漫画家はどこまで国家権力と戦えるか?「マンガで読む嘘つき中国共産党」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
その昔、漫画とは権力を批判することと同義語だった。
これは「新聞」というメディアの中でしか漫画家が生きられなかった時代のためだ。
黎明期の漫画家は基本的にカット描きなので、
定期的に大量の注文がなければ生活することが出来ない。
なので新聞の嘱託(しょくたく)になることは必須であり、ステイタスだったのだ。
漫画の始祖の一人である北澤楽天は、福沢諭吉に迎えられ「時事新報」で活躍。
のちに総理大臣以上の知名度になる岡本一平は朝日新聞に入社。
その弟子の近藤日出造は、愛人同伴で読売新聞に所属した。
前回紹介した30年前に書かれた水野良太郎の本によると、
海外も同様で、フリーランスの漫画家を名乗ると軽く見られる傾向があったという。
政治を批判してこそ漫画。
多くの風刺漫画家が劇画ブームを軽蔑して理解できないまま滅んでいったのは、
そういった歴史的な強固な刷り込みによるものもあったのである。
それでは昔の漫画家が、
どれぐらい政道を批判できたのだろうか。
宮武外骨(1867-1955年)は大日本帝国憲法発布をパロディにし、3年8ヶ月投獄された。
一方、
近藤日出造は軍部に積極的に協力したとして戦後批判され、戦犯として逮捕されることに怯えた。
「おとうさんとぼく」を描いたドイツの漫画家、
E.O.プラウエンことエーリッヒ・オーザーもナチスからの依頼に妥協を強いられる。
結局、下宿先の夫婦に密談を聞かれて密告され、処刑の執行を待たず自殺した。
なかなか漫画や偉人伝のように、
火炙りにされても意志を貫くという風にカッコよくはいかないものである。
(画像は蛇蔵「決してマネしないでください」3巻)
命懸けで描かれた漫画は多いが、
他人から命を狙われても批判する漫画を描き続けたのは、
自分の知る限りオウム真理教から暗殺されかけた小林よしのりぐらいだと思う。
(画像はゴーマニズム宣言9巻。この後、殺して平気でシラを切ってたと想像すると怖すぎる)
批判するべき権力というのは国家権力だけではない。
小林よしのりもベストセラー作家になれば権力であるから、
そのことに自覚的でいるべきだと知識人らから諭されるコマがあって、印象に残っている。
批判を許さない不健全な国家には、優れた漫画は存在しない。
実際は不満が顕在化する国ほど良い国で、政治の不満が一切見られない国は悪い国なのだ。
北朝鮮のように。
日本の政治家の多くは、漫画家らにからかわれてナンボという気概を持っている。
森喜朗などは、女性に乱暴する役で漫画に描かれても、宮下あきらの漫画に出演できて喜んでいたというからちょっと許しすぎだし、逆に女性蔑視だと別方向から非難がありそうだ。
(画像は宮下あきら「天より高く」21巻。Kindle Unlimited対象作品。)
国家権力を批判する側は相手が殴り返してこないことに甘えすぎで、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神で職業差別の域にまで達して批判しているのはどうかと思う。
褒めるととこは褒める。批判するところは批判する、でやってくれないと白けてしまう。
例えばこんなものは政治批判でも風刺でもなんでもない。
怒りに任せて人間性を失った人というだけである。
それを支持している人が何十万といるというのだから、本当に呆れ返るしかない。
毎度前置きが長くて申し訳ないが、
今回紹介するのが中国人による風刺漫画、
辣椒(ラージャオ)の「マンガで読む嘘つき中国共産党」だ。
辣椒は元々「変態辣椒」(超・辛口という意味)と名乗って、ネットで政治を批判していた。
絵はかなり上手いと思う。
訪日してるところパスポートを取り上げられ帰国できず、現在はアメリカで暮らしているという。
漫画には、中国で風刺漫画を描くことの困難さ、
政治権力への介入を許さない中国共産党の酷さが描かれている。
辣椒の漫画が面白いと思った人が、勝手に漫画をTシャツにプリントして販売。
