エロ表現抗議の行き着く先とは。炎上「骸骨騎士様、只今異世界へお出かけ中」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
前回、アート作品の写真を引用したら、
Twitterからセンシティブだと初めて警告喰らった。
ようするにセンスがアレだと。セブンセンシティブだと。
世界が認めた高額アートなのに。。。
とあるアニメの動画をフェミニストが拡散して議論を巻き起こしている。
これをタイムラインにリポストして流すってのも大概だな。
こういうのはハレンチ学園の時代から、宣伝にしかならないのに。
(画像は土田世紀「編集王」14巻)
調べてみたら、
そのアニメは「骸骨騎士様、只今異世界へお出かけ中」というなろう小説が原作だった。
去年の6月までローカル局の深夜に放送されてたらしい。全然知らなかった。
…ゾーンニング完璧なのでは?
U-NEXTで本編を見ることができた(ほら宣伝になってる)。
問題のシーンのあとすぐ悪人の行為は未遂に終わり、
正義の味方が登場して、悪人が盛大にぶっ殺されるというお決まりの展開になる。
こういう奴らはぶっ殺されて当然と思うのでスカッとする。
乱暴シーンというのは
「ジェットコースタードラマ」と呼ばれたTV番組が流行った30年ぐらい前に、めちゃくちゃ量産されていたイメージがある。漫画だとスピリッツで、国友やすゆき、六田登、原秀則とかやたら見た印象。その辺は安易で陳腐で辟易すると当時思っていた。
近年、本宮ひろ志の漫画で、飢えた主人公が物語の開始早々に腰の曲がった婆さんを襲うというシーンがあって(未遂)衝撃を受けた。男はこれぐらい危険だよと普段から啓蒙しておけば、その気もないのに深夜に男の部屋に行くなんて女性も減ることでしょう。
今回フェミニストの目に止まったのは、
オタクっぽく脚色された演出が許せんということなのだろう。
ありふれた展開だからバリエーションが色々できるわな。
正直言って作品に興味を惹かれないので、悪人が退治されたあと試聴は中断したのだが、
アニメーションとしてはよく出来ていると思う。
作品のオープニング部分なので、腕のあるアニメーターを使って気合を入れて作画しているのだろう。
問題のシーンは深刻さが足りないからダメという意見もある。
じゃあ、お殿様が腰元の帯をグルグル回すのも禁止だな!
ところで、
仮にこのアニメが不健全だと取り締られたとして、抗議する人の戦いは終わるのか。
終わらない。
このあいだ、戦後初の摘発されたワイセツ漫画、
横山泰三の「噂の皇居前広場」について書いたけども、
ブログで初めて知った人は「え?これで?」と思った人が多かったのではないか。
さらにキスシーンを描いて批判が殺到したという手塚治虫の「拳銃天使」がこれ。
1958年連載開始の上田としこ「お初ちゃん」は男女の不純異性交遊をそそのかす有害漫画だとして、全国青少年育成父母の会から糾弾された。(画像は村上もとか「フイチン再見!」9巻)
エロ表現に慣れていないと、
こんなレベルでもワイセツに思えてしまうものなのだ。
(画像は鳥山明「ドラゴンボール」2巻)
取り締まって取り締まって、
最終的には辞書のエロい文字を見てコーフンする人もいるので禁止されることになるだろう。
「強姦」という文字があるから、真似する人が出てくるんだ!という考え、一理ある。
(画像は桜玉吉「しあわせのかたち」)
まあツイッターフェミニストは、
最終的にこの世からエロを一掃するのが目標、
異性に欲情しない世の中を目指しているのだから問題ないか。
こんど聞いてごらん。「そうだよ」って言うから。
「男女七歳にして席を同じうせず」という、戦前の価値観すら通過点。
自由恋愛なんてはしたない。親が決めた相手とお見合いするもんだという流れに逆戻りするのだろう。
歴史は繰り返す。
考えてみると不思議である。
わたしゃ有名フェミニスト仁藤夢乃さんの「難民高校生」を読んだ(おじいちゃんが死ぬシーンで泣いたりもした)ことがあるのだが、それ読んだ限りでは、彼女は親や学校の先生の言いつけなんか守る人ではなく、盛場に出入りしてかなり際どいこともしながら自由を謳歌していた人であったという。
