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風刺漫画家はなぜ老害化したのか?文藝春秋「漫画讀本傑作選」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

実写版は青島幸男が演じた長谷川町子の漫画「いじわるばあさん」の元ネタは、
ボブ・バトルの「意地悪爺さん」(原題:エゴイスト)

今回は風刺漫画の話。
おとなマンガ、ナンセンス漫画という表現もあるけども、ここでは風刺漫画に統一させていただく。
風刺とは何か。
歴史の教科書にも登場するジョルジュ・ビゴーの作品を連想する。

ぶんしゅん2.jpg

そもそも風刺とは、
人物や社会の欠点を直接批判せずに嘲笑的に表現すること。
あてこすりや嫌味をそれとなくおこなうこと。なのだそうだ。

簡潔に、主に権力に対して行う、行使すると付け加えられると思う。
漫画表現の歴史を考えると、風刺漫画はかなり一番最初に来てしまうジャンルだ。
言い換えると漫画表現としては「古い」ということである。

「漫画讀本傑作選」という風刺漫画の短編集を購入、裁断、電子化して読んでみた。
「讀」の字は「読」の古いバージョン。「まんがとくほん」と読む。
漫画讀本は1954年に創刊された風刺漫画雑誌。


ワクワクしながら読んでみたのだが率直な感想を言うと、ぜんぜん面白くない。

いや、もちろんなかには面白いものもあるのだけれど打率が低すぎる。
それにしたって現在の漫画がたくさんページ数を使って、あらゆる手段で「感動」を誘ってくるのに対して、1コマで表現したいのが「冷笑」という風刺漫画は娯楽として伸び代がほとんどないと言って間違いない。やはり風刺漫画は漫画の過渡期な表現だと思う。ジャンルとして完成されてはいるので誤魔化されそうになるが。

大塚英志との対談本、「まんが学特講」でのみなもと太郎の漫画讀本分析によると、
海外の風刺漫画を載せてるうちは良かったが、独自路線を歩むようになるとレベルが低下したという。

どうしても「インテリじゃないと分からない」というベクトルに進まざるを得ないジャンルだ。つまり作者も読者も、この漫画の良さが分からないのはバカだから、という悪循環で独りよがりな解釈に陥り易い。新人がデビューするのも難しく、既得権益化しやすかったのだろうと想像する。

ゴッホの「ひまわり」みたいな一点物なら消費者が大金を積むので、誰にでも経済的価値が分かるが、大量に安価で印刷物として頒布される風刺漫画が市場的価値を見出されるか?もちろん漫画表現が進化・発展していくと、風刺漫画は徐々に商業的に通用しなくなっていく。

漫画讀本は1970年に廃刊。休刊かもしれないがこの際置いておく。
1982年に文庫化された漫画讀本傑作選の表紙にはこうコピーライティングされている。
劇画よ、さらば!帰ってきた60年代の爆笑」

ぶんしゅん1.jpg

つまりこう言いたいのだ。
「我々は一度劇画に滅ぼされた!しかし今や劇画も滅んだ!風刺漫画はこれから復活するのだ!」
この風刺漫画サイドの、劇画を敵視する態度を一度覚えていただきたい。

劇画とはなにか。
そろそろ分からない人も多いのではないだろうか。
劇画とは1950年代後半に辰巳ヨシヒロらが起こした新たな漫画表現の潮流である。

子供向けと風刺漫画で二極化していた当時の漫画表現の、中間層を狙ったものだ。
今やほとんど死語だが、当時の感覚で言えば現在の漫画作品のほとんどが劇画だと言えないこともない。

劇画を定義するのは難しいと言えば難しい。
劇画創立メンバーの漫画家らの間でも微妙な捉え方の違いがあるし、いわゆる劇画ブームの時代に世間からそう言われた作品も、辰巳ヨシヒロに言わせると劇画とは言えないものが多かったようだ。

世間的に共通するイメージといえば「セックス&バイオレンス」も描くというところだろうか。
つまり「悪書」であると糾弾されやすい。

話を風刺漫画に戻すが、
俺たちの良さが分からないのは読者が悪いという思考に陥り易い風刺漫画家の一部は、そういう劇画のわかりやすい弱点にすがって、ますます孤立していったのだった。

劇画誕生に関わった漫画家のひとり、佐藤まさあきは当時の人気雑誌「アサヒ芸能」依頼されてに劇画を描いたところ、風刺漫画家らのボイコット運動が起こり、続きは断念せざるを得なかったと著書「劇画の星をめざして」に書いている。

辰巳ヨシヒロは昭和39年の漫画家協会創設パーティーにて、風刺漫画の大家の近藤日出造から、「なぜ劇画の連中がいるんだ。劇画なんて漫画じゃないんだ。君たちは別に漫画家協会を作ればいいんだ」と公衆の面前で罵倒されたと自伝「劇画暮らし」に書いている。

