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今なお水木しげる完コピを目指す漫画家、村澤昌夫「水木先生とぼく」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]


水木先生とぼく (角川文庫)

水木先生とぼく (角川文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/06/10
  • メディア: Kindle版


村澤昌夫「水木先生とぼく」を購入した。
とにかく背景絵の緻密さがすごいのだ。

みずきせんせいとぼく8.jpg

拡大するとこんな感じ。
「うわーッ」の文字のちょい上あたり。

みずきせんせい.jpg

この漫画は特にヨーロッパに渡ってからの作画が過剰すぎる。
こんなのネットでは伝えきれない。ぜひ紙の本を手に取っていただきたい。

みずきせんせいとぼく6.jpg

こういう高度に発達しすぎたプロアシの仕事は美術館に飾ってもいいのではないかと思う。
どれぐらいの時間をかけているのだろう。
商業誌ペースなのだから、スピードもあるはずだ。

みずきせんせいとぼく5.jpg

村澤昌夫「水木先生とぼく」は、
水木プロダクション所属の漫画家による、水木しげる回想録だ。
人物なども水木しげるそっくりに描かれている。
 
BS漫画夜話の「悪魔くん」回を見ていて、いしかわじゅんが水木しげるについて、
「作者そっくりに描けるアシを何人か抱えてる」みたいなことを言っていた。
その時、いしかわが提示したのが元水木プロの森野達弥の作品。



なるほど、映像はボヤけているがそっくりだ。
そもそも自分はホラー系が苦手なので、それほど水木作品は読んだことがないのだが、
お気に入りの「カランコロン漂泊記」も水木本人の筆じゃないのかもしれないと思うと、ちょっとショックだったりもするのだった。

しかしですね!
トシとって目をやられて絵が劣化していくのは自然の摂理であるわけで、
師匠そっくりに描ける弟子を育成しておくのは大事なことなんじゃないかなとも最近思うわけです。

そんな感じで、
水木漫画を読んで「オレだったらもうちょっと似せて描ける」と思った人がいた。
それが「水木先生とぼく」を描かれた村澤昌夫なのである。

みずきせんせいとぼく1.jpg

水木先生曰く、「彼は当たり」

みずきせんせいとぼく2.jpg

あんな作画が過剰だから、
水木さんは「浮浪雲」を読んで背景を簡略化することも考えたそう。
それについて村澤氏は反対したという。

みずきせんせいとぼく3.jpg
そもそもデフォルメされたキャラクターに対し、背景を描き込むことで商業作品として成立させているというのは作者本人や批評家も認める水木スタイルであるらしい。

作中にも登場する京極夏彦の巻末解説によると、
村澤氏は水木タッチを完全再現するための研究に今なお余念がないという。

似てないと言いたいわけではないが、村澤氏のタッチは見覚えがある。
以下の「中古(ちゅうぶる)」、これは村澤氏の作画ではなかろうか。
いしかわじゅんの発言を聞いて以来、若干注意深くなっていたから思ったことである。

 
他にもこの漫画の見どころとして特に推したいシーンが、
つげ義春一家が出てくるところである。
つげ漫画でお馴染みの藤原マキさんがカメラ越しに水木先生に挨拶する。

みずきせんせいとぼく7.jpg

マキさんの「私の絵日記」を読んで、亡くなられてしまっていたことにショックを受けた。
この本についてもいずれ書きたい。

 

私の絵日記 (ちくま文庫 ふ 46-1)

私の絵日記 (ちくま文庫 ふ 46-1)

  • 作者: 藤原 マキ
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2014/02/06
  • メディア: 文庫



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エロが無い国の50年ぶりヌードデッサン会。李昆武「チャイニーズ・ライフ」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

50年ぶりにヌードデッサン会が!

1980年、改革開放路線に舵を切った中国。雲南省でヌードデッサン会が催される。
「我が国では1930年代に上海で行われただけだ。」というからすごい。
その様子が傑作漫画「チャイニーズ・ライフ」下巻に描写されている。

ラフゾウ1.jpg

「チャイニーズ・ライフ」の作者である李昆武(リー・クンウー)はこのデッサン会に参加し、
当時の様子を回想しているのだが、彼がページを割くのは色々口実を作っては現場に入り込もうとする校長先生の姿。李昆武の作家性、人間を見つめる目がどこに向いているのかを象徴するシーンであり、面白いと思う。

ナイトライフ6.jpg
左が校長先生。

結局、校長のせいでデッサン会は中止。
諦めきれない李昆武は婚約者にヌードモデルになってくれるように懇願するが、
「二度と顔を見たくない」とドン引き&絶縁宣言されてしまう。

が、次のページをめくると二人が婚姻届を出すシーンになっている。
復縁シーンは描写されていない。この唐突さはフランス漫画の文法なのだろうか?
二人は結局、子供一人作ったあと離婚してしまうのだけれども。

 
エロ絵のない世界、中国。
そんな世界を目指すツイッターフェミニストの理想郷であるが、
もちろん性犯罪は現在でも普通に多いらしく、最近それで日本に逃げてきた中国人女性のニュースを見た。
エロマンガを撲滅しても、フェミたちの戦いはこれからだ!となることはとりあえず間違いない。

性への興味は人類普遍のものである。人間そのものだ。
興味が行きすぎてトラブルを起こしてもいいわけはないが、
それを描かない、人体構造の研究すらできないでは面白い漫画など描けるはずがない。
漫画を潰してもエロは無くならないが、エロを潰せば漫画は死ぬのである。

ところで最近、
「映画や漫画に無理やり恋愛要素入れるな」というツイートが多くの賛同を集めたのを見た。
まあ取ってつけたような恋愛要素は無しにしても、硬派一直線も考えものだ。
恋愛への興味は人類普遍のものである。人間そのものでエロにも繋がっている。

アオイホノオでも語られていたが、
マニアは序列を逆にして、ご新規さんを遠ざけてるのに気づかないからジャンルを潰すのだ。
みんなリラックスするために作品を読むのを忘れてはいけない。
徳を高めるために漫画を読む変態はごく少数。

ちがうちがうそうじゃない.jpg
ちなみにアオイホノオの島本先生と李昆武は面識がある。

この「チャイニーズ・ライフ」は出版側の要望として、
「恋愛と家族の話も忘れちゃダメよ」と言っているのは実に的確なアドバイスだったと思う。

ナイトライフ1.jpg
 
さて「チャイニーズ・ライフ」は、
文化大革命の時代を生きた親子二代のチャキチャキの中国共産党員の自伝漫画である。
文革のシーンはまるでデビルマンだ。

「うわっ!なんてわいせつなんだ!」

「ひどい!なんでこんなもんが描けるんだ!」

ナイトライフ2.jpg

裸婦像やギリシア彫刻はワイセツだと焼かれ破壊され、みんなハイになってしまう。

「封建社会を打倒せよ!」

「反動主義者を一掃せよ!」

ナイトライフ3.jpg

この歴史的キャンセルカルチャーに参加した作者は回想する。

ああ自らを狂気に委ねることはなんと気持ちのよいことだろう
昨日まではみすぼらしい無数の水滴の集まりにすぎなかったのに、
今日はすべてを洗い流す激流になるなんて。
誰も我々を止めることができませんでした。
あらゆる時代の貴重な品々を葬り去りました。
目に見えない塵となって飛び散り、私たちの若い胸を満たしたのです。

(中略)

他の人たちと同じで、後悔が募るだけなので、私はあまり昔を思い出さないようにしています。
本当のことを言えば、若さゆえの無知で多くの貴重な文物を破壊した人間は、今日、より歴史的な品々を探し求めているのではないでしょうか。
 

中国共産党に忠誠を誓う李昆武のお父さんですけども、
時々やばい方に暴走する息子やその友達を見て不安になり、昆武を画家にあずけ絵の勉強をさせる。

こういうのをプロレタリアートというのだろうか。
昆武はそこで毛沢東の絵をひたすら描かされ腕を磨くのであるが、ある日ふと集中力が切れ、先生不在のアトリエで作品を物色していると、そこに裸婦デッサンが隠されていたことに気づくのであった。きゃー、やめてー。

ナイトライフ4.jpg

子供が親を密告した時代である。
昆武がチクれば画家先生はただではすまなかっただろう。
吊し上げられて自己批判させられて下手したらリンチされて殺されてたまである。

ツイッターフェミニストさまが役所に集団で押しかけ、担当者に罵詈雑言を浴びせかけてるニュースを見ていると、将来の日本にもそんな日が来ないとも限らないと思うのである。

ところで、
日本でもかつて裸婦の肖像がワイセツだと社会問題になったことがあった。
明治28年の黒田清輝「朝妝(ちょうしょう)である。
博覧会のような多くの人が出入りする場所に春画を飾るなと新聞にも書かれた。

芸術を理解しないのはけしからんと、この事件を漫画にした漫画家がいた。
作品が歴史教科書にも引用される大物、ジョルジュ・ビゴーである。
日本の女は雨が降ると裾をまくって足をあらわにするだろ?そっちの方がワイセツだよ!
というメッセージを漫画に込めた。

ラフゾウ2.jpg
(参考:清水勲「近代日本漫画百選」

どうも日本人は昔も今も、同じようないさかいを繰り返しているようである。
でも忘れてしまうのだ。あまり興味がないのかもしれない。

 






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40代※が選ぶマンガ・ベスト47!作田啓一「マンガの主人公」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

マンガの主人公 (1965年) (至誠堂新書)

マンガの主人公 (1965年) (至誠堂新書)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: 新書

「マンガの主人公」という批評本がアツい!
40代の高学歴な漫画好き3人による共著で、
彼らが価値あると思う漫画47タイトルを挙げている。

…と言っても、昭和40年初版の本。

その47本のラインナップがすごい。
君の好きな漫画は入っているかな?