そのことで役人がやってきて、色々話を聞かれたことに始まり、
自然災害で起きた人命救助の不備を指摘した記事をRT(拡散)したことにより逮捕される。
R Tで逮捕なのだ。辣椒がインフルエンサー(影響力がある人)だからである。
インフルエンサーになら逮捕に抵抗する対抗手段もある。ネットでSOSを求めるのだ。
「革命が起こったらお礼参りに行く」という脅しには役人も怯えるらしい、というのが面白い。
なろう小説のようにそれで無双はできないにせよ、ある程度の駆け引きが可能なのだ。
まあ、それが通用するのも政治犯としてまだ小物だからなのかもしれないが。
そんな国にいるものだから、来日した辣椒は日本に感激する。
そのことを親日的だと非難され、帰国することが出来なくなるのだが。
辣椒は日本の選挙運動をみて、真っ当だと涙を流すほど感激したという。
同時に、そんな日本の政治を、必要以上に非難する人たちに強烈な違和感を受けたとも漫画に描いている。
ですよね!
また、それによって左翼運動家から非難を受けることもあったようだ。
まあそれも漫画を出版した2017年の話で、
今現在の辣椒が日本に対してどういう感想を持っているかは分からない。
隣の芝生は青く見えるもの。
雁屋哲にとってのオーストラリア、
ひろゆきにとってのフランス、
フェミニストにとってのスウェーデン、
実際に住んでみれば、色々とアラが見えてくるものだ。
問題を抱えてない地上の楽園みたいな国があるとすれば、そんなものは北朝鮮のような国なのだろう。
(画像は小池みき「同居人の美少女がレズビアンだった件。」Kindle Unlimited対象作品)
世界は繋がっている。
他国と比較して、当たり前がどこなのか、
違うとしたらどんな事情があるのか、
変わることでどんな影響が生じるのか、
そこまで加味して風刺する。
そんなことの出来る漫画家がどれぐらいいるか。
見識を持った運動家もどれぐらいいるか。
そして批判によって起こる摩擦にどれぐらい耐えられるのか。
そんなのが、たくさんいるわけは無いのである。
風刺漫画家は、幼稚で浅はかなのが有象無象だと劇画をよく批判していたが、
風刺漫画家にしたって玉石混交だったはずである。
新聞の風刺漫画が、少年ジャンプのようにアンケート競争の完全実力主義だったら、
横山泰三の連載が39年間1万3561回も続いているはずがない、
という事を最近よく考えるのだが、
それで連想するのは成人功「いんちき」の最終回だ。
「うあー なんかこのまま新聞の4コマみたいに1万回くらい続けさせてもらって細々と生きてく人生設計があ〜」
(ちなみに1996年ごろ「アフタヌーン」で連載されていた。全2巻でプレミアがついている。)
風刺漫画がヌルいというのは、何十年も前から国民的共通認識なのかもしれない。
新聞みたいな安定したところで年金もらうような仕事をしている人が、
国家的な弾圧に逆らって漫画を書くことなどできるわけがないではないか。
国家の弾圧に耐えた偉人の漫画はいっぱいあるが、
そこに出てくる拷問は、「勇午」や大西巷一の漫画にように詳しく描かれていない。
のちに自分の伝記が出版されると分かっていたならまだ拷問に耐えられるかもしれないが、誰も知られず痛い思いをして死んでいくぐらいだったら宗旨替えして相手の靴を舐めた方がマシ、という考えも分かる。
そういうことを踏まえた上で、風刺というものを考えていきたいのである。
とりあえず小林よしのりと、辣椒と井上純一は立派だ。
わたしゃ真似できません。
これは「新聞」というメディアの中でしか漫画家が生きられなかった時代のためだ。
黎明期の漫画家は基本的にカット描きなので、
定期的に大量の注文がなければ生活することが出来ない。
なので新聞の嘱託(しょくたく)になることは必須であり、ステイタスだったのだ。
漫画の始祖の一人である北澤楽天は、福沢諭吉に迎えられ「時事新報」で活躍。
のちに総理大臣以上の知名度になる岡本一平は朝日新聞に入社。
その弟子の近藤日出造は、愛人同伴で読売新聞に所属した。
前回紹介した30年前に書かれた水野良太郎の本によると、
海外も同様で、フリーランスの漫画家を名乗ると軽く見られる傾向があったという。