近藤日出造は藤子不二雄A「まんが道」にも登場する。

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ちなみにその19年後、辰巳に作品を依頼してきた週刊読売の編集長は近藤日出造の息子だったという。その時すでに日出造は他界していた。その息子が父と辰巳の確執を知っていたかどうかは分からない。風刺漫画家でありながら権力に擦り寄って原発のPR漫画の仕事を続け、批判にさらされている近藤日出造の晩年をどう見ていたのか。「栄光なき天才たち」っぽくて非常に興味深い。

ちなみに佐藤まさあきの「劇画の星をめざして」でも近藤日出造の態度が批判されている。

漫画賞の審査会を行うから来てくれと、北沢楽天の自宅の上に建てられた大宮の漫画会館に佐藤が行くと、そこで見たのは審査会で酔っ払ってロクな審査をする気もなさそうな先輩先生たちの姿だった。劇画と児童漫画の選考を任された佐藤は、候補作品の中に盟友の辰巳ヨシヒロの作品を発見。推薦する。すると近藤は原稿をパラパラとめくり、「この辰巳ヒロヨシは人気があるんか?」と名前を間違える。「人気はあまりないけれど、一生懸命努力をしています」と佐藤が答えると、「そんなら努力賞やな」と受賞が決まったといういい加減なものだった。

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漫画賞といえば、漫画讀本は文藝春秋から刊行されており漫画賞も開催していた。
文藝春秋漫画賞の初期は風刺漫画を対象に選考していたようだが、風刺漫画が衰退すると選考対象を広げざるを得なくなり、審査する風刺漫画家たちの漫画音痴っぷりが世間にさらされ批判された。

いしかわじゅんは、著書「漫画の時間」の中で文春漫画賞審査員だった加藤芳郎を批判している。
「私は最近、漫画を読んでおりません」と授賞式の講評で加藤が堂々と言い放ったというのだ。作品知識もあやふやで、すでに十数年のキャリアを持っていた江口寿史「大型新人」と表現。

ふうしぎのうみのナディア2.png

文春漫画賞の迷走は以下のページが面白い。
https://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-4333.html

その中で、やはり加藤芳郎のコメントにイラっとする。
「加藤(引用者注:加藤芳郎) 今度の文春漫画賞に吉田戦車をぼくらが選んだということに関しては、今まであれを密かに楽しんでいた批評家とかそういう連中が、嫌な顔してるのね。ということは、ぼくは分かるんだ。ぼくらは芝居っていうとマリオンに行ったり、帝劇に行ったり、博品館に行ったり、紀伊國屋に行ったりしてんだよ。ところがあれはテントの芝居なんですよ。(引用者中略)そこへおれたち帝劇派がたまたまテントに行って、おもしれえなんて言ったもんだから、「こっちが先だッ」というのがあるんだね、あれは(笑)。」

いしかわじゅんは加藤芳郎への批判を、こうまとめている。
加藤は、かつて天才だった。しかし、才能は滅びるものだ。今の彼は、本人も気づかず老害を振り撒いているだけなのだろう。これは、実は文春だけの問題ではない。どこの出版社の漫画賞も、いかに形だけの選考委員が多いことか。漫画賞の審査員は、せめて漫画を今も愛していて、ちゃんと読んでいる人にやってもらいたい、とぼくは心から思うのだ。

文春漫画賞は2002年に終了する。
ゴーマニズム宣言が受賞してないあたり、審査員の度量と風刺精神の狭さも察する。
 
ちなみに私が購入した「漫画讀本傑作選」は1989年の新装版。
非常にコスパが良い本だと思うので、興味ある人は購入を勧めたい。

寄稿しているのは以下の作家(読み物も収録している)

横山隆一長谷川町子加藤芳郎手塚治虫和田誠園山俊二小島功砂川しげひさ那須良輔横山泰三馬場のぼる井上洋介水野良太郎牧野圭一梅田英俊水木しげる富永一朗/チャールズ・アダムス/ペイネ/コービン/トポール/サンペ/シャバル/ハーグリーヴス/ジョヴァネッティ/石ノ森章太郎二階堂正宏しとうきねお/灘本唯人/福地泡介サトウサンペイ秋竜山/長尾みのる/ヒサクニヒコ/佐藤六朗/永美ハルオ/東海林さだお久里洋二クロイワ・カズ長新太滝田ゆう
/森吉正照/鈴木義司/ヴァジル・パーチ/ウンゲラー/ロリオ/フランソワ/シネ/ボスク/ココ/イロニムス/モーリスーアンリ/E ・ホルツ/アルチバーシェフ/山口瞳/植草甚一/永六輔/青島幸男/殿山泰司/加太こうじ/團伊玖磨/大伴昌司/高木健夫/山本嘉次郎/戸川幸夫筒井康隆赤塚不二夫
/安藤鶴夫/きみえだ・ひろし/吉行淳之介清水崑杉浦幸雄/秋好書/西川辰美/松下井知夫/南部正太郎/岡部冬彦/荻原貴次/塩田英二郎/佃公彦/改田昌直/服部みちを/おおば比呂司/小川哲男/金親堅太郎/工藤恒美/出光永/近藤日出造

数学者と東海林さだおが対談する「岡潔センセイと議論する」が面白かった。




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