たけし、志村けんについて語る。書き起こし。 [時事ネタ]
TVでビートたけしが、亡くなった志村けんについて語ってた動画を見た。
動画は消されると思うので、一部手を加えて書き起こす。
安住「先週、放送がありませんでしたので、今日はぜひお聞きしたいと思います。」
以下、ビートたけし↓
けんちゃんは苦労してるからね。
荒井注さんが辞めるまではドリフの『坊や』だからね。
それまで浅草でマックボンボンってコンビをやってた
『坊や』ってキツいから、外に座らされたり。
そうやって成り上がってきたんだけど
オイラたちの『ひょうきん族』ってTV番組ができたのは漫才ブームの後で、
どうにか裏番組のドリフを追い抜こうと頑張った。
ドリフはお菓子で言えばちゃんとした砂糖と小豆の味なの。
計算したお笑いなんだね。
『ひょうきん族』はテレビの裏側まで見せる人工甘味料みたいなもの。
人工甘味料と本物の味とで戦ったの。
どうしても人は新しいものに目が動くから、視聴率で追い抜いちゃったこともある。
そうしたら結果的に両方ともダメになっちゃった。
俺は映画行ったりいろいろやったけど、
志村のけんちゃんは加藤さんと組んで、ちゃんとした正当な東京のコントをやったの。
その後、深夜番組に移っても、ずうっと東京のコントを続けた。
関西のコントの防波堤になったんだよ。素晴らしい人だよね。
俺とけんちゃんが組んでコントをやったことあるけど、お互いにボケツッコミの関係で噛み合わないんだ。やっぱりクワマンとかダチョウ倶楽部とか、あの辺じゃなきゃでダメなんだよ。
最近、けんちゃんが三味線で俺がタップで踊ってる動画があがってるのを見て、
ずいぶん苦労したけどこんな時代もあったんだって思い出して喜んでる。
志村のけんちゃんはお笑いについてはコント、芸人そのもの。
俺はいろんなものに手をだすけどこの人はコントひとすじ。
なかなかできないですよこういう人は。
TVの時代がいろいろ変化しても、この人はコントというお笑いを突き詰めていく。
その代わりけんちゃんは俺にこぼすんだけど喋り下手なんだよ。
「しゃべれねえんだ。フリートーク下手でなあ」って。
正直、何もこれで逝かなくていいじゃんって思うけどね。
いずれ人間は死ぬけど、何もこの芸人がこんなとこでって思うけど。
逆に考えればけんちゃんはいいとこでおさまったなっていう感じなの。
俺はもっと苦労するのかな
逆に言えば幸せじゃん。
売れたまんまいなくなってくんだからさ。
そんなこと言うとファンに怒られちゃうけど。
俺とさんまは孤独死だよってよく言ってる。
ちょっと鬱に、ノイローゼになっちゃって何も考えなくなったね。
俺はこれからどういう人生を歩むんだまで考えたよ。
でも、ちょっと冷静になれば、
やりたいと思ったことを一生懸命やるべきだと。
余計なこと考えてもしょうがないんじゃない?
安住「大変な時代ですが私たちもいますので、頼ってください。」
フォローを入れる優しい安住アナ。
感想。
自分は物心ついたときに志村けんが大人気だった直撃世代。
好きだったけども、自分が成長するにつれ次々に新しいお笑いが出てくる中で、ドリフ的お笑いは古いもの、子供向けだと嫌悪する時期もあった。
志村けんが亡くなって、松本人志やビートたけしがリスペクトを発するのを見ていて、やっぱり芸人目線でちゃんと評価してるんだなあと感心する。感心するのだが、それはやっぱり加齢して達観したからかもしれないなとも思う。リアルで争っているときはもっとギラギラしていたはずだ(と思う)。
いかりや長介の本「だめだこりゃ」を読むと、たけしとTV局の廊下で遭遇したエピソードが書かれている。
>何事にも終わりは来る。
>前年からのマンザイ・ブームの勢いを駆って1981年春から「全員集合」の裏番組として「オレたちひょうきん族」が」始まった。
>視聴率30%を越していた「全員集合」の裏とあって、開始しばらくは低迷していた「ひょうきん族」だが、じわじわと人気を広げ、1984年あたりには視聴率で「全員集合」が抜かれる週も出てきた。ただ、私は生で裏番組をやっていたこともあり、「ひょうきん族」をあまり熱心に見た記憶はない。これはコント55号のときもそうだった。欽ちゃんだ、マンザイだと、ライバルと目される裏番組をチェックして研究したりするよりも、ひたすら次の生放送のネタに追われていた。そんな歳月がずうっと続いていた。
>その頃のこと、フジテレビの廊下でタケチャンマンの格好をしたたけしと出会ったことがある。
>彼は照れ臭そうにうつむきかげんのまま、早口で、「手ェ抜いて適当にやってますから」と言った。
>私に気をつかっての言葉だったのかどうか、私が返事をする前に、彼の姿は消えていた。タケちゃんらしいナイーブな挨拶の仕方だ。
このエピソードがなんか好き。
あと、女性の趣味があまりよくなかったみたいな話を松本とか山田邦子とか遠回しに言っていた。「志村最後の女」と話題になっている人を見たが、うーんって感じだ。その人から結婚しない理由を聞かれて「好きな人とは両想いになれなくてさ」なんてことを言っていたらしい。そのまんま言ったかどうかは知らないけども、こういう言葉使いのセンスから、志村けんってモテなかったんじゃないかと思う。
今回のたけしの追悼コメント内での、フリートークが苦手とこぼしていたエピソードから、やはり喋りって重要だなとイケメン彼女いたことなしのオレは思うわけである。
