コンテストはステルス広告だった?「スペースオペラ大いなる神々」 [ゲーム]
「ファンタジーランド」という高額で取引される1990年の古い漫画雑誌がある。
ファミコン必勝本11月20日増刊
石垣環の「ウィザードリィ外伝」、
その単行本未収録回「召喚の書」が掲載されているので、いつか入手したいと思っていた。
しかし安くても一万円以上が相場なので、ほとんど諦めている。
こないだ久しぶりに出品があったと思ったら
早々に二人買い手が現れ、15000円の値が付けられた。
こりゃあ無理だなと、
せめて参考画像だけでも拝んでおこうとサムネをクリックしたら、
とんでもないことに気づいて震えた。
それが以下の画像である。
お分かりいただけただろうか。
見開きの右ページにファンタジーRPGっぽい漫画。
漫画の右下にあるロゴから漫画のタイトルは「スペースオペラ」とわかる。
そして隣ページに同名のゲームソフトの広告が。
「スペースオペラ大いなる神々」、
ソフトウエア興業株式会社による未発売に終わったゲームソフトだ。
件の漫画はゲームのコミカライズであると思われる。
漫画になっていたのか!驚きだ。
そこまで読み取れる人ならそこそこいると思う。
しかしこの漫画のキャラクターデザインが、
ソフトウエア興業が1990年に開催した、第一回ゲームクリエイターコンテストの
ファンタジーアート大賞100万円をとった作品と酷似していることに気づける人は何人いるのだろうか。
このコンテスト、微妙すぎると当時から気になっていた。
まあどこまで行っても審美眼は人それぞれという話なのだが、
俺個人としてはどうしてもファンタジーアート部門の大賞作品が、
大賞をとれるクオリティに見えなかった。
これが漫画の新人賞とかなら分かるんだけど。
さて、この「スペースオペラ大いなる神々」というRPG。
ソフトウエア興業のファミコン参入第一弾である。
前述の通り結局ゲームは発売されず、会社もやがて消滅してしまう。
ゲーム発売の告知が載ったのはコンテスト結果発表の翌週のゲーム雑誌。
よくよく考えてみれば、コンテスト自体が自社製品を売り込むためのステルス広告だったと考えるのが自然だ。
「コンテストの大賞100万円を獲った作品がゲームに!と話題作り」
↓
「三ヶ月後に広告を(ファンタジーランドに)大量投入!」
↓
「さらに三ヶ月後に発売!」
結論からいうと、こんな絵を描いていたと思われる。
発売は発売告知の七ヶ月後、1991年3月だが、
当時はゲームの増産に時間がかかるので、
発売一ヶ月前が納期だから半年の猶予ということになる。
かなりギリギリだ。
コンテストの結果が判り、キャラクターが決まってから開発を始めたのでは非効率。
あらかじめ仮の絵を決めておいて開発を先に進めて後で書き換えるか、
あるいはもっと手段を選ばないやり手のプランナーであれば、
コンテストの結果を先に決めておいて開発を始めるだろう。
社運を賭けたプロジェクトのイメージに合う応募作品が来なかった場合も想定しなければいけない。
(注:あくまでも、そういう可能性は否定しきれないという話である)
不思議なのは、そこまで入念に準備を進めていた形跡が感じられるのにも関わらず、
「三ヶ月後の広告大量投入大作戦」に、やる気が一切見られないところだ。
「ファンタジーランド」に掲載された「スペースオペラ」の広告は最低でも3ページある。
うち1ページは「表4」。目立つので掲載料を高く取られる場所だ。
さらに目次に前述の漫画版「スペースオペラ」が書かれてないことから、
これもお金を払って載せてもらっている広告漫画だと推測される。
漫画をいつから準備していたのか興味深い。
<追記>国会図書館で現物を読んできたが、作者名すら書かれていなかった。
目次の前ページもスペースオペラの広告。
このようにかなりお金を使っている。
その割には肝心の漫画以外の広告がスッカスカの内容なのである。
ファンタジーランドの表4に掲載されたのと同じ広告。
版権フリーみたいな写真に、意味ありげなポエムを並べただけの広告。
具体的な情報が何も書かれていない。
漫画の次のページと、目次の前ページに掲載された広告。
