殺人者か恐喝者か運命のジャッジ。ホンダの欠陥車騒動完結編 [名作紹介]

タミヤ 1/18 チャレンジャーシリーズ No.10 Honda N III 360 プラモデル 10010
- 出版社/メーカー: タミヤ(TAMIYA)
- 発売日: 2018/05/26
- メディア: おもちゃ&ホビー
前回からの続き。
欠陥車として糾弾されたホンダN360とはどんな車だったのだろう。
当時軽自動車で120km以上のスピードが出るのは画期的なスペックだったそうだ。
しかも値段も31万円台と格安だった。売れに売れた。
だがそのスピードが仇になった。(ここから田口トモロヲの声で)
高速走行時に車が横ぶれする欠陥があると糾弾され、国会でも取り上げられた。
低姿勢のトヨタ・日産とは逆に、ホンダは毅然と反論して高飛車だと批判された。
ホンダの態度に苛立ったある議員は言った。
「構造に問題がないというのなら、公開テストに応じるつもりはあるか」
ホンダの代表、西田は言った。
「望むところです。公正な形でテストしていただければ、公正な結果が出るはずです。」
全14台のN360が法務省の裏庭に集められ、谷田部のテストコースに移送された。
審判は東大生産技術研究所教授の亘理厚(わたりあつし)。
自動車の振動・騒音研究の祖である(ウィキ)。
ユーザーユニオンからは松田が。
ホンダからはN360の開発に関わった主任技師が立ち会った。
テストに使用する車についても、激しい戦いがあった。
事故を起こしたN360があると聞けば、ユニオンとホンダとの間で激しい奪い合いが起こった。ユニオンからすれば大事な証拠になるかもしれない車だ。だが、この車は月賦を払い終えてないぞと、ホンダが強引に奪い取って修理してしまうこともあったという。
ユーザーユニオンも負けてはいない。
そのバックにはホンダによってお役御免になったディーラーたちがいた。
明治維新に尽力した武士が用済みになり西南戦争を起こしたように、ホンダが一流企業になる過程で切り捨てられた代理店たちが結集して証拠集めに奔走していたのである。中には「本田宗一郎と刺し違えたい」とまで憎悪を滾らせるものもいた。ホンダが態度を硬化させる一因がここにあった。
亘理の鑑定結果の要点は次の2点だ。
1:初期に生産された車は時速80kmを超すと経験不足のドライバーではコントロールできなくなる運動特性がある。したがって大衆車としては不向きである。
2:こうした運動特性が直ちに事故につながるかどうかは、運転者が死亡していたり、車が破損しているためはっきりしない。
N360の欠陥を認めつつも、死亡事故との因果関係は不明という、玉虫色の結論になった。
東京地検はその鑑定結果を吟味し、ユーザーユニオンによる本田宗一郎の殺人罪の告訴は不起訴処分となった。鑑定結果を待たず、N360はすでに全く売れなくなっていた。
現代に生きる私たちは、この事件をどのように捉えたらいいのか。
不起訴という結論から、当時のホンダの安全基準は一般的なものだったのだろう。
だが、今現在の安全基準とは比べるべきもないのだと思う。
というか、この事件から日本車の安全基準が格段に引き上げられたであろうことは想像に難くない。
ユーザーユニオン事件について知りたくて読んだ伊藤正孝「欠陥車と企業犯罪」はちょっとバランスの悪い本に感じた。当時、欠陥車キャンペーンをやっていた朝日新聞記者が書いているのだからしょうがない。

欠陥車と企業犯罪―ユーザーユニオン事件の背景 (現代教養文庫―ベスト・ノンフィクション)
- 作者: 正孝, 伊藤
- 出版社/メーカー: 社会思想社
- 発売日: 2020/04/10
- メディア: 文庫
バランスを取るために佐藤正明「ホンダ神話」を読んだ。
読んでから知ったが、この本はオックスフォード大学出版から英訳版も出ているのだそうだ。
「ホンダ神話」は朝日ら新聞のキャンペーンを魔女狩りだとホンダに同情的でありながらも、「N360の欠陥の原因は今にして思えば、明らかに技術の未熟さに由来している。だが当時はまだメーカーにPL(製造物責任)の考えが希薄で、ホンダ自身、宗一郎以下だれもがPLの自覚を持っていなかった。(中略)ホンダには、四輪車作りのマニュアルがない。だれもが初めての経験である。海外企業とのライセンス生産の経験があれば、それを真似て独自のマニュアルを作れるが、ホンダにはそれもない。製品のテストですらどの程度やればよいのかが分からず、自分たちがある程度納得すれば、それで終了する。」と、手厳しい。
このテストという言葉に関してだが、
N360を社会面のトップで名指しで批判した朝日新聞は、
自動車メーカーはユーザーを使って製品テストしているとして批判した。
もちろんホンダは否定した。
不謹慎にもちょっと面白かったのだが、
ちょうど調べ物をしていて、当摩節夫の「プリンス自動車」という3200円もする本に面白い記述を見つけた。
>試作1号車から発売まで3週間ということは、信じられないかもしれないが、この時代、メーカーは発売前に充分なテストは行われず、ユーザーがテストドライバーのようなもので、クレーム報告を迅速、的確にフィードバックすることが重要であった。こうして勉強を重ね、日本の電気自動車産業は発展してきたのである。

1952年ごろの「電気自動車」の業界話であるが、15年たったユーザーユニオン事件の頃のガソリン自動車業界も、今の感覚からしたら大差ないのではないかと思ってしまうがどうだろう。
いくつかN360を欠陥車とするブログを読んだが、熱心にN360を擁護する人たちのコメントが寄せられていて興味深く思う。不起訴だからN360は欠陥車なんかじゃないんだと反論、論破してやるのだと鼻息が荒い。ホンダの人なのか、それともファン心理なのだろうか。車のことは詳しくないのでその心理はよく分からない。
欠陥車騒動に対する反論ではないが、当時N360でロングドライブをした思い出を純粋に語るブログなどもあり、こちらも興味深く読ませていただいた。N360が愛された車でもあったことは心に留めておかないといけないと思う。
ユーザーユニオン事件によってリコールという考え方、文化が広く日本に浸透したのではないか?
全く車に興味がない自分だが、偶然にも今、ホンダ車に乗っている。
調べてみると、異常にリコールの多い車だそうである。
あまり不自由はしてないけどね。。。
→このシリーズの記事を最初から読む。
<2023年3月21日追記>

(富士重工業、現在のSUBARUに勤めていた黒井千次の著書のコミカライズ、「働くということ」に欠陥車問題当時の業界人の心情を描いたエピソードがある。作画:池田邦彦)
コメント 0