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芸術一家はモラルが爆発だ!岡本一平「漫画と小説のはざまで」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]

きみは悪の貴公子・フジロウを覚えているだろうか。
戦前のサイコパス殺人鬼、谷口富士郎を。

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中央が富士郎

資産数十億(現在の価値で)という札幌の医師会副会長の家に生まれた三兄弟の長兄。
上京し芸術家を志すが、遊ぶ金欲しさに知り合った金持ちの老婆を殺害。
大卒初任給が70円の時代に、月に千円二千円と使っていたから、
いくら仕送りがあっても足りなかった。

さらにタチが悪いのは、老婆殺害を手伝わせた弟を口封じのために殺害。
それを手伝わせた下の弟も始末しようとするが失敗。悪事が露見する。
海外留学だと言って、女と渡米しようとしているところを逮捕されて終身刑。

このフジロウ、彫刻家を目指していたが、
自ら開いた個展では呆れたことに盗作どころか盗品を展示していたという。

そんなフジロウは、彫刻以前に漫画家の弟子入りを希望していた。
その漫画家は、「漫画は斜陽産業だから」とフジロウの弟子入りを断った。
それが岡本太郎の父、岡本一平である。戦前のカリスマ漫画家であった。

…ということを以前「戦前の少年犯罪」という本を読んで、感想をブログに書いた。
漫画は斜陽産業って、、、昭和元年あたりはそうだったのかと、その時は単純に思っていた。

しかし最近「近藤日出造の世界」を読んでみたら、
日出造は同じ時期にあっさり弟子入りを許されていることが分かった。

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一平は割と気さくでウエルカムな人だったようで、弟子もウジャウジャいたのである。
「近藤日出造の世界」によると、「一平塾」の生徒は5、60人。

漫画家志望だけでなく、
単なるファンや取り巻きも一平塾にいたというからハードルが低い。

岡本一平は全集がメガヒットした勢いで、その後2年も洋行するぐらいだし、
高弟の宮尾しげをの「団子串助漫遊記」は百版のベストセラー。
漫画が斜陽産業だなんて、単なる方便だったとしか思えない。

一平がフジロウを体よく追い払ったのは、
やはり何かしらフジロウからヤバさを感じ取っていたからなのではなかろうかと思うようになった。
 

清水勲と湯本豪一による岡本一平の伝記、「漫画と小説のはざまで」を読んでびっくりした。
例の一平の洋行に、子供と妻と、愛人も2人を連れて行ったというのだ。
しかもその愛人というのは一平の愛人ではなく、妻の愛人なのである!愛人を二人も!

連れてく方も連れてく方だが、ついてく方もついてく方だ。
そもそも普段から旦那公認で同居して、毎日みんなで食卓を囲んでいたというのだから凄まじい。

それが許される一平の妻は、よほどの美人なのかと写真を見るとそうでもない。
35億!の人に似てる。

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(左から一平、太郎、かの子、愛人1、愛人2)

この浮気な妻の岡本かの子さん、もともとお金持ちのお嬢様。
結婚してから家庭を顧みることなく放蕩三昧だった一平のせいか、頭がおかしくなって入院。
反省した一平は以後、かの子の幸せを第一に考えるようになった。
それがちょっと極端過ぎたようである。

解放されたかの子は仏教研究家としても有名になり、その後に小説家としても認められた。
夫は大ヒット漫画家。妻は人気小説家。息子は太陽の塔で知られる芸術家。そして愛人愛人。
すごい家庭だ!

そんな自由なかの子さんも、49歳に脳溢血で亡くなる。
一平は深く悲しみ、それを労ってくれた姪っ子への好意が膨らんでいく。
姪に求婚するが、息子の太郎と変わらないぐらいの年齢だったこともあり、親族が大反対した。

結局、一平は、姪と同じくらい若いバツイチ女性と結婚する。
やっぱり周囲の反応はよくなかったらしい。

一平の死後、残された家族をどうしようという話になる。
太郎の他に、後妻とその子供が4人おりますねん。
一平の義弟の池部鈞や、弟子の出世頭だった宮尾しげをなどは絶縁を宣言。

近藤日出造や横山隆一、杉浦幸雄などの若い漫画家たちが金を集め、遺族を援助することにした。

のちに太郎が新進気鋭の芸術家として認められ、アメリカに行く身分になったが、太郎は相変わらず援助を続けるように頼んできたというので、流石にそれはおかしいという話になり、それきっかけで援助は打ち切られた。そもそもかの子の印税も莫大で、援助なんていらなかった説もある。

かつて宍戸左行が一平を訪ねた際に、
来客中に親に小遣いをせびる太郎を見て、「しつけがなってない」と気分を害したことがあったようだ。アメリカ帰りの左行が思ったのだから、相当なものだったのだろう。

