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漫画オンチの大物漫画家の挫折、峯島正行「近藤日出造の世界」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

「劇画」とは何か。
複雑な線、暗い作風、セックス&バイオレンスというのが大方のイメージだろう。
劇画宣言の中心人物である辰巳ヨシヒロの考えは違う。

辰巳ヨシヒロ「劇画漂流」上巻の378-379ページの見開きに注目されたい。
ひでぞう1.png

「コマによって情報量を変えることで、
 読者の読むスピードを場面によって上げたり下げたりさせ臨場感を出す」

という理論が根底にあるというのが私の理解である。
だから、それ以前の漫画はそうではなかったという認識がまず必要。
そんな当たり前の文法が、邪道だとして非難の対象になった時期があったのである。
つまり劇画によって、漫画は漫画になったのだ。

 
※ちなみに1975年に手塚治虫が「ブッダ」等で悲願の文春漫画賞(風刺漫画を対象とした賞)を受賞したとき、選考委員の横山泰三は手塚治虫について「氏は劇画の権威ではあるが」と前置きしている。
 

劇画旋風がさらに強まった1964年のことである。

「なぜ劇画の連中がいるんだ。劇画なんて漫画じゃないんだ。君たちは別に漫画家協会を作ればいいんだ」

めでたい漫画家協会創設のパーティーにて、
初代理事の近藤日出造(こんどうひでぞう)はこう言い放ったという。

言われた劇画漫画家の辰巳ヨシヒロらは小さくなるしかなかった。劇画暮らし
当時の漫画界のボス的存在であった近藤日出造ですら、劇画への認識はこんなものだった。

さらに言えば、近藤日出造は激変する漫画の状況を、全く理解出来ていなかった。
「最近の漫画はダメになった」みたいな、いつの世もありがちな認識に陥って一歩も抜け出せなかった。
そのことが日出造の晩年の没落を加速させるのである。

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(画像は小林よしのり「ゴーマニズム宣言」4巻。 ここで言う「今」とは1994年の事である)

近藤日出造とはなんなのか。
峯島正行「近藤日出造の世界」を読んで、めちゃくちゃ面白かったので紹介したい。


近藤日出造の世界 (1984年) (青蛙選書〈66〉)

近藤日出造の世界 (1984年) (青蛙選書〈66〉)

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まず日出造は どんな漫画を描いていたのか。
藤子不二雄の名作「まんが道」には似顔絵描きの達人と説明されている人である。
師匠は岡本太郎の父、岡本一平
当時、大ベストセラーになった一平全集の制作に関わったことで日出造は画力をつけたと言われる。

ふうしぎのうみのナディア3.png

現在読み継がれている作品が特にない。
やはり似顔絵、風刺画の人である。今の感覚で言ったらイラストレーターなのでは。
吹き出し&コマで表現する漫画は少し描いたぐらいで、向いてないと思ったのか諦めたらしい。

感心するのはインタビューの上手さだ。
映画俳優の片岡千恵蔵に会いに行った時のことである、
悪気なく日出造が言った「お若いですね」ひとことで千恵蔵がキレだし、「帰れ」「帰らない」の口論になる。なんと日出造は、そのやりとりをそのまま掲載させた。大評判になったらしい。

右翼の巨頭・黒幕的存在と見られた頭山満に話を聞きに行ったこともある。
「どうしたらこんないい暮らしができるんですか。私も座って人をアゴで使っていい暮らしがしたい。教えてください。」と日出造が言うと、「痛いとこ突きよる」と頭山は答えたという。(後で頭山の信奉者から脅迫状がきた)

ひでぞう4.png

ここだけ見ると気骨の、反権力の人を想像してしまう。
しかし日出造30代のころ、日本は軍国主義の世を迎える。

その時の日出造の態度がどういったものであったのかは細かく考察しなければいけないものであるが、とりあえずドラマチックに「戦争反対!」と叫んで投獄されたりはしていない。戦後、軍部に尻尾を振った漫画家としてたびたび批判されたことは確かである。

疎開するような段階になって初めて日出造は、
この戦争はダメかもしれないと思ったというから、日出造の感覚もダメかもしれない。
まあこの辺は、当時の日本人の普通の感覚だったのだろう。

日出造は風刺漫画家なだけに政治を語る。
しかし村松剛に言わせると「床屋政談レベル」なのだそうだ。

それが逆に庶民感覚と一致したのだろうか。
戦後はテレビのトークショーにも出演して好評。
文化人としても一流。漫画の仕事も安泰だった。

現在の漫画好きにはなかなか理解し難いことなのだが、戦後もしばらくは漫画と言えば風刺漫画のことだったそうだ。それが1959年、辰巳ヨシヒロの「劇画宣言」をきっかけに、一変する。手塚治虫フリークだった辰巳が、子供漫画の1ジャンルであったストーリー漫画を進化させる形で劇画を提唱。これが爆発的に読者に支持され、風刺漫画家や、古い子供漫画を描いていた作家は駆逐されていく。

風刺漫画初の週刊誌として創刊された週刊漫画サンデー(週刊少年サンデーでは無い)初代編集長であり、のちに「近藤日出造の世界」を執筆する峯島正行は、日出造に危機を訴えた。結局、峯島が編集長を降りた後の漫画サンデーも、劇画路線になってしまう運命にあった。

そんなご時世だったが、日出造は取り合わない。

「ナンセンス漫画は押し込まれて無くなるようなチャチなものじゃない。
 現に俺も杉浦横山も、仕事がありすぎて徹夜しても間に合わない。
 実力のある漫画家は生きていける。」

だが、何か心に引っかかるものがあったようである。
近藤日出造はかつて編集統括者として発行していた雑誌「漫画」を復刊させる。
1967年のことである。

日出造のコンセプトはこうだ。
「100人いたら真に面白い漫画を解る読者は5人。あとの95人は相手にしない!」

奇しくも前年に手塚治虫が「まんがエリートのためのまんが専門誌」、「COM」を創刊したばかりである。

驚くのは、それで3、40万部売れると日出造は見込んでいたというのだ。
風刺漫画雑誌の老舗、「漫画讀本」ですら最盛期に30万部らしい。
その漫画讀本も3年後に休刊するのが当時の漫画業界である。
とんでもないボケっぷりだ。

さらに日出造が起用した漫画家はベテランの風刺漫画家ばかりで新人がいなかった。
峯島は、戦前の雑誌「漫画」がそのまま蘇ったようだと戦慄した。

雑誌のフォーマットが、大型A4サイズで高級な紙を使い60ページの薄さ。
当時の本屋さんが取り扱いに困るサイズだったという。

返本が3割超えるような雑誌は作らないと豪語する日出造だったが、五万部印刷して7000部しか売れなかった。じゃあ一万部刷ればいいんじゃねと減らしてみれば、今度は2000部しか売れなかったという。日出造の雑誌は1年保たなかった。スポンサーが用意した資金を遥かに超える、2000万円が負債として残った。

そしてその翌年、風刺漫画家を育成すべく作られた日本初の漫画専門学校、「東京デザインカレッジ」が4年で廃校に。2億とも7億とも言われる常識外れな負債を、連帯保証人のハンコをついていた風刺漫画家たちが背負うことになった。「近藤日出造の世界」によると、廃校で日出造がかぶった負債は3000万円だという。

タイミング悪く、日出造の長期連載も次々と終了していった。
借金を返すために、日出造は漫画を使ったPRを請け負う会社を作る。

「漫画」のアンケートハガキを、あの笹川良一が書いてきたことから営業をかけにいった。

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(画像は、意外な大物がアンケートハガキを書いてきた「ドラゴンクエストへの道」

そしたら話に自民党まで乗り出してきて、仕事につながる。

会社というものは権威が大好きである。
一流文化人として知られていた日出造は、そうやって仕事を受注していった。
その中には原発をPRする仕事もあり、日出造の死後に起こったチェルノブイリ原発事故によって、悪い意味で日出造に注目が集まったりもした。

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(画像は「図説 危険な話」

「原子力の構造は普通の人には分からないのだから、専門家に任せなさい。」
こんなコメントを、日出造は広告に寄せたりもしていた。

日出造が死んだ時、借金はまだ4万円残っていたという。

日出造の死後、辰巳ヨシヒロは「週刊読売」から原稿の依頼をされる。
その編集長は日出造の息子、汎(ひろし)だった。
商家の跡取りと見込まれ、進学が許されず生涯学歴コンプレックスを負った日出造にとって、東大を出た汎は自慢の息子だった。

そんな息子から見た父・日出造は、
家族が重たい家具を動かしていても我関せずと新聞を読み耽るような人柄だったという。

夜遊びの酒も付き合いで飲むというほどで、仲間からはからかわれるほど女遊びもしなかった日出造だが、愛人に夢中になり、妻に離婚を迫ったこともあった。妻は自身が敵わないと思った漫画家、横山隆一の妹である。

