巻く環境は今なお激変の時代を迎えようとしている。
同じことが起こらないと言えるだろうか。
今の多くの漫画ファンが、ひょっとしたら将来の須山峯島近藤になっているのかもしれない。
弘兼憲史・猪瀬直樹「ラストニュース」に好きなセリフがある。
「ふむ…しかし、キミが父上を乗り越えるまでにはもうちょっと時間がかかるでしょうなあ。」
「東都新聞は百年の歴史を誇りますが、テレビ業界はたかだか四十年(1993年時点)の浅い歴史しかありません。経験が必ずしもプラスに働くとは限らないでしょうね…」
さいきん雁屋哲が、しりあがり寿の風刺漫画を芸術だと絶賛しているのを見て「ふふっ」となった。
上流だった風刺漫画はほとんど現在死滅している。
そんな光景を見てきたからこそ、手塚治虫のこのセリフなのかもしれない。
「…マンガは残りませんよ。」
「…そうかなァ… そうでしょうか。」
「作者と一緒に時代と共に、風のように吹き過ぎていくんです。ーそれでいいんです。」