アルテイシアさんも、峰なゆかも、瀧波ユカリも、俺レベルから見たらかなり性経験が進んだ人たちである。そういう人たちが親の年齢になると、かつて反発した人たちと同じようなことを言い出してしまうのは奇妙な傾向である。
以前ブログに、
「モテる仕草というのは男尊女卑的でセクハラ的なものであるから、フェミニズムと相性が悪い」みたいなことを書いた。やはり恋愛の第一線から退いた「加齢」というのがツイッターフェミニズムに傾倒していく要因なのだろう。
最初にショックを受けたエロシーンが性癖としてインプットされる、
俗に言う「第一撃」になったらどうすんだと言う話もある。
実際トラウマになることもあるのだろうが、あまり俺は信用していない。
(画像は弘兼憲史「課長島耕作」7巻)
親があんまりだと思って隠していたエロ劇画を、
保育園だったか幼稚園だったかの頃、しっかり見つけ出して読んでいた。
とにかく漫画と呼ばれるものは手当たり次第読んでいたのである。
最近それが、小池一夫/池上遼一の「アイウエオボーイ」だと判明した。
相当過激な内容である。間違っても保育園幼稚園児に与えていけないと思う。
で、
そのアイウエオボーイに描かれていたように、
いま女性を縛ることに興奮するかといえば、全然そんなことはない。
さらに言えば自分がセックスという概念を認識したのは中学生の頃。
周囲より全然遅れていた。
姉が腐女子で、
家に友達を招いて同人誌を作っていたので、「男だけがエロ漫画を描くのだ」というツイッターフェミニストにありがちな女性蔑視もない。のちにその腐女子の彼女らが性犯罪を犯したと言う話も、ツイッターフェミニストになったという話も聞かない。
エロ漫画を描いていた漫画家の子供が、
どう親の漫画に向き合ったかという話は面白い。
1991年に青少年保護育成条例で有害コミック指定を受けた山本直樹の娘の話が、田中圭一の「ペンと箸」に掲載されている。
本宮ひろ志「実録たかされ」では、子供がいじめにあっていたが、本人が自分の力でそれを乗り越えていたという本宮の家庭の話が明かされる。
浪花愛の「来訪者シリーズ」の同人誌版(来訪者同人スペシャル21)では、
長男が「お母さんが男同士のえっちな漫画を描くのは嫌だなあ」と父親に本音を吐露するシーンが印象的。
※画像リンクは商業誌版
話をまとめる。
問題になったアニメのシーンは、あまりツイッターには出してくれるなとは思う。
世の中はどうせ規制の方向に向かうのだろうから、それを悪戯に早めてしまうのは好ましくない。
しかし動画としては良い仕事をしてるなとは思う。
この類は春画のように、後世に一定の評価を得るジャンルになるのかもしれない。
春画には江戸時代に生きていた人間の生々しいリアル、本音がある。
スケベを描かないということは、人間の本質を描かないということでもある。
ツイッターフェミニストは良識しか描いてはダメだという論調になりがち。
漫画は娯楽であり、息抜きであり、リラックスできるものである。
意識高いものを書けば、世の中の評価も比例して高くなるだろうという考えは無責任で単純すぎる。
結局のところ、
異性に対する興味が全てなのではないかと最近思ったりもする。
(画像は土田世紀「編集王」5巻)
作品に散見される涙ぐましい仕込みの努力。
それを軽く全否定するアルテイシアさんとか特に憤りを覚える。
かつてはエロエロキャンディとか歌ってた人なのにね。
そのうちキャンセルカルチャーに熱心な人を、
キャンセルカルチャー全開で追い落とす記事を書いてみたいと思っている。
Twitterからセンシティブだと初めて警告喰らった。
ようするにセンスがアレだと。セブンセンシティブだと。
世界が認めた高額アートなのに。。。
とあるアニメの動画をフェミニストが拡散して議論を巻き起こしている。
これをタイムラインにリポストして流すってのも大概だな。
こういうのはハレンチ学園の時代から、宣伝にしかならないのに。
(画像は土田世紀「編集王」14巻)
調べてみたら、
そのアニメは「骸骨騎士様、只今異世界へお出かけ中」というなろう小説が原作だった。
去年の6月までローカル局の深夜に放送されてたらしい。全然知らなかった。
…ゾーンニング完璧なのでは?