「中身がない」のがお分かりいただけるだろうか。
発売中止になったぐらいだから、
ゲームを全く作っておらず、宣伝する情報がなかったからでは?と考えられるかもしれない。
しかしファミリーコンピュータマガジン1990年9月7日17号を見ると、
かなりゲーム画面ができている。
よく見るとこちらは発売日未定になっており、ずっと3月予定表記だったファミコン通信と違う。
主人公の名前はアラン、魔王はザクロスなのもコミカライズと共通。設定は固まっている。
<追記>国会図書館で現物を読んできたが、武器装備などの細かな解説もあった。
なによりメインのイラストがあるのである。大賞作品100万円のイラストが。
なぜこれらの情報を使わず、お金をかけた広告が版権フリーの画像素材みたいなことになったのか。
理解に苦しむ。おそらくこの辺でプロジェクトが空中分解したのだろう。
今と流通が違い、問屋からの事前発注によって成功or失敗がある程度読めてしまう時代だ。
ちなみにスーパーファミコンの発売が1990年11月21日。
1990年8月に旧機種であるファミコンで発売が告知された「スペースオペラ」が、
話題にならずに発売中止になるのは当然の流れだったと思う。
この時期、ドラクエの堀井雄二のRPG、「ルーンマスター」ですら発売中止に追い込まれている。
そもそもプロジェクトにゴーサインを出した社長の判断が誤りだったが、
スタッフは可能な限り売るロジックを考えていた。
ファンタジーランドの広告を用意する段階で何が起こったのか?
それが分かる日はいつか来るのだろうか。
そのヒントがわずかでも残っているのかもしれないプレミア雑誌「ファンタジーランド」。
それを手に入れる機会はまた遠のいてしまったかもしれない。
追記:近日、石垣環「ウィザードリィ外伝 「召喚の書」」が電子書籍化されるらしい!
参考資料
コンテストの結果発表掲載誌
LOGiN1990年8月3日15号
ファミコン通信1990年8月3日16号(共に1990年7月20日発売)
ゲーム発売告知1991年3月で発売告知がされた期間
ファミコン通信1990年8月17&31日17&18号(8月3日売り)
〜1991年2月22日4号(2月8日売り)まで
ゲーム紹介記事
ファミリーコンピュータマガジン1990年9月7日17号
ゲーム広告が掲載された雑誌
ファミコン通信1990年11月23日24号に1ページのゲーム広告掲載(11月9日発売)
ファンタジーランド1990年11月20日増刊(発売日不明)
ファミコン必勝本11月20日増刊
石垣環の「ウィザードリィ外伝」、
その単行本未収録回「召喚の書」が掲載されているので、いつか入手したいと思っていた。
しかし安くても一万円以上が相場なので、ほとんど諦めている。
こないだ久しぶりに出品があったと思ったら
早々に二人買い手が現れ、15000円の値が付けられた。
こりゃあ無理だなと、
せめて参考画像だけでも拝んでおこうとサムネをクリックしたら、
とんでもないことに気づいて震えた。
それが以下の画像である。
お分かりいただけただろうか。
見開きの右ページにファンタジーRPGっぽい漫画。
漫画の右下にあるロゴから漫画のタイトルは「スペースオペラ」とわかる。
そして隣ページに同名のゲームソフトの広告が。
「スペースオペラ大いなる神々」、
ソフトウエア興業株式会社による未発売に終わったゲームソフトだ。
件の漫画はゲームのコミカライズであると思われる。
漫画になっていたのか!驚きだ。
そこまで読み取れる人ならそこそこいると思う。
しかしこの漫画のキャラクターデザインが、
ソフトウエア興業が1990年に開催した、第一回ゲームクリエイターコンテストの
ファンタジーアート大賞100万円をとった作品と酷似していることに気づける人は何人いるのだろうか。
このコンテスト、微妙すぎると当時から気になっていた。
まあどこまで行っても審美眼は人それぞれという話なのだが、
俺個人としてはどうしてもファンタジーアート部門の大賞作品が、
大賞をとれるクオリティに見えなかった。
これが漫画の新人賞とかなら分かるんだけど。
さて、この「スペースオペラ大いなる神々」というRPG。