動画は消されると思うので、一部手を加えて書き起こす。
安住「先週、放送がありませんでしたので、今日はぜひお聞きしたいと思います。」
以下、ビートたけし↓
けんちゃんは苦労してるからね。
荒井注さんが辞めるまではドリフの『坊や』だからね。
それまで浅草でマックボンボンってコンビをやってた
『坊や』ってキツいから、外に座らされたり。
そうやって成り上がってきたんだけど
オイラたちの『ひょうきん族』ってTV番組ができたのは漫才ブームの後で、
どうにか裏番組のドリフを追い抜こうと頑張った。
ドリフはお菓子で言えばちゃんとした砂糖と小豆の味なの。
計算したお笑いなんだね。
『ひょうきん族』はテレビの裏側まで見せる人工甘味料みたいなもの。
人工甘味料と本物の味とで戦ったの。
どうしても人は新しいものに目が動くから、視聴率で追い抜いちゃったこともある。
そうしたら結果的に両方ともダメになっちゃった。
俺は映画行ったりいろいろやったけど、
志村のけんちゃんは加藤さんと組んで、ちゃんとした正当な東京のコントをやったの。
その後、深夜番組に移っても、ずうっと東京のコントを続けた。
関西のコントの防波堤になったんだよ。素晴らしい人だよね。
俺とけんちゃんが組んでコントをやったことあるけど、お互いにボケツッコミの関係で噛み合わないんだ。やっぱりクワマンとかダチョウ倶楽部とか、あの辺じゃなきゃでダメなんだよ。
最近、けんちゃんが三味線で俺がタップで踊ってる動画があがってるのを見て、
ずいぶん苦労したけどこんな時代もあったんだって思い出して喜んでる。
志村のけんちゃんはお笑いについてはコント、芸人そのもの。
俺はいろんなものに手をだすけどこの人はコントひとすじ。
なかなかできないですよこういう人は。
TVの時代がいろいろ変化しても、この人はコントというお笑いを突き詰めていく。
その代わりけんちゃんは俺にこぼすんだけど喋り下手なんだよ。
「しゃべれねえんだ。フリートーク下手でなあ」って。
正直、何もこれで逝かなくていいじゃんって思うけどね。
いずれ人間は死ぬけど、何もこの芸人がこんなとこでって思うけど。
逆に考えればけんちゃんはいいとこでおさまったなっていう感じなの。
俺はもっと苦労するのかな
逆に言えば幸せじゃん。
売れたまんまいなくなってくんだからさ。
そんなこと言うとファンに怒られちゃうけど。
俺とさんまは孤独死だよってよく言ってる。
ちょっと鬱に、ノイローゼになっちゃって何も考えなくなったね。
俺はこれからどういう人生を歩むんだまで考えたよ。
でも、ちょっと冷静になれば、
やりたいと思ったことを一生懸命やるべきだと。
余計なこと考えてもしょうがないんじゃない?
安住「大変な時代ですが私たちもいますので、頼ってください。」
フォローを入れる優しい安住アナ。
感想。
自分は物心ついたときに志村けんが大人気だった直撃世代。
好きだったけども、自分が成長するにつれ次々に新しいお笑いが出てくる中で、ドリフ的お笑いは古いもの、子供向けだと嫌悪する時期もあった。
志村けんが亡くなって、松本人志やビートたけしがリスペクトを発するのを見ていて、やっぱり芸人目線でちゃんと評価してるんだなあと感心する。感心するのだが、それはやっぱり加齢して達観したからかもしれないなとも思う。リアルで争っているときはもっとギラギラしていたはずだ(と思う)。
いかりや長介の本「だめだこりゃ」を読むと、たけしとTV局の廊下で遭遇したエピソードが書かれている。
>何事にも終わりは来る。
>前年からのマンザイ・ブームの勢いを駆って1981年春から「全員集合」の裏番組として「オレたちひょうきん族」が」始まった。
>視聴率30%を越していた「全員集合」の裏とあって、開始しばらくは低迷していた「ひょうきん族」だが、じわじわと人気を広げ、1984年あたりには視聴率で「全員集合」が抜かれる週も出てきた。ただ、私は生で裏番組をやっていたこともあり、「ひょうきん族」をあまり熱心に見た記憶はない。これはコント55号のときもそうだった。欽ちゃんだ、マンザイだと、ライバルと目される裏番組をチェックして研究したりするよりも、ひたすら次の生放送のネタに追われていた。そんな歳月がずうっと続いていた。
>その頃のこと、フジテレビの廊下でタケチャンマンの格好をしたたけしと出会ったことがある。
>彼は照れ臭そうにうつむきかげんのまま、早口で、「手ェ抜いて適当にやってますから」と言った。
>私に気をつかっての言葉だったのかどうか、私が返事をする前に、彼の姿は消えていた。タケちゃんらしいナイーブな挨拶の仕方だ。
このエピソードがなんか好き。
あと、女性の趣味があまりよくなかったみたいな話を松本とか山田邦子とか遠回しに言っていた。「志村最後の女」と話題になっている人を見たが、うーんって感じだ。その人から結婚しない理由を聞かれて「好きな人とは両想いになれなくてさ」なんてことを言っていたらしい。そのまんま言ったかどうかは知らないけども、こういう言葉使いのセンスから、志村けんってモテなかったんじゃないかと思う。
今回のたけしの追悼コメント内での、フリートークが苦手とこぼしていたエピソードから、やはり喋りって重要だなとイケメン彼女いたことなしのオレは思うわけである。
タグ:ドリフターズ
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