U-NEXTで本編を見ることができた(ほら宣伝になってる)。
問題のシーンのあとすぐ悪人の行為は未遂に終わり、
正義の味方が登場して、悪人が盛大にぶっ殺されるというお決まりの展開になる。
こういう奴らはぶっ殺されて当然と思うのでスカッとする。
乱暴シーンというのは
「ジェットコースタードラマ」と呼ばれたTV番組が流行った30年ぐらい前に、めちゃくちゃ量産されていたイメージがある。漫画だとスピリッツで、国友やすゆき、六田登、原秀則とかやたら見た印象。その辺は安易で陳腐で辟易すると当時思っていた。
近年、本宮ひろ志の漫画で、飢えた主人公が物語の開始早々に腰の曲がった婆さんを襲うというシーンがあって(未遂)衝撃を受けた。男はこれぐらい危険だよと普段から啓蒙しておけば、その気もないのに深夜に男の部屋に行くなんて女性も減ることでしょう。
今回フェミニストの目に止まったのは、
オタクっぽく脚色された演出が許せんということなのだろう。
ありふれた展開だからバリエーションが色々できるわな。
正直言って作品に興味を惹かれないので、悪人が退治されたあと試聴は中断したのだが、
アニメーションとしてはよく出来ていると思う。
作品のオープニング部分なので、腕のあるアニメーターを使って気合を入れて作画しているのだろう。
問題のシーンは深刻さが足りないからダメという意見もある。
じゃあ、お殿様が腰元の帯をグルグル回すのも禁止だな!
ところで、
仮にこのアニメが不健全だと取り締られたとして、抗議する人の戦いは終わるのか。
終わらない。
このあいだ、戦後初の摘発されたワイセツ漫画、
横山泰三の「噂の皇居前広場」について書いたけども、
ブログで初めて知った人は「え?これで?」と思った人が多かったのではないか。
さらにキスシーンを描いて批判が殺到したという手塚治虫の「拳銃天使」がこれ。
1958年連載開始の上田としこ「お初ちゃん」は男女の不純異性交遊をそそのかす有害漫画だとして、全国青少年育成父母の会から糾弾された。(画像は村上もとか「フイチン再見!」9巻)
エロ表現に慣れていないと、
こんなレベルでもワイセツに思えてしまうものなのだ。
(画像は鳥山明「ドラゴンボール」2巻)
取り締まって取り締まって、
最終的には辞書のエロい文字を見てコーフンする人もいるので禁止されることになるだろう。
「強姦」という文字があるから、真似する人が出てくるんだ!という考え、一理ある。
(画像は桜玉吉「しあわせのかたち」)
まあツイッターフェミニストは、
最終的にこの世からエロを一掃するのが目標、
異性に欲情しない世の中を目指しているのだから問題ないか。
こんど聞いてごらん。「そうだよ」って言うから。
「男女七歳にして席を同じうせず」という、戦前の価値観すら通過点。
自由恋愛なんてはしたない。親が決めた相手とお見合いするもんだという流れに逆戻りするのだろう。
歴史は繰り返す。
考えてみると不思議である。
わたしゃ有名フェミニスト仁藤夢乃さんの「難民高校生」を読んだ(おじいちゃんが死ぬシーンで泣いたりもした)ことがあるのだが、それ読んだ限りでは、彼女は親や学校の先生の言いつけなんか守る人ではなく、盛場に出入りしてかなり際どいこともしながら自由を謳歌していた人であったという。
アルテイシアさんも、峰なゆかも、瀧波ユカリも、俺レベルから見たらかなり性経験が進んだ人たちである。そういう人たちが親の年齢になると、かつて反発した人たちと同じようなことを言い出してしまうのは奇妙な傾向である。
以前ブログに、
「モテる仕草というのは男尊女卑的でセクハラ的なものであるから、フェミニズムと相性が悪い」みたいなことを書いた。やはり恋愛の第一線から退いた「加齢」というのがツイッターフェミニズムに傾倒していく要因なのだろう。
最初にショックを受けたエロシーンが性癖としてインプットされる、
俗に言う「第一撃」になったらどうすんだと言う話もある。
実際トラウマになることもあるのだろうが、あまり俺は信用していない。