ソフトウエア興業のファミコン参入第一弾である。
前述の通り結局ゲームは発売されず、会社もやがて消滅してしまう。
ゲーム発売の告知が載ったのはコンテスト結果発表の翌週のゲーム雑誌。
よくよく考えてみれば、コンテスト自体が自社製品を売り込むためのステルス広告だったと考えるのが自然だ。
「コンテストの大賞100万円を獲った作品がゲームに!と話題作り」
↓
「三ヶ月後に広告を(ファンタジーランドに)大量投入!」
↓
「さらに三ヶ月後に発売!」
結論からいうと、こんな絵を描いていたと思われる。
発売は発売告知の七ヶ月後、1991年3月だが、
当時はゲームの増産に時間がかかるので、
発売一ヶ月前が納期だから半年の猶予ということになる。
かなりギリギリだ。
コンテストの結果が判り、キャラクターが決まってから開発を始めたのでは非効率。
あらかじめ仮の絵を決めておいて開発を先に進めて後で書き換えるか、
あるいはもっと手段を選ばないやり手のプランナーであれば、
コンテストの結果を先に決めておいて開発を始めるだろう。
社運を賭けたプロジェクトのイメージに合う応募作品が来なかった場合も想定しなければいけない。
(注:あくまでも、そういう可能性は否定しきれないという話である)
不思議なのは、そこまで入念に準備を進めていた形跡が感じられるのにも関わらず、
「三ヶ月後の広告大量投入大作戦」に、やる気が一切見られないところだ。
「ファンタジーランド」に掲載された「スペースオペラ」の広告は最低でも3ページある。
うち1ページは「表4」。目立つので掲載料を高く取られる場所だ。
さらに目次に前述の漫画版「スペースオペラ」が書かれてないことから、
これもお金を払って載せてもらっている広告漫画だと推測される。
漫画をいつから準備していたのか興味深い。
<追記>国会図書館で現物を読んできたが、作者名すら書かれていなかった。
目次の前ページもスペースオペラの広告。
このようにかなりお金を使っている。
その割には肝心の漫画以外の広告がスッカスカの内容なのである。
ファンタジーランドの表4に掲載されたのと同じ広告。
版権フリーみたいな写真に、意味ありげなポエムを並べただけの広告。
具体的な情報が何も書かれていない。
漫画の次のページと、目次の前ページに掲載された広告。
「中身がない」のがお分かりいただけるだろうか。
発売中止になったぐらいだから、
ゲームを全く作っておらず、宣伝する情報がなかったからでは?と考えられるかもしれない。
しかしファミリーコンピュータマガジン1990年9月7日17号を見ると、
かなりゲーム画面ができている。
よく見るとこちらは発売日未定になっており、ずっと3月予定表記だったファミコン通信と違う。
主人公の名前はアラン、魔王はザクロスなのもコミカライズと共通。設定は固まっている。
<追記>国会図書館で現物を読んできたが、武器装備などの細かな解説もあった。
なによりメインのイラストがあるのである。大賞作品100万円のイラストが。
なぜこれらの情報を使わず、お金をかけた広告が版権フリーの画像素材みたいなことになったのか。
理解に苦しむ。おそらくこの辺でプロジェクトが空中分解したのだろう。
今と流通が違い、問屋からの事前発注によって成功or失敗がある程度読めてしまう時代だ。
ちなみにスーパーファミコンの発売が1990年11月21日。
1990年8月に旧機種であるファミコンで発売が告知された「スペースオペラ」が、
話題にならずに発売中止になるのは当然の流れだったと思う。
この時期、ドラクエの堀井雄二のRPG、「ルーンマスター」ですら発売中止に追い込まれている。
そもそもプロジェクトにゴーサインを出した社長の判断が誤りだったが、
スタッフは可能な限り売るロジックを考えていた。
ファンタジーランドの広告を用意する段階で何が起こったのか?
それが分かる日はいつか来るのだろうか。
そのヒントがわずかでも残っているのかもしれないプレミア雑誌「ファンタジーランド」。
それを手に入れる機会はまた遠のいてしまったかもしれない。
追記:近日、石垣環「ウィザードリィ外伝 「召喚の書」」が電子書籍化されるらしい!
