むかしは良かった、今時の若いもんは…と思うのは人間のクセなのかもしれない。管賀江留郎(かんがえるろう)「戦前の少年犯罪」 [名作紹介]
管賀江留郎(かんがえるろう)の活字の本、「戦前の少年犯罪」を読んだ。
変な事件が起こると、やれむかしはこんな事はなかった!とワイドショーのコメンテーターが言い出すが、全然そんなこたぁないという事実を残酷に突きつける一冊だ。
単純に戦前の新聞を調べ、少年犯罪を抜き出して解説を加えて紹介している。
「少年犯罪データベース」というサイトを運営しており、そちらでも事件の数々を見ることができる。
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昭和2年(1927).7.12〔4歳(満2~3歳)が妹殺害〕
大阪府大阪市の自宅で、長男(4)が次女(3)を縄で絞殺した。長女(7)と3人で映画のマネをしていたもの。
昭和3年(1928).10.6〔小4クラス全員が女教師に暴行〕
千葉県香取郡の小学校で、4年生45人が授業のため教室に入ってきた担任の女性教師を机のフタで袋叩きにして額に5センチ以上の傷と打撲傷を負わせた。日頃から厳しいことを恨んで復讐したもの。
昭和3年(1928).6.23〔小1(満6歳)ら2人が幼女に硫酸あびせる〕
東京市深川区鶴歩町で、小学1年生(7,8)2人が女の子(5)を材木倉庫に連れ込み、1人が押さえつけて、1人が消火用にビールビンに入れて倉庫に積んでいた硫酸を身体にかけて自宅に逃走した。泣き叫ぶ声を聞いて近所の人が病院に運んだが4週間の重傷。これまでもこの女の子に何度か暴力を振るっていたが、親同士の間に人が入って示談となっていた。女の子の父親は「子どものいたづらにしては度が過ぎる」と激怒。
昭和4年(1929).2.19〔9歳(満7~8歳)が6歳を猟銃で射殺〕
岡山県御津郡の自宅で、9歳が隣家の6歳を射殺。母親が3時のおやつにモチを出してくれたが、焼き方が悪いとわがままを言って食べなかった。そこへ遊びに来た6歳が「おまえが食べねば、わしが食べてやろう」と食べ出したので怒って、「毒が入っているので死ぬぞ」「撃ち殺すぞ」などと脅したが、「撃ってもよい」と6歳が言い返したので、父親の猟銃で心臓を狙い撃ちしたもの。
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こんな事件の数々がバンバン紹介されている。
日本人は歴史的につい最近まであまりに子供を叱らないので外人も驚く民族だったという。
七五三はそもそも子供は無事に大人にならないものなので発生したイベントらしい。
それぐらい大事に育てられた。
若者になっても、ヤンチャをいさめるのはヤボ、みたいな世の空気があったという。
部下にタメ口使われて笑ってる軍人なんかもいたそうな。
管賀江留郎氏はそれらが数々の事件を生んだと分析している。
中国の一人っ子政策のせいで甘やかされて傍若無人に育った子供を小皇帝というが、過去の日本にも小皇帝がいっぱいたのだろう。
俺は「むかしは良かった」「最近の若いもんは」という考えが嫌いだ。
なので、「戦前の少年犯罪」を読んでさもありなんと思うのだが、実際調べたことはなかった。
管賀江留郎氏は「ちょっと調べれば分かることなのに肯定派も批判派も誰も調べない」と手厳しい。
あのドラマでよく見る、図書館で過去の新聞を調べるアレ。
あの新聞まとめ本みたいなのって電子書籍で出てないのかのう。
ちょっと調べてみたが一年をまとめたものが2万〜30万ぐらいする。。。
意外と人は過去に学べないのかもしれない。
覚えてるつもりでもあっさり改変されてしまう。
最近ゴーマニズム宣言で小林よしのりがTVなどで歴史ドラマを作る際、現在の価値観に合わせてなんでもアレンジしてしまう傾向が、現在の歪んだ歴史認識を生んでいると批判しており、なるほどなと思う。
宮崎駿は「風立ちぬ」で当時あたりまえにあった喫煙シーンを描いて批判されたが、NHKの朝の連続テレビ小説「なつぞら」ではやはり当時あたりまえにあった喫煙シーンが全く描かれなかった。大河ドラマですぐ主人公の戦国武将を平等&平和主義者にしたがるのは昔っからだ。
時代考証を正確にすると批判が起こる国というのは如何なものか。
歴史を大事にしない国民性なのか?