嘱託社員として雇用された読売新聞に、その愛人を秘書として出入りさせることも許されるほど大家であり、溺れていた日出造だったが肉体関係は無く、愛人にもその辺に葛藤があったという。そういうことは結婚してからだという考えがあったのだろう。

「手を握るだけでドキドキした」
いい大人が、漫画家仲間にそんなことを語っていたという。

師匠の岡本一平に言われた言葉、
「カタグソ(硬糞)になるなよ」を、日出造は生涯の教訓としていたが、とにかく融通の効かない人だったようだ。

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(画像は村上もとか「フイチン再見!」2巻に登場する近藤日出造)
 
流行った漫画が一過性で終わることもあるだろう。
しかし若い人には若い人の漫画があり、それが漫画の未来を作っていくことを心に留めておかないといけないと思う。

50年後は、スマホで始まった縦読み漫画が当たり前の世の中になり、紙で漫画を読むなんて理解出来ない時代になっていてもおかしくない。

あなたは今現在、近藤日出造になってない自信があるだろうか。

 

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エロ表現抗議の行き着く先とは。炎上「骸骨騎士様、只今異世界へお出かけ中」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

前回、アート作品の写真を引用したら、
Twitterからセンシティブだと初めて警告喰らった。
ようするにセンスがアレだと。セブンセンシティブだと。

世界が認めた高額アートなのに。。。

とあるアニメの動画をフェミニストが拡散して議論を巻き起こしている。
これをタイムラインにリポストして流すってのも大概だな。
こういうのはハレンチ学園の時代から、宣伝にしかならないのに。

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(画像は土田世紀「編集王」14巻

調べてみたら、
そのアニメは「骸骨騎士様、只今異世界へお出かけ中」というなろう小説が原作だった。
去年の6月までローカル局の深夜に放送されてたらしい。全然知らなかった。

…ゾーンニング完璧なのでは?


第1話 流浪の騎士、世直し旅にて候ふ

第1話 流浪の騎士、世直し旅にて候ふ

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2022/04/08
  • メディア: Prime Video

U-NEXTで本編を見ることができた(ほら宣伝になってる)
問題のシーンのあとすぐ悪人の行為は未遂に終わり、
正義の味方が登場して、悪人が盛大にぶっ殺されるというお決まりの展開になる。
こういう奴らはぶっ殺されて当然と思うのでスカッとする。

乱暴シーンというのは
「ジェットコースタードラマ」と呼ばれたTV番組が流行った30年ぐらい前に、めちゃくちゃ量産されていたイメージがある。漫画だとスピリッツで、国友やすゆき、六田登、原秀則とかやたら見た印象。その辺は安易で陳腐で辟易すると当時思っていた。

近年、本宮ひろ志の漫画で、飢えた主人公が物語の開始早々に腰の曲がった婆さんを襲うというシーンがあって(未遂)衝撃を受けた。男はこれぐらい危険だよと普段から啓蒙しておけば、その気もないのに深夜に男の部屋に行くなんて女性も減ることでしょう。

今回フェミニストの目に止まったのは、
オタクっぽく脚色された演出が許せんということなのだろう。
ありふれた展開だからバリエーションが色々できるわな。

正直言って作品に興味を惹かれないので、悪人が退治されたあと試聴は中断したのだが、
アニメーションとしてはよく出来ていると思う。
作品のオープニング部分なので、腕のあるアニメーターを使って気合を入れて作画しているのだろう。

問題のシーンは深刻さが足りないからダメという意見もある。
じゃあ、お殿様が腰元の帯をグルグル回すのも禁止だな!

ところで、
仮にこのアニメが不健全だと取り締られたとして、抗議する人の戦いは終わるのか。
終わらない。

このあいだ、戦後初の摘発されたワイセツ漫画、
横山泰三の「噂の皇居前広場」について書いたけども、
ブログで初めて知った人は「え?これで?」と思った人が多かったのではないか。

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さらにキスシーンを描いて批判が殺到したという手塚治虫の「拳銃天使」がこれ。

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1958年連載開始の上田としこ「お初ちゃん」は男女の不純異性交遊をそそのかす有害漫画だとして、全国青少年育成父母の会から糾弾された。(画像は村上もとか「フイチン再見!」9巻

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エロ表現に慣れていないと、
こんなレベルでもワイセツに思えてしまうものなのだ。

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(画像は鳥山明「ドラゴンボール」2巻

取り締まって取り締まって、
最終的には辞書のエロい文字を見てコーフンする人もいるので禁止されることになるだろう。
「強姦」という文字があるから、真似する人が出てくるんだ!という考え、一理ある。

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(画像は桜玉吉「しあわせのかたち」

まあツイッターフェミニストは、
最終的にこの世からエロを一掃するのが目標
異性に欲情しない世の中を目指しているのだから問題ないか。
こんど聞いてごらん。「そうだよ」って言うから。

「男女七歳にして席を同じうせず」という、戦前の価値観すら通過点。
自由恋愛なんてはしたない。親が決めた相手とお見合いするもんだという流れに逆戻りするのだろう。
歴史は繰り返す。

考えてみると不思議である。
わたしゃ有名フェミニスト仁藤夢乃さんの「難民高校生」を読んだ(おじいちゃんが死ぬシーンで泣いたりもした)ことがあるのだが、それ読んだ限りでは、彼女は親や学校の先生の言いつけなんか守る人ではなく、盛場に出入りしてかなり際どいこともしながら自由を謳歌していた人であったという。

アルテイシアさんも、峰なゆかも、瀧波ユカリも、俺レベルから見たらかなり性経験が進んだ人たちである。そういう人たちが親の年齢になると、かつて反発した人たちと同じようなことを言い出してしまうのは奇妙な傾向である。

以前ブログに、
「モテる仕草というのは男尊女卑的でセクハラ的なものであるから、フェミニズムと相性が悪い」みたいなことを書いた。やはり恋愛の第一線から退いた「加齢」というのがツイッターフェミニズムに傾倒していく要因なのだろう。

 
最初にショックを受けたエロシーンが性癖としてインプットされる、
俗に言う「第一撃」になったらどうすんだと言う話もある。
実際トラウマになることもあるのだろうが、あまり俺は信用していない。

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(画像は弘兼憲史「課長島耕作」7巻

親があんまりだと思って隠していたエロ劇画を、
保育園だったか幼稚園だったかの頃、しっかり見つけ出して読んでいた。
とにかく漫画と呼ばれるものは手当たり次第読んでいたのである。
最近それが、小池一夫/池上遼一の「アイウエオボーイ」だと判明した。
相当過激な内容である。間違っても保育園幼稚園児に与えていけないと思う。


で、
そのアイウエオボーイに描かれていたように、
いま女性を縛ることに興奮するかといえば、全然そんなことはない。

さらに言えば自分がセックスという概念を認識したのは中学生の頃。
周囲より全然遅れていた。

姉が腐女子で、
家に友達を招いて同人誌を作っていたので、「男だけがエロ漫画を描くのだ」というツイッターフェミニストにありがちな女性蔑視もない。のちにその腐女子の彼女らが性犯罪を犯したと言う話も、ツイッターフェミニストになったという話も聞かない。

エロ漫画を描いていた漫画家の子供が、
どう親の漫画に向き合ったかという話は面白い。

1991年に青少年保護育成条例で有害コミック指定を受けた山本直樹の娘の話が、田中圭一の「ペンと箸」に掲載されている。

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本宮ひろ志「実録たかされ」では、子供がいじめにあっていたが、本人が自分の力でそれを乗り越えていたという本宮の家庭の話が明かされる。

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浪花愛の「来訪者シリーズ」の同人誌版(来訪者同人スペシャル21)では、
長男が「お母さんが男同士のえっちな漫画を描くのは嫌だなあ」と父親に本音を吐露するシーンが印象的。

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※画像リンクは商業誌版

話をまとめる。
問題になったアニメのシーンは、あまりツイッターには出してくれるなとは思う。
世の中はどうせ規制の方向に向かうのだろうから、それを悪戯に早めてしまうのは好ましくない。

しかし動画としては良い仕事をしてるなとは思う。
この類は春画のように、後世に一定の評価を得るジャンルになるのかもしれない。
春画には江戸時代に生きていた人間の生々しいリアル、本音がある。
スケベを描かないということは、人間の本質を描かないということでもある。

ツイッターフェミニストは良識しか描いてはダメだという論調になりがち。
漫画は娯楽であり、息抜きであり、リラックスできるものである。
意識高いものを書けば、世の中の評価も比例して高くなるだろうという考えは無責任で単純すぎる。

