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漫画オンチの大物漫画家の挫折、峯島正行「近藤日出造の世界」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

「劇画」とは何か。
複雑な線、暗い作風、セックス&バイオレンスというのが大方のイメージだろう。
劇画宣言の中心人物である辰巳ヨシヒロの考えは違う。

辰巳ヨシヒロ「劇画漂流」上巻の378-379ページの見開きに注目されたい。
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「コマによって情報量を変えることで、
 読者の読むスピードを場面によって上げたり下げたりさせ臨場感を出す」

という理論が根底にあるというのが私の理解である。
だから、それ以前の漫画はそうではなかったという認識がまず必要。
そんな当たり前の文法が、邪道だとして非難の対象になった時期があったのである。
つまり劇画によって、漫画は漫画になったのだ。

 
※ちなみに1975年に手塚治虫が「ブッダ」等で悲願の文春漫画賞(風刺漫画を対象とした賞)を受賞したとき、選考委員の横山泰三は手塚治虫について「氏は劇画の権威ではあるが」と前置きしている。
 

劇画旋風がさらに強まった1964年のことである。

「なぜ劇画の連中がいるんだ。劇画なんて漫画じゃないんだ。君たちは別に漫画家協会を作ればいいんだ」

めでたい漫画家協会創設のパーティーにて、
初代理事の近藤日出造(こんどうひでぞう)はこう言い放ったという。

言われた劇画漫画家の辰巳ヨシヒロらは小さくなるしかなかった。劇画暮らし
当時の漫画界のボス的存在であった近藤日出造ですら、劇画への認識はこんなものだった。

さらに言えば、近藤日出造は激変する漫画の状況を、全く理解出来ていなかった。
「最近の漫画はダメになった」みたいな、いつの世もありがちな認識に陥って一歩も抜け出せなかった。
そのことが日出造の晩年の没落を加速させるのである。

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(画像は小林よしのり「ゴーマニズム宣言」4巻。 ここで言う「今」とは1994年の事である)

近藤日出造とはなんなのか。
峯島正行「近藤日出造の世界」を読んで、めちゃくちゃ面白かったので紹介したい。


近藤日出造の世界 (1984年) (青蛙選書〈66〉)

近藤日出造の世界 (1984年) (青蛙選書〈66〉)

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まず日出造は どんな漫画を描いていたのか。
藤子不二雄の名作「まんが道」には似顔絵描きの達人と説明されている人である。
師匠は岡本太郎の父、岡本一平
当時、大ベストセラーになった一平全集の制作に関わったことで日出造は画力をつけたと言われる。

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現在読み継がれている作品が特にない。
やはり似顔絵、風刺画の人である。今の感覚で言ったらイラストレーターなのでは。
吹き出し&コマで表現する漫画は少し描いたぐらいで、向いてないと思ったのか諦めたらしい。

感心するのはインタビューの上手さだ。
映画俳優の片岡千恵蔵に会いに行った時のことである、
悪気なく日出造が言った「お若いですね」ひとことで千恵蔵がキレだし、「帰れ」「帰らない」の口論になる。なんと日出造は、そのやりとりをそのまま掲載させた。大評判になったらしい。

右翼の巨頭・黒幕的存在と見られた頭山満に話を聞きに行ったこともある。
「どうしたらこんないい暮らしができるんですか。私も座って人をアゴで使っていい暮らしがしたい。教えてください。」と日出造が言うと、「痛いとこ突きよる」と頭山は答えたという。(後で頭山の信奉者から脅迫状がきた)

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ここだけ見ると気骨の、反権力の人を想像してしまう。
しかし日出造30代のころ、日本は軍国主義の世を迎える。

その時の日出造の態度がどういったものであったのかは細かく考察しなければいけないものであるが、とりあえずドラマチックに「戦争反対!」と叫んで投獄されたりはしていない。戦後、軍部に尻尾を振った漫画家としてたびたび批判されたことは確かである。

疎開するような段階になって初めて日出造は、
この戦争はダメかもしれないと思ったというから、日出造の感覚もダメかもしれない。
まあこの辺は、当時の日本人の普通の感覚だったのだろう。

日出造は風刺漫画家なだけに政治を語る。
しかし村松剛に言わせると「床屋政談レベル」なのだそうだ。

それが逆に庶民感覚と一致したのだろうか。
戦後はテレビのトークショーにも出演して好評。
文化人としても一流。漫画の仕事も安泰だった。

現在の漫画好きにはなかなか理解し難いことなのだが、戦後もしばらくは漫画と言えば風刺漫画のことだったそうだ。それが1959年、辰巳ヨシヒロの「劇画宣言」をきっかけに、一変する。手塚治虫フリークだった辰巳が、子供漫画の1ジャンルであったストーリー漫画を進化させる形で劇画を提唱。これが爆発的に読者に支持され、風刺漫画家や、古い子供漫画を描いていた作家は駆逐されていく。

風刺漫画初の週刊誌として創刊された週刊漫画サンデー(週刊少年サンデーでは無い)初代編集長であり、のちに「近藤日出造の世界」を執筆する峯島正行は、日出造に危機を訴えた。結局、峯島が編集長を降りた後の漫画サンデーも、劇画路線になってしまう運命にあった。

そんなご時世だったが、日出造は取り合わない。

「ナンセンス漫画は押し込まれて無くなるようなチャチなものじゃない。
 現に俺も杉浦横山も、仕事がありすぎて徹夜しても間に合わない。
 実力のある漫画家は生きていける。」

