エロが無い国の50年ぶりヌードデッサン会。李昆武「チャイニーズ・ライフ」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
50年ぶりにヌードデッサン会が!
1980年、改革開放路線に舵を切った中国。雲南省でヌードデッサン会が催される。
「我が国では1930年代に上海で行われただけだ。」というからすごい。
その様子が傑作漫画「チャイニーズ・ライフ」下巻に描写されている。
「チャイニーズ・ライフ」の作者である李昆武(リー・クンウー)はこのデッサン会に参加し、
当時の様子を回想しているのだが、彼がページを割くのは色々口実を作っては現場に入り込もうとする校長先生の姿。李昆武の作家性、人間を見つめる目がどこに向いているのかを象徴するシーンであり、面白いと思う。
左が校長先生。
結局、校長のせいでデッサン会は中止。
諦めきれない李昆武は婚約者にヌードモデルになってくれるように懇願するが、
「二度と顔を見たくない」とドン引き&絶縁宣言されてしまう。
が、次のページをめくると二人が婚姻届を出すシーンになっている。
復縁シーンは描写されていない。この唐突さはフランス漫画の文法なのだろうか?
二人は結局、子供一人作ったあと離婚してしまうのだけれども。
エロ絵のない世界、中国。
そんな世界を目指すツイッターフェミニストの理想郷であるが、
もちろん性犯罪は現在でも普通に多いらしく、最近それで日本に逃げてきた中国人女性のニュースを見た。
エロマンガを撲滅しても、フェミたちの戦いはこれからだ!となることはとりあえず間違いない。
性への興味は人類普遍のものである。人間そのものだ。
興味が行きすぎてトラブルを起こしてもいいわけはないが、
それを描かない、人体構造の研究すらできないでは面白い漫画など描けるはずがない。
漫画を潰してもエロは無くならないが、エロを潰せば漫画は死ぬのである。
ところで最近、
「映画や漫画に無理やり恋愛要素入れるな」というツイートが多くの賛同を集めたのを見た。
まあ取ってつけたような恋愛要素は無しにしても、硬派一直線も考えものだ。
恋愛への興味は人類普遍のものである。人間そのものでエロにも繋がっている。
アオイホノオでも語られていたが、
マニアは序列を逆にして、ご新規さんを遠ざけてるのに気づかないからジャンルを潰すのだ。
みんなリラックスするために作品を読むのを忘れてはいけない。
徳を高めるために漫画を読む変態はごく少数。
ちなみにアオイホノオの島本先生と李昆武は面識がある。
この「チャイニーズ・ライフ」は出版側の要望として、
「恋愛と家族の話も忘れちゃダメよ」と言っているのは実に的確なアドバイスだったと思う。
さて「チャイニーズ・ライフ」は、
文化大革命の時代を生きた親子二代のチャキチャキの中国共産党員の自伝漫画である。
文革のシーンはまるでデビルマンだ。
「うわっ!なんてわいせつなんだ!」
「ひどい!なんでこんなもんが描けるんだ!」
裸婦像やギリシア彫刻はワイセツだと焼かれ破壊され、みんなハイになってしまう。
「封建社会を打倒せよ!」
「反動主義者を一掃せよ!」
この歴史的キャンセルカルチャーに参加した作者は回想する。
>ああ自らを狂気に委ねることはなんと気持ちのよいことだろう。
>昨日まではみすぼらしい無数の水滴の集まりにすぎなかったのに、
>今日はすべてを洗い流す激流になるなんて。
>誰も我々を止めることができませんでした。
>あらゆる時代の貴重な品々を葬り去りました。
>目に見えない塵となって飛び散り、私たちの若い胸を満たしたのです。
(中略)
>他の人たちと同じで、後悔が募るだけなので、私はあまり昔を思い出さないようにしています。
>本当のことを言えば、若さゆえの無知で多くの貴重な文物を破壊した人間は、今日、より歴史的な品々を探し求めているのではないでしょうか。
中国共産党に忠誠を誓う李昆武のお父さんですけども、
時々やばい方に暴走する息子やその友達を見て不安になり、昆武を画家にあずけ絵の勉強をさせる。
こういうのをプロレタリアートというのだろうか。
昆武はそこで毛沢東の絵をひたすら描かされ腕を磨くのであるが、ある日ふと集中力が切れ、先生不在のアトリエで作品を物色していると、そこに裸婦デッサンが隠されていたことに気づくのであった。きゃー、やめてー。
子供が親を密告した時代である。
昆武がチクれば画家先生はただではすまなかっただろう。
吊し上げられて自己批判させられて下手したらリンチされて殺されてたまである。
ツイッターフェミニストさまが役所に集団で押しかけ、担当者に罵詈雑言を浴びせかけてるニュースを見ていると、将来の日本にもそんな日が来ないとも限らないと思うのである。
ところで、
日本でもかつて裸婦の肖像がワイセツだと社会問題になったことがあった。
明治28年の黒田清輝「朝妝(ちょうしょう)」である。
博覧会のような多くの人が出入りする場所に春画を飾るなと新聞にも書かれた。
芸術を理解しないのはけしからんと、この事件を漫画にした漫画家がいた。
作品が歴史教科書にも引用される大物、ジョルジュ・ビゴーである。
「日本の女は雨が降ると裾をまくって足をあらわにするだろ?そっちの方がワイセツだよ!」
というメッセージを漫画に込めた。
(参考:清水勲「近代日本漫画百選」)
どうも日本人は昔も今も、同じようないさかいを繰り返しているようである。
でも忘れてしまうのだ。あまり興味がないのかもしれない。
1980年、改革開放路線に舵を切った中国。雲南省でヌードデッサン会が催される。
「我が国では1930年代に上海で行われただけだ。」というからすごい。
その様子が傑作漫画「チャイニーズ・ライフ」下巻に描写されている。
「チャイニーズ・ライフ」の作者である李昆武(リー・クンウー)はこのデッサン会に参加し、
当時の様子を回想しているのだが、彼がページを割くのは色々口実を作っては現場に入り込もうとする校長先生の姿。李昆武の作家性、人間を見つめる目がどこに向いているのかを象徴するシーンであり、面白いと思う。
左が校長先生。
結局、校長のせいでデッサン会は中止。
諦めきれない李昆武は婚約者にヌードモデルになってくれるように懇願するが、
「二度と顔を見たくない」とドン引き&絶縁宣言されてしまう。
が、次のページをめくると二人が婚姻届を出すシーンになっている。
復縁シーンは描写されていない。この唐突さはフランス漫画の文法なのだろうか?