結局のところ、
異性に対する興味が全てなのではないかと最近思ったりもする。

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(画像は土田世紀「編集王」5巻

作品に散見される涙ぐましい仕込みの努力。
それを軽く全否定するアルテイシアさんとか特に憤りを覚える。
かつてはエロエロキャンディとか歌ってた人なのにね。

そのうちキャンセルカルチャーに熱心な人を、
キャンセルカルチャー全開で追い落とす記事を書いてみたいと思っている。
 


春画にハマりまして。

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  • 作者: 春画ール
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  • 発売日: 2021/03/31
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国境のエミーリャ(5) (ゲッサン少年サンデーコミックス)

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遊仙窟 (岩波文庫)

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海洋堂にダメ出しされまくるアーティスト、村上隆「芸術起業論」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

20年ぐらい前、
村上隆という芸術家が作りしアニメ風の立像が、
海外のアート界で評価されて何千万という価格で落札されたことがあった。

日本の有名原型師が海外のアート界で認められたという話なら良かったのだが、
その立像のお顔は極めて安っぽく、しかもそれが精子や母乳を大量に飛ばしているオゲヒンさだったのである。(参考画像を貼ったらTwitterからセンシティブだと初警告受けたので削除)
 

下手くその悪ふざけが海外で日本のアートとして評価されちゃったみたいな感じだった。

賛否を巻き起こした。
大塚英志は「潰していく」と発言したというし、
細野不二彦は「ギャラリーフェイク」22巻(文庫16)の中でパクリ屋だと批判的に取り上げた。

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一方、逆輸入的に村上隆は持て囃されもした。
作品がTV局のイメージキャラクターみたいなことになったり、
タレントとしてあちこちの番組に出演したり、
ルイヴィトンとのコラボグッズを持ち歩く人をよく見かけた。

最近は落ち着いたのか昔ほど活動が聞こえてこないのだが、
ジョジョリオンのスタンドにそれっぽいのが出てきたのが最も偉大な爪痕だと私は思う。

むらかみひろあきです3.png

山田五郎のYouTubeチャンネルを見ていたら、
村上隆は、ちゃんと作戦を立てて海外で成功してるから著書は読んでみたほうがいい」みたいなことを言っていて興味が湧いたので「芸術起業論」という本を読んでみた。そしたら面白かった。作品に対する批判的な印象は変わらないのだけど。

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

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  • 作者: 村上隆
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2018/12/06
  • メディア: Kindle版

「芸術起業論」を意訳すると、

例えばジャンプ漫画に掲載されて人気を得るためには、集英社や読者がどういう作品が望んでいるのか、流行り廃りを調べて考えないといけない。アートの現実も全く同じ。天啓に従って好き勝手に表現したものが認められる可能性は低い。

…ということ。
海外で認められるには、海外のアート市場を知らないといけないと。
まあ当たり前の話だ。

ゼニカネ絡めて語ってくれているので、
そういう発想がなかった芸術オンチの私には非常にわかりやすい。

発想がなかったとは言っても、
よくよく考えると「開運!!なんでも鑑定団」をゼニカネ視点で楽しんでる人は大勢いるわけで、箱書きとか、市場とか、逸話とか、出回った数とか、作者の人間性とか、そういうところまでセルフプロデュースしないといけないというのは、まあ分かる話である。

で、「ギャラリーフェイク」「村上隆」で検索したら出てきた、ギャラリーフェイクに対する反論。
https://cerealyogurt.hatenablog.com/entry/20100916/1284591652

それに反論するレスも長々と付けられていて興味深く読んだ。
ギャラリーフェイクの村上隆批判も、それなりの文脈があるということが分かる。

これは漫画でいうところの、
スマホの縦読み漫画&ネーム横書き漫画にしないと日本は置いてかれる論争みたいなことだ。
やりたい人は縦読みやればいいけど、俺は今の漫画スタイルが好き。
今回の話もそこに落ち着くのだろう。

日本からは何だかんだ言われても、アメコミは基本アメコミのままでいるように思う。
バンド・デシネも同様だ。

コミックのスタイルは統一されるものではなく、国によって違って当たり前なのかもしれない。
言語が違って当たり前で統一される日が来ないように。
スマホスタイルも覇権ではなく、ウェブ世代の1スタイルとして落ち着くのかもしれない。

話が逸れた。
ということで、村上隆は芸術家志望者の選択肢を増やしたと言える。
メジャーリーグに挑戦して成功した野茂英雄であったのだろう。
本を読むまで全然知らなかったのだが、代理人みたいなこともやって、若手のアーティストを世に送り出すみたいなこともやっていたらしい。

本を読むと、ウォーホルバンクシーがなぜ評価されているのか、分かったような気になる。

 
他に芸術起業論で一番面白かったのが、海洋堂の宮脇修一にダメ出しされまくるところ。

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(画像は鈴木みそ「オールナイトライブ」6巻

世界初の等身大フィギュアを作りたいと岡田斗司夫に相談したら海洋堂を紹介してもらえたのだが、もう読んでいて爆笑だ。

「岡田先生、コイツはダメですよ。まったくわかっていない。

「うちに来ないでまずボークスに行くこと自体が超ド素人ですな。まちがっとる!

「ムラカミさん、とにかくボーメは、あんたの企画をやりたくないと言っている。

「あんたのような他所者に魂を売り渡したくない。

「そもそも、あんたはオタクというものが何か、まったくわかっていない

ですよねー!
と思うしかない。それでも、

「あのスピーチは岡田先生のプレゼンの中でも最高のものだ。なぜ、あんたなんかのために、あそこまで言ってくれるのか。そこまで岡田先生がやりたいと言うなら脈ありなのだろうし、これはやっぱり海洋堂としてやるべき事業なのだろう。と言わせてしまうあたり、さすがトシちゃんの審美眼はすごいと思う。

ちなみにその後も色々あって、
結局半分見放されるような感じで等身大フィギュアの調整をボランティア学生たちとやっていると、海洋堂の当時の社長の目に留まり、

「こんな滅茶苦茶くだらないことに、若い衆が十五人も集まってきている…おもしろい!
 ちょっと、銭湯に行きませんか?」

となったことから再び海洋堂のバックアップを受ける。
「ふしぎの海のナディア」みたいだ!

アニメ「ふしぎの海のナディア」に登場する潜水艦には銭湯があり、ヒロインのナディアに副船長のエレクトラが「それじゃあお風呂に行きましょうか」(CV:井上喜久子/当時17歳オイオイ)と言ってお互い裸で話し合いをすると言うシーンがある。これは当時のガイナックスの兄弟会社の社長が、揉め事が起こった時によく使う技が元ネタだったという。名著「ふしぎの海のナディアロマンアルバム」で庵野秀明が解説している。

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今回、ブログを書くにあたって色々調べていて知ったのだが、
そもそも村上隆のアニメ風の立像も、中原浩大というアーティストがガレージキットを美術館に展示した「ナディア」に影響を受けたものだったというから驚きだ。というか、ますます細野不二彦が批判するところのパクリ感が増したような気もする。

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(画像は雑誌「太陽 1993年11月号 特集 現代美術入門講座」)

つまりナディアすげえ、ガイナックスすげえ、トシちゃんすげえ。
そういう結論になる。


ふしぎの海のナディア Blu-ray BOX STANDARD EDITION

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沈黙しない娘が語る漫画家族「かいじくんちのニラコさん」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

映画「沈黙の艦隊」、冒頭11分しか見てないけどちょっと語る。
あの作品を2時間かそこらで全て描き切ることは困難だと思う。
たぶん映画も、「これから!」というところで終わっているのだろう。
映画の興行成績は知らないが、シリーズ化するというのは普通困難なことだ。

どうせなら
ニューヨーク沖でミサイル打ち上げショーやるとこから始めれば良かったのに!