エジプトのピラミッドにも「最近の若いもんは」と書かれていたという。
こういう「むかしは良かった発言」は人間の癖なのかもしれない。
横山光輝「項羽と劉邦」の序盤。
2000年以上前の中国が舞台だが、その中で秦の圧政に苦しむ市井の人が「500年前は平和な世界だった」と解説するシーンがある。
「いやいや500年ほど前は天下泰平で人々はみな心から楽しい日々をおくっていたそうじゃ」
「その泰平とはどんな世のことをいうのじゃ」
「喜びあふれる風景 光り輝く日々 庶民は笛にあわせて歌い踊り その声は絶えることなしという…」
「三日に一度吹く風は枝をならさず木を砕かず 五日に一度降る雨はつちくれを破らず 穀物を損なわず盗賊生ぜずして夜は戸を閉ざさず」
「行人は互いに道を譲り道に落ちたるもの誰も拾わず辺境に出兵の労なく 宮中に奸邪のの憂いなし」
「田畑に蝗・旱魃の災いなく 五穀よく実りて天下安楽なる これを泰平の時節という」
「ふーん そんな時代が五百年前にあったのかのう…」
実際にこんな言葉が残ってるのかどうか知らないが、おそらく似た様な言葉が伝わっているのだろう。そんな時代が存在したなんて嘘だと思うけど。
人類の歴史は本能を抑制し続けてきた歴史でもある。
人間は過去に遡れば遡るほど本能に忠実に生き、ヒャッハーしていたと思う。
本能に忠実に生きた結果、引き起こした失敗の経験が蓄積されるほどに、人は野蛮ではなくなっていく。
未来には不確実性という魔物がいるが、
過去にはない。
それがどんな悲惨な事件が起こった過去だろうと終わったことだと美化させ、あぁやっぱり昔はよかったと思わせてしまう原因ではなかろうかと思う。
ちなみに「戦前の少年犯罪」に「富士郎(ふじろう)」というスタンド使いの素質がありそうないかれた少年犯罪者が出てくる。医者の息子で美少年。女にモテたが散在して金に困り強盗殺人。ついでに弟もデスノートばりの綿密な計画を立てて殺害。
なんと富士郎は漫画家志望で岡本一平という漫画家に弟子入り希望するが、「漫画は斜陽産業だから」と断られる。岡本一平は手塚治虫も影響を受けた漫画家だというが、まあほとんどの人は知らないと思う。
俺も知らない。ちなみに岡本太郎の父。
手塚治虫や石ノ森を知らないと嘆かわしいという人がいる。
手塚治虫と並ぶぐらいの人気があっても忘れられる高野よしてるという漫画家について以前書いた。
手塚治虫の師匠、酒井七馬の存在も一般教養とはほど遠い存在だ。
そして手塚治虫に影響を与えた巨匠の業績も、今やほとんどの人が知らない。
歴史というのは学んでいるつもりでも、
大雑把なアウトラインしか学べないものなのかもしれない。
細かいことは忘れてしまう。
ちなみに「戦前の少年犯罪」には、こないだブログに書いた、ある意味漫画界隆盛のきっかけを作ったが忘れられた作家の佐藤紅緑の息子の犯罪も掲載している。
今や私のブログは、意外に忘れ去られる漫画界の巨匠ブログになりつつある!