後妻はともかく、一平の妹の夫の池部鈞が縁を切ったというのだから、岡本太郎がどんな若者だったかと言うのは興味深い。面白い伝記があれば読んでみたいので誰か教えてほしい。

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(画像は小林よしのり「ゴーマニズム宣言」4巻
 
さて、そんな岡本一平の、肝心の作品はどうだったのだろうか。

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(画像は昭和三年発行の現代漫画大観2巻より、一平が親しかった夏目漱石「坊ちゃん」をコミカライズした作品。)

一平の得意スタイルは漫画・漫文と呼ばれ、いわゆる絵物語に近いものだったようだ。
クローズアップなど映画的手法もこの頃すでに取り入れているが、
正直、未発達の漫画という印象を受ける。

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(画像は清水勲/湯本豪一「漫画と小説のはざまで」

当時の漫画表現の限界だったのかなとも思うのだが、
その先輩である漫画界のファーストエンペラー、北沢楽天の作品を見るともうすでに今の漫画と遜色ないこともやっている。

以下画像は北沢楽天「とんだはね子」。昭和3年の作品。セリフを平仮名で意訳しています。
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はね子の至福の表情がスバラシイ!

この北沢楽天を押し退けて岡本一平が人気になったというのは、どちらかというと受け取る読者の限界だったのではないだろうか。少女漫画やアメコミをいきなり読んでも読みづらいように、漫画が読めるということはある種のスキルなのである。北沢楽天の漫画スタイルは、当時の理解が追いつかなかったのではないか。

岡本一平の作品を見て首を傾げるのは、絵のこともある。
あまり良くないように思える(主観)

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かの子や太郎には「お父さんは絵が下手」と笑われていたそうである。
こういうのを普通は素直に受け取らないが、受け取ってしまえば全て納得がいく。
岡本一平は絵が下手だったのだ!もちろん漫画は絵の上手い下手(写実的かどうか)が全てではない。

こんなへたっぴいの絵を模写しまくって出世した近藤日出造は、
アトムがヒットしてるにもかかわらず一生懸命に小島功っぽい絵柄にして風刺漫画に擦り寄った手塚治虫を「絵が下手だ」と認めなかった。

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(画像は村上もとか「フイチンさん再見!」7巻

そこに近い感覚を持ってたであろう横山泰三もやたら絵の上手い下手にこだわって、特に赤塚不二夫の絵が汚らしくて我慢ならんと文春漫画賞を受賞する際に「あんた責任がとれるのか」と推薦する審査員に食ってかかっていた。

もちろん個人の感想というものはあるが、それが漫画の発展を阻害するようなレベルになれば単なる老害であると自戒したい。

ところで、話を冒頭のフジロウに戻すが、
一平がフジロウを体良く追い払ったのは、かの子に手を出すかもしれないと思ったからではないのか。
近藤日出造は顔がホームベースみたいだったから良かったのだ。
しかも仲間にしょっちゅうからかわれるぐらい、女性に対して奥手だった。

もしフジロウの弟子入りが許されていたら、
それ以後の漫画史はけっこう変わっていた可能性もある。
フジロウと一平の面会は、割と歴史のターニングポイントだったのかもしれない。
皆様はどう思われるか。

 

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ネスカフェ

岡本かの子の愛人の話ですが、どっちかというと介護人というか世話焼きみたいなポジションだったようですね。愛人の一人、恒松安夫は後に島根県知事になったそうで、「かの子の世話に比べれは県政なんて楽」と言っていたとか。ちなみにもう一人は医師。愛人だけでなく時にその親族も世話したそうなので中々懐が大きかったみたいですね。

一平がそのような状況を許したのも、子どもを失っていることや自身の放蕩も原因ですが、愛人の存在でかの子の創作意欲を駆り立てる要因であったの理解していたからという部分もあるようですね。実際、小説家として大成しましたし。

岡本太郎ですが、画家として大成した後はちょくちょく異母兄弟に仕送りなどもしていたそうなので、まあお互い様という感じだったんでしょうね。

岡本太郎とかの子についてはそれぞれ「驚きももの木20世紀」という番組で取り上げられています。中々面白い内容なので是非ネットで探してみてください。
by ネスカフェ (2023-12-07 23:36) 

hondanamotiaruki

恒松さんは知事になったんですか。
どうなったか気になってたんですけど、そこまでは調べられなかったな。

愛人のことまで言及するとキリがないので本文では1号2号扱いでしたが、一平が疎開する時に、岐阜に帰った新田亀三を頼ったエピソードが好きです。仲良いなこいつら!

こないだドリヤス工場「文豪春秋」読んだら、
一平が不能になったので愛人を許可した、みたいに書いてありました。
瀬戸内寂聴「かの子撩乱」、古谷照子「岡本かの子」、岡本かの子「家霊」のどれかがソースみたいなんですけど、後妻との間には4人できてるんですよね。一時的なものだったのかな。
by hondanamotiaruki (2023-12-09 01:53) 

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