人の一生岡本一平
「ひとり娘のひね子さん」長崎抜天
団子串助漫遊記」宮尾しげを
ズク小僧一代記」厳谷小波/岡本帰一
正チャンの冒険」織田信恒/樺島勝一
ノンキナトウサン」麻生豊

長靴の三銃士」井本水明/牧野大誓
のらくろ」田川水泡
「黄金バット」加太こうじ

スピード・太郎宍戸左行
蛸の八ちゃん」田川水泡
「男やもめの厳さん」下山凹天
「甘辛新家庭」田中比佐良
「運藤一家」柳瀬正夢
「あわてものの熊さん」前川千帆
只野凡児・人生勉強」麻生豊
「無軌道父娘」下山凹天

「荒馬奥さん」前川千帆
冒険ダン吉」島田啓三
赤ノッポ青ノッポ」武井武雄
「半田半介・青春バンザイ」サトウハチロー/田中比左良
タンクタンクロー」坂本牙城
コグマノコロスケ」吉本三平
「ハツメイハッチャン」武井武雄

日の丸旗之助」中島菊夫
「思ひつき夫人」平井房人
「推進親爺」松下井知夫
「ガンガラがん太」帷子進
フクちゃん」横山隆一

サザエさん」長谷川町子
ヤネウラ3ちゃん」南部正太郎
ふしぎな国のプッチャー横井福次郎
デンスケ」横山隆一
「アホダラ兄弟」加藤芳郎

おトラさん」西川辰美
轟先生」秋好馨
「かっぱ川太郎」清水崑
プーサン横山泰三
少年ケニヤ」山川惣治

アッちゃん」岡部冬彦
まっぴら君加藤芳郎
「月光仮面」川内康範/井上球二
ポンコツおやじ富永一朗

ロボット三等兵」前谷惟光
鉄腕アトム」手塚治虫
忍者武芸帳 影丸伝白土三平
クリちゃん」根本進

さくちゃん2.png

そこには「あしたのジョー(※1967年)」も、「鉄人28号」も、
水木しげるも藤子不二雄も赤塚不二夫も石ノ森章太郎もなかった。
最近、漫画史を調べている俺ですら知らないタイトルがチラホラ。
同じ漫画好きなのに話が合わなそう!

…というか、
俺の好きな漫画も、若いやつからはこういう風に見られるのか!
と思うとショックである。

普通の人が理解できるのはサザエさん、鉄腕アトムぐらいだろう。
月光仮面、黄金バット、のらくろ、などは懐かしのTV番組とかで取り上げられる機会が多いので、まだ知ってる人も多そうだ。

手塚治虫の作品が一作しか無いのに対し、
麻生豊、田河水泡、横山隆一、下山凹天、武井武雄、前川千帆、田中比左良が二作取り上げられている。

「鉄腕アトム」の項も純粋に作品批評であり、手塚治虫の作家性については一切言及がない。
やはり手塚治虫は戦後だったからこそ受け入れられた漫画家なのか。

終戦直後の漫画好き少年は思った。「手塚治虫の新宝島は漫画の退化だ」comic新現実Vol.4

 
この本を書いているのは
作田啓一(1922-2016年)94歳没(当時43歳)

多田道太郎(1924-2007年)83歳没(当時41歳)

津金沢聡広(1932-2022年)89歳没(当時33歳)

さくちゃん1.png

全員がウィキペディアに項目があり、全員大学教授になっとる!Σ(°Д°;
ちなみに、選ぶ漫画がなぜ47作なのかというと、
忠臣蔵四十七士からな訳で、まあ年寄りくさい。

さすがインテリなだけあって、漫画論が賢い。
「近頃の漫画はダメになった」みたいな、チンパンジーみたいな老害意見に陥らない。
「誰だって、若い頃に読んだ漫画が一番!」という真理に到達している。

-----------------以下引用-----------------
そこでわかったことは
マンガの読書はそれぞれ幼少期の思い出にかたく結ばれており、
それ以後の「成長」はみられないということだ。

ひとが思い出のマンガをなつかしむのは、
自分の幼いたましいそのものをなつかしむのである。
マンガの主人公のまわりに、ひとは幼いたましいの思い出を粘品させている。

いや世代の思い出さえそこに結晶させているのである。
「冒険ダン吉」を愛した世代、「ロボット三等兵」を愛した世代、そして「鉄腕アトム」を愛する世代。

日本文化は各世代でするどい断層でたちきられている。
そのことを思いしらせるのも、マンガの歴史の一教訓だ。

ひとは、幼年のたましいをなつかしむと同時に、
歴史のながれにたって自分のたましいそのものを客観視することができる。
自分のすきなマンガを先輩後輩の愛するマンガの群のなかにおけば、
昭和史に位置ずけられた自分のたましいを見さだめることができよう。
---------------引用ここまで---------------

この「日本文化は各世代でするどい断層でたちきられている。」という指摘は鋭いと思う。
意外と世代を超えられる名作というのは少ない。
厳密に言えば、存在しないのかもしれない。

 
どうでもいいがこの本、誤植が多い。
「スピード太郎」を「スピード小僧」と書いてたり、
「運一家」を「運一家」と書いてたり、
横井福郎を横井福郎と書いてたり、他にも微妙な間違いが散見される。

編集に関わってる人があまり漫画に興味がない気がする。
主人公を紹介する、というコンセプトも意思疎通ができてないのではないかとも思う。
自分が入手したのは初版だが、一応増刷もかけられたようである。

 
冒険ダン吉は「こち亀」などにも名前が出てくる作品なので、
知ってるけど読んだことがないという人が多いと思う。

さくちゃん4.png

南の島に漂着した少年が、原住民相手に戦争ごっこみたいなことをする漫画らしいのだが、
「マンガの主人公」の解説によると、少年の頃にこの漫画を読んだ読者が大人になって、
実際に南の島に派兵されてリアルダン吉体験をした、
「ある意味予言の書である」みたいな解説を読んで背筋が寒くなった。

さくちゃん3.png
(画像は あおむら純「少年少女日本の歴史」20巻

なので冒険ダン吉を購入して読んでみることにしました。





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かつて日本を抜いた中国漫画のサドンデス。「世相漫画で知る中国」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

悪徳政治家を失脚させる影響力をもった中国漫画!
いずれ日本は抜かれるであろう!

…みたいな序文が書かれたのは1984年の「中国漫画史話」
片寄みつぐ氏の見解だ。過去記事参照のこと。

それから4年して、
どうにも事情が一変してしまったらしい。


世相漫画で知る中国

世相漫画で知る中国

  • 出版社/メーカー: 蝸牛社
  • 発売日: 1988/10/01
  • メディア: 単行本

1988年に蝸牛社から出版された「世相漫画で知る中国」には、こう書かれている。

それは'80年代初めまで見られたが、以後、政治的風刺は見られなくなった。(39ページ)

漫画のなかのソビエトやベトナム風刺も’ 82 年8月を最後に紙面から消える。以後、外国批評のテーマは見られなくなった。(49ページ)

中国で官僚風刺は自由だが、政治家の風刺は許されていない。(65ページ)

ところどころにさらっと真逆のことが書いてあるので誤読を疑ったが、
ところどころにさらっと書くしかなかったのだろう。
前回紹介した中国の100万部紙、「風刺と幽黙(ユーモア)」が、
中国共産党直属の組織だということも、この本(249ページ)からわかったのである。

政府と結びついて、まともな国家権力批判などお笑い草やが。

 
この「世相漫画で知る中国」は100万部漫画紙「風刺と幽黙」の傑作選だ。
もちろん全て風刺漫画だが、さらにジャンル別に分類されて再録されているので、
現在規制されているであろう表現を見ることはできるが、
段々と規制が強まっていく気配を本から読み取ることはできない。

せそうあきら5.jpg

「風刺と幽黙」の編集者の二人も解説文を寄稿している。
それによると驚くことに、「中国に専業の漫画家はいない」という。

たった4ページの媒体とはいえ100万部も刷って、利益はどこに行っているんだ?

編集員の二人は来日した時に女性漫画家が多いことに驚き、
帰国後に中国でも女性漫画家を育てようと思いついたものの上手くいかず、
中国の女性はユーモア感覚がないのでしょうか?研究する価値があります。」と結んでいる。

ロクに儲からず、国から睨まれるのに育つわけねーだろ!…と思う。

せそうあきら1.jpg

何度も書いているが風刺漫画は風化する漫画だ。
激しく時代と寝ているので、リアルタイムで読むか、政情に通じていないといけない。
その点、「世相漫画で知る中国」は全ての漫画に解説がついており読みやすい。

しみじみ思うのは、風刺漫画家は政治批判を描くより、
世俗の人々を描いた方が残るものになったのではないだろうか。
「世相漫画で知る中国」に掲載された漫画も、そういったものの方が断然面白い。

せそうあきら2.jpg
「外国製は良いねえ。信じないの?ほら、英語で書いてあるでしょ。」

いちばん面白かったのは巻末の方に収録された、日中漫画家交流の様子である。
来日した中国人漫画家の、素朴な驚きはわかりやすい。

せそうあきら3.jpg

村上もとか「フイチンさん再見!」最終巻で、日本人漫画家の訪中が描かれているが、
その時に日本人漫画家たちが描いた1コマ漫画が「風刺と幽黙」に掲載され、「世相漫画で知る中国」に再録されている。

右のバカボンと万里の長城が、当時の「風刺と幽黙」に掲載された1コマ漫画。
せそうでしる1.png

この蝸牛社「世相漫画」シリーズは、
他に「世相で知る韓国」が発売されている。
韓国版は新聞4コマ的な政治風刺漫画でほとんどページが埋められていた。
比べて読むと中国の方がのんびりした作風が多い印象を受ける。

せそうあきら6.jpg
大韓航空機墜落事故は謎ばかり、という韓国の新聞4コマ。

蝸牛社は他に87年の日本の風刺漫画を上下巻にまとめた「世相漫画年鑑」を刊行しており、
「世相漫画で知る中国」の後書きで
>〈世相漫画〉という言葉を、世に定着させようと頑張っている、
上海の〈漫画世界〉もペアにして発刊したいのだが、それはすべて、本書の成功にかかっている。
と書かれているが、続刊は叶わなかった可能性が高い。

