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消えた漫画賞「文藝春秋漫画賞の47年」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

今や漫画アニメは日本が誇る文化なのに、
アメリカのアカデミー賞やグラミー賞的なものが無いのか疑問に思ったことはないだろうか。
今年はどの漫画が獲るのか、米映画のように前哨戦とか賞レースとか話題にする漫画マニアを見たことがない。

ところで、
むかし文藝春秋漫画賞という漫画賞があったことを最近知った。
審査員が老害化し、いい加減な審査をおこなうようになった結果、潰れたのだという。
ちょっと興味を持って受賞者リストを調べてみたら、知らない漫画家ばかりで驚く。

第10回までの受賞者はこんな感じのメンツだ。

1955 谷内六郎 『行ってしまった子』
1956 杉浦幸雄 戦後の一連の風俗漫画
1957 加藤芳郎 『芳郎傑作漫画集』
1958 久里洋二 『久里洋二漫画集』
1959 長新太 『おしゃべりなたまごやき』
1960 荻原賢次 一連の時代漫画
1961 岡部冬彦 『アッちゃん』『ベビー・ギャング』
1962 長谷川町子 『サザエさん』
1963 六浦光雄 銅版画風のルポルタージュ

仮にも一流出版社の漫画賞である。
そこで選ばれた漫画家が、ここまで残ってないというのはどういうことなのだろうか。

おそらくほとんどの人が、長谷川町子ぐらいしか引っかからないだろう。
他はギリギリ、加藤芳郎ぐらいだろうか。
漫画家としてではなく、むかしのTV番組「連想ゲーム」に出てたタレントとして。

その加藤芳郎こそが、
のちの老害化して賞の終焉を象徴する審査員になるのである。
それはこないだブログに書いた。

ブログに書くためにあれこれ調べていて、
その文藝春秋漫画賞の軌跡が一冊の本になってることがわかった。
タイトルは「文藝春秋漫画賞の47年」定価5429円+税である。すごい力技だ。
取り寄せずにはいられない。

文芸春秋漫画賞の47年

文芸春秋漫画賞の47年

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2002/12/01
  • メディア: 単行本

文藝春秋漫画賞は、
風刺漫画雑誌「漫画讀本」が文藝春秋社から刊行されていた流れでできた賞のようだ。
なので、初期の傾向としては当然風刺漫画、そしてアートっぽい作品が選ばれている。

1979年の第25回の受賞は島添昭義の「動くイラスト・木造玩具」。
これは漫画だろうかという疑問はある。非常に興味を引くけれど。
今ならYouTubeで動いてるところが見られるかなと思ったが、そうはなってない。
ネットを検索しても作者の情報は極めて少ない。どういうことなのだろうかこれは。

1976年の第22回の武田秀雄「もんもん」はかっこいいと思う。
図録を購入してしまった。やはり武田秀雄の情報はネットに少ない。
ちなみにこの年に武田と同時に受賞したのが園山俊二「ギャートルズ」である。


漫画の神様、手塚治虫は1965年に「鉄腕アトム」落選
1968年にも漫画讀本に載せた風刺漫画「われ泣きぬれて島と」で落選
1975年の第21回で「ブッダ」「動物つれづれ草」でようやく受賞している。

ちなみに授賞式に手塚が招いた漫画家は、さいとうたかを佐藤まさあき辰巳ヨシヒロの劇画漫画家として知られる3名のみだった。後輩を薫陶したととれば感動的な話だが、劇画漫画家に苦しめられた手塚治虫の復讐とする見方もできると思う。

 
終戦が1945年。
そして劇画宣言が1957年。
大まかに言うとこの1957年以前の漫画は、大人向けの風刺漫画と、子供漫画の2ジャンルに分類される。

漫画讀本の創刊が1954年。
文藝春秋漫画賞の設立が1955年。
劇画ブームのきっかけとなった手塚治虫のW3事件が1965年。

劇画の定義は様々だが、ようするに劇画とはこんにちの漫画そのものだ。
つまり文藝春秋漫画賞は、設立10年目以降からその存在意義を問われていくわけである。

「劇画なんて漫画じゃない」
…と言い放った近藤日出造の名前が審査員の中に出てくるのは1967年の第13回が最後。
近藤が審査員を降りた理由はさだかではないが、この辺から彼の没落も始まっていたようである。そのうち記事にしたい。

