松丸亮吾の「過去発言との矛盾を指摘するのは違う」論を考える [心に残る1コマ]
松丸亮吾というインフルエンサー(メンタリストDaiGoの兄なのだそうだ)のツイートが印象に残った。
>「年が経つうちに色んな経験をして考え方が変わるのは自然だし」
これは分かるのだが、問題のツイートは
>「過去の発言と今の発言のスクショを並べて」
とあるので、Twitterの色んな所でよく見かけるツッコミに対する予防線として言及している印象もつ。この件で擁護できるケースをあまり見たことがない。
「ツイッター」「矛盾」で検索したら出てきた一例がこれ。
まあ別に責めるほどのことじゃないけど、イキった感じが出てるだけになんか面白い。
以前こういった事例について考えたことがあった
小山ゆう「お〜い!竜馬」を読んだ時だ。
なので今回改めて記事化してみた。
主人公の竜馬が幕府の要人を暗殺するために屋敷を訪ねたところ、
要人の話を聞いているうちに考えを変え、弟子入りをしてしまうという定番の「物語」がある。
「わかったことは坂本さまが変節漢だということです!!」と竜馬を非難するヒロインに、
「俺は正しいと思える新しい考えが見つかりゃ、何度でもコロコロと心変わりするぜよ」
と答えて仲間を呆れさせる。
竜馬の思考の柔軟性をうまくコミカライズしていると思わされて、
一見かっこいいと思ってしまうのだが、それは我々が後の歴史を知っているからではないだろうか。
「正しいと思える考えが見つかれば改める」というのは極めて合理的というか、本来そうあるべきなんだけども、これを推し進めると単なる発言に責任を持たない無責任な人ということになってしまう。
冒頭の松丸さんのツイートも、「その通り!」「よくぞ言ってくれた」なんて絶賛のリプライが殺到していたが、そういう人たちは将来「発言は常に首尾一貫すべし」と松丸さんが言い出しても許容するという話になる。
発言自体が既に矛盾を起こしているんよ。
思い出すのは手塚治虫のブッダに登場する、なにも信じない主義の高僧だ。
「なんでもホイホイ信じれば いずれとんでもない間違いをおかす」という考えは素朴で真っ当なのだが、これが先鋭化してあらゆることを疑いだす。疑い出せばキリがない。
そして優れた弟子の二人に、「では師も信じなくてよろしゅうございますか」と見限られてしまう。
みなもと太郎の「風雲児たち外伝風雲戦国伝」に、
「裏切りは大好きだが裏切り者は大嫌いだ」と言っていた家康が、
藤堂高虎は誠実な裏切りだと評価するシーンがある。
戦国時代は裏切ってはみたものの、評価されるケース、されないケースさまざまだ。
「不思議の勝ちあり、不思議の負けなし」と言うが、
評価される変節には美学が伴うと思う。
横山光輝「項羽と劉邦」に「一言を吐けば万金を積まれてもそれを変えず」というセリフがある。
己の悲運を予期しつつ、それに殉ずる軍師、范増のカッコよさがある。
「蒼天航路」で、のちに生涯の主君になることになる劉備にスカウトされた趙雲が、
公孫瓚の部下になると宣言した直後なので申し出を即断するシーンもかっこいい。
一切考えを変えるつもりがなく議論にのぞむのであれば考えものだけれども、
本来こんなふうに自らの発した言葉には責任を持つのが基本姿勢であるべきだと思う。
范増と趙雲はちと頑固すぎるが。
たかだかTwitterで発言の矛盾を指摘されたぐらいで、
そんなの別にいいじゃんと言う理屈をぶち上げてしまうのは、
やはりなかなか詭弁なのではないかなと俺は思う。
過去の発言と今の発言のスクショを並べて「矛盾してる!」「ブーメラン」みたいに言うのはちょっと違うよなぁ、とたびたび思う
— 松丸 亮吾 (@ryogomatsumaru) April 4, 2023
年が経つうちに色んな経験をして考え方が変わるのは自然だし、生涯を通して全ての発言に一貫性のある人なんていないんじゃないかなぁ
>「年が経つうちに色んな経験をして考え方が変わるのは自然だし」
これは分かるのだが、問題のツイートは
>「過去の発言と今の発言のスクショを並べて」
とあるので、Twitterの色んな所でよく見かけるツッコミに対する予防線として言及している印象もつ。この件で擁護できるケースをあまり見たことがない。
「ツイッター」「矛盾」で検索したら出てきた一例がこれ。
まあ別に責めるほどのことじゃないけど、イキった感じが出てるだけになんか面白い。
以前こういった事例について考えたことがあった
小山ゆう「お〜い!竜馬」を読んだ時だ。
なので今回改めて記事化してみた。
主人公の竜馬が幕府の要人を暗殺するために屋敷を訪ねたところ、
要人の話を聞いているうちに考えを変え、弟子入りをしてしまうという定番の「物語」がある。
「わかったことは坂本さまが変節漢だということです!!」と竜馬を非難するヒロインに、
「俺は正しいと思える新しい考えが見つかりゃ、何度でもコロコロと心変わりするぜよ」
と答えて仲間を呆れさせる。
竜馬の思考の柔軟性をうまくコミカライズしていると思わされて、
一見かっこいいと思ってしまうのだが、それは我々が後の歴史を知っているからではないだろうか。
「正しいと思える考えが見つかれば改める」というのは極めて合理的というか、本来そうあるべきなんだけども、これを推し進めると単なる発言に責任を持たない無責任な人ということになってしまう。
冒頭の松丸さんのツイートも、「その通り!」「よくぞ言ってくれた」なんて絶賛のリプライが殺到していたが、そういう人たちは将来「発言は常に首尾一貫すべし」と松丸さんが言い出しても許容するという話になる。
発言自体が既に矛盾を起こしているんよ。
思い出すのは手塚治虫のブッダに登場する、なにも信じない主義の高僧だ。
「なんでもホイホイ信じれば いずれとんでもない間違いをおかす」という考えは素朴で真っ当なのだが、これが先鋭化してあらゆることを疑いだす。疑い出せばキリがない。
そして優れた弟子の二人に、「では師も信じなくてよろしゅうございますか」と見限られてしまう。
みなもと太郎の「風雲児たち外伝風雲戦国伝」に、
「裏切りは大好きだが裏切り者は大嫌いだ」と言っていた家康が、
藤堂高虎は誠実な裏切りだと評価するシーンがある。
戦国時代は裏切ってはみたものの、評価されるケース、されないケースさまざまだ。
「不思議の勝ちあり、不思議の負けなし」と言うが、
評価される変節には美学が伴うと思う。
横山光輝「項羽と劉邦」に「一言を吐けば万金を積まれてもそれを変えず」というセリフがある。
己の悲運を予期しつつ、それに殉ずる軍師、范増のカッコよさがある。
「蒼天航路」で、のちに生涯の主君になることになる劉備にスカウトされた趙雲が、
公孫瓚の部下になると宣言した直後なので申し出を即断するシーンもかっこいい。
一切考えを変えるつもりがなく議論にのぞむのであれば考えものだけれども、
本来こんなふうに自らの発した言葉には責任を持つのが基本姿勢であるべきだと思う。
范増と趙雲はちと頑固すぎるが。
たかだかTwitterで発言の矛盾を指摘されたぐらいで、
そんなの別にいいじゃんと言う理屈をぶち上げてしまうのは、
やはりなかなか詭弁なのではないかなと俺は思う。
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