(画像は弘兼憲史「課長島耕作」7巻)
親があんまりだと思って隠していたエロ劇画を、
保育園だったか幼稚園だったかの頃、しっかり見つけ出して読んでいた。
とにかく漫画と呼ばれるものは手当たり次第読んでいたのである。
最近それが、小池一夫/池上遼一の「アイウエオボーイ」だと判明した。
相当過激な内容である。間違っても保育園幼稚園児に与えていけないと思う。
アイウエオ ボーイ I・餓男ボーイ 全8巻完結セット(文庫版) [マーケットプレイス コミックセット]
- 出版社/メーカー:
- メディア: コミック
で、
そのアイウエオボーイに描かれていたように、
いま女性を縛ることに興奮するかといえば、全然そんなことはない。
さらに言えば自分がセックスという概念を認識したのは中学生の頃。
周囲より全然遅れていた。
姉が腐女子で、
家に友達を招いて同人誌を作っていたので、「男だけがエロ漫画を描くのだ」というツイッターフェミニストにありがちな女性蔑視もない。のちにその腐女子の彼女らが性犯罪を犯したと言う話も、ツイッターフェミニストになったという話も聞かない。
エロ漫画を描いていた漫画家の子供が、
どう親の漫画に向き合ったかという話は面白い。
1991年に青少年保護育成条例で有害コミック指定を受けた山本直樹の娘の話が、田中圭一の「ペンと箸」に掲載されている。
本宮ひろ志「実録たかされ」では、子供がいじめにあっていたが、本人が自分の力でそれを乗り越えていたという本宮の家庭の話が明かされる。
浪花愛の「来訪者シリーズ」の同人誌版(来訪者同人スペシャル21)では、
長男が「お母さんが男同士のえっちな漫画を描くのは嫌だなあ」と父親に本音を吐露するシーンが印象的。
※画像リンクは商業誌版
話をまとめる。
問題になったアニメのシーンは、あまりツイッターには出してくれるなとは思う。
世の中はどうせ規制の方向に向かうのだろうから、それを悪戯に早めてしまうのは好ましくない。
しかし動画としては良い仕事をしてるなとは思う。
この類は春画のように、後世に一定の評価を得るジャンルになるのかもしれない。
春画には江戸時代に生きていた人間の生々しいリアル、本音がある。
スケベを描かないということは、人間の本質を描かないということでもある。
ツイッターフェミニストは良識しか描いてはダメだという論調になりがち。
漫画は娯楽であり、息抜きであり、リラックスできるものである。
意識高いものを書けば、世の中の評価も比例して高くなるだろうという考えは無責任で単純すぎる。
結局のところ、
異性に対する興味が全てなのではないかと最近思ったりもする。
(画像は土田世紀「編集王」5巻)
作品に散見される涙ぐましい仕込みの努力。
それを軽く全否定するアルテイシアさんとか特に憤りを覚える。
かつてはエロエロキャンディとか歌ってた人なのにね。
そのうちキャンセルカルチャーに熱心な人を、
キャンセルカルチャー全開で追い落とす記事を書いてみたいと思っている。
う~ん、随分と感情的な意見ですね。
女性を暴行するシーンについてのアニメ批判は、一般的な常識からしたら当然です。どの世代層もこれは批判していましたよ。
批判について反論しているのは、いわゆるオタクの中年男性や高齢男性くらいでしたし。
しかも反論しているとはいえ
『男がボコボコに殴られた挙げ句、性的暴行受ける』シーンが地上派アニメで流されたら、男性逹こそ「男性差別だ!」と騒ぎそうですが。
あと、性犯罪の解釈も違いますね。
性犯罪のデータでは、男の加害者が99%を占めています。
女性の性犯罪者は1%未満です。
エロ漫画と性犯罪の関連はなく
単に性別(性差)かと。
by 理論派 (2023-12-13 13:51)
なるほど、私が感情的であなたが理論派。
私が暴行シーンに肯定的。
そう読めたんですね。
で、みんながそう言ってるから、というのがあなたの意見ですか。
by hondanamotiaruki (2023-12-14 00:14)