そうすれば世界に類のない一大カルトムービーになれたのになあ。
海江田役は大沢たかおよりも谷原章介が良かったなあ。

そんな「沈黙の艦隊」の、
かわぐちかいじの娘の漫画があるとツイッターのプロモーションで流れてきて知った。
エッセイ漫画、「かいじくんちのニラコさん」を読んだ。

かいじくんちのニラコさん 1 (A.L.C. DX)

かいじくんちのニラコさん 1 (A.L.C. DX)

  • 作者: カワグチニラコ
  • 出版社/メーカー: 秋田書店
  • 発売日: 2023/10/16
  • メディア: Kindle版

ラさんかと思ったが、ニラさんである。
赤ん坊ころ、髪の毛がニラっぽいから韮子とあだ名されたそうだ。

周囲では好評。
特にかわぐち夫人が人気。
二人の出会いは明治大学の漫画研究会。

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「明大漫研OB作品集」という単行本を持っている。
プロになったOBによる短編集で、片山まさゆき、いしかわじゅん、高田裕三、小林たつよし、すのうちさとるなどの作品が掲載されているが、プロになってからの再録、あるいは描き下ろしである。かわぐちかいじの作品も掲載されていおり、こちらもが再録。

明大漫研OB作品集 (CBS/SONY comics)

明大漫研OB作品集 (CBS/SONY comics)

  • 出版社/メーカー: ソニー・マガジンズ
  • 発売日: 1987/06/01
  • メディア: 単行本

かわぐち夫人はビートルズのファンだったが、音源だけ所有して再生装置を持っていなかった。
そんな時代だったのだ。かいじが「じゃあ俺の部屋に来いよ」と誘ったことで二人の距離は縮まる。

中学の担任教師の趣味で「新しいステレオを注文したよ、僕の部屋に遊びにおいで」という背筋が寒くなる歌を合唱コンクールで無理やり歌わされたことがあったけども、本当にそういう時代があったのだなあ。かわぐちかいじは「僕はビートルズ」なんて漫画も描いてたよね。

「かいじくんちのニラコさん」は面白いのだけど、
おれ的には正直少し食い足りない。

バキの板垣恵介の娘、板垣巴留の「パルノグラフィティ」を読んだ時も少し不満だったのだが、もっと名作を描いてる時のエピソードや、それぞれの作品に対する娘の感想が読みたかった。

まあ、そういうマニアに寄せてもしょうがないのかな。
ちょっと特異な大家族スペシャルといった内容になっていて、万人にオススメできる。

さて、
かわぐちかいじはアシスタントに気を遣うタイプの漫画家らしく、
職場は賄い付きで社員旅行やボーナス、単行本刊行時には分配金も出しているのだそう。

条件も年代によって変わるのだろうが、
分配金のエピソードはイエス小池の「漫画家アシスタント物語」に描かれている。

ハード&ルーズが好き5.png

「漫画家アシスタント物語」の著者、
イエス小池はかわぐちプロで人間関係に苦しみ、年末進行の最中にバックれる。
給料だけはしっかり貰いに行ったのだが、その時もかいじは不満を抑えて慰留してきたという。
「漫画家アシスタント物語」の刊行時の許諾も「OKOK!」と快く応じてくれたというから、かわぐちかいじはCOCOROが広い。

職場は自宅も兼ねており、
アシスタントが学校にニラコのお弁当を届けにきたりするぐらい、家族同然に過ごしていたようだ。
それにしてはあまり画力が受け継がれてないのが腑に落ちないのだが。

カワグチニラコは田中圭一の「ペンと箸」にも登場する。

ハード&ルーズが好き1.png

「ペンと箸」は有名漫画家の子供に、父親との思い出の食事を紹介してもらいながら逸話を聞くというコンセプトの漫画だ。単行本化されているがネットで読むことも出来る。
ちなみにこの回の背景を作画している田中圭一のアシスタントも、かわぐちプロ出身だという。

マンガテクニック1994年5月号のかわぐちかいじインタビュー記事に、
当時在籍中の5人アシスタントも紹介されており、その中に漫画で紹介されているK谷氏も実名の年齢不詳で掲載されている。(顔も似てる!)

ハード&ルーズが好き2.png

ハード&ルーズが好き3.png

しかし「かいじくんちのニラコさん」の中で一番目立っている「イツキ」さんはいないようだ。
おそらくこの人物は、プロジェクトXのコミカライズを手がけたうちの一人である、いつきたかし氏。

コミック版 プロジェクトX挑戦者たち 運命の滑走―日本初、人力飛行機に挑む

コミック版 プロジェクトX挑戦者たち 運命の滑走―日本初、人力飛行機に挑む

  • 出版社/メーカー: 宙出版
  • 発売日: 2005/02/01
  • メディア: コミック


かわぐちかいじには双子の弟がおり、「ペンと箸」ではその辺が重要エピソードとして語られているのだが「かいじくんちのニラコさん」1巻には一切登場しなかった。続刊も出るようなので、楽しみに待ちたい。イエス小池は出るのかなー。ニラコと面識はなくても、先生に思い出話語ってもらうだけでもマニアにとっては面白いのだが。

 

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昭和5年のカリオストロの城、宍戸左行「スピード太郎」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

オートジャイロに乗ってえ…

スピードワゴン太郎3.png

塔に幽閉されたお姫様を助け出してえ…

スピードワゴン太郎5.png

世界経済を牛耳ろうとする伯爵の戴冠式を邪魔する…。

スピード太郎8.png

カリオストロの城じゃん!!

昭和5年(1930年)の児童漫画、宍戸左行「スピード太郎」を読んで驚いた。
カリオストロの城が「やぶにらみの暴君」(1952年)から引用されたことはよく言われるが、この「スピード太郎」との類似性は誰も指摘していない。

宍戸左行は児童漫画も描く風刺漫画家。
名前の読み方は「さぎょう」だったり、「さこう」だったり資料によってまちまち。
苗字は「ししど」が定説のようだが、「ししと」説もある。

9年間のアメリカ生活を経て帰国。
今回紹介する「スピード太郎」は1930年から1934年まで、読売新聞社の媒体で連載された。

その映画的な漫画スタイルは手塚治虫も魅せられ、
「新宝島」に取り入れたことは本人もインタビューで語っているのだが、あまり広まっていないようだ。

スピードワゴン太郎4.png

「スピード太郎」には時計塔も出てくるが、
これはカリ城というより、ジョジョの奇妙な冒険である。

スピードワゴン太郎2b.png

太郎が敵兵に捕まり、死刑執行時間が迫るなか、それを阻止すべく仲間のクマさんが道を急ぐがどうにも間に合いそうもない。そこでクマさんは時計塔を投石で破壊。執行時間がわからなくなり、処刑が中止されるという展開。荒木飛呂彦の担当編集者の椛島良介は大正時代の人気漫画家の孫でありその辺に理解が深いので、可能性としては低いと思うが全くのゼロではない。

購入した「スピード太郎」は1991年に出版された復刻版。
定価は4500円もするが、中古で安く購入できた。


スピード太郎 (少年少説大系)

スピード太郎 (少年少説大系)

  • 作者: 宍戸左行
  • 出版社/メーカー: 三一書房
  • 発売日: 1999/09/01
  • メディア: 単行本

いきなり読み方を間違える(コマに読み順が描いてあるのに!)
コマの大きさが揃っていないが、4コマ漫画のように上から下に読んでいき、左に移動していくという文法のようだ。セリフの吹き出しは基本右が先だが、時々左優先があったりと、あまり統一されていない。

セリフは基本、手書き文字のカタカナで読みづらい。
フォゴットンワールドかよと思う。
これは戦前、子供が最初に習う文字が平仮名ではなくカタカナだったことによる。
時々漢字があり、ルビがふられている。

「ヰ」と言う文字は「イ」or「ウィ」と読むようなのだが、
「オマエハ クラヰヲ モタヌカラ」「ヒトリデ ツイテコイ」と、どちらの文字も存在する。
使いどころがよく分からない。

基本的に1コマづつ、ほぼ同じ時間が流れていて、その辺は劇画以前の漫画という感じだ。とにかく慣れるまで読みづらい。アメコミもそうだが、1コマづつ時間をかけて読むのがコツだと思う。

主人公のスピード太郎はさまざまなアイテムやメカ、超人的身体能力を駆使して国家間の陰謀に挑む007のような子供なのだが、途中で戦争反対を訴えたりもする。第二次大戦前の漫画だが、その辺も今風で優等生っぽくて鼻につく。

スピードワゴン太郎1.png

…と思ったら、
人が激しく出血してバラバラになるような残酷なシーンも出てくる。

スピードワゴン太郎b1.png

…かと思うと、
魔法の薬でバラバラになったのを蘇生したりと、やっぱり子供漫画っぽい描写がある。

スピードワゴン太郎b2.png

…と思いきや、
テンパったクマさん(顔が怖い!)バラバラになった部位をあべこべに接着してしまうという、とんでもないブラックな展開になり、私は一発でこの作品の虜になってしまった。いやあ、戦前の児童漫画って表現に寛容ですね!

スピードワゴン太郎b3.png

時節柄、不謹慎ですみません。

裸婦像のおへそに隠し通路のスイッチが…、
と言いつつ押してるのは乳首だったり、宍戸左行という漫画家が堅物ではなく、シャレのわかる人だということが伝わる。もう大好き!

