今なお水木しげる完コピを目指す漫画家、村澤昌夫「水木先生とぼく」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
村澤昌夫「水木先生とぼく」を購入した。
とにかく背景絵の緻密さがすごいのだ。
拡大するとこんな感じ。
「うわーッ」の文字のちょい上あたり。
この漫画は特にヨーロッパに渡ってからの作画が過剰すぎる。
こんなのネットでは伝えきれない。ぜひ紙の本を手に取っていただきたい。
こういう高度に発達しすぎたプロアシの仕事は美術館に飾ってもいいのではないかと思う。
どれぐらいの時間をかけているのだろう。
商業誌ペースなのだから、スピードもあるはずだ。
村澤昌夫「水木先生とぼく」は、
水木プロダクション所属の漫画家による、水木しげる回想録だ。
人物なども水木しげるそっくりに描かれている。
BS漫画夜話の「悪魔くん」回を見ていて、いしかわじゅんが水木しげるについて、
「作者そっくりに描けるアシを何人か抱えてる」みたいなことを言っていた。
その時、いしかわが提示したのが元水木プロの森野達弥の作品。
あれこれ調べても分からなかったが一息つくと、ふと「あ、太公望だから釣り雑誌なんだ!」とひらめいて検索すると詳しい作品一覧がヒット!https://t.co/gYCnY0FZZ8
— ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊) (@hondanamotiaru) May 6, 2023
正解は「TheWonderOdyssey 太公望幻談」コミック釣り王1998年6〜12月号連載でした! pic.twitter.com/BiZG5FbLlr
なるほど、映像はボヤけているがそっくりだ。
そもそも自分はホラー系が苦手なので、それほど水木作品は読んだことがないのだが、
お気に入りの「カランコロン漂泊記」も水木本人の筆じゃないのかもしれないと思うと、ちょっとショックだったりもするのだった。
しかしですね!
トシとって目をやられて絵が劣化していくのは自然の摂理であるわけで、
師匠そっくりに描ける弟子を育成しておくのは大事なことなんじゃないかなとも最近思うわけです。
そんな感じで、
水木漫画を読んで「オレだったらもうちょっと似せて描ける」と思った人がいた。
それが「水木先生とぼく」を描かれた村澤昌夫なのである。
水木先生曰く、「彼は当たり」。
あんな作画が過剰だから、
水木さんは「浮浪雲」を読んで背景を簡略化することも考えたそう。
それについて村澤氏は反対したという。
そもそもデフォルメされたキャラクターに対し、背景を描き込むことで商業作品として成立させているというのは作者本人や批評家も認める水木スタイルであるらしい。
作中にも登場する京極夏彦の巻末解説によると、
村澤氏は水木タッチを完全再現するための研究に今なお余念がないという。
似てないと言いたいわけではないが、村澤氏のタッチは見覚えがある。
以下の「中古(ちゅうぶる)」、これは村澤氏の作画ではなかろうか。
いしかわじゅんの発言を聞いて以来、若干注意深くなっていたから思ったことである。
「ちゅうぶる」
— ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊) (@hondanamotiaru) February 21, 2023
中古(ちゅうこ)の古い言い方。
画像は水木しげる「ゲゲゲの家計簿」 pic.twitter.com/OmsJZR7IJD
他にもこの漫画の見どころとして特に推したいシーンが、
つげ義春一家が出てくるところである。
つげ漫画でお馴染みの藤原マキさんがカメラ越しに水木先生に挨拶する。
マキさんの「私の絵日記」を読んで、亡くなられてしまっていたことにショックを受けた。
この本についてもいずれ書きたい。
昔、水木先生のエッセイを読んだ時、「アシスタントの育成と収入源確保のため、妖怪図鑑などの絵入りの本をたくさん作った」とか言ってましたね。たぶんこの作者さんもそれで鍛えられたんでしょう。そういえば、いしかわじゅんは昔、永井豪先生に「なんでもアシ任せで自分は何も書いていない」と豪語して、永井豪先生から映像付きで「事実に反する」と怒られていましたね。本人の勘違いもあるのでしょうが、こういう業界ゴロはやっかいですね。
by ネスカフェ (2024-05-06 10:50)
いやあ、いしかわじゅんはすごいですよ。
確かにとんでもないことを言う人ですけど議論は深まる。
こういう番組はふつう、予定調和で当たり障りのないことを和気藹々と語るしかないのでヌルくてしょうがないんだけど、いしかわ氏のおかげで意外性とリアリティ、緊張感が生まれている。
それを片目瞑って許す漫画界の懐の広さも感じます。
ダイナミックは許してくれなかったけど。
(当時連載中のしがらみがあったのかも)
by hondanamotiaruki (2024-05-06 15:16)