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開校4年で廃校、11人がプロデビューは最高。負債2億は閉口。日本初の漫画専門学校「東京デザインカレッジ」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

前回ふれた、
「東京デザインカレッジ」という、4年でつぶれた日本初の漫画専門学校。

文藝春秋漫画賞の審査員の風刺漫画家5名が幹部として名を連ね、連帯保証人のハンコをついていた。

近藤日出造
横山隆一
清水崑
杉浦幸雄
横山泰三

ひっかぶった負債は、2億とも7億とも言われる。

漫画学校を作るので協力してくれませんか?と声をかけられたのだろうか。
学科ができたのが1965年。W3事件のあった年だ。
ここから時勢は一気に劇画に傾き、風刺漫画専門誌の漫画讀本が1970年に廃刊する。

消えゆく風刺漫画再興のためのチャンスだと思ったのだろう。
断れる話ではない。

結果を見れば詐欺に引っかかったと同じ気がするけど。


そんな4年で終わった東京デザインカレッジですけども、
生徒の中から風刺漫画家が何人も誕生してることがわかった。

風刺に限定しなければ、俺の調べではプロデビューが11人いる!
4年で11人、結構な打率じゃないですか。

っていうか、
今風の漫画が描きたい人をだまして入学させてそうなイメージなんだけど、ちゃんと風刺漫画やりたくて入った人もいたというのが意外。

ちなみに「定本日本マンガ事件史」によると、
一年目に入学した生徒は150名で、2年後の卒業まで残ったのはたった26名だったという。

で、11人のうち5名が文藝春秋漫画賞を受賞しているのだ!
うち4人は東京デザインカレッジの幹部だった二人が審査をしている時期の受賞である。
…なんか不公平さを感じなくもないけども、先細りする業界だ。
こういう状況はまあ避けられない。

もちろん受賞している人は当時すでに売れっ子だったり、
その後も立派な偉業を成し遂げていたりするから実力者であったことは間違いない。
ツッコミどころが多すぎる文藝春秋漫画賞の、とある一面として留意されたい。

 
卒業生が文藝春秋漫画賞の候補として初めて挙がったのが1977年の第23回、泉昭二
受賞は無かった。33歳の時に一期生として入学。朝日小学生新聞に連載されていた4コマ漫画『ジャンケンポン』は、「世界で最も長く続いている連載漫画」としてギネス記録に認定されたこともあるという。

その翌年の1978年、第24回で初めて卒業生から受賞者が出る。
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受賞したのは二期生として入学した二階堂正宏で、入学当時は18歳。卒業後は双葉社に入社して3年間「漫画アクション」を担当したのちフリーに。1992年に第21回日本漫画家協会賞を受賞した「極楽町一丁目」は嫁姑のバトルを描いたギャグ漫画で、ベッキーと室井滋の主演でWOWOWでドラマ化された。沙村広明の「おひっこし」にも引用されている。恩師であり、審査員でもある杉浦幸雄は、「こういう新人が続々出れば、漫画界は安泰です。」とコメントを残している。

さらに翌年の1979年の第25回も卒業生が受賞。
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24歳で入学した徳野雅仁(とくのがじん)だ。
卒業後はアニメーター、漫画家、漫画学校の先生、編集者などを経てフリーのイラストレーターになったとwikiにある。自然農法に傾倒し、それらの本を何冊か出している。受賞作品「不連続体」はかなりアートな感じだ。

恩師であり審査員でもある横山泰三は、
「徳野稚仁の絵はハイブロ−そのものである。哲学的であり、詩的であり、幻想的であり、内面的な深さがあるなどというといささかほめすぎになるが、薄汚い漫画のはびこっている昨今、こういった、美しい絵が漫画賞に選ばれたことを喜ぶ」とコメント。ちなみに横山は赤塚不二夫の受賞に対しては「汚らしい絵」という講評をした人である。

さらにその翌年の1980年第26回も卒業生が受賞する。
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入学当時25歳だったという前川しんすけで、受賞作の「中町銀座商店街」は5メートルあるという絵巻物10メートルという情報もある。。自費出版だという。1コマ漫画の究極の到達点と評された。オール讀物や小説新潮などに1コマ漫画を描いていた人のようだが、単行本やネットにある情報はとても少ない。

それから1年、間をおいて、1982年の第28回で再び卒業生が受賞する。
しゅうしょくりつ2.png
山田紳は何期生か不明。入学したのは25〜29ごろだと思われる。卒業後は住友商事に入社。1969年にフリーになり、受賞した年には売れっ子だったと講評に書かれている。いかにも風刺漫画だ。

恩師であり審査員でもある杉浦幸雄は「現代のチャンピオンだ」と絶賛。絵にこだわる横山泰三は、「政治漫画を描く人がいなかったので山田君に必要以上の肩入れをした感があったかもしれない。正直言って、まだまだ絵はそううまいとは言えないと相変わらずのコメントをしている。これが二人が審査員をした最後の年となった。

翌年は卒業生の千葉督太郎がノミネートされるが、この年は受賞に至らず。
その次の年、1984年第30回で受賞する。彼も25〜29歳ぐらいの時に入学したようである。
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さらにそのまた翌年の1985年31回では、18歳で入学した畑中純が候補に挙がり、審査員たち一同に強い衝撃を与えたと本に書いてある。しかし落選。理由は候補になった作品「まんだら家の良太」劇画だからという理由である。これが文藝春秋漫画賞の崩壊の序曲だったように思う。翌年は候補に挙がらなかったが、この話題を引きずり受賞作該なしという結果になる。さらにその翌年も畑中純「まんだら屋〜」が候補に挙がるが、受賞は無かった。

ちなみに「まんだら家の良太」は1981年にすでに日本漫画家協会賞受賞を受賞している。初めて文藝春秋漫画賞の候補になった年の翌年にはNHKでドラマ化。1989年にはOVA化された。

他、卒業生でプロデビューした人。
wikiで「東京デザインカレッジ」「漫画」で検索しました。

神保あつし
法月理栄
土屋慎吾
平口広美

アニメーション科ではあるが、
「耳をすませば」の近藤喜文も東京デザインカレッジ卒業生である。

 
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