スピードワゴン太郎7.png
単行本化の際に修正されたようです

なので「スピード太郎」を復刻した三一書房のこの復刻シリーズ「少年小説体系」を漫画選集だけ買ったよ!3冊買って定価が7040円、8800円かける2。もちろん中古で買ったんだけど、新品だったらとても手が出なかった。ハードカバー700ページの分厚く重い読みにくい本で、どれも新品同様だった。マニア以外に読み継がれてないのも分かる気がする。

 




長編マンガの先駆者たち――田河水泡から手塚治虫まで

長編マンガの先駆者たち――田河水泡から手塚治虫まで

  • 作者: 小野 耕世
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/05/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



手塚治虫の『新宝島』その伝説と真実

手塚治虫の『新宝島』その伝説と真実

  • 作者: 野口 文雄
  • 出版社/メーカー: 小学館クリエイティブ(小学館)
  • 発売日: 2007/11/27
  • メディア: 単行本



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開校4年で廃校、11人がプロデビューは最高。負債2億は閉口。日本初の漫画専門学校「東京デザインカレッジ」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

前回ふれた、
「東京デザインカレッジ」という、4年でつぶれた日本初の漫画専門学校。

文藝春秋漫画賞の審査員の風刺漫画家5名が幹部として名を連ね、連帯保証人のハンコをついていた。

近藤日出造
横山隆一
清水崑
杉浦幸雄
横山泰三

ひっかぶった負債は、2億とも7億とも言われる。

漫画学校を作るので協力してくれませんか?と声をかけられたのだろうか。
学科ができたのが1965年。W3事件のあった年だ。
ここから時勢は一気に劇画に傾き、風刺漫画専門誌の漫画讀本が1970年に廃刊する。

消えゆく風刺漫画再興のためのチャンスだと思ったのだろう。
断れる話ではない。

結果を見れば詐欺に引っかかったと同じ気がするけど。


そんな4年で終わった東京デザインカレッジですけども、
生徒の中から風刺漫画家が何人も誕生してることがわかった。

風刺に限定しなければ、俺の調べではプロデビューが11人いる!
4年で11人、結構な打率じゃないですか。

っていうか、
今風の漫画が描きたい人をだまして入学させてそうなイメージなんだけど、ちゃんと風刺漫画やりたくて入った人もいたというのが意外。

ちなみに「定本日本マンガ事件史」によると、
一年目に入学した生徒は150名で、2年後の卒業まで残ったのはたった26名だったという。

で、11人のうち5名が文藝春秋漫画賞を受賞しているのだ!
うち4人は東京デザインカレッジの幹部だった二人が審査をしている時期の受賞である。
…なんか不公平さを感じなくもないけども、先細りする業界だ。
こういう状況はまあ避けられない。

もちろん受賞している人は当時すでに売れっ子だったり、
その後も立派な偉業を成し遂げていたりするから実力者であったことは間違いない。
ツッコミどころが多すぎる文藝春秋漫画賞の、とある一面として留意されたい。

 
卒業生が文藝春秋漫画賞の候補として初めて挙がったのが1977年の第23回、泉昭二
受賞は無かった。33歳の時に一期生として入学。朝日小学生新聞に連載されていた4コマ漫画『ジャンケンポン』は、「世界で最も長く続いている連載漫画」としてギネス記録に認定されたこともあるという。

その翌年の1978年、第24回で初めて卒業生から受賞者が出る。
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受賞したのは二期生として入学した二階堂正宏で、入学当時は18歳。卒業後は双葉社に入社して3年間「漫画アクション」を担当したのちフリーに。1992年に第21回日本漫画家協会賞を受賞した「極楽町一丁目」は嫁姑のバトルを描いたギャグ漫画で、ベッキーと室井滋の主演でWOWOWでドラマ化された。沙村広明の「おひっこし」にも引用されている。恩師であり、審査員でもある杉浦幸雄は、「こういう新人が続々出れば、漫画界は安泰です。」とコメントを残している。

さらに翌年の1979年の第25回も卒業生が受賞。
しゅうしょくりつ4.png
24歳で入学した徳野雅仁(とくのがじん)だ。
卒業後はアニメーター、漫画家、漫画学校の先生、編集者などを経てフリーのイラストレーターになったとwikiにある。自然農法に傾倒し、それらの本を何冊か出している。受賞作品「不連続体」はかなりアートな感じだ。

恩師であり審査員でもある横山泰三は、
「徳野稚仁の絵はハイブロ−そのものである。哲学的であり、詩的であり、幻想的であり、内面的な深さがあるなどというといささかほめすぎになるが、薄汚い漫画のはびこっている昨今、こういった、美しい絵が漫画賞に選ばれたことを喜ぶ」とコメント。ちなみに横山は赤塚不二夫の受賞に対しては「汚らしい絵」という講評をした人である。

さらにその翌年の1980年第26回も卒業生が受賞する。
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入学当時25歳だったという前川しんすけで、受賞作の「中町銀座商店街」は5メートルあるという絵巻物10メートルという情報もある。。自費出版だという。1コマ漫画の究極の到達点と評された。オール讀物や小説新潮などに1コマ漫画を描いていた人のようだが、単行本やネットにある情報はとても少ない。

それから1年、間をおいて、1982年の第28回で再び卒業生が受賞する。
しゅうしょくりつ2.png
山田紳は何期生か不明。入学したのは25〜29ごろだと思われる。卒業後は住友商事に入社。1969年にフリーになり、受賞した年には売れっ子だったと講評に書かれている。いかにも風刺漫画だ。

恩師であり審査員でもある杉浦幸雄は「現代のチャンピオンだ」と絶賛。絵にこだわる横山泰三は、「政治漫画を描く人がいなかったので山田君に必要以上の肩入れをした感があったかもしれない。正直言って、まだまだ絵はそううまいとは言えないと相変わらずのコメントをしている。これが二人が審査員をした最後の年となった。

翌年は卒業生の千葉督太郎がノミネートされるが、この年は受賞に至らず。
その次の年、1984年第30回で受賞する。彼も25〜29歳ぐらいの時に入学したようである。
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さらにそのまた翌年の1985年31回では、18歳で入学した畑中純が候補に挙がり、審査員たち一同に強い衝撃を与えたと本に書いてある。しかし落選。理由は候補になった作品「まんだら家の良太」劇画だからという理由である。これが文藝春秋漫画賞の崩壊の序曲だったように思う。翌年は候補に挙がらなかったが、この話題を引きずり受賞作該なしという結果になる。さらにその翌年も畑中純「まんだら屋〜」が候補に挙がるが、受賞は無かった。

ちなみに「まんだら家の良太」は1981年にすでに日本漫画家協会賞受賞を受賞している。初めて文藝春秋漫画賞の候補になった年の翌年にはNHKでドラマ化。1989年にはOVA化された。

他、卒業生でプロデビューした人。
wikiで「東京デザインカレッジ」「漫画」で検索しました。

神保あつし
法月理栄
土屋慎吾
平口広美

アニメーション科ではあるが、
「耳をすませば」の近藤喜文も東京デザインカレッジ卒業生である。

 
文芸春秋漫画賞の47年

文芸春秋漫画賞の47年

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2002/12/01
  • メディア: 単行本



まんだら屋の良太 合本版 1 (SMART COMICS)

まんだら屋の良太 合本版 1 (SMART COMICS)

  • 作者: 畑中 純
  • 出版社/メーカー: スマートゲート
  • 発売日: 2022/10/10
  • メディア: Kindle版



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赤塚不二夫を嫌った巨匠漫画家、横山泰三 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

進化し続けていく漫画に、いつかついていけなくなる日が来る。
そんな当たり前のことに気付けない古い漫画家たち。

そんなドラマが描かれた本「文藝春秋漫画賞の47年」の中に、
赤塚不二夫の受賞が許せない風刺漫画家がいた。
1972年の第18回の、とある風刺漫画家による講評にこうある。

僕にはどうもあの汚ならしい絵ががまんならない。(中略)飯沢氏が「赤塚君は大人漫画も描ける人ですよ』と言うので、『飯沢さんあなた責任持てますか』と、僕はこの先輩に生意気なことを言った。 ※飯沢さん=劇作家の飯沢匡(いいざわただす)

意外。
赤塚不二夫は割と風刺漫画に近いテイストだと思うけども。

「天才バカボン」「おそ松くん」は漫画史に燦然と輝き続ける名作として今も知られている。
推薦する人に「責任持てますか」と食ってかかるこの審査員。
賞の汚点を後世に残したのは彼自身だった。

この漫画家の名前を再び見たのは、
それから少しして別の本、「定本日本マンガ事件史」を読んだ時である。

その本によると、
1969年、日本初の漫画学校「東京デザインカレッジ」が、創立からたった4年で廃校になった。
この学校で、風刺漫画家を育成していくつもりだったらしい。