30年以上経った現在、「風刺と幽黙」はどうなったのだろうか?
2015年に開催されたイベントのニュースによると、「世相漫画で知る中国」の二人とは違う人が編集長を経て名誉編集長を務めているとあった。存続はしていると思われる。
 
 
漫画という名称は中国のヒラサギという鳥の名前が由来という説と、
随筆に似た漫筆という言葉から江戸時代に作られた造語という説がある。
これが明治時代に流行った侮蔑的な言葉、「ポンチ絵」を払拭するものとして再使用され、
中国にまで普及したというのが現在の定説だ。

後発だった中国漫画だが、
日本よりも30年も早くの太平洋戦争前から週刊漫画誌が存在したというのだから勢いの程がわかる。

しかしジャンルとしての進化は88年時に、
1コマの風刺漫画の段階でほとんど停滞してしまったように見えるのは不思議である。
他に連環画と呼ばれるストーリー漫画的なものもあるが、ほとんど紙芝居のように見える。

ちなみに88年の日本では「沈黙の艦隊」「夏子の酒」「少年アシベ」「動物のお医者さん」「機動警察パトレイバー」の連載が始まっている。

「世相漫画で知る中国」の解説文よると、中国人は理屈っぽく、
ナンセンス漫画等の洒脱と言われる漫画を理解し難い国民性があるという。

日本人にとって、現在の形に日本の漫画が発展していったのは必然としか思えないのだが、
実際には宇宙に生命が誕生する確率、「廃材置き場の上を竜巻が通過した後で、ボーイング747ジェット機が出来上がっているのと同じような確率。」みたいな偶然の産物なのかもしれない。

大切にしたいですね、表現の自由。

 
中国共産党 世界最強の組織 1億党員の入党・教育から活動まで (星海社 e-SHINSHO)

中国共産党 世界最強の組織 1億党員の入党・教育から活動まで (星海社 e-SHINSHO)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2022/04/26
  • メディア: Kindle版



中国工場の琴音ちゃん 1 (ダンガンコミックス)

中国工場の琴音ちゃん 1 (ダンガンコミックス)

  • 作者: 井上純一
  • 出版社/メーカー: ダンガン
  • 発売日: 2016/06/05
  • メディア: Kindle版



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風刺漫画家が絶賛した中国漫画の今。「中国漫画史話」と史セツキ「日本の月はまるく見える」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

こないだ中国共産党と戦う漫画家の作品を紹介したけども、
中国の漫画事情って実際どんなもんなんだ?

規制もあるけど、ゲームも映画も勢いがあるという話はよく聞く。
しかしチャイナマネーで漫画がすごくなったという話は聞こえてこない。

とりあえず1984年に筑摩書房から出版された「中国漫画史話」を読んでみた。


中国漫画史話 (1984年)

中国漫画史話 (1984年)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2024/01/03
  • メディア: -

その序文によると、
中国の漫画家は長らく不当な弾圧と戦い続けてきたが、
毛沢東死後の政変により一気に良い流れに。
この本の原書が中国で出版された1982年、中国漫画は大繁栄の時を迎えているという。

その苦難の道のりをまとめたものが、この「中国漫画史話」というわけだ。
結論から言うと、中国近代史に詳しくないとついて行きづらい内容に思えた。
とりあえず初見は全体の流れを把握するに留めた。

 
パンチが効いてるのも片寄みつぐによる序文だ。
片寄氏は日本の漫画家らしいのだが、中国漫画を絶賛する一方で日本の漫画に対して厳しい。

巨大産業化したものの、その内実は衰退としか思えないのに、
とか、

この筆鋒によって(中国の)文部大臣級の高官が失脚したといいますから、どこかの国の政治漫画のように、毎日これでもかこれでもか、といわんばかり描いても、一向に悪徳政治家を葬れない非力な漫画とは大違いです。
とか、

大衆化といえば水割りか低俗な平準化でしかない、日本の大衆路線は改めて考え直されてよいでしょう。
とか、

最近、わが国は”マンガ大国”だ、などという思い上った声もありますが、そんな態度では、この力強い中国の漫画にやがて追い抜かれてしまうでしょう。謙虚に、その苦闘を学びたいものです。
とか、

日本の劇画ブームに対して手厳しいことから、片寄氏は絶対風刺漫画家に違いないと思った。
名前はその辺の偏った思想を暗示したペンネームなのだろうか。

ちなみに序文が描かれた1984年は
「アドルフに告ぐ」「課長島耕作」「北斗の拳」「美味しんぼ」「ドラゴンボール」などが連載開始して間もないあたりである。この年の少年ジャンプ発行部数は390万部。

で、
日本の漫画より素晴らしいと片寄氏が序文で讃える中国の漫画が、以下のような作品。

かたよってる1.png

なんか、まんが道に出てくる読者投稿欄を思い出す。
片寄みつぐ氏は、日本がこういった漫画で溢れかえったら幸せだなと考えているのだから、
権力を持たせたらいけない人である。

ちなみに「中国漫画史話」が邦訳される3年前(原書が執筆された前年)
鉄腕アトムの海賊版が中国で流通している。

かたよってる2.png
(画像は吉本浩二/宮崎克「ブラックジャック創作秘話」3巻

ところで、
この「中国漫画史話」によると、
大昔から歴史的彫像に漫画的表現が見られるものがあり、
それを「漫彫(まんちょう)」と記述している。

検索してもあまり出てこない言葉だ。
似たようなので横山泰三が「漫刻(まんこく)」というのをやってる。

日本に鳥獣戯画があるように、
中国にも漫彫からなる長い漫画の歴史があるということの説明なのだが、
写実的とは言えない像が漫画表現になるなら、日本の土偶だって漫画になると思うのだが。。。

そもそも中国でも「漫画」と呼称するのは、なんか変な気がする。

というか漫画の「漫」って何なんだという根本的な疑問がある。
浪漫(ロマン)の漫か?と思って調べてみたら、
エッセイ的な文章を示す「漫筆」と言う日本の言葉から「漫画」と言う名称は作られたらしい。
これが中国でも使われるようになった、というわけだ。

<訂正>清水勲「漫画の歴史」によると、
「漫筆」は中国の言葉で、そこから日本で「漫画」という言葉が出来た説と、
中国に「漫画」と呼ばれた鳥がいて、その生態から付けられた説があるそうです。


驚くのは、
日本では1959年に誕生した週刊漫画誌が、中国では1928年にすでに誕生している事。
その雑誌「上海漫画」の部数がどのくらいあったか本には言及がないが、100号の表紙が掲載されているので最低でも2年は続いた計算になる。凄まじい勢いである。

本には、
1979年に中国で創刊された「風刺と幽黙(ユーモア)」は隔週刊行で毎回100万部をあっという間に売りさばくとあるのだが、よく見ると「タブロイド版、四頁」と書いてある。タブロイド版とは新聞半分の大きさ。四頁とはひょっとして4ページってことなのか???

…フリーペーパー以下じゃないすか。
その時、中国では本当に漫画が繁栄していたのか?
「風刺と幽黙」をいくらで売っているのか?興味は尽きない。
その雑誌の内容についても、プロパガンダっぽいという感想をネットで見かけた。

 
片寄氏も序文で言及しているのだが、
「中国漫画史話」本文は1980年代の中国漫画の繁栄がどういったものかについては触れていない。

本当のところ中国の漫画事情はどうなんだいと、さらに検索を続けてみると、
現在「モーニング・ツー」で中国人が漫画を描いていることがわかった。

史セツキ「日本の月はまるく見える」だ。
https://comic-days.com/episode/4856001361133077320

かたよってない.png

ボーイズラブ好きの中国人女性漫画家が、日本の出版社からオファーを受け、文化や政治の違いに葛藤しつつ執筆するという内容で、まだ単行本化されるほど連載を重ねておらず、全話無料で読むことができる。大変に面白かった。

史セツキ氏は、中国の一人っ子政策をテーマにした短編も描いている。
https://comic-days.com/episode/3269754496647351420
第80回ちばてつや賞一般部門奨励賞受賞作

さらに史セツキ氏のインタビュー記事も発見。
https://gendai.media/articles/-/113266

それによると、作者が中学生の頃の中国はあまり規制もなく、日本の漫画やアニメも普通に楽しんでおり、ネットでシャーマンキングの女性向け同人誌を見つけ、BL好きになったという。表現規制が強まったのは2014年以降で、キスシーンはボーダーにあり、運営が自主規制することもあるらしい。

現在の中国漫画は紙の書籍化は少なく、人気作品にならないと原稿料も発生しない。
作者によると、「日本の月はまるく見える」は現在の中国では公開できない内容とのこと。
今後どんな圧力があるか分からないので、読めるうちに読んでおこう!
そして自由な漫画表現が許される日本に生まれた幸福を噛みしめよう!

