ディズニー+で映像化。ジーン・ルエン・ヤン「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」を読む [名作紹介]
中国人が描いた漫画について色々調べている。
中国系アメリカ人の話というのに興味を惹かれ、
「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」という邦訳コミックを購入してみた。
以下ネタバレあり。
エッセイ的なものを期待してたのだけど読んでみたらフィクションで少しがっかり。
しかし作者の実体験を基にしたのであろう人種差別エピソードがなかなか強烈だった。
強烈すぎて、作中に仕掛けられたドンデン返しが上滑りしていく。
昔から漫画では、
外国人の中の悪いヤツには「イエローモンキー」と言わせるのが定番だ。
(画像はみなもと太郎「風雲児たち」17巻。アメリカで差別を受けるジョン万次郎の史実。)
ネットでは、目尻を指で押し上げる侮蔑表現が話題になることが多いが、
その辺も「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」には登場する。
それらは悪役の行為というよりは、さらっと空気のようにさりげなく挿入される。
学校での出来事である。
もちろん注意すべき出来事だけども、
大人の目から見ると「まあ人格も未熟な子供だからこういうこともしてしまうのだろうな」と多少割引いた気持ちで見てしまう。いじめが犯罪にならない悪習慣だ。
だから劇中のアジア系の少年少女たちは詰んでいるように思う。
漫画の中で何か劇的な解決がなされるわけでもない。
偽白人にはなるな。
自分のルーツに誇りを持て。
友達を大切にしよう。
大雑把にいうと、そんなメッセージがこの漫画のオチだ。
この漫画はその結論に導くために、
西遊記の斉天大聖・孫悟空が三蔵法師の弟子になるまでのエピソードと、
中国人を極度にステレオタイプにしたキャラクター、チンキーを登場させる。
それがあまり効果的に働いてないように自分は思うのだ。
主人公の親友の台湾人の正体は、斉天大聖孫悟空の息子で猿である。
悟空は言う。「自分が猿であることを認めていたら、人生のトラブルも無かった」と(意訳)。
黄色人種蔑視をテーマにした漫画にはふさわしくない比喩に感じるのだが、
特にそういうふうに問題視されることなく、この作品はアメリカで高い評価を得ているようだ。
その辺がよく分からない。
そして意図的にコテコテのステレオタイプにした中国人キャラクターのチンキー。
出っ歯で目が細くて弁髪。空気を読まずにはしゃぎまくり、主人公の肩身を狭くさせる。
「チンキーが面白い」と言う感想が時折寄せられ、作者は困惑したという。
分からんでもない。
チンキーはある意味、小林よしのりの描く異形のキャラクターっぽいのだ。
これに対して作者は
「チンキーは面白がられることを意図して登場させたのではありません」
「チンキーの出る章は不快に感じるはずです。それこそ私が望んでいた反応なんです。」
とコメントしたと巻末解説に書かれており、ちょっと考えさせられる。
「このキャラクターに対してはこう感じるべき」
あまり聞かない種類の著者コメントに感じる。
正しいニュアンスが翻訳されてない可能性もある。
自分に置き換えてみるとどうか。
自分はオタク趣味の持ち主である。
宮崎事件直撃世代で、学生時代が人生で一番辛い時期だった。
社会に出て、脱オタを図った。
ここからは仮定の話。
そんな自分が所属した社会人コミュニティで、バンダナにチェックシャツ&メガネでデブの典型的なキモオタの旧友と再会したとする。向こうは馴れ馴れしくしてくるが、つい他人のフリ。同族嫌悪に陥ってしまう。
そして自分の前にポルコ・ロッソが現れて森山周一郎の声でこう言う。
「飛べない豚はただの豚だ。」
色々考えてみて、「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」は、
こういうことなのではないかと思った。
抑圧に負けて自分を出せず、なんの人生なのかと。
しかし正確に言えば、私は飛ぶ場所を選ぶ豚であった。
そのことに特に後悔はない。
「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」で否定される偽白人になること、
これって結構手っ取り早い解決策な気がするのだが、あまり読み物でそう言う結論は出しづらい。
もちろん偽白人になることと、脱オタすることは意味がかなり異なる。
言いたいのは、いじめから逃れたいのなら、どんな狡い手でも使うべきだと思うということ。
直接的に他人に迷惑かけない範囲でなら。
こういう結論は「いじめられる側に問題がある」という話に発展しやすいけども。
そういう意味で、アジア人蔑視に苦しむ少年少女は、
「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」を読んでなにか救いがあったのだろうかというのは気になる。
しかしこういった漫画は読んだことがないし、これを叩き台にしてまたジャンルとして発展してゆくのかもしれない。
文化の違いもあるのか、
「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」は読んでいて消化不良を起こす部分がある。
リラックスできるタイプの作品ではないので、日本ではあまり読まれないとは思うが一読の価値はある。
目尻を上げるジェスチャーが醜い行為だと認識を改めさせることもあるだろう。
アメリカではミシェル・ヨーが出演したドラマ全8話がディズニープラスで配信されているらしいので、
ネットフリックスの時のように1ヶ月だけ加入して見てみたいと思う。
内容はかなり改変されてるっぽい。
