終戦直後の漫画好き少年は思った。「手塚治虫の新宝島は漫画の退化だ」comic新現実Vol.4 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
手塚治虫名作集 (21) どついたれ (集英社文庫(コミック版))
- 作者: 手塚 治虫
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1995/03/08
- メディア: 文庫
手塚治虫「どついたれ」を読んだ。
若き日の手塚自身が、高塚という名前で出てくる漫画だ。
巻末の解説文を書いている実業家の葛西健造も、同じく作中に登場する人物のモデルとなった人。
解説によると、葛西はかつてアトムのキャラグッズで事業を成功させたことを恩義に感じ、虫プロが倒産した時に手を尽くして債権をまとめて版権の散逸を防いだという。
虫プロの倒産エピソードはこれまで読んだ関連書籍のイメージだと、「借金もなんのそのであっさり復活!さすがは手塚治虫!」…という印象だったのだが、やはり当時はそれなりに大変だったのだろうなと思わされた。掌を返すひとが現れる一方、私財を投げ打って助けてくれる人も出てくる。手塚の人生観も多少なりとも変化があったことだろう。
ところで、
漫画「どついたれ」漫画の中で若き日の手塚が、当時の大漫画家である横井福次郎に自著を見てもらい、子供だましだと言われ落ち込むシーンがある。
(横井福次郎の孫は爆笑問題のマネージャーなんだと。)
思い出すのは過去に何度かこのブログで取り上げてきたエピソードだ。
島田啓三による新宝島評「こりゃ邪道だよ。こんな漫画が流行ったら一大事だ!!」
(画像は矢口高雄「ボクの手塚治虫」)
当時の子供達に熱狂的に受け入れられ、のちの漫画家たちに多大な影響を与え、「揺れたり震えたりした線で丁寧に描くと決めていたよ♪」というサカナクションの歌も大ヒットした手塚治虫の「新宝島」。一説には四十万部も売れたという。しかし玄人筋による執筆直後の手塚の評価は、関西の無名漫画家に過ぎなかった。
師匠であり共同原作者の酒井七馬にとって手塚は、まだ保護し続けなくてはいけない未熟な作家だった。新宝島は酒井の手によって手塚の初期の構想からは程遠いものに改変されてしまい、それは二人の決別につながる。
東京に行けば実力が認められると思った手塚だったが、講談社など出版社からも島田啓三や新関建之助ら有名漫画家からも評価はクソミソ。邪道だの絵の勉強をもっとしろだの散々だった。
(画像は手塚治虫「ぼくはマンガ家」)
天才を理解できない老害たち。
そういう理解でいたエピソードだ。
だが若い世代が必ずしも手塚を絶賛した訳でもなかったというのが今回の話だ。
前回書いた「comic新現実」、その4号。
みなもと太郎と弟子の大塚英志のトークでまたとんでもない手塚評を見つけた。
見出しが
「手塚治虫の新寶島は日本漫画の退化だった?」だ。
みなもとが聞いたところによると、
のちに評論家になる三木宮彦(手塚の5歳下)は、お小遣いを貯めては漫画を買い漁る少年時代を過ごしていた。しかし空襲でコレクションが全て灰になり、終戦直後の漫画が全くない時代が1、2年続く。
娯楽に飢え、やっとこさ出てきた新宝島を三木少年は読んだ。
その感想は、「日本の漫画はなんと情けないものになってしまったんだろう」というものだったのだそうだ。
みなもと太郎は解説する。
>それはおそらくカラーや装丁も全部含めてのことだろうと思うけど、戦前の華やかな漫画文化をしっかり吸収してる人間にとっては『新宝島』は革命でもなんでもない
>当時、小学生くらいの時に、こういう新関(健之助)の漫画なんかを必死で読んだ子どもの貴重な証言。この一言はすげー重いな、と思ってね。
>戦前の人たちはちゃんとデッサンもやって、きちんとした日本画なり洋画なりを勉強した人達が漫画を描いてたわけだわね。それに対して手塚少年は、アマチュアから出てきた漫画家だから、その差はやっぱり歴然と三木宮彦少年にはわかった。確かに幼い絵だったんでしょう。新しいけど。要するに、いまのコミケのアマチュアの若いのがデビューしたようにしか見えなかったんでしょう。漫画を知っていた世代にはね。
この件についてネットで検索してみると、夏目房之介が記事にしていた。
みなもとの記事から、宮坂栄一(手塚の3歳上)にリアルタイムで読んだ新宝島の感想を尋ねているが、こちらも衝撃的である。
https://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2017/05/post_4224.html
>「私も、似た経験をしてます。[略]いやあ、『ひどいなあ・・・・」と思いましたね」[略]「手塚治虫の絵がひどいんです」[略〕「あの画力で、本になるなんて、戦前では絶対、ありえないコトです。」
そう酷評した絵に惹きつけられたとも宮坂は続けている。