二人は結局、子供一人作ったあと離婚してしまうのだけれども。
エロ絵のない世界、中国。
そんな世界を目指すツイッターフェミニストの理想郷であるが、
もちろん性犯罪は現在でも普通に多いらしく、最近それで日本に逃げてきた中国人女性のニュースを見た。
エロマンガを撲滅しても、フェミたちの戦いはこれからだ!となることはとりあえず間違いない。
性への興味は人類普遍のものである。人間そのものだ。
興味が行きすぎてトラブルを起こしてもいいわけはないが、
それを描かない、人体構造の研究すらできないでは面白い漫画など描けるはずがない。
漫画を潰してもエロは無くならないが、エロを潰せば漫画は死ぬのである。
ところで最近、
「映画や漫画に無理やり恋愛要素入れるな」というツイートが多くの賛同を集めたのを見た。
まあ取ってつけたような恋愛要素は無しにしても、硬派一直線も考えものだ。
恋愛への興味は人類普遍のものである。人間そのものでエロにも繋がっている。
アオイホノオでも語られていたが、
マニアは序列を逆にして、ご新規さんを遠ざけてるのに気づかないからジャンルを潰すのだ。
みんなリラックスするために作品を読むのを忘れてはいけない。
徳を高めるために漫画を読む変態はごく少数。
ちなみにアオイホノオの島本先生と李昆武は面識がある。
この「チャイニーズ・ライフ」は出版側の要望として、
「恋愛と家族の話も忘れちゃダメよ」と言っているのは実に的確なアドバイスだったと思う。
さて「チャイニーズ・ライフ」は、
文化大革命の時代を生きた親子二代のチャキチャキの中国共産党員の自伝漫画である。
文革のシーンはまるでデビルマンだ。
「うわっ!なんてわいせつなんだ!」
「ひどい!なんでこんなもんが描けるんだ!」
裸婦像やギリシア彫刻はワイセツだと焼かれ破壊され、みんなハイになってしまう。
「封建社会を打倒せよ!」
「反動主義者を一掃せよ!」
この歴史的キャンセルカルチャーに参加した作者は回想する。
>ああ自らを狂気に委ねることはなんと気持ちのよいことだろう。
>昨日まではみすぼらしい無数の水滴の集まりにすぎなかったのに、
>今日はすべてを洗い流す激流になるなんて。
>誰も我々を止めることができませんでした。
>あらゆる時代の貴重な品々を葬り去りました。
>目に見えない塵となって飛び散り、私たちの若い胸を満たしたのです。
(中略)
>他の人たちと同じで、後悔が募るだけなので、私はあまり昔を思い出さないようにしています。
>本当のことを言えば、若さゆえの無知で多くの貴重な文物を破壊した人間は、今日、より歴史的な品々を探し求めているのではないでしょうか。
中国共産党に忠誠を誓う李昆武のお父さんですけども、
時々やばい方に暴走する息子やその友達を見て不安になり、昆武を画家にあずけ絵の勉強をさせる。
こういうのをプロレタリアートというのだろうか。
昆武はそこで毛沢東の絵をひたすら描かされ腕を磨くのであるが、ある日ふと集中力が切れ、先生不在のアトリエで作品を物色していると、そこに裸婦デッサンが隠されていたことに気づくのであった。きゃー、やめてー。
子供が親を密告した時代である。
昆武がチクれば画家先生はただではすまなかっただろう。
吊し上げられて自己批判させられて下手したらリンチされて殺されてたまである。
ツイッターフェミニストさまが役所に集団で押しかけ、担当者に罵詈雑言を浴びせかけてるニュースを見ていると、将来の日本にもそんな日が来ないとも限らないと思うのである。
ところで、
日本でもかつて裸婦の肖像がワイセツだと社会問題になったことがあった。
明治28年の黒田清輝「朝妝(ちょうしょう)」である。
博覧会のような多くの人が出入りする場所に春画を飾るなと新聞にも書かれた。
芸術を理解しないのはけしからんと、この事件を漫画にした漫画家がいた。
作品が歴史教科書にも引用される大物、ジョルジュ・ビゴーである。
「日本の女は雨が降ると裾をまくって足をあらわにするだろ?そっちの方がワイセツだよ!」
というメッセージを漫画に込めた。
(参考:清水勲「近代日本漫画百選」)
どうも日本人は昔も今も、同じようないさかいを繰り返しているようである。
でも忘れてしまうのだ。あまり興味がないのかもしれない。
チャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語【上巻】「父の時代」から「党の時代」へ
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2013/12/21
- メディア: 大型本
チャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語【下巻】「党の時代」から「金の時代」へ
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2013/12/21
- メディア: 大型本
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