1986年の31回、
畑中純の「まんだら屋の良太」が審査員たちに強い衝撃を与えたが、
これは劇画であり、賞にふさわしくないという議論になる。
受賞したのは、いしいひさいちの一連のナンセンス漫画と、中村宗「サラリ君」

翌年もこの話を引きずり、
1987年の32回は該当作品なしという結果に。
翌年から1コマ&4コマのカートゥーン部門と、劇画部門の二部門制にするという結論になる。
1987年は「美味しんぼ」「釣りバカ日誌」がノミネートされていた。

二部門制という話はどこへやら。
あまりイメージを払拭するような選考結果のないまま、1990年の36回で「文春漫画賞は劇画ではなくカートゥーンを対象にする賞である」という方針で固まり、再び鎖国を始める。

劇画を拒む審査員のサトウサンペイは語る。
今や漫画といえば、世間では劇画と思うほどだから、当然、若い編集者は劇画を推してくる。しかし、結果的には劇画は候補に挙がるだけで、ついに一度も受賞しなかった」「とどのつまり、選考委員たちが世の趨勢を視界に入れながらも、カートゥーンを愛しているからに他ならないと。漫画は世俗にいて、卑に落ちず、ジャーナリズムに不可欠な誇り高き文化だと言わせてもらいたい

28回の植田まさし、31回のいしいひさいち以降は、それと似たよくあるビッグコミックに載ってそうな老人向け4コマ漫画の受賞が増え、意味不明だけど格調高そうだった初期の受賞作品も結局このレベルのものだったのかと落胆する。

38回、「爆発ディナーショー」で受賞したキャリア15年の江口寿史を、
審査員の加藤芳郎が「期待の新人」と評して漫画オンチぶりを世間に晒した。

その翌年の1993年の39回、再び「該当作品なし」に。

解説にはこうある。
突出した「文春漫画賞らしい」候補作がなく、この年は授賞なしの結果となった。「劇画」は対象にしないとの方針が定まって久しいが、この年の選考会あたりから「劇画風の漫画」「物語的構成の漫画」など、劇画と漫画のどちらとも判然としないような作品群が増えてきて選考委員を戸惑わせ、その線引きも議論になった。

おごりからくる狭い見識で漫画表現の定義を狭めようとするから、
年を追うごとに進化する漫画表現の現実に審査方針が対応できなくなっていくわけである。自分たちで自分たちの首を絞めていく様子が実に滑稽だ。

審査員の山藤章二のコメント
「漫』でいえば、〈おもしろさ〉の国民的合意はずいぶん昔になくなった。ある世代には「漫画のツポを心得たいい作品」が、別の世代には「古い、ダサい』と評され、旧世代には一体どこが面白いのかわからないような漫画が、新しい笑いの中心的存在になりつつある。〈画〉の方もしかり。描写力・デッサンカを感じさせるいわゆる「うまい絵」は敬遠されて、乱暴・不気味・幼稚・ヘタといった類いの絵が若者たちの心をつかんでいる。こういった現象をとらえて、「悪貨は良貨を……」と片づけてしまえば事は簡単だが、そうはいかないところに漫画のむずかしさがある」

ちなみに再び該当作品なしとなった39回の候補作品には、
小林よしのり「ゴーマニズム宣言」がある。

39回は1993年5月12日に決定されたとあるので、単行本の2巻の最初の方までは審査の対象になっているわけだ。1巻から同和問題など数々のタブーに切り込んでいるのに、この年以降はノミネートすらない有様。

ぶんしゅん.png

審査員は加藤芳郎(68)
小島功(65)
サトウサンペイ(64)
東海林さだお(56)
山藤章二(56)の5人。
風刺や批判の精神はどこへ行った?