だが、何か心に引っかかるものがあったようである。
近藤日出造はかつて編集統括者として発行していた雑誌「漫画」を復刊させる。
1967年のことである。

日出造のコンセプトはこうだ。
「100人いたら真に面白い漫画を解る読者は5人。あとの95人は相手にしない!」

奇しくも前年に手塚治虫が「まんがエリートのためのまんが専門誌」、「COM」を創刊したばかりである。

驚くのは、それで3、40万部売れると日出造は見込んでいたというのだ。
風刺漫画雑誌の老舗、「漫画讀本」ですら最盛期に30万部らしい。
その漫画讀本も3年後に休刊するのが当時の漫画業界である。
とんでもないボケっぷりだ。

さらに日出造が起用した漫画家はベテランの風刺漫画家ばかりで新人がいなかった。
峯島は、戦前の雑誌「漫画」がそのまま蘇ったようだと戦慄した。

雑誌のフォーマットが、大型A4サイズで高級な紙を使い60ページの薄さ。
当時の本屋さんが取り扱いに困るサイズだったという。

返本が3割超えるような雑誌は作らないと豪語する日出造だったが、五万部印刷して7000部しか売れなかった。じゃあ一万部刷ればいいんじゃねと減らしてみれば、今度は2000部しか売れなかったという。日出造の雑誌は1年保たなかった。スポンサーが用意した資金を遥かに超える、2000万円が負債として残った。

そしてその翌年、風刺漫画家を育成すべく作られた日本初の漫画専門学校、「東京デザインカレッジ」が4年で廃校に。2億とも7億とも言われる常識外れな負債を、連帯保証人のハンコをついていた風刺漫画家たちが背負うことになった。「近藤日出造の世界」によると、廃校で日出造がかぶった負債は3000万円だという。

タイミング悪く、日出造の長期連載も次々と終了していった。
借金を返すために、日出造は漫画を使ったPRを請け負う会社を作る。

「漫画」のアンケートハガキを、あの笹川良一が書いてきたことから営業をかけにいった。

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(画像は、意外な大物がアンケートハガキを書いてきた「ドラゴンクエストへの道」

そしたら話に自民党まで乗り出してきて、仕事につながる。

会社というものは権威が大好きである。
一流文化人として知られていた日出造は、そうやって仕事を受注していった。
その中には原発をPRする仕事もあり、日出造の死後に起こったチェルノブイリ原発事故によって、悪い意味で日出造に注目が集まったりもした。

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(画像は「図説 危険な話」

「原子力の構造は普通の人には分からないのだから、専門家に任せなさい。」
こんなコメントを、日出造は広告に寄せたりもしていた。

日出造が死んだ時、借金はまだ4万円残っていたという。

日出造の死後、辰巳ヨシヒロは「週刊読売」から原稿の依頼をされる。
その編集長は日出造の息子、汎(ひろし)だった。
商家の跡取りと見込まれ、進学が許されず生涯学歴コンプレックスを負った日出造にとって、東大を出た汎は自慢の息子だった。

そんな息子から見た父・日出造は、
家族が重たい家具を動かしていても我関せずと新聞を読み耽るような人柄だったという。

夜遊びの酒も付き合いで飲むというほどで、仲間からはからかわれるほど女遊びもしなかった日出造だが、愛人に夢中になり、妻に離婚を迫ったこともあった。妻は自身が敵わないと思った漫画家、横山隆一の妹である。

嘱託社員として雇用された読売新聞に、その愛人を秘書として出入りさせることも許されるほど大家であり、溺れていた日出造だったが肉体関係は無く、愛人にもその辺に葛藤があったという。そういうことは結婚してからだという考えがあったのだろう。

「手を握るだけでドキドキした」
いい大人が、漫画家仲間にそんなことを語っていたという。

師匠の岡本一平に言われた言葉、
「カタグソ(硬糞)になるなよ」を、日出造は生涯の教訓としていたが、とにかく融通の効かない人だったようだ。

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(画像は村上もとか「フイチン再見!」2巻に登場する近藤日出造)
 
流行った漫画が一過性で終わることもあるだろう。
しかし若い人には若い人の漫画があり、それが漫画の未来を作っていくことを心に留めておかないといけないと思う。

50年後は、スマホで始まった縦読み漫画が当たり前の世の中になり、紙で漫画を読むなんて理解出来ない時代になっていてもおかしくない。

あなたは今現在、近藤日出造になってない自信があるだろうか。

 

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ネスカフェ

近藤日出造の生き方ですが、世間的に見れば没落なんでしょうが、なんか記事を読んでいて逆に「純粋で人間らしい」と感じてしまいましね。

たしかに劇画に対する否定的な面はアレですが、晩年の失策は自分の信じた道を突き進んだ不器用さがかえって共感を覚えてしまいますね。それだけ自分のマンガに対する信念が揺らがなかったのかと。

もっともやくみつるとか石坂ケイとかいしかわじゅんとか、どうしようもない連中が器用に立ち回って生きている現実を目の当たりにしているので、神々しく見えてしまったきらいもありますが。
by ネスカフェ (2023-12-02 12:59) 

hondanamotiaruki

かなり面白い本です「近藤日出造の世界」。

リベラルな父親に育てられ使用人と一緒に同じものを食べる生活をしていたら、丁稚奉公始めて世の中の現実を見て苦労した話とか。頭山満とのやりとりの数日後の宴席で、頭山の前で裸踊りをさせられる漫画家を見て、当時の漫画家の役割を思い知らされる話とかも紹介したかった!

ドラマになりそうな生き方してるけどヒーローじゃない。
挫折した風でもあるが勝ち逃げした感もある。
童貞くさいけど誰よりも大人な世渡りをした。
複雑ではないけど分かりやすくもないキャラクター。それが日出造。
by hondanamotiaruki (2023-12-03 13:43) 

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