政治を批判してこそ漫画。
多くの風刺漫画家が劇画ブームを軽蔑して理解できないまま滅んでいったのは、
そういった歴史的な強固な刷り込みによるものもあったのである。
それでは昔の漫画家が、
どれぐらい政道を批判できたのだろうか。
宮武外骨(1867-1955年)は大日本帝国憲法発布をパロディにし、3年8ヶ月投獄された。
一方、
近藤日出造は軍部に積極的に協力したとして戦後批判され、戦犯として逮捕されることに怯えた。
「おとうさんとぼく」を描いたドイツの漫画家、
E.O.プラウエンことエーリッヒ・オーザーもナチスからの依頼に妥協を強いられる。
結局、下宿先の夫婦に密談を聞かれて密告され、処刑の執行を待たず自殺した。
なかなか漫画や偉人伝のように、
火炙りにされても意志を貫くという風にカッコよくはいかないものである。
(画像は蛇蔵「決してマネしないでください」3巻)
命懸けで描かれた漫画は多いが、
他人から命を狙われても批判する漫画を描き続けたのは、
自分の知る限りオウム真理教から暗殺されかけた小林よしのりぐらいだと思う。
(画像はゴーマニズム宣言9巻。この後、殺して平気でシラを切ってたと想像すると怖すぎる)
批判するべき権力というのは国家権力だけではない。
小林よしのりもベストセラー作家になれば権力であるから、
そのことに自覚的でいるべきだと知識人らから諭されるコマがあって、印象に残っている。
批判を許さない不健全な国家には、優れた漫画は存在しない。
実際は不満が顕在化する国ほど良い国で、政治の不満が一切見られない国は悪い国なのだ。
北朝鮮のように。
日本の政治家の多くは、漫画家らにからかわれてナンボという気概を持っている。
森喜朗などは、女性に乱暴する役で漫画に描かれても、宮下あきらの漫画に出演できて喜んでいたというからちょっと許しすぎだし、逆に女性蔑視だと別方向から非難がありそうだ。
(画像は宮下あきら「天より高く」21巻。Kindle Unlimited対象作品。)
国家権力を批判する側は相手が殴り返してこないことに甘えすぎで、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神で職業差別の域にまで達して批判しているのはどうかと思う。
褒めるととこは褒める。批判するところは批判する、でやってくれないと白けてしまう。
例えばこんなものは政治批判でも風刺でもなんでもない。
怒りに任せて人間性を失った人というだけである。
それを支持している人が何十万といるというのだから、本当に呆れ返るしかない。
毎度前置きが長くて申し訳ないが、
今回紹介するのが中国人による風刺漫画、
辣椒(ラージャオ)の「マンガで読む嘘つき中国共産党」だ。
辣椒は元々「変態辣椒」(超・辛口という意味)と名乗って、ネットで政治を批判していた。
絵はかなり上手いと思う。
訪日してるところパスポートを取り上げられ帰国できず、現在はアメリカで暮らしているという。
漫画には、中国で風刺漫画を描くことの困難さ、
政治権力への介入を許さない中国共産党の酷さが描かれている。
辣椒の漫画が面白いと思った人が、勝手に漫画をTシャツにプリントして販売。
そのことで役人がやってきて、色々話を聞かれたことに始まり、
自然災害で起きた人命救助の不備を指摘した記事をRT(拡散)したことにより逮捕される。
R Tで逮捕なのだ。辣椒がインフルエンサー(影響力がある人)だからである。
インフルエンサーになら逮捕に抵抗する対抗手段もある。ネットでSOSを求めるのだ。
「革命が起こったらお礼参りに行く」という脅しには役人も怯えるらしい、というのが面白い。
なろう小説のようにそれで無双はできないにせよ、ある程度の駆け引きが可能なのだ。
まあ、それが通用するのも政治犯としてまだ小物だからなのかもしれないが。
そんな国にいるものだから、来日した辣椒は日本に感激する。
そのことを親日的だと非難され、帰国することが出来なくなるのだが。
辣椒は日本の選挙運動をみて、真っ当だと涙を流すほど感激したという。
同時に、そんな日本の政治を、必要以上に非難する人たちに強烈な違和感を受けたとも漫画に描いている。
ですよね!