ディズニープラスといえば、
真田広之の「SHOGUN 将軍」も見ておきたいと思っていたところだ。
中国系アメリカ人の話というのに興味を惹かれ、
「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」という邦訳コミックを購入してみた。
以下ネタバレあり。
エッセイ的なものを期待してたのだけど読んでみたらフィクションで少しがっかり。
しかし作者の実体験を基にしたのであろう人種差別エピソードがなかなか強烈だった。
強烈すぎて、作中に仕掛けられたドンデン返しが上滑りしていく。
昔から漫画では、
外国人の中の悪いヤツには「イエローモンキー」と言わせるのが定番だ。
(画像はみなもと太郎「風雲児たち」17巻。アメリカで差別を受けるジョン万次郎の史実。)
ネットでは、目尻を指で押し上げる侮蔑表現が話題になることが多いが、
その辺も「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」には登場する。
それらは悪役の行為というよりは、さらっと空気のようにさりげなく挿入される。
学校での出来事である。
もちろん注意すべき出来事だけども、
大人の目から見ると「まあ人格も未熟な子供だからこういうこともしてしまうのだろうな」と多少割引いた気持ちで見てしまう。いじめが犯罪にならない悪習慣だ。
だから劇中のアジア系の少年少女たちは詰んでいるように思う。
漫画の中で何か劇的な解決がなされるわけでもない。
偽白人にはなるな。
自分のルーツに誇りを持て。
友達を大切にしよう。
大雑把にいうと、そんなメッセージがこの漫画のオチだ。
この漫画はその結論に導くために、
西遊記の斉天大聖・孫悟空が三蔵法師の弟子になるまでのエピソードと、
中国人を極度にステレオタイプにしたキャラクター、チンキーを登場させる。
それがあまり効果的に働いてないように自分は思うのだ。
主人公の親友の台湾人の正体は、斉天大聖孫悟空の息子で猿である。
悟空は言う。「自分が猿であることを認めていたら、人生のトラブルも無かった」と(意訳)。
黄色人種蔑視をテーマにした漫画にはふさわしくない比喩に感じるのだが、
特にそういうふうに問題視されることなく、この作品はアメリカで高い評価を得ているようだ。
その辺がよく分からない。
そして意図的にコテコテのステレオタイプにした中国人キャラクターのチンキー。
出っ歯で目が細くて弁髪。空気を読まずにはしゃぎまくり、主人公の肩身を狭くさせる。
「チンキーが面白い」と言う感想が時折寄せられ、作者は困惑したという。
分からんでもない。
チンキーはある意味、小林よしのりの描く異形のキャラクターっぽいのだ。
これに対して作者は
「チンキーは面白がられることを意図して登場させたのではありません」
「チンキーの出る章は不快に感じるはずです。それこそ私が望んでいた反応なんです。」
とコメントしたと巻末解説に書かれており、ちょっと考えさせられる。
「このキャラクターに対してはこう感じるべき」
あまり聞かない種類の著者コメントに感じる。
正しいニュアンスが翻訳されてない可能性もある。
自分に置き換えてみるとどうか。
自分はオタク趣味の持ち主である。
宮崎事件直撃世代で、学生時代が人生で一番辛い時期だった。
社会に出て、脱オタを図った。
ここからは仮定の話。
そんな自分が所属した社会人コミュニティで、バンダナにチェックシャツ&メガネでデブの典型的なキモオタの旧友と再会したとする。向こうは馴れ馴れしくしてくるが、つい他人のフリ。同族嫌悪に陥ってしまう。
そして自分の前にポルコ・ロッソが現れて森山周一郎の声でこう言う。
「飛べない豚はただの豚だ。」
色々考えてみて、「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」は、
こういうことなのではないかと思った。
抑圧に負けて自分を出せず、なんの人生なのかと。
しかし正確に言えば、私は飛ぶ場所を選ぶ豚であった。
そのことに特に後悔はない。
「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」で否定される偽白人になること、
これって結構手っ取り早い解決策な気がするのだが、あまり読み物でそう言う結論は出しづらい。
もちろん偽白人になることと、脱オタすることは意味がかなり異なる。
言いたいのは、いじめから逃れたいのなら、どんな狡い手でも使うべきだと思うということ。
直接的に他人に迷惑かけない範囲でなら。
こういう結論は「いじめられる側に問題がある」という話に発展しやすいけども。
そういう意味で、アジア人蔑視に苦しむ少年少女は、
「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」を読んでなにか救いがあったのだろうかというのは気になる。
しかしこういった漫画は読んだことがないし、これを叩き台にしてまたジャンルとして発展してゆくのかもしれない。
文化の違いもあるのか、
「アメリカン・ボーン・チャイニーズ」は読んでいて消化不良を起こす部分がある。
リラックスできるタイプの作品ではないので、日本ではあまり読まれないとは思うが一読の価値はある。
目尻を上げるジェスチャーが醜い行為だと認識を改めさせることもあるだろう。
アメリカではミシェル・ヨーが出演したドラマ全8話がディズニープラスで配信されているらしいので、
ネットフリックスの時のように1ヶ月だけ加入して見てみたいと思う。
内容はかなり改変されてるっぽい。
ディズニープラスといえば、
真田広之の「SHOGUN 将軍」も見ておきたいと思っていたところだ。
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