石垣環先生の同人誌雑務手伝いさせて貰ってます。
— モンキー・アドベンチャー (@monkey_adventur) January 25, 2023
先生のウィザードリィ単行本未収録読み切りの同人誌化(紙媒体&電子版)が近い内に行う予定です。
先生の読み切りは近い内にお手軽な値段で読める様になりますのでお待ち頂けたら幸いです。
電子版はこちらで扱い予定ですhttps://t.co/RifSYKNOzH
参考資料
コンテストの結果発表掲載誌
LOGiN1990年8月3日15号
ファミコン通信1990年8月3日16号(共に1990年7月20日発売)
ゲーム発売告知1991年3月で発売告知がされた期間
ファミコン通信1990年8月17&31日17&18号(8月3日売り)
〜1991年2月22日4号(2月8日売り)まで
ゲーム紹介記事
ファミリーコンピュータマガジン1990年9月7日17号
ゲーム広告が掲載された雑誌
ファミコン通信1990年11月23日24号に1ページのゲーム広告掲載(11月9日発売)
ファンタジーランド1990年11月20日増刊(発売日不明)
懐かしい記事を見つけたので、コメントします。
私が就職していたソフトウエア興業は、メインの業務がソフトウェア開発です。
スペースオペラは、ソフトウェア開発で社長が認めるほどに成功を納めたプロジェクトの社員達が、ご褒美としてゲーム開発をさせてもらったようです。
社長はゲーム好きで、社長室に会議の議事録を持っていくと、ドラクエ3をプレイしていました。
話を戻して、当時試作段階のスペースオペラを試遊することができ、社員であれば、持ち帰って遊ぶことができました。
フィールドマップはドラクエ2、街中と戦闘シーンはファイナルファンタジー1のパクリのようなデザインでした。
ただ、戦闘シーンでは、当時のファイナルファンタジーが一歩踏み出して剣を振るうのとは違い、狙った敵まで跳躍して攻撃していました。
他には、タロットカードを戦闘に組み込んだ戦いが出来ていたと記憶しています。
余談ですが、月刊ログインやコンプティークにも、コンテスト応募を見た記憶があります。
プログラミング部門で入社した社員は、人型ロボットが光線剣で戦う横スクロールアクションゲームをX68000で作っていました。
仕事外の趣味で1人で制作されたものなのか、遊べる状態で本社に置いてありました。
しばらくして、見覚えのあるそのゲームが、ZOOMというゲーム会社からジェノサイドというタイトルで発売されていました。
by お名前(必須) (2024-03-12 18:34)
貴重な証言ありがとうございます。
サンプルを持って帰れたのはすごいですね。
いつか流出ロムが出てきたりしないかなあ。
ゲーム好きの間でもあまり顧みられることもない負のプロジェクトエックス。全貌が明かになる時はやってくるのでしょうか。
by hondanamotiaruki (2024-03-12 21:39)
試遊ロムは基盤むき出しで、ファミコンディスクシステムのカセットスロットに挿し込む黒い部品のような、平べったい形状でした。
20時間程度試遊した限りでは、ゲームバランスは悪くなく、目立ったバグもなく、ストーリーで行き詰まった記憶はありません。
気になったのは、キャラクターを移動させる際に、画面端がチラついた程度です。
流出ロムは、試遊版ならありえそうです。
管理がずさんで、返却の催促は一度も来ませんでした。
スーパーファミコンが発売される前年の東京ゲームショウで、アクトレイザーやF-ZEROなどに混ざり、スペースオペラ試遊台がありました。
その時点でスーパーファミコンでの開発に舵切りしていれば、発売された可能性があったかもしれません。
by コメント1です (2024-03-13 08:32)
20時間試遊って、ほとんど完成してそうなぐらいに遊べてますね!
話題作りもしっかりやって、ゲーム制作も粛々と進めていたのに、
スタート地点を間違えたためにおそらく受注本数がとれなかった?
最初からスーパーファミコンを選んでいれば、開発はその分大変だったでしょうけど、初期はライバルがガデュリンとかしかないから、たくさん注目を集められたはず。惜しかった。いつかどこかから試遊ロム発掘されそうな気がします。
by hondanamotiaruki (2024-03-14 06:04)