こうにちおうに俺はなる!.png
(辣椒「嘘つき中国共産党」によると、人気抗日ドラマは日本漫画に影響を受けているものもあるという)

東京MXで放送されていた「魔道祖師」というアニメは、
中国のオンライン小説が原作でコミカライズもされている。
神保町の内山書店では中国漫画の取り扱いが増えているというネット記事も発見した。

ダイヤモンドオンライン
日本の若者の間で「中国発」漫画・ゲームの人気が上昇中、次世代の中国観とは
https://diamond.jp/articles/-/311222?page=2

「静かなブーム」的な見出し詐欺なのはご愛嬌。


漫画 魔道祖師 漫畫版 第1巻 台湾版 落地成球 墨香銅臭 赤笛雲琴記 コミック 魏無羨 藍忘機

漫画 魔道祖師 漫畫版 第1巻 台湾版 落地成球 墨香銅臭 赤笛雲琴記 コミック 魏無羨 藍忘機

  • 出版社/メーカー: 平心出版
  • 発売日: 2021/09/30
  • メディア: ペーパーバック



魔道祖師 1 (ダリアコミックスe)

魔道祖師 1 (ダリアコミックスe)

  • 出版社/メーカー: フロンティアワークス
  • 発売日: 2023/12/22
  • メディア: Kindle版



魔道祖師 1 (ダリア文庫e)

魔道祖師 1 (ダリア文庫e)

  • 出版社/メーカー: ダリア文庫e
  • 発売日: 2021/08/01
  • メディア: Kindle版



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漫画家はどこまで国家権力と戦えるか?「マンガで読む嘘つき中国共産党」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

その昔、漫画とは権力を批判することと同義語だった。
これは「新聞」というメディアの中でしか漫画家が生きられなかった時代のためだ。

黎明期の漫画家は基本的にカット描きなので、
定期的に大量の注文がなければ生活することが出来ない。
なので新聞の嘱託(しょくたく)になることは必須であり、ステイタスだったのだ。

漫画の始祖の一人である北澤楽天は、福沢諭吉に迎えられ「時事新報」で活躍。
のちに総理大臣以上の知名度になる岡本一平は朝日新聞に入社。
その弟子の近藤日出造は、愛人同伴で読売新聞に所属した。

前回紹介した30年前に書かれた水野良太郎の本によると、
海外も同様で、フリーランスの漫画家を名乗ると軽く見られる傾向があったという。

政治を批判してこそ漫画。
多くの風刺漫画家が劇画ブームを軽蔑して理解できないまま滅んでいったのは、
そういった歴史的な強固な刷り込みによるものもあったのである。
 
 
それでは昔の漫画家が、
どれぐらい政道を批判できたのだろうか。

宮武外骨(1867-1955年)は大日本帝国憲法発布をパロディにし、3年8ヶ月投獄された。

ラージャお1.jpg

一方、
近藤日出造は軍部に積極的に協力したとして戦後批判され、戦犯として逮捕されることに怯えた。

「おとうさんとぼく」を描いたドイツの漫画家、
E.O.プラウエンことエーリッヒ・オーザーもナチスからの依頼に妥協を強いられる。
結局、下宿先の夫婦に密談を聞かれて密告され、処刑の執行を待たず自殺した。

なかなか漫画や偉人伝のように、
火炙りにされても意志を貫くという風にカッコよくはいかないものである。

決してb3d.png
(画像は蛇蔵「決してマネしないでください」3巻
 
命懸けで描かれた漫画は多いが、
他人から命を狙われても批判する漫画を描き続けたのは、
自分の知る限りオウム真理教から暗殺されかけた小林よしのりぐらいだと思う。

ふるいち9.png
(画像はゴーマニズム宣言9巻。この後、殺して平気でシラを切ってたと想像すると怖すぎる)

批判するべき権力というのは国家権力だけではない。
小林よしのりもベストセラー作家になれば権力であるから、
そのことに自覚的でいるべきだと知識人らから諭されるコマがあって、印象に残っている。
 
 
批判を許さない不健全な国家には、優れた漫画は存在しない。
実際は不満が顕在化する国ほど良い国で、政治の不満が一切見られない国は悪い国なのだ。
北朝鮮のように。

日本の政治家の多くは、漫画家らにからかわれてナンボという気概を持っている。
森喜朗などは、女性に乱暴する役で漫画に描かれても、宮下あきらの漫画に出演できて喜んでいたというからちょっと許しすぎだし、逆に女性蔑視だと別方向から非難がありそうだ。

モーリン1.png
(画像は宮下あきら「天より高く」21巻。Kindle Unlimited対象作品。)

国家権力を批判する側は相手が殴り返してこないことに甘えすぎで、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神で職業差別の域にまで達して批判しているのはどうかと思う。
褒めるととこは褒める。批判するところは批判する、でやってくれないと白けてしまう。

例えばこんなものは政治批判でも風刺でもなんでもない。
ジャスミンとウメコに逮捕されろ.jpg
怒りに任せて人間性を失った人というだけである。
それを支持している人が何十万といるというのだから、本当に呆れ返るしかない。


 
毎度前置きが長くて申し訳ないが、
今回紹介するのが中国人による風刺漫画、
辣椒(ラージャオ)「マンガで読む嘘つき中国共産党」だ。

マンガで読む 嘘つき中国共産党

マンガで読む 嘘つき中国共産党

  • 作者: 辣椒
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/01/18
  • メディア: Kindle版
辣椒は元々「変態辣椒」(超・辛口という意味)と名乗って、ネットで政治を批判していた。
絵はかなり上手いと思う。
訪日してるところパスポートを取り上げられ帰国できず、現在はアメリカで暮らしているという。

らあじゃお4.png

漫画には、中国で風刺漫画を描くことの困難さ、
政治権力への介入を許さない中国共産党の酷さが描かれている。

辣椒の漫画が面白いと思った人が、勝手に漫画をTシャツにプリントして販売。
そのことで役人がやってきて、色々話を聞かれたことに始まり、
自然災害で起きた人命救助の不備を指摘した記事をRT(拡散)したことにより逮捕される。
R Tで逮捕なのだ。辣椒がインフルエンサー(影響力がある人)だからである。

インフルエンサーになら逮捕に抵抗する対抗手段もある。ネットでSOSを求めるのだ。
「革命が起こったらお礼参りに行く」という脅しには役人も怯えるらしい、というのが面白い。
なろう小説のようにそれで無双はできないにせよ、ある程度の駆け引きが可能なのだ。
まあ、それが通用するのも政治犯としてまだ小物だからなのかもしれないが。

らあじゃお1.png

そんな国にいるものだから、来日した辣椒は日本に感激する。
そのことを親日的だと非難され、帰国することが出来なくなるのだが。

らあじゃお2.png

辣椒は日本の選挙運動をみて、真っ当だと涙を流すほど感激したという。
同時に、そんな日本の政治を、必要以上に非難する人たちに強烈な違和感を受けたとも漫画に描いている。
ですよね!
また、それによって左翼運動家から非難を受けることもあったようだ。

らあじゃお3.png

まあそれも漫画を出版した2017年の話で、
今現在の辣椒が日本に対してどういう感想を持っているかは分からない。
隣の芝生は青く見えるもの。

雁屋哲にとってのオーストラリア、
ひろゆきにとってのフランス、
フェミニストにとってのスウェーデン、

実際に住んでみれば、色々とアラが見えてくるものだ。
問題を抱えてない地上の楽園みたいな国があるとすれば、そんなものは北朝鮮のような国なのだろう。

森が4.png
(画像は小池みき「同居人の美少女がレズビアンだった件。」Kindle Unlimited対象作品)

世界は繋がっている。
他国と比較して、当たり前がどこなのか、
違うとしたらどんな事情があるのか、
変わることでどんな影響が生じるのか、

そこまで加味して風刺する。
そんなことの出来る漫画家がどれぐらいいるか。
見識を持った運動家もどれぐらいいるか。
そして批判によって起こる摩擦にどれぐらい耐えられるのか。
そんなのが、たくさんいるわけは無いのである。

風刺漫画家は、幼稚で浅はかなのが有象無象だと劇画をよく批判していたが、
風刺漫画家にしたって玉石混交だったはずである。

新聞の風刺漫画が、少年ジャンプのようにアンケート競争の完全実力主義だったら、
横山泰三の連載が39年間1万3561回も続いているはずがない、
という事を最近よく考えるのだが、
それで連想するのは成人功「いんちき」の最終回だ。

「うあー なんかこのまま新聞の4コマみたいに1万回くらい続けさせてもらって細々と生きてく人生設計があ〜」
いんちき.png
(ちなみに1996年ごろ「アフタヌーン」で連載されていた。全2巻でプレミアがついている。)

風刺漫画がヌルいというのは、何十年も前から国民的共通認識なのかもしれない。
新聞みたいな安定したところで年金もらうような仕事をしている人が、
国家的な弾圧に逆らって漫画を書くことなどできるわけがないではないか。
 
 
国家の弾圧に耐えた偉人の漫画はいっぱいあるが、
そこに出てくる拷問は、「勇午」大西巷一の漫画にように詳しく描かれていない。

のちに自分の伝記が出版されると分かっていたならまだ拷問に耐えられるかもしれないが、誰も知られず痛い思いをして死んでいくぐらいだったら宗旨替えして相手の靴を舐めた方がマシ、という考えも分かる。

そういうことを踏まえた上で、風刺というものを考えていきたいのである。
とりあえず小林よしのりと、辣椒と井上純一は立派だ。
わたしゃ真似できません。


 

中国嫁日記(一)

中国嫁日記(一)

  • 作者: 井上 純一
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2015/01/31
  • メディア: Kindle版



中国工場の琴音ちゃん 1 (ダンガンコミックス)

中国工場の琴音ちゃん 1 (ダンガンコミックス)

  • 作者: 井上純一
  • 出版社/メーカー: ダンガン
  • 発売日: 2016/06/05
  • メディア: Kindle版



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これさえ読めば海外漫画通?水野良太郎「漫画文化の内幕」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]


漫画文化の内幕

漫画文化の内幕

  • 作者: 水野 良太郎
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1991/03/01
  • メディア: 単行本

1991年に出版された、水野良太郎「漫画文化の内幕」という本を読んだ。
水野良太郎(1936-2018)は早川書房の「キャプテン・フューチャー」のイラストを手がけた人で、風刺漫画家と分類できる。国際的にも活躍しており、漫画協会の理事も勤めていた。

せそうあきら4b.jpg
「世相漫画で知る中国」収録、中国「風刺と幽黙」に掲載された水野氏の似顔絵。左は牧野圭一、右は小野耕世?)