また、それによって左翼運動家から非難を受けることもあったようだ。
まあそれも漫画を出版した2017年の話で、
今現在の辣椒が日本に対してどういう感想を持っているかは分からない。
隣の芝生は青く見えるもの。
雁屋哲にとってのオーストラリア、
ひろゆきにとってのフランス、
フェミニストにとってのスウェーデン、
実際に住んでみれば、色々とアラが見えてくるものだ。
問題を抱えてない地上の楽園みたいな国があるとすれば、そんなものは北朝鮮のような国なのだろう。
(画像は小池みき「同居人の美少女がレズビアンだった件。」Kindle Unlimited対象作品)
世界は繋がっている。
他国と比較して、当たり前がどこなのか、
違うとしたらどんな事情があるのか、
変わることでどんな影響が生じるのか、
そこまで加味して風刺する。
そんなことの出来る漫画家がどれぐらいいるか。
見識を持った運動家もどれぐらいいるか。
そして批判によって起こる摩擦にどれぐらい耐えられるのか。
そんなのが、たくさんいるわけは無いのである。
風刺漫画家は、幼稚で浅はかなのが有象無象だと劇画をよく批判していたが、
風刺漫画家にしたって玉石混交だったはずである。
新聞の風刺漫画が、少年ジャンプのようにアンケート競争の完全実力主義だったら、
横山泰三の連載が39年間1万3561回も続いているはずがない、
という事を最近よく考えるのだが、
それで連想するのは成人功「いんちき」の最終回だ。
「うあー なんかこのまま新聞の4コマみたいに1万回くらい続けさせてもらって細々と生きてく人生設計があ〜」
(ちなみに1996年ごろ「アフタヌーン」で連載されていた。全2巻でプレミアがついている。)
風刺漫画がヌルいというのは、何十年も前から国民的共通認識なのかもしれない。
新聞みたいな安定したところで年金もらうような仕事をしている人が、
国家的な弾圧に逆らって漫画を書くことなどできるわけがないではないか。
国家の弾圧に耐えた偉人の漫画はいっぱいあるが、
そこに出てくる拷問は、「勇午」や大西巷一の漫画にように詳しく描かれていない。
のちに自分の伝記が出版されると分かっていたならまだ拷問に耐えられるかもしれないが、誰も知られず痛い思いをして死んでいくぐらいだったら宗旨替えして相手の靴を舐めた方がマシ、という考えも分かる。
そういうことを踏まえた上で、風刺というものを考えていきたいのである。
とりあえず小林よしのりと、辣椒と井上純一は立派だ。
わたしゃ真似できません。
俺がいきなり中国共産党を称賛し始めたら、ステマを疑うのではなく「ああ、この人もうすぐ中国行くんだな」と思っていただけると幸いです。
— 井上純一(希有馬屋)『逆資本論』発売中 (@KEUMAYA) December 4, 2019
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