一流の風刺漫画家5名が理事として名を連ねており、連帯保証人のハンコをついていた。
負債のうち2億5千万円を彼らがひっかぶることになった。
さらに廃校に抵抗する学生たちから、吊し上げにあった理事もいたそうである。

その中に、赤塚不二夫を批判した審査員もいた。
その風刺漫画家の名は横山泰三という。ザマあない。

というか、5名の理事は全て文藝春秋漫画賞の審査員だった。
さらに言うなら、横山泰三が赤塚不二夫の受賞を批判するのは事件から3年後のことなのである。

「定本日本マンガ事件史」には、横山泰三に関するオマケ的な事件についても触れていた。

廃校事件の同年、
戦後を代表する漫画家を13人選んでハードカバーの選集にまとめるという企画、「現代漫画」が筑摩書房から出版された。

13人中の8名は、横山泰三をはじめとする風刺漫画家たちが選ばれた。
ほかに手塚治虫と石森章太郎。
そして水木しげるつげ義春白土三平ら劇画漫画家も選ばれたのである。

高慢ちきな風刺漫画家が、彼らが低俗と蔑んだ劇画漫画家たちとワンセットにさせられてしまった!
これは当時、画期的な出来事だったらしい。

ちなみに「現代漫画」の第二期では、赤塚不二夫も選ばれている。
風刺漫画家たちはどういう思いで現代漫画の人選を見ていたのか。
借金でそれどころじゃなかったかもしれない。

「定本日本マンガ事件史」によると、
その「現代漫画2横山泰三集」の中に、横山泰三の自分史が収録されており、事件をオチとして使ってるという。この現代漫画、たまたま何冊か買ってあったのだが、その中に横山泰三はなかったのでセットで再購入して横山泰三の作品をイチから読んでみた。

…読んでみたが、まあ面白くない。
代表作の「プーサン」も全然ピンとこない。時代もあるのだろうけど。
しかし赤塚不二夫の絵を汚らしいと言う割には、泰三のデフォルメも良いものとは思えない。

文藝春秋漫画賞における横山泰三の講評を見ると、絵の上手い下手にこだわっていることが多い。
漫画の本質を見失う人が陥りがちな危険な兆候だと思う。

まがったことが大嫌い3.png

世界一周のコラム「世界戯評」は面白かったが、文章としての面白さだ。
(それにしても仕事で世界一周とは羽振りがいい)

問題の自分史、「平和の発見 -漫画自叙伝-」も、まあまあ面白い。
ときどきごっちゃになる横山隆一はお兄さんだった。
いろいろ苦労もあったようである。軍隊も経験してるし。

まがったことが大嫌い2.png

衝撃を受ける作品もひとつだけあった。
1950年に描かれた「噂の皇居前広場」だ。
当時、皇居前広場で風紀が乱れていたのを風刺したもの。

まがったことが大嫌い1.png

これぞ風刺!
戦後初のわいせつ画として摘発を受けたらしい。
やったぜ!

警視庁大城保安課長談
画中の男女三組の姿態はあまりにロコツにかかれ見るものに嫌悪の感を抱かせる風刺として行きすぎであると認めたので摘発を指令した

懲りずに摘発されてすぐ、これならいいだろと続編を発表している。

そんな不敬な横山泰三だが、1981年に紫綬褒章。
1988年に勲四等旭日小綬章を授与されている。

代表作のひとつ、「社会戯評」は39年間、1万3561回も朝日新聞で連載された。
そんなに続けていたらクオリティがどういう事になるか想像に難くない。
批判も多かったらしい。

最後に、
1970年の第16回文藝春秋漫画賞における横山泰三のコメントを紹介する。

今はエロ、劇画の全盛で、絵もろくに描けないやからが、最低の漫画ブームをつくっている。

彼の漫画がこの先、読み継がれていくことはあまりないと思う。


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消えた漫画賞「文藝春秋漫画賞の47年」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

今や漫画アニメは日本が誇る文化なのに、
アメリカのアカデミー賞やグラミー賞的なものが無いのか疑問に思ったことはないだろうか。
今年はどの漫画が獲るのか、米映画のように前哨戦とか賞レースとか話題にする漫画マニアを見たことがない。

ところで、
むかし文藝春秋漫画賞という漫画賞があったことを最近知った。
審査員が老害化し、いい加減な審査をおこなうようになった結果、潰れたのだという。
ちょっと興味を持って受賞者リストを調べてみたら、知らない漫画家ばかりで驚く。

第10回までの受賞者はこんな感じのメンツだ。

1955 谷内六郎 『行ってしまった子』
1956 杉浦幸雄 戦後の一連の風俗漫画
1957 加藤芳郎 『芳郎傑作漫画集』
1958 久里洋二 『久里洋二漫画集』
1959 長新太 『おしゃべりなたまごやき』
1960 荻原賢次 一連の時代漫画
1961 岡部冬彦 『アッちゃん』『ベビー・ギャング』
1962 長谷川町子 『サザエさん』
1963 六浦光雄 銅版画風のルポルタージュ

仮にも一流出版社の漫画賞である。
そこで選ばれた漫画家が、ここまで残ってないというのはどういうことなのだろうか。

おそらくほとんどの人が、長谷川町子ぐらいしか引っかからないだろう。
他はギリギリ、加藤芳郎ぐらいだろうか。
漫画家としてではなく、むかしのTV番組「連想ゲーム」に出てたタレントとして。

その加藤芳郎こそが、
のちの老害化して賞の終焉を象徴する審査員になるのである。
それはこないだブログに書いた。

ブログに書くためにあれこれ調べていて、
その文藝春秋漫画賞の軌跡が一冊の本になってることがわかった。
タイトルは「文藝春秋漫画賞の47年」定価5429円+税である。すごい力技だ。
取り寄せずにはいられない。

文芸春秋漫画賞の47年

文芸春秋漫画賞の47年

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2002/12/01
  • メディア: 単行本

文藝春秋漫画賞は、
風刺漫画雑誌「漫画讀本」が文藝春秋社から刊行されていた流れでできた賞のようだ。
なので、初期の傾向としては当然風刺漫画、そしてアートっぽい作品が選ばれている。

1979年の第25回の受賞は島添昭義の「動くイラスト・木造玩具」。
これは漫画だろうかという疑問はある。非常に興味を引くけれど。
今ならYouTubeで動いてるところが見られるかなと思ったが、そうはなってない。
ネットを検索しても作者の情報は極めて少ない。どういうことなのだろうかこれは。

1976年の第22回の武田秀雄「もんもん」はかっこいいと思う。
図録を購入してしまった。やはり武田秀雄の情報はネットに少ない。
ちなみにこの年に武田と同時に受賞したのが園山俊二「ギャートルズ」である。


漫画の神様、手塚治虫は1965年に「鉄腕アトム」落選
1968年にも漫画讀本に載せた風刺漫画「われ泣きぬれて島と」で落選
1975年の第21回で「ブッダ」「動物つれづれ草」でようやく受賞している。

ちなみに授賞式に手塚が招いた漫画家は、さいとうたかを佐藤まさあき辰巳ヨシヒロの劇画漫画家として知られる3名のみだった。後輩を薫陶したととれば感動的な話だが、劇画漫画家に苦しめられた手塚治虫の復讐とする見方もできると思う。

 
終戦が1945年。
そして劇画宣言が1957年。
大まかに言うとこの1957年以前の漫画は、大人向けの風刺漫画と、子供漫画の2ジャンルに分類される。

漫画讀本の創刊が1954年。
文藝春秋漫画賞の設立が1955年。
劇画ブームのきっかけとなった手塚治虫のW3事件が1965年。

劇画の定義は様々だが、ようするに劇画とはこんにちの漫画そのものだ。
つまり文藝春秋漫画賞は、設立10年目以降からその存在意義を問われていくわけである。

「劇画なんて漫画じゃない」
…と言い放った近藤日出造の名前が審査員の中に出てくるのは1967年の第13回が最後。
近藤が審査員を降りた理由はさだかではないが、この辺から彼の没落も始まっていたようである。そのうち記事にしたい。

1986年の31回、
畑中純の「まんだら屋の良太」が審査員たちに強い衝撃を与えたが、
これは劇画であり、賞にふさわしくないという議論になる。
受賞したのは、いしいひさいちの一連のナンセンス漫画と、中村宗「サラリ君」

翌年もこの話を引きずり、
1987年の32回は該当作品なしという結果に。
翌年から1コマ&4コマのカートゥーン部門と、劇画部門の二部門制にするという結論になる。
1987年は「美味しんぼ」「釣りバカ日誌」がノミネートされていた。