本の前書きから厳しい。

不勉強なマンガ評論家気取りの、独善的見解の受け売りがマスコミに定着しつつある昨今には苛立つばかりである。見解の相違という次元ではなく、それ以前の知識を持たぬまま、「これが漫画(劇画)だ」なんて、エラそうに言ってほしくない。

これまで何度も風刺漫画家の時代錯誤な漫画評を紹介してきた。

今回もそんな感じになるのかなと思って読み始めたが、手塚治虫が亡くなって2年後の本なせいか、劇画に対する追及が若干弱い気がする。この本によると、この時期の日本のひとコマ漫画業界はほぼ死滅しているらしい。

「劇画」という言葉は戦後、貸本漫画を描いていた漫画家 辰巳ヨシヒロや、さいとう・たかをなどが、大人を対象にした漫画で物語を軸にした作品に命名したと言われる。

作品のスタイルとしてはすでに戦前の欧米にあって決して新しいものではない。当時まだ若かった彼等は、そうした海外の漫画事情を知らなかったのではないか。しかし、長いストーリー展開を軸にした作風というのは、これまでの日本の大人漫画にはなかったスタイルだった。

この文章から、
水野氏は辰巳ヨシヒロとコミュニケーションを取ったことが無さそうなのが伺える。

水野氏の劇画への解釈は、単純に写実的なタッチのストーリー漫画が劇画だと受け取れるもので、さらに本の中で海外のそういった作品を執拗に「劇画」と紹介して、辰巳氏の革新性を貶めようとしているのではないかという警戒感が私の中に生まれた。

この辺から、水野氏の本音が見えるような気がする。

実際のところ日本では、大人が読むにはあまりにも幼稚なイメージの成人向け劇画や《マンガ》本が多すぎる。絵がコドモ成人向け漫画的だと尚更の印象だ。

欧米の成人向け劇画や漫画でしばしば見られる知的な楽しさや魅力が、日本の劇画に乏しいのは紛れもない事実である。出版物としてのイメージもまた、お粗末すぎる。それらに夢中になる読者の知的センスを疑われるのは当然ではないか。

劇画スタイルの漫画が好きか嫌いかという次元の問題ではなく、すべて知的で高尚であらねばならないと言うのではない。大人が読んでもハズカシくない、魅力的な劇画が日本で目につかないのが悔しいのである。

大人の観賞に耐え得る魅力的な劇画が、日本にも無いわけではない.しかし、それらがガサツで薄汚い作品群に埋って掲載される漫画雑誌の在り方は、もっと検討されてもよさそうである。

本に書かれた水野氏の透けて見える本音を要約すると、
漫画は知的なものであるべきだ!
だからもっと海外を見習え!
と、いうことだと思う。この辺、風刺漫画家の限界を感じる。

知的であることは良いことだ。
しかしそのことが風刺漫画家の慢心を招き、読者の需要と乖離してもそれを受け入れられない悪循環を産んだことは、これまで何度も書いてきたことである。

でんしゃでまんが.png
(画像は小林よしのり「新ゴーマニズム宣言」1巻

その結果、
やっぱり風刺漫画家は絶滅してしまったようなのであるが、その段階に至っても「知的」を錦の御旗に掲げ続ける水野氏の漫画論には首をかしげざるを得ない。

そして、おそらく水野氏的な漫画論の極北にいるドラゴンボールなどの漫画が、現在世界的にファンを増やし続けている現象がある。そこから人間とは何かと考えるのが現代的な漫画論というものだ。水野氏の漫画論はそんな未来を予測するものではない。

なぜメキシコ政府がドラゴンボールのアニメの最終回を1万人のスタジアムを使って放映するに至ったか?フランスの大統領が「ワンピース」や「鬼滅の刃」の新刊を買うのか?なぜ湘南にやってきた中国人が「スラムダンク」に出てきた電車を見て涙を流すのか?水野氏の本の理論では説明できないだろう。

スラダン3.png
(画像はにしかわたく/初田宗久「ブラック企業やめて上海で暮らしてみました」

海外にも優れた売れてる漫画は山ほどあるのだろうが、
そこに読者も作り手もコンプレックスを一切感じないことが小説や映画との決定的な違いであり、誇れる部分だと思う。

「漫画文化の内幕」は、
ひどい言い方をすれば水野氏の海外コンプレックスに溢れた本である。

それにもまして日本の劇画/漫画評論家の絵画的美意識は疑わしいものだ.劇画や漫画が紛れもなく絵画芸術の一分野であることなど思いもよらないのだろう。彼等がソウル・スタインバーグローラン・トポールロナルド・サールについて論じたのを見たことがない。《ブラック・アンド・ホワイトの魔師》と言われたアメリカの劇画家ミルトン・カニフのデッサンの魅力について、日本の劇画/漫画評論家が論じた例を知らない。『ターザンをダイナミックに描いて一世を風摩したバーン・ホガースを知る日本の劇画/漫画評論家がどれだけいるだろうか。

とはいえ、日本漫画最高!の意見に安住しても風刺漫画の末路を辿るだけで不健康だ。
今はネットで手軽に調べてどんな作品なのか雰囲気だけでも分かるのだから、この際だから数件調べてみた。

やはり役立つのはツイッター(エックス)で、誰かしら呟いているので勝手に引用してみた。許されたし。ピンク色の文字は「漫画文化の内幕」での紹介部分である

とりあえず本に対する論評はここまでで、
以下の海外漫画家調査レポートは気まぐれで追記するので、お暇ならまた読みに来てよねーん。

スタインバーグはこないだブログに書いた。
ホガースは現在も書店で技法書が流通しているので省略。
ということでロナルド・サールから。

ロナルド・サール Ronald Searle(1920-2011)イギリス
戦争では日本軍の捕虜となったり、アイヒマン裁判の法廷画家などもしている。
芳崎せいむ「金魚屋古書店」でも3話にわたって取り上げられている。


ローラン・トポール Roland Topor(1938-1997)フランス
文章も書くようで、脚本家として「ファンタスティック・プラネット」に関わっているらしい。


ジェラード・スカーフ(Gerald Anthony Scarfe)1936-
新聞の政治風刺漫画にしてもジェラード・スカーフのような、大胆でシャープなデフォルメによる斬新な作風を試みる雰囲気さえ、日本にはない。

「ジェラルド・スカーフ」表記だとよく出てくる。
ディズニーなどのアニメーション作品も多く手がけており、
代表作は「ピンク・フロイド ザ・ウォール」




ヴァージル・パーチ(Virgil Partch)1916-1984
ひとコマ漫画専門の漫画家は基本的には一コマ漫画しか描かないのである。(中略)ヴァージル・パーチのコミック・ストリップス「ビッグ・ジョージ」は例外的であり、

代表作「ビッグジョージ」「キャプテンズギグ」


レイモン・ペイネ(1908-1999)Raymond Jean PEYNET
1950年代に「アサヒグラフ」が日本で初めて彼のロマンティックな作風を紹介して以来、日本の菓子メーカーがイメージ・キャラクターに使ったりして、ファンが増えた。

BS漫画夜話で、ペイネが永島慎二に影響を与えていると指摘されていた。
軽井沢にペイネ美術館がある。世界初・日本で唯一の個人美術館なのだそうだ。



モルト・ウォーカー(1923-2018)Addison Morton Walker
アメリカでは人気漫画家モート・ウォーカーが古い城を買い取って、漫画美術館として経営してい る。彼が蒐集した五千点もの漫画の原画を展示し、自ら館長におさまり、入場料を取っての経営 である

代表作「ビートル・ベイリー」
アニメ化もされており、「新兵ベリー」というタイトルでテレビ東京やキッズステーションで放送。
1971年に鶴書房から全10巻、2004年にも文芸社から邦訳版が出ている。
団子鼻でヘルメットで目を隠したキャラデザインは、石ノ森章太郎が踏襲してる気がする。



ジャン=ジャック・サンペ(1932-2022)Jean-Jacques Sempé フランス
1970年代にはフランスの世界的な現役のナンセンス漫画家、J=J・サンペのデッサン展も銀座の画廊で開かれたが、どれも当時としてはリーズナブルな価格だった。




アルベール・デュブー(1905-1976)Albert Dubout フランス
1980年代の中頃だったと思うが、日本橋・三越デパートでは、フランスの国民的人気漫画家だった故アルベール・デュブウの個展が開かれた。40号程の油絵が十数万円前後で売られていて、その大衆的価格に驚いたものである。私のポケット・マネーでも買えそうな価格だっただけに、なぜ見送ったのか今でもひどく後悔している。デュブウは戦前から戦後にかけてフランスでは圧倒的な人気を博した漫画家だったが、日本では殆んどなじみが無く、三越デパート側も彼の評価を迷ったのではないか。展示場所も「フランス・食品フェスティバル」のコーナーの一角に、埋めぐさついでという印象だった。彼の作品が度々『文春・漫画読本』でも紹介されていたのに、誰の記憶にも残っていなかったのだろうか。

尻尾を立ててお尻の穴を見せる感じの猫の絵が、
こないだ発売された荒木飛呂彦「ザ・ジョジョランズ」2巻に出てきたので、ひょっとしてと思う。





ジャン・エッフェル Jean Effel(1908-1982)フランス
パリの小さな古美術店で、ジャン・エッフェルの小さなデッサンが額に入って売られていた。彼も戦後一世を風鯉したフランスを代表する風刺漫画家のひとりだった。




ミルトン・カニフ Milton Caniff(1907-1988)アメリカ

彼の描いた『テリー&ザ・パイレーツ』に登場する「ドラゴンレディ」は短気な女性の蔑称として広まったそう。水野良太郎はカニフに影響を受けていると指摘する人もいる。



<追記>
「あしたのジョー」の時代ぐらいの感覚で読んでいたが、「漫画文化の内幕」が出版された1991年は「ナニワ金融道」「スラムダンク」「沈黙の艦隊」「幽遊白書」「寄生獣」「クレヨンしんちゃん」などが連載している時期である。ジャンプが615万部突破。4年後に650万部達成。この時期にこのセンスはちょっと痛すぎる気もする。外国漫画好きにしたって、何十年前の漫画を持ち上げてるんだ。。。

 
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新人起用に専属契約で大ヒット!知られざる週刊サンデーの歴史 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

週刊「漫画サンデー」の創刊は最初の漫画専門の週刊誌として、相当に話題を呼んだ。

「近藤日出造の世界」の305ページに、気になる文章があった。

著者の峯島正行氏が「漫画サンデー」初代編集長なのだ。
創刊に際し、峯島は日出造に協力を仰いだ。
その結果を書いた一文である。

ここでいう漫画サンデーとは、
あだち充や高橋留美子が描いてる小学館の少年サンデーのことではなく、
2013年に休刊した実業之日本社の「漫画サンデー」、略して「マンサン」のことである。

峯島氏はマンサンが最初の漫画週刊誌だと書いている。
そうだったっけかと調べてみた。

最初かどうかは知らないが、
やはり少年マガジン&サンデーの方が、マンサンより半年ほど早く創刊していた。著者の記憶違いなのだろうか。

少年サンデー1959年3月17日
少年マガジン1959年3月17日
漫画サンデー1959年8月11日

そういえば、
少年サンデーとマガジンは創刊当時は総合誌だったという解釈もある。
どちらも創刊号の漫画の掲載本数5本。他はグラビアや小説。そんな時代だったのだ。
だから最初の漫画専門誌はマンサン。そういう捉え方なのかもしれない。その時はそう思った。

「近藤日出造の世界」のあと、
須山計一の「日本漫画100年」という本を読んで震えた。

その本の巻末に漫画史年表があるのだが、
1959年の項目には漫画サンデー創刊とあるのみで、少年サンデー&マガジンは記載がない。

…これか!
繰り返しになるが、震えたのである。
大発見だ!