変な事件が起こると、やれむかしはこんな事はなかった!とワイドショーのコメンテーターが言い出すが、全然そんなこたぁないという事実を残酷に突きつける一冊だ。
単純に戦前の新聞を調べ、少年犯罪を抜き出して解説を加えて紹介している。
「少年犯罪データベース」というサイトを運営しており、そちらでも事件の数々を見ることができる。
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昭和2年(1927).7.12〔4歳(満2~3歳)が妹殺害〕
大阪府大阪市の自宅で、長男(4)が次女(3)を縄で絞殺した。長女(7)と3人で映画のマネをしていたもの。
昭和3年(1928).10.6〔小4クラス全員が女教師に暴行〕
千葉県香取郡の小学校で、4年生45人が授業のため教室に入ってきた担任の女性教師を机のフタで袋叩きにして額に5センチ以上の傷と打撲傷を負わせた。日頃から厳しいことを恨んで復讐したもの。
昭和3年(1928).6.23〔小1(満6歳)ら2人が幼女に硫酸あびせる〕
東京市深川区鶴歩町で、小学1年生(7,8)2人が女の子(5)を材木倉庫に連れ込み、1人が押さえつけて、1人が消火用にビールビンに入れて倉庫に積んでいた硫酸を身体にかけて自宅に逃走した。泣き叫ぶ声を聞いて近所の人が病院に運んだが4週間の重傷。これまでもこの女の子に何度か暴力を振るっていたが、親同士の間に人が入って示談となっていた。女の子の父親は「子どものいたづらにしては度が過ぎる」と激怒。
昭和4年(1929).2.19〔9歳(満7~8歳)が6歳を猟銃で射殺〕
岡山県御津郡の自宅で、9歳が隣家の6歳を射殺。母親が3時のおやつにモチを出してくれたが、焼き方が悪いとわがままを言って食べなかった。そこへ遊びに来た6歳が「おまえが食べねば、わしが食べてやろう」と食べ出したので怒って、「毒が入っているので死ぬぞ」「撃ち殺すぞ」などと脅したが、「撃ってもよい」と6歳が言い返したので、父親の猟銃で心臓を狙い撃ちしたもの。
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こんな事件の数々がバンバン紹介されている。
日本人は歴史的につい最近まであまりに子供を叱らないので外人も驚く民族だったという。
七五三はそもそも子供は無事に大人にならないものなので発生したイベントらしい。
それぐらい大事に育てられた。
若者になっても、ヤンチャをいさめるのはヤボ、みたいな世の空気があったという。
部下にタメ口使われて笑ってる軍人なんかもいたそうな。
管賀江留郎氏はそれらが数々の事件を生んだと分析している。
中国の一人っ子政策のせいで甘やかされて傍若無人に育った子供を小皇帝というが、過去の日本にも小皇帝がいっぱいたのだろう。
俺は「むかしは良かった」「最近の若いもんは」という考えが嫌いだ。
なので、「戦前の少年犯罪」を読んでさもありなんと思うのだが、実際調べたことはなかった。
管賀江留郎氏は「ちょっと調べれば分かることなのに肯定派も批判派も誰も調べない」と手厳しい。
あのドラマでよく見る、図書館で過去の新聞を調べるアレ。
あの新聞まとめ本みたいなのって電子書籍で出てないのかのう。
ちょっと調べてみたが一年をまとめたものが2万〜30万ぐらいする。。。
意外と人は過去に学べないのかもしれない。
覚えてるつもりでもあっさり改変されてしまう。
最近ゴーマニズム宣言で小林よしのりがTVなどで歴史ドラマを作る際、現在の価値観に合わせてなんでもアレンジしてしまう傾向が、現在の歪んだ歴史認識を生んでいると批判しており、なるほどなと思う。
宮崎駿は「風立ちぬ」で当時あたりまえにあった喫煙シーンを描いて批判されたが、NHKの朝の連続テレビ小説「なつぞら」ではやはり当時あたりまえにあった喫煙シーンが全く描かれなかった。大河ドラマですぐ主人公の戦国武将を平等&平和主義者にしたがるのは昔っからだ。
時代考証を正確にすると批判が起こる国というのは如何なものか。
歴史を大事にしない国民性なのか?