文藝春秋漫画賞は2001年の47回をもって終了する。
第30回で受賞して、45回で審査員になった高橋春男は賞の書籍化に際してコメントを寄せている。

「あまりいい評判は入ってこなかった」
「毎年なんだかなあと思っていた」
「諸先輩との感覚のズレはいかんともしがたい。実に居心地が悪かった。」
「このままでは、今一番面白い作品が受賞することはまずない。と、名言を連発している。

さらにこう続く。
聞くところによると、文春漫画賞が終わるってことに反対したのはボクだけだったらしい。ボク以外の審査員のみなさんは「しかたがない・・・」ってことだって。しかたがないってどういう意味なんでしょうね。要するに役割を終えたんだ、ということなんだけど、それだったらもう十数年前に終わってるしね。

初めて該当作品なしが出た1987年のサトウサンペイのコメントも印象的である。
文春漫画賞の伝統を破るか、守るか、意見が分かれた。「時代の趨勢に取り残されるよ」と言われると、そうも思うし、「他の出版社の賞は物語ものに贈られるのだから、″少数民族″を守る文春漫画賞だけは頑張ろうよ」と言われると、そうも思うし、(後略)

今回「文藝春秋漫画賞の47年」を読んでいて、
分からないなりにも中期あたりまでの作品にはある種の楽しみがあった。
が、後期は一気に俗っぽくなる。
おじいちゃんたちが楽しめる漫画探しに付き合ってる感じだ。
少数民族も守れなかった上に、時代の趨勢にも取り残されたのである。

とはいえ審査は難しいものだと思う。
数を読むほどに比較する対象が増えて、新しいものを見る目が厳しくなる。
「鬼滅の刃」やら、「呪術廻戦」やら、若い頃のように読むことはできない。
「ドラゴンボール」や「聖闘士星矢」を理解できなかった大人たちが、今の自分なのだ。
そのことに自覚的であるかないかが重要だと思う。
そういう意味で文藝春秋漫画賞はもっと早く安楽死させるべきだったと思う。

 
最後に、漫画賞はどうあるべきか。
俺は受賞者リストを見て、漫画の歴史や流れが感じられるものであるべきだと思っていた。
文藝春秋漫画賞はそうではなかった。
審査員が良識としたほとんどの受賞作が、現在も読み継がれるタイプの漫画ではない。

読み継がれればエライんか?ということでもない。
読み継がれるのは偉いとは思うけど。
現在読まれている人気漫画が、50年後、100年後も読み継がれているだろうか?
ほとんど消えているだろう。

だから賞の意義は「宣伝」にあると思う。
何を面白いかは人それぞれだが、知られない作品は評価の対象にすらならない。
そして評価される機会が少なければ、漫画家は筆を折るしかない。
批評されるべき作品を批評の土俵に上げる。それが漫画賞の存在意義ではないだろうか。

 
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智

興味深く拝見しました。
何か編集部からの圧力に抗し切れなくて受賞させたような手塚治虫、逆に20年前にあげるべきところをすっかり忘れていたのか、唐突な針すなお。
選考基準に「ストーリー漫画を除く」とか明確な規定がなかったのが間違いのはじまりだったのかもしれませんね。
風刺漫画かつ大人漫画ということなら「気まぐれコンセプト」はどこかのタイミングで受賞してしかるべき!と思った次第。
あと、ラストイヤーで小田原ドラゴンが受賞していてちょっと嬉しかった。
by 智 (2023-10-13 00:12) 

hondanamotiaruki

確かに「気まぐれコンセプト」が挙がらないのはおかしい。
美味しんぼ、柴門ふみ、玖保キリコ、相原コージ、堀のぶゆきとか、スピリッツ系は結構手厚いのに、ノミネートすらないなんて!
by hondanamotiaruki (2023-10-13 01:38) 

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