二部門制という話はどこへやら。
あまりイメージを払拭するような選考結果のないまま、1990年の36回で「文春漫画賞は劇画ではなくカートゥーンを対象にする賞である」という方針で固まり、再び鎖国を始める。

劇画を拒む審査員のサトウサンペイは語る。
今や漫画といえば、世間では劇画と思うほどだから、当然、若い編集者は劇画を推してくる。しかし、結果的には劇画は候補に挙がるだけで、ついに一度も受賞しなかった」「とどのつまり、選考委員たちが世の趨勢を視界に入れながらも、カートゥーンを愛しているからに他ならないと。漫画は世俗にいて、卑に落ちず、ジャーナリズムに不可欠な誇り高き文化だと言わせてもらいたい

28回の植田まさし、31回のいしいひさいち以降は、それと似たよくあるビッグコミックに載ってそうな老人向け4コマ漫画の受賞が増え、意味不明だけど格調高そうだった初期の受賞作品も結局このレベルのものだったのかと落胆する。

38回、「爆発ディナーショー」で受賞したキャリア15年の江口寿史を、
審査員の加藤芳郎が「期待の新人」と評して漫画オンチぶりを世間に晒した。

その翌年の1993年の39回、再び「該当作品なし」に。

解説にはこうある。
突出した「文春漫画賞らしい」候補作がなく、この年は授賞なしの結果となった。「劇画」は対象にしないとの方針が定まって久しいが、この年の選考会あたりから「劇画風の漫画」「物語的構成の漫画」など、劇画と漫画のどちらとも判然としないような作品群が増えてきて選考委員を戸惑わせ、その線引きも議論になった。

おごりからくる狭い見識で漫画表現の定義を狭めようとするから、
年を追うごとに進化する漫画表現の現実に審査方針が対応できなくなっていくわけである。自分たちで自分たちの首を絞めていく様子が実に滑稽だ。

審査員の山藤章二のコメント
「漫』でいえば、〈おもしろさ〉の国民的合意はずいぶん昔になくなった。ある世代には「漫画のツポを心得たいい作品」が、別の世代には「古い、ダサい』と評され、旧世代には一体どこが面白いのかわからないような漫画が、新しい笑いの中心的存在になりつつある。〈画〉の方もしかり。描写力・デッサンカを感じさせるいわゆる「うまい絵」は敬遠されて、乱暴・不気味・幼稚・ヘタといった類いの絵が若者たちの心をつかんでいる。こういった現象をとらえて、「悪貨は良貨を……」と片づけてしまえば事は簡単だが、そうはいかないところに漫画のむずかしさがある」

ちなみに再び該当作品なしとなった39回の候補作品には、
小林よしのり「ゴーマニズム宣言」がある。

39回は1993年5月12日に決定されたとあるので、単行本の2巻の最初の方までは審査の対象になっているわけだ。1巻から同和問題など数々のタブーに切り込んでいるのに、この年以降はノミネートすらない有様。

ぶんしゅん.png

審査員は加藤芳郎(68)
小島功(65)
サトウサンペイ(64)
東海林さだお(56)
山藤章二(56)の5人。
風刺や批判の精神はどこへ行った?

文藝春秋漫画賞は2001年の47回をもって終了する。
第30回で受賞して、45回で審査員になった高橋春男は賞の書籍化に際してコメントを寄せている。

「あまりいい評判は入ってこなかった」
「毎年なんだかなあと思っていた」
「諸先輩との感覚のズレはいかんともしがたい。実に居心地が悪かった。」
「このままでは、今一番面白い作品が受賞することはまずない。と、名言を連発している。

さらにこう続く。
聞くところによると、文春漫画賞が終わるってことに反対したのはボクだけだったらしい。ボク以外の審査員のみなさんは「しかたがない・・・」ってことだって。しかたがないってどういう意味なんでしょうね。要するに役割を終えたんだ、ということなんだけど、それだったらもう十数年前に終わってるしね。

初めて該当作品なしが出た1987年のサトウサンペイのコメントも印象的である。
文春漫画賞の伝統を破るか、守るか、意見が分かれた。「時代の趨勢に取り残されるよ」と言われると、そうも思うし、「他の出版社の賞は物語ものに贈られるのだから、″少数民族″を守る文春漫画賞だけは頑張ろうよ」と言われると、そうも思うし、(後略)

今回「文藝春秋漫画賞の47年」を読んでいて、
分からないなりにも中期あたりまでの作品にはある種の楽しみがあった。
が、後期は一気に俗っぽくなる。
おじいちゃんたちが楽しめる漫画探しに付き合ってる感じだ。
少数民族も守れなかった上に、時代の趨勢にも取り残されたのである。

とはいえ審査は難しいものだと思う。
数を読むほどに比較する対象が増えて、新しいものを見る目が厳しくなる。
「鬼滅の刃」やら、「呪術廻戦」やら、若い頃のように読むことはできない。
「ドラゴンボール」や「聖闘士星矢」を理解できなかった大人たちが、今の自分なのだ。
そのことに自覚的であるかないかが重要だと思う。
そういう意味で文藝春秋漫画賞はもっと早く安楽死させるべきだったと思う。

 
最後に、漫画賞はどうあるべきか。
俺は受賞者リストを見て、漫画の歴史や流れが感じられるものであるべきだと思っていた。
文藝春秋漫画賞はそうではなかった。
審査員が良識としたほとんどの受賞作が、現在も読み継がれるタイプの漫画ではない。

読み継がれればエライんか?ということでもない。
読み継がれるのは偉いとは思うけど。
現在読まれている人気漫画が、50年後、100年後も読み継がれているだろうか?
ほとんど消えているだろう。

だから賞の意義は「宣伝」にあると思う。
何を面白いかは人それぞれだが、知られない作品は評価の対象にすらならない。
そして評価される機会が少なければ、漫画家は筆を折るしかない。
批評されるべき作品を批評の土俵に上げる。それが漫画賞の存在意義ではないだろうか。

 
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手塚、永井豪、藤子不二雄らが実名出演まんが!「ナミさまが危ない!」(芥真木/ひびきゆうぞう) [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

「離婚時代」全31巻の電子化完了&読破。
数えてみたら9ヶ月ぐらいかかった。
正直、あまり面白くなかったのだ。

「離婚時代」は、子供の頃に5巻ぐらいまで読んで面白かったのが忘れられず、近年全巻セットで購入した。数十年ぶりに続きを読んでみれば、描き手のテンションが結構早い段階で失速してる気がする。

びっくりするのが背景の作画。
作画の ひびきゆうぞうは本来めちゃめちゃ上手い人だと思う。
この女性に蛇が絡むイメージショットの迫力に衝撃を受けた。

ナミさま4.png

ところが、
10巻あたりから稚拙な背景画が増えて目を疑う。

ナミさま5.png

もちろんアシスタントの作画なのだろうが、これでOKする&修正しないのも他に類がない気がする。
人物は上手いままなので、これでもけっこう誤魔化されてしまう。
ある意味、勉強になる。

しかしだ、
こんな状態からあと20冊も漫画は続くのだから、読む方の大変さもお分かりいただけると思う。

芥真木のお話の方も、縦糸として読者の興味を引っ張る役割である主人公の男女探偵コンビの出番が早々に減っていき、エピソードの当たり外れが極端になる。最終回も最終回らしくない終わり方だった。

単行本の奥付を見ると、刊行期間は1980年から1988年の長きに渡っている。
この時代、単行本31巻というのはかなりの長期連載だ。

1988年といえば、「こち亀」が50巻に到達した年。
他にも横山光輝「三国志」が60巻で完結した年。
1988時点で魔夜峰央「パタリロ!」1988年で33巻、藤子不二雄「ドラえもん」が38巻だ。

本屋にあったら目立つだろう。
なのに子供の頃、入り浸って立ち読みしまくっていた本屋で見た記憶がない。
それはたぶん掲載誌が女性セブンというのが大きいと思う。

たびたび検索しているのだが、作者コンビの情報は少ない。
でえ、電子化終えて検索してみたら、同コンビによる「ナミさまが危ない!」という作品がKindle Unlimitedにあった。その漫画の冒頭に、手塚治虫をはじめ藤子不二雄、永井豪ら巨匠が実名で登場と書いてあるではないですか。みなもと太郎まで!
電子版を読まずにそのまま紙の本を注文しちゃいましたよ!