シン・ポンコツおやじ1.png

つまりどういうことか。
少年サンデー&マガジンなど漫画ではない。
その創刊は漫画の歴史に記して残すに値しない瑣末な出来事。
そういう考えが一部にあったということだ。

一部とは何か。
とりあえず峯島と近藤日出造、
それと漫画100年を書いた須山と、それを受け入れる読者と出版&漫画関係者。
何度も書いているが、そういう考えが当時のいわゆる「上流」において支配的だったことがより鮮明になる記述だ。

ちなみに「日本漫画100年」は1968年初版の本で、当時少年サンデー&マガジンは創刊9年目。
1968年はマガジンで「あしたのジョー」が始まった年でもある。
すでに「巨人の星」「天才バカボン」「おそ松くん」「オバケのQ太郎」「伊賀の影丸」「仮面の忍者赤影」「エイトマン」、「サイボーグ009」「ゲゲゲの鬼太郎」など、漫画史に残る傑作の数々が世間を賑わせていた。


「日本漫画100年」を書いた須山計一は明治生まれの漫画家で、
この時代の漫画家の本を読むと名前がよく出てくる。

漫画史研究の本を何冊も出しており、夏目房之介もジッちゃんの名にかけて須山の著作を読むように勧めているほど、その見識を認められている。だから今回読んでみたのだ。ちゃんとした人のはずである。

そのちゃんとした須山の本、「日本漫画100年」の204ページでは、
昭和30年代の「漫画ブーム」に次々と創刊された漫画週刊誌(隔週刊含む)を紹介しているのだが、

シン・ポンコツおやじ4.png

漫画タイム、
土旺漫画、
週刊漫画Times、
漫画サンデー、
漫画天国、

そして漫画読売を紹介するにとどまり、
やはりマガジンとサンデーは蚊帳の外なのだった。

ダメ押しとして、
237ページの「漫画界最近の話題」の章にはこうある。

シン・ポンコツおやじ5.png

週刊型の漫画誌の発刊がひきつづいて、四十三年春現在ではその数二十五種もでている。しかしすでに十年以上(原文ママ)の歴史をもっている「漫画サンデー」「週刊漫画タイムス」などをのぞくと、その多くは低俗なエロ雑誌にすぎなく、ただ表紙に漫画という字を冠しているのである。

とりわけ、アクション漫画、劇画と称するものの中には、退廃的のもの、軍国主義調のもの、変質者的のものなどあって世の批判をうけだしている。

繰り返しになるが、
漫画史研究家として何冊も本を出している須山計一の1968年(当時63歳)の見識がこれなのである。
説明していなかったが、漫画サンデーはいわゆる風刺漫画専門誌である。
もっとも当時は「漫画」とは風刺漫画のことであり、そんな断りをする必要すらなかった。
 

さて、そんな漫画史の権威が認める漫画サンデーだったが、
「近藤日出造の世界」によると創刊間も無くは予想したより部数が伸びていかなかった。

峯島は近藤と相談し、テコ入れとして新人を起用し、雑誌に新風を送り込もうという話になる。風刺漫画の世界はベテランが仕事を独占し、新人が入りにくい世界だったという。

そこで選ばれたシンデレラボーイが、杉浦幸雄の弟子だった富永一朗である。
のちにお笑いマンガ道場に出てた人だ。

漫画サンデー編集部は、話題作りのために富永に規格外の長編を依頼する。
なんと毎号4ページも与えたのだ。4ページも!
(…風刺漫画なので、4Pでも大長編なのだそうだ。)

そこで富永一朗の描いたのが「ポンコツおやじ」だ。
エッチで下品すぎるという苦情もあったが大評判になったらしい。

その影響から、富永には他社から原稿依頼が殺到してしまう。
それは放置すれば富永が早々に潰されてしまう量だったという。
峯島は近藤らと相談して、富永とマンサンの間で専属契約を結ぶことを思いつく。

ハレンチな新人起用と専属契約。
少年ジャンプの創刊が1968年なので、9年ぐらいは早いことになる。
もっとも、専属と言っても週刊誌でなければ他社でも書いていいという、緩いものではあった。
そもそも任されるページ数が少ないからね。

富永の作風が気に食わない漫画評論家の伊藤逸平が専属契約を含め批判すると、反論を日出造が書いたりして話題になったようではある。ジャンプ編集部がそのことを意識していたのか?とりあえず西村繁男の著書には記述がない。

 
須山計一「日本漫画100年」にもポンコツおやじに関する記述がある。
その紹介の前に白土三平の「忍者武芸帳 影丸伝」を丸々1ページ使って解説しており、
悪書と呼ばれた劇画にあっても、さすが白土は扱いが別格だなと感心するのだが、ページをめくると…

シン・ポンコツおやじ3.png

「日本的アクション漫画の代表は富永一朗の「ポンコツおやじ」であろう」と続くのである。白土三平を露払いにしているかのようである。

シン・ポンコツおやじ2.png

白土の紹介記事をよく読むとベタな解説に徹しており、須山の白土三平に対する感想がないし、何よりタイトルを「忍者武芸 影丸伝」と間違えている。ちなみに「オバケのQ太郎」の作者を赤塚不二夫だとしている箇所もある。(220ページ)

影丸伝をしのぐ、
日本的アクション漫画代表の「ポンコツおやじ」とはどんな作品なんだ?

検索してみたが、Amazonで見つかるのは1966年の当時の単行本のみだ。
コンビニコミックで復刻とかもない。一過性のものに終わり、読み継がれてはいないらしい。

筑摩書房の全集「現代漫画」の第二期に「富永一朗集」があり、
そこにポンコツおやじもあったので読んでみた。
正直、まったくピンとこない。

シン・ポンコツおやじ6.png

50のオッサンと、70のババアの友情ドタバタ劇、というコンセプトらしい。
ハイテンションのセリフ回しが歌の文句みたいで独特のリズムがあり、
訳のわからない展開と併せてトリップしていく感はある。G=ヒコロウみたいだ。

しかしこれで白土三平を超えるアクション漫画とする須山の感性こそポンコツおやじである。

てんくうせんきしらと2.png

全集「現代漫画」の鶴見俊輔の、子供漫画の解説は感銘を受けたので、
期待して富永一朗の巻末の解説を読んだが、小難しくてよく分からなかった。

不思議なことに富永一朗は風刺漫画の賞、
文春漫画賞には5度もノミネートされているが、一度も受賞に至ってない。

2006年に出版された現代漫画博物館1945-2005には、富永一朗の名前がない。
ついでに言うと近藤日出造の名前もない。
もちろん須山計一の名前もない。

 
現在、長谷川裕「貸本屋のぼくはマンガに夢中だった」という本を読んでいる。
貸本や、ストーリー漫画に夢中になった作者が、風刺漫画専門誌だった「漫画讀本」について書いているのが印象に残ったので引用したい。

肝心の絵も、あまり魅力的でなかった。似顔絵を描かせたら天下一品の清水崑や、市井の風景を綴密なタッチで描く六浦光雄など、数少ない例外を除くと、「漫画読本』の大人マンガの絵は、どれも油っ気がなく、淡白に見えた。そこには手塚マンガや杉浦マンガのような、どのページをめくってもあふれ出してくる、ぎらぎらしたものがほとんど感じられなかった。

それに対して、子供向けのストーリー・マンガや劇画は、たとえデッサンが怪しげだろうが、パースが狂っていようが、そんなことを忘れさせてしまうほどの熱気、生命力にあふれていた。劇画やストーリーマンガの若き作者たちは、不器用ながらも、むずかしい構図や人物の微妙な表情などを、なんとか描き込もうと努力していた。その結果はおおかた野暮ったく、どこか破綻しており、けっして成功しているとは言いがたかったけれども、そこには作者の真剣さがにじみ出ていて、その迫力が読者をとらえて放さなかったのではないか。

そうした貸本マンガ・劇画にくらべると、私には、「漫画読本」の大人マンガは手抜きにしか見えなかった。というよりは、ネームとコマ割りをみっちりと構成し、一コマ一コマを多大な労力をかけて埋めながら描かれた、新興のストーリー・マンガや劇画には、さらりと淡白な味をねらったこれまでの大人マンガを手抜きに見せてしまうほどの、強烈なエネルギーが充満していたということなのだろう。

それから四十年たった現在でも、時事マンガ、一コマ・マンガの類は、旧態依然のまま、まったく変化していない。戦後のストーリー・マンガや劇画があれほど激しく、その表現様式を変化、発展させていったことを考えると、これはなんとも不思議なことだ。