エジプトのピラミッドにも「最近の若いもんは」と書かれていたという。
こういう「むかしは良かった発言」は人間の癖なのかもしれない。
横山光輝「項羽と劉邦」の序盤。
2000年以上前の中国が舞台だが、その中で秦の圧政に苦しむ市井の人が「500年前は平和な世界だった」と解説するシーンがある。
「いやいや500年ほど前は天下泰平で人々はみな心から楽しい日々をおくっていたそうじゃ」
「その泰平とはどんな世のことをいうのじゃ」
「喜びあふれる風景 光り輝く日々 庶民は笛にあわせて歌い踊り その声は絶えることなしという…」
「三日に一度吹く風は枝をならさず木を砕かず 五日に一度降る雨はつちくれを破らず 穀物を損なわず盗賊生ぜずして夜は戸を閉ざさず」
「行人は互いに道を譲り道に落ちたるもの誰も拾わず辺境に出兵の労なく 宮中に奸邪のの憂いなし」
「田畑に蝗・旱魃の災いなく 五穀よく実りて天下安楽なる これを泰平の時節という」
「ふーん そんな時代が五百年前にあったのかのう…」
実際にこんな言葉が残ってるのかどうか知らないが、おそらく似た様な言葉が伝わっているのだろう。そんな時代が存在したなんて嘘だと思うけど。
人類の歴史は本能を抑制し続けてきた歴史でもある。
人間は過去に遡れば遡るほど本能に忠実に生き、ヒャッハーしていたと思う。
本能に忠実に生きた結果、引き起こした失敗の経験が蓄積されるほどに、人は野蛮ではなくなっていく。
未来には不確実性という魔物がいるが、
過去にはない。
それがどんな悲惨な事件が起こった過去だろうと終わったことだと美化させ、あぁやっぱり昔はよかったと思わせてしまう原因ではなかろうかと思う。
ちなみに「戦前の少年犯罪」に「富士郎(ふじろう)」というスタンド使いの素質がありそうないかれた少年犯罪者が出てくる。医者の息子で美少年。女にモテたが散在して金に困り強盗殺人。ついでに弟もデスノートばりの綿密な計画を立てて殺害。
なんと富士郎は漫画家志望で岡本一平という漫画家に弟子入り希望するが、「漫画は斜陽産業だから」と断られる。岡本一平は手塚治虫も影響を受けた漫画家だというが、まあほとんどの人は知らないと思う。
俺も知らない。ちなみに岡本太郎の父。
手塚治虫や石ノ森を知らないと嘆かわしいという人がいる。
手塚治虫と並ぶぐらいの人気があっても忘れられる高野よしてるという漫画家について以前書いた。
手塚治虫の師匠、酒井七馬の存在も一般教養とはほど遠い存在だ。
そして手塚治虫に影響を与えた巨匠の業績も、今やほとんどの人が知らない。
歴史というのは学んでいるつもりでも、
大雑把なアウトラインしか学べないものなのかもしれない。
細かいことは忘れてしまう。
ちなみに「戦前の少年犯罪」には、こないだブログに書いた、ある意味漫画界隆盛のきっかけを作ったが忘れられた作家の佐藤紅緑の息子の犯罪も掲載している。
今や私のブログは、意外に忘れ去られる漫画界の巨匠ブログになりつつある!
「昔はよかった」と言うけれど: 戦前のマナー・モラルから考える
- 作者: 大倉 幸宏
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2013/10/08
- メディア: 単行本
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