ちなみにシナリオの芥真木は虫プロの漫画誌「COM」出身なのだそうだ。
その辺のツテなのだろうか。

手塚治虫
ナミさま2.png

「ナミさまが危ない!」はおそらく離婚時代の前に女性セブンに連載された漫画。
離婚時代がヒットしたので単行本化されたのではないかと思う。全2巻。

藤子不二雄
ナミさま3.png

電子版の前書きによると、
当時勢いのあった少女漫画界の内幕を、しがらみのない女性週刊誌で自由に描くというコンセプトの作品なのだそうだ。

みなもと太郎!と超人ロックの人!
ナミさま1.png

読んでみるとしみじみ背景作画が良い。
離婚時代の良い時より良い。

ナミさま6.png

作画の ひびきゆうぞうとは何者なのか。
これ描いてる時点でキャリアどれぐらいなのだろうか。
作画者自ら漫画の書き方を講義するコーナーもある。

この記事を書きながら再度検索してみたら、
コンビデビュー作の「1億円の花嫁」他、いろんな作品がKindle Unlimitedで読めるようになっていた。
 

離婚時代【合本版】1 (ゴマブックス×ナンバーナイン)

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  • 出版社/メーカー: ナンバーナイン
  • 発売日: 2022/04/22
  • メディア: Kindle版



ナミさまが危ない!(1) (ゴマブックス×ナンバーナイン)

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  • 出版社/メーカー: ナンバーナイン
  • 発売日: 2021/09/10
  • メディア: Kindle版



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コスパよく貸本漫画が読める!文藝春秋「幻の貸本マンガ大全集」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

最近、古い漫画のアンソロジー(選集)が楽しい。

これまで、光文社の「少年傑作集」
文藝春秋の「漫画讀本傑作選」を紹介してきた。
名前は知ってるけど、ちゃんと読んだことはないエンシェント漫画家の作品が一挙に読める。

前回、劇画史についての資料をあれこれ読んでいると書いたが、
たとえ一作でも作品を読んだことあるないでだいぶ理解が違うと思う。

今回は、「幻の貸本マンガ大全集」を紹介。
その辺の劇画史に出てくる漫画家の作品が一挙に読めてコスパがいい!

幻の貸本マンガ大全集 (文春文庫―ビジュアル版)

幻の貸本マンガ大全集 (文春文庫―ビジュアル版)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1987/03/01
  • メディア: 文庫

 
では収録作品を紹介。

辰巳ヨシヒロ「死人の手紙」1957年
言わずと知れた劇画の立役者。関西のまんが道「劇画漂流」の主人公の作品は推理漫画。劇画漂流や短編集「TATSUMI」の暗くて陰鬱なイメージと全然違い、丸っこい絵柄でオシャレですらあるのは意外だ。漫画に映画的手法を取り入れることに躍起になっていた時期の作品だが、すでにかなり極まってる感がある。遊びが感じられなくて、少し窮屈かもしれない。

かしほん3.png

松本正彦「隣室の男」1956年
「劇画バカたち!!」を描いた松本の推理漫画。そんなことを知らずに最初に読んだ時は、なんて下手な漫画なんだと衝撃を受けた。明らかに画力が無いのにパースの効いた凝ったアングルが多い。しかし松本は後のアングレーム漫画賞ノミネート作家である。「隣室の男」は劇画漂流の中で辰巳ヨシヒロが衝撃を受け、2009年に同タイトルで復刻された際には宮崎駿ら大物が寄稿、帯の推薦文はリリー・フランキーだからもう権威に平伏してしまうわけである。手塚治虫を含めた漫画家の人気投票で7位だったこともあるそうだ。

でも、近いところにいた佐藤まさあきも「私にはよく松本の魅力が分からない。私と感覚が合わなかったのであろう。」(劇画の星をめざして)と語っているのだ。息子さんも「父は売れない漫画家だった」と証言している。

かしほん4.png

さいとうたかを「砂を咬む男」1964年
説明不要の「ゴルゴ13」の作者の作品。イメージ通りのドンパチもの。もう週刊漫画雑誌戦争たけなわの頃の作品なので、スタイルも完成してるようであまり新鮮味がない。

佐藤まさあき「みなごろしの歌」1963年
男は皆殺し、女はやりまくりという無茶苦茶なイメージのある佐藤。辰巳とさいとうと一緒に手塚治虫に認められた劇画三人衆の一人で超売れっ子だったそうだが、あまり作品は読み継がれていない気がする。貴重な劇画史の語り部であり、一人で月産600ページを描いた時期もあったという筆の早かった彼が、漫画で劇画史を語らなかったというのがなんとも惜しい気がする。収録作品の内容も、いつもの、という感じ。Kindle Unlimitedにも全盛期の作品がいっぱいある。

水木しげる「ろくでなし」1965年
説明不要の「ゲゲゲの鬼太郎」の作者。転機となる講談社に原稿を依頼された年に描かれた短編で、イメージ通りの作品である。主人公は水木漫画によく出てくるキャラクターで、辰巳ヨシヒロの兄で自身も漫画を描いていた桜井昌一がモデル。桜井も貸本出版社を経営、水木の「悪魔くん」を売り出すが、結果は芳しくなかったようだ。文庫巻末で桜井がガロの長井勝一と対談している。長く売れなかった水木だが、マガジンから声がかかるあたり、やはり見ている人は見ているものである。佐藤まさあきも貸本漫画出版社の社長として水木にたびたび原稿を依頼していた。「劇画の星をめざして」に水木の変人ぶりと、当時の苦境が描かれている。

かしほん1.png

つげ義春「おばけ煙突」1958年
わたしら世代だと「こち亀」で知った千住火力発電所の、煙突掃除職人の悲哀を描いている。おどろくのは絵柄の違いである。デフォルメされた丸っこい絵柄でイメージと全然違う!あとで知ったが、つげ義春ほど人真似して絵柄を変えてしまう漫画家もいないそうだ。それを自作の中で「盗作した」とまで言い切っている。自分が確認したところでは、手塚治虫、白土三平、永島慎二、辰巳ヨシヒロ、水木しげるの影響が感じられる。芸術性が高く敷居が高い気がする漫画家だが、「おばけ煙突」は読みやすい。こういう漫画から入っていくのもアリだと思う。実際、ここから私はつげ義春にハマってしまうのである。

かしほん5.png

白土三平「変身」1960年
言わずと知れた貸本漫画界のトップランナー。辰巳が一枚何百円で描いていた時代、つげの証言によると「小学館と白土の契約で億というカネが動く」だったのだそうだ(劇画暮らし)。水木しげるは数人の貸本漫画家にスパゲッティを奢れる経済力がすごいと漫画に描いていた(水木しげる伝3巻)忍者武芸帳が始まった翌年の作品で、容姿が蛍火そっくりで、名前が影丸の妹と同じ「あけみ」という女忍者が主人公。ちょっとどうかと思う。

平田弘史「帰参」1963年
濃い時代劇漫画家なので、あまりちゃんと作品は読んだことはないが、「帰参」を読むとやはり上手いなあと思う。貸本漫画家だった知人と偶然会ったことをきっかけに、配管工からジョブチェンジ。佐藤まさあきと同居していた時期があり、「劇画の星をめざして」でも出番が多い。初対面の印象は悪かったそうだが、作品を読んだら佐藤もすぐにファンになってしまったとこと。

平田は描いたセリフを必ず大声で音読してチェックしていたそうだ。
女性のセリフも声色を使っており、聞いた佐藤まさあきは平田が乱心したと思ったという。
以下のネームもやはり音読していたのだろう。

かしほん2.png

楳図かずお「くも妄想狂」1963年
言わずと知れた「まことちゃん」「漂流教室」の漫画家。これもイメージ通り。佐藤まさあきが同居していた時代のことを「劇画の星をめざして」に詳しく描いている。性格が子供っぽく、今の時代だったら迷惑YouTuberとかになっていたのではないだろうか。佐藤の兄にマネージメントを任せていた時期がある。

巴里夫「ひとみが四つ」初出年不明
少女漫画なのだが、そういうジャンルも貸本漫画にあったのかと感心する。いそじましげじ名義で、早くから上京した貸本漫画家としてよく劇画史本に出てくる。

K・元美津「殺人時間割」1959年
氷を作れる最新型の冷蔵庫が登場する推理漫画。のちにさいとうプロに所属して「ゴルゴ13」の脚本などを手がけた漫画家だという。擬音にアメコミの影響が見られる。

以上、読んだ劇画史で出番の多い漫画家を中心に紹介させていただいた。
「幻の貸本マンガ傑作選」には他に以下の漫画作品が掲載されている。

滝田ゆう「只今禁煙中(カックン親父)1962年
ありかわ栄一(園田光慶)「ある乗客」1963年
小島剛夕「湯島妻恋坂」1964年
山本まさはる「カチン!ときたね」1963年
永島慎二「びんぼうな、マルタン(漫画家残酷物語)1964年
いばら美喜「人花火」1964年
矢代まさこ「カラス猫が鳴く」1962年
石川フミヤス「青い海」1966年
影丸譲也「電話が鳴る時…」1964年



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