いずれにせよ、熱気とエネルギーを欠いた大人マンガが、子供の目に退屈に映ったのは当然で、いかに軽妙酒脱だろうが、デフォルメの妙があろうが、「漫画読本」は、貸本マンガや劇画の持つ圧倒的な。パワーの前には勝負にならなかった。このころが全盛だった「漫画読本』は、以後、しだいに読者を失い、ついには廃刊に追いやられる。

漫画讀本が廃刊になるのは「日本漫画100年」の2年後の1970年。
「日本漫画100年」には同じく1970年に常識外の負債を近藤日出造らが抱えて倒産する、日本初の漫画専門学校「東京デザインカレッジ」開校についても華々しい話題として扱っている。涙。

劇画は邪悪

おそらく明治大正から生きていた人は、こうとしか考えられなかったのだろう。
それだけに戦後の漫画の変化は予測不能で劇的で、強いアレルギーを伴うものだった。
それは手塚治虫や劇画がもたらしたものだと言って間違いない。

なぜ戦前の漫画史は一度人々の記憶から消え、手塚トキワ荘史観がはびこったのか?
…と言う疑問のヒントも、ここにあるような気がする。
劇画の第一人者のさいとうたかをも、かつては「劇画は漫画とは全く違うもの」と言っていた。

スマホの縦読み漫画にAIイラスト。
漫画を取り巻く環境は今なお激変の時代を迎えようとしている。
同じことが起こらないと言えるだろうか。
今の多くの漫画ファンが、ひょっとしたら将来の須山峯島近藤になっているのかもしれない。

弘兼憲史・猪瀬直樹「ラストニュース」に好きなセリフがある。
通用しない2.png
「ふむ…しかし、キミが父上を乗り越えるまでにはもうちょっと時間がかかるでしょうなあ。」
「東都新聞は百年の歴史を誇りますが、テレビ業界はたかだか四十年(1993年時点)の浅い歴史しかありません。経験が必ずしもプラスに働くとは限らないでしょうね…

 
さいきん雁屋哲が、しりあがり寿の風刺漫画を芸術だと絶賛しているのを見て「ふふっ」となった。
上流だった風刺漫画はほとんど現在死滅している。

そんな光景を見てきたからこそ、手塚治虫のこのセリフなのかもしれない。

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「…マンガは残りませんよ。」
「…そうかなァ… そうでしょうか。」
「作者と一緒に時代と共に、風のように吹き過ぎていくんです。ーそれでいいんです。」

 

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芸術一家はモラルが爆発だ!岡本一平「漫画と小説のはざまで」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

きみは悪の貴公子・フジロウを覚えているだろうか。
戦前のサイコパス殺人鬼、谷口富士郎を。

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中央が富士郎

資産数十億(現在の価値で)という札幌の医師会副会長の家に生まれた三兄弟の長兄。
上京し芸術家を志すが、遊ぶ金欲しさに知り合った金持ちの老婆を殺害。
大卒初任給が70円の時代に、月に千円二千円と使っていたから、
いくら仕送りがあっても足りなかった。

さらにタチが悪いのは、老婆殺害を手伝わせた弟を口封じのために殺害。
それを手伝わせた下の弟も始末しようとするが失敗。悪事が露見する。
海外留学だと言って、女と渡米しようとしているところを逮捕されて終身刑。

このフジロウ、彫刻家を目指していたが、
自ら開いた個展では呆れたことに盗作どころか盗品を展示していたという。

そんなフジロウは、彫刻以前に漫画家の弟子入りを希望していた。
その漫画家は、「漫画は斜陽産業だから」とフジロウの弟子入りを断った。
それが岡本太郎の父、岡本一平である。戦前のカリスマ漫画家であった。

…ということを以前「戦前の少年犯罪」という本を読んで、感想をブログに書いた。
漫画は斜陽産業って、、、昭和元年あたりはそうだったのかと、その時は単純に思っていた。

しかし最近「近藤日出造の世界」を読んでみたら、
日出造は同じ時期にあっさり弟子入りを許されていることが分かった。

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一平は割と気さくでウエルカムな人だったようで、弟子もウジャウジャいたのである。
「近藤日出造の世界」によると、「一平塾」の生徒は5、60人。

漫画家志望だけでなく、
単なるファンや取り巻きも一平塾にいたというからハードルが低い。

岡本一平は全集がメガヒットした勢いで、その後2年も洋行するぐらいだし、
高弟の宮尾しげをの「団子串助漫遊記」は百版のベストセラー。
漫画が斜陽産業だなんて、単なる方便だったとしか思えない。

一平がフジロウを体よく追い払ったのは、
やはり何かしらフジロウからヤバさを感じ取っていたからなのではなかろうかと思うようになった。
 

清水勲と湯本豪一による岡本一平の伝記、「漫画と小説のはざまで」を読んでびっくりした。
例の一平の洋行に、子供と妻と、愛人も2人を連れて行ったというのだ。
しかもその愛人というのは一平の愛人ではなく、妻の愛人なのである!愛人を二人も!

連れてく方も連れてく方だが、ついてく方もついてく方だ。
そもそも普段から旦那公認で同居して、毎日みんなで食卓を囲んでいたというのだから凄まじい。

それが許される一平の妻は、よほどの美人なのかと写真を見るとそうでもない。
35億!の人に似てる。

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(左から一平、太郎、かの子、愛人1、愛人2)

この浮気な妻の岡本かの子さん、もともとお金持ちのお嬢様。
結婚してから家庭を顧みることなく放蕩三昧だった一平のせいか、頭がおかしくなって入院。
反省した一平は以後、かの子の幸せを第一に考えるようになった。
それがちょっと極端過ぎたようである。

解放されたかの子は仏教研究家としても有名になり、その後に小説家としても認められた。
夫は大ヒット漫画家。妻は人気小説家。息子は太陽の塔で知られる芸術家。そして愛人愛人。
すごい家庭だ!

そんな自由なかの子さんも、49歳に脳溢血で亡くなる。
一平は深く悲しみ、それを労ってくれた姪っ子への好意が膨らんでいく。
姪に求婚するが、息子の太郎と変わらないぐらいの年齢だったこともあり、親族が大反対した。

結局、一平は、姪と同じくらい若いバツイチ女性と結婚する。
やっぱり周囲の反応はよくなかったらしい。

一平の死後、残された家族をどうしようという話になる。
太郎の他に、後妻とその子供が4人おりますねん。
一平の義弟の池部鈞や、弟子の出世頭だった宮尾しげをなどは絶縁を宣言。

近藤日出造や横山隆一、杉浦幸雄などの若い漫画家たちが金を集め、遺族を援助することにした。

のちに太郎が新進気鋭の芸術家として認められ、アメリカに行く身分になったが、太郎は相変わらず援助を続けるように頼んできたというので、流石にそれはおかしいという話になり、それきっかけで援助は打ち切られた。そもそもかの子の印税も莫大で、援助なんていらなかった説もある。

かつて宍戸左行が一平を訪ねた際に、
来客中に親に小遣いをせびる太郎を見て、「しつけがなってない」と気分を害したことがあったようだ。アメリカ帰りの左行が思ったのだから、相当なものだったのだろう。

後妻はともかく、一平の妹の夫の池部鈞が縁を切ったというのだから、岡本太郎がどんな若者だったかと言うのは興味深い。面白い伝記があれば読んでみたいので誰か教えてほしい。

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(画像は小林よしのり「ゴーマニズム宣言」4巻
 
さて、そんな岡本一平の、肝心の作品はどうだったのだろうか。

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(画像は昭和三年発行の現代漫画大観2巻より、一平が親しかった夏目漱石「坊ちゃん」をコミカライズした作品。)

一平の得意スタイルは漫画・漫文と呼ばれ、いわゆる絵物語に近いものだったようだ。
クローズアップなど映画的手法もこの頃すでに取り入れているが、
正直、未発達の漫画という印象を受ける。

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(画像は清水勲/湯本豪一「漫画と小説のはざまで」

当時の漫画表現の限界だったのかなとも思うのだが、
その先輩である漫画界のファーストエンペラー、北沢楽天の作品を見るともうすでに今の漫画と遜色ないこともやっている。

以下画像は北沢楽天「とんだはね子」。昭和3年の作品。セリフを平仮名で意訳しています。
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はね子の至福の表情がスバラシイ!

この北沢楽天を押し退けて岡本一平が人気になったというのは、どちらかというと受け取る読者の限界だったのではないだろうか。少女漫画やアメコミをいきなり読んでも読みづらいように、漫画が読めるということはある種のスキルなのである。北沢楽天の漫画スタイルは、当時の理解が追いつかなかったのではないか。

岡本一平の作品を見て首を傾げるのは、絵のこともある。
あまり良くないように思える(主観)

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かの子や太郎には「お父さんは絵が下手」と笑われていたそうである。
こういうのを普通は素直に受け取らないが、受け取ってしまえば全て納得がいく。
岡本一平は絵が下手だったのだ!もちろん漫画は絵の上手い下手(写実的かどうか)が全てではない。

こんなへたっぴいの絵を模写しまくって出世した近藤日出造は、
アトムがヒットしてるにもかかわらず一生懸命に小島功っぽい絵柄にして風刺漫画に擦り寄った手塚治虫を「絵が下手だ」と認めなかった。

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(画像は村上もとか「フイチンさん再見!」7巻

そこに近い感覚を持ってたであろう横山泰三もやたら絵の上手い下手にこだわって、特に赤塚不二夫の絵が汚らしくて我慢ならんと文春漫画賞を受賞する際に「あんた責任がとれるのか」と推薦する審査員に食ってかかっていた。

もちろん個人の感想というものはあるが、それが漫画の発展を阻害するようなレベルになれば単なる老害であると自戒したい。

ところで、話を冒頭のフジロウに戻すが、
一平がフジロウを体良く追い払ったのは、かの子に手を出すかもしれないと思ったからではないのか。
近藤日出造は顔がホームベースみたいだったから良かったのだ。
しかも仲間にしょっちゅうからかわれるぐらい、女性に対して奥手だった。