「小林よしのりショック」という現象に似ている。
サンデーやマガジンだったら絶対デビューできなかったという漫画家が、新興誌のジャンプで次々とデビューし、そしてメガヒットを生み出していった。小林よしのりもデビュー当時は「あれは絵じゃない、インクの染みだ」と画力を揶揄されたらしい。しかし作品(東大一直線)は売れまくった。
(画像は小林よしのり「よしりん辻説法」1巻)
「トキワ荘史観」という言葉がある。
藤子不二雄「まんが道」以外に漫画の歴史を学べるような強力な作品がなかったため、多くの人は手塚治虫以前に漫画はなかったぐらいの認識でいると思う。それを表した言葉だ。
手塚以前に漫画家がいたことをなんとなく知っている人でも、「しかし大した漫画家はいなかった」とボンヤリと思っている人が多いと思う。正直なところ、自分も大差ない。読めない、読みにくいからだ。
濃い漫画読みが、それまで無批判に賞賛していたヒット漫画の良さが、ある時期から分からなくなるという現象がある。原因のひとつは、新しい作品を読むたびに、比べるものが増えるからだ。当然見る目は厳しくなる。やがてこの世にオリジナルな作品などなく、全てはブレンドの妙だと気づく。「シェイクスピアですら模倣だ」と、マーク・トゥエインも言っている。
(「漫画 人間とは何か?」はKindle Unlimited対象作品)
これは成熟していないジャンルには起こり得ない現象だ。
つまり、多くの人が「大した漫画家はいなかった」と思っている戦前の漫画も、「手塚治虫の絵がひどい」と言える人たちが読者にいたほどに層があつく、成熟していたことが分かる。老害だと思っていた島田啓三らの酷評も、手塚に対する酒井七馬の態度も、ある程度まっとうなものだったのだ。
話をcomic新現実4号の三木の証言の分析に戻す。
大塚は「漫画の退化」と言った三木の発言を指して言う
>三木さんは自分の発言がどれだけインパクトがあるか気づいておられないんですね、その意味で『新宝島』をまんが関係者がどう受け止めたかはもっと証言を取らなきゃいけない。
みなもとは答える。
>そうなんです。今まで出てきてない。トキワ荘世代の衝撃しかわれわれは聞いてないんです。前回出したリストの人たちは『新宝島』をどう見たか
そのリストがコレである。(comic新現実3号掲載)
手塚治虫の新宝島とはなんだったのか。
それを深く理解するには、最低でもこの辺の作家に熟知していなければいけないと思った次第。
みなさまはどう思われるか。
調べたら夏目房之介さんが記事にしていた。
— ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊) (@hondanamotiaru) June 13, 2023
手塚の3歳上のマンガ家・絵本作家・宮坂栄一の言
「いやあ、『ひどいなあ・・・・」と思いましたね」[略]「手塚治虫の絵がひどいんです」[略〕「あの画力で、本になるなんて、戦前では絶対、ありえないコトです。」https://t.co/ZTDncOEe5R
これは大変面白い視点ですね。
私も大部分の現代の漫画読み人と同じく、温故の部分は手塚治虫で止まっている人間。
(唯一、伯父の家に揃っていて読んでいた「のらくろ」だけは好きですが…あと、日本漫画じゃなければ「タンタンの冒険」も大好き!)
んで、今回この記事をきっかけに新関健之助「ロケット・ルーン号の宇宙探険」を読んでみたんですが、やっぱり大して面白くない…。
強いて言えば新しい星についた時の見開きの大ゴマの描写がいいな、と思いましたが、全体的に「新寶島」より絵が格段に上手いとも思えませんでした。
「新寶島」も正直なところ同時代人のような衝撃は受けなかったんですが、「来るべき世界」あたりまで来ると、これはもう現在の眼から見ても明らかに傑作(面白い)だな!と感じます。
これはもう手塚とその後継者たちが普及させた漫画文脈があまりに大きくて、私も自然とそれ以外のものを理解できなくなっているのかなあ。
自分の中でも答えは出ません。
by 智 (2023-08-13 22:40)
>トキワ荘の人たちの証言を丹念に検証していくと、本当はみんなが熱く語っているのは「ロストワールド」とかですよね。でも、それが「新宝島」体験と混同して語られてる気もする。
とも大塚英志が対談で語ってます。
>藤子A先生なんかは本当は新宝島じゃなくてもう少し後の時期の手塚作品を先に読んでたって、後になってからしれっとおっしゃってますし。
という大塚の言葉にみなもと先生が、
>困ったもんだな(笑)
と答えてるのが面白い。^^
by hondanamotiaruki (2023-08-16 09:22)
「まんが道」も原稿を汽車から投げ捨てる、みたいなフィクションがかなり多いみたいなので、あくまでも作品と捉えないと危険ですね。
by 智 (2023-08-22 00:12)