もしフジロウの弟子入りが許されていたら、
それ以後の漫画史はけっこう変わっていた可能性もある。
フジロウと一平の面会は、割と歴史のターニングポイントだったのかもしれない。
皆様はどう思われるか。

 

白面の殺人鬼―谷口富士郎: ~江戸川乱歩~

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  • 出版社/メーカー: 東大阪出版会
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漫画オンチの大物漫画家の挫折、峯島正行「近藤日出造の世界」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

「劇画」とは何か。
複雑な線、暗い作風、セックス&バイオレンスというのが大方のイメージだろう。
劇画宣言の中心人物である辰巳ヨシヒロの考えは違う。

辰巳ヨシヒロ「劇画漂流」上巻の378-379ページの見開きに注目されたい。
ひでぞう1.png

「コマによって情報量を変えることで、
 読者の読むスピードを場面によって上げたり下げたりさせ臨場感を出す」

という理論が根底にあるというのが私の理解である。
だから、それ以前の漫画はそうではなかったという認識がまず必要。
そんな当たり前の文法が、邪道だとして非難の対象になった時期があったのである。
つまり劇画によって、漫画は漫画になったのだ。

 
※ちなみに1975年に手塚治虫が「ブッダ」等で悲願の文春漫画賞(風刺漫画を対象とした賞)を受賞したとき、選考委員の横山泰三は手塚治虫について「氏は劇画の権威ではあるが」と前置きしている。
 

劇画旋風がさらに強まった1964年のことである。

「なぜ劇画の連中がいるんだ。劇画なんて漫画じゃないんだ。君たちは別に漫画家協会を作ればいいんだ」

めでたい漫画家協会創設のパーティーにて、
初代理事の近藤日出造(こんどうひでぞう)はこう言い放ったという。

言われた劇画漫画家の辰巳ヨシヒロらは小さくなるしかなかった。劇画暮らし
当時の漫画界のボス的存在であった近藤日出造ですら、劇画への認識はこんなものだった。

さらに言えば、近藤日出造は激変する漫画の状況を、全く理解出来ていなかった。
「最近の漫画はダメになった」みたいな、いつの世もありがちな認識に陥って一歩も抜け出せなかった。
そのことが日出造の晩年の没落を加速させるのである。

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(画像は小林よしのり「ゴーマニズム宣言」4巻。 ここで言う「今」とは1994年の事である)

近藤日出造とはなんなのか。
峯島正行「近藤日出造の世界」を読んで、めちゃくちゃ面白かったので紹介したい。


近藤日出造の世界 (1984年) (青蛙選書〈66〉)

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まず日出造は どんな漫画を描いていたのか。
藤子不二雄の名作「まんが道」には似顔絵描きの達人と説明されている人である。
師匠は岡本太郎の父、岡本一平
当時、大ベストセラーになった一平全集の制作に関わったことで日出造は画力をつけたと言われる。

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現在読み継がれている作品が特にない。
やはり似顔絵、風刺画の人である。今の感覚で言ったらイラストレーターなのでは。
吹き出し&コマで表現する漫画は少し描いたぐらいで、向いてないと思ったのか諦めたらしい。

感心するのはインタビューの上手さだ。
映画俳優の片岡千恵蔵に会いに行った時のことである、
悪気なく日出造が言った「お若いですね」ひとことで千恵蔵がキレだし、「帰れ」「帰らない」の口論になる。なんと日出造は、そのやりとりをそのまま掲載させた。大評判になったらしい。

右翼の巨頭・黒幕的存在と見られた頭山満に話を聞きに行ったこともある。
「どうしたらこんないい暮らしができるんですか。私も座って人をアゴで使っていい暮らしがしたい。教えてください。」と日出造が言うと、「痛いとこ突きよる」と頭山は答えたという。(後で頭山の信奉者から脅迫状がきた)

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ここだけ見ると気骨の、反権力の人を想像してしまう。
しかし日出造30代のころ、日本は軍国主義の世を迎える。

その時の日出造の態度がどういったものであったのかは細かく考察しなければいけないものであるが、とりあえずドラマチックに「戦争反対!」と叫んで投獄されたりはしていない。戦後、軍部に尻尾を振った漫画家としてたびたび批判されたことは確かである。

疎開するような段階になって初めて日出造は、
この戦争はダメかもしれないと思ったというから、日出造の感覚もダメかもしれない。
まあこの辺は、当時の日本人の普通の感覚だったのだろう。

日出造は風刺漫画家なだけに政治を語る。
しかし村松剛に言わせると「床屋政談レベル」なのだそうだ。

それが逆に庶民感覚と一致したのだろうか。
戦後はテレビのトークショーにも出演して好評。
文化人としても一流。漫画の仕事も安泰だった。

現在の漫画好きにはなかなか理解し難いことなのだが、戦後もしばらくは漫画と言えば風刺漫画のことだったそうだ。それが1959年、辰巳ヨシヒロの「劇画宣言」をきっかけに、一変する。手塚治虫フリークだった辰巳が、子供漫画の1ジャンルであったストーリー漫画を進化させる形で劇画を提唱。これが爆発的に読者に支持され、風刺漫画家や、古い子供漫画を描いていた作家は駆逐されていく。

風刺漫画初の週刊誌として創刊された週刊漫画サンデー(週刊少年サンデーでは無い)初代編集長であり、のちに「近藤日出造の世界」を執筆する峯島正行は、日出造に危機を訴えた。結局、峯島が編集長を降りた後の漫画サンデーも、劇画路線になってしまう運命にあった。

そんなご時世だったが、日出造は取り合わない。

「ナンセンス漫画は押し込まれて無くなるようなチャチなものじゃない。
 現に俺も杉浦横山も、仕事がありすぎて徹夜しても間に合わない。
 実力のある漫画家は生きていける。」

だが、何か心に引っかかるものがあったようである。
近藤日出造はかつて編集統括者として発行していた雑誌「漫画」を復刊させる。
1967年のことである。

日出造のコンセプトはこうだ。
「100人いたら真に面白い漫画を解る読者は5人。あとの95人は相手にしない!」

奇しくも前年に手塚治虫が「まんがエリートのためのまんが専門誌」、「COM」を創刊したばかりである。

驚くのは、それで3、40万部売れると日出造は見込んでいたというのだ。
風刺漫画雑誌の老舗、「漫画讀本」ですら最盛期に30万部らしい。
その漫画讀本も3年後に休刊するのが当時の漫画業界である。
とんでもないボケっぷりだ。

さらに日出造が起用した漫画家はベテランの風刺漫画家ばかりで新人がいなかった。
峯島は、戦前の雑誌「漫画」がそのまま蘇ったようだと戦慄した。

雑誌のフォーマットが、大型A4サイズで高級な紙を使い60ページの薄さ。
当時の本屋さんが取り扱いに困るサイズだったという。

返本が3割超えるような雑誌は作らないと豪語する日出造だったが、五万部印刷して7000部しか売れなかった。じゃあ一万部刷ればいいんじゃねと減らしてみれば、今度は2000部しか売れなかったという。日出造の雑誌は1年保たなかった。スポンサーが用意した資金を遥かに超える、2000万円が負債として残った。

そしてその翌年、風刺漫画家を育成すべく作られた日本初の漫画専門学校、「東京デザインカレッジ」が4年で廃校に。2億とも7億とも言われる常識外れな負債を、連帯保証人のハンコをついていた風刺漫画家たちが背負うことになった。「近藤日出造の世界」によると、廃校で日出造がかぶった負債は3000万円だという。

タイミング悪く、日出造の長期連載も次々と終了していった。
借金を返すために、日出造は漫画を使ったPRを請け負う会社を作る。

「漫画」のアンケートハガキを、あの笹川良一が書いてきたことから営業をかけにいった。

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(画像は、意外な大物がアンケートハガキを書いてきた「ドラゴンクエストへの道」

そしたら話に自民党まで乗り出してきて、仕事につながる。

会社というものは権威が大好きである。
一流文化人として知られていた日出造は、そうやって仕事を受注していった。
その中には原発をPRする仕事もあり、日出造の死後に起こったチェルノブイリ原発事故によって、悪い意味で日出造に注目が集まったりもした。

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(画像は「図説 危険な話」

「原子力の構造は普通の人には分からないのだから、専門家に任せなさい。」
こんなコメントを、日出造は広告に寄せたりもしていた。

日出造が死んだ時、借金はまだ4万円残っていたという。

日出造の死後、辰巳ヨシヒロは「週刊読売」から原稿の依頼をされる。
その編集長は日出造の息子、汎(ひろし)だった。
商家の跡取りと見込まれ、進学が許されず生涯学歴コンプレックスを負った日出造にとって、東大を出た汎は自慢の息子だった。

そんな息子から見た父・日出造は、
家族が重たい家具を動かしていても我関せずと新聞を読み耽るような人柄だったという。

夜遊びの酒も付き合いで飲むというほどで、仲間からはからかわれるほど女遊びもしなかった日出造だが、愛人に夢中になり、妻に離婚を迫ったこともあった。妻は自身が敵わないと思った漫画家、横山隆一の妹である。

嘱託社員として雇用された読売新聞に、その愛人を秘書として出入りさせることも許されるほど大家であり、溺れていた日出造だったが肉体関係は無く、愛人にもその辺に葛藤があったという。そういうことは結婚してからだという考えがあったのだろう。

「手を握るだけでドキドキした」
いい大人が、漫画家仲間にそんなことを語っていたという。

師匠の岡本一平に言われた言葉、
「カタグソ(硬糞)になるなよ」を、日出造は生涯の教訓としていたが、とにかく融通の効かない人だったようだ。

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(画像は村上もとか「フイチン再見!」2巻に登場する近藤日出造)
 
流行った漫画が一過性で終わることもあるだろう。
しかし若い人には若い人の漫画があり、それが漫画の未来を作っていくことを心に留めておかないといけないと思う。

50年後は、スマホで始まった縦読み漫画が当たり前の世の中になり、紙で漫画を読むなんて理解出来ない時代になっていてもおかしくない。

あなたは今現在、近藤日出造になってない自信があるだろうか。

 

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