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ノイズ感じる「ソフィアの歌」はどうやって描かれたのか。 [歴史漫画]

五木寛之の文字の本、「ソフィアの歌」を読み終えた。
漫画の原作小説かと思いきや、ルポルタージュものだった。
これを取り寄せたきっかけは、漫画版を読んでの違和感である。

ソフィアの歌 (Asuka comics deluxe)

ソフィアの歌 (Asuka comics deluxe)

  • 作者: 森川 久美
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2020/10/22
  • メディア: コミック

 
五木寛之原作、森川久美作画の漫画、「ソフィアの歌」は、
大黒屋光太夫の史実を、いわゆる少女漫画の文法に当てはめた作品だ。
光太夫がまるで雨の中で子猫を拾う不良少年のように描写されているのが面白い。
ソフィア1.png

ソフィアはヒロインの名前だが、
漫画では全く何の説明もなく、同じ名前の人物が出てきて混乱する。
上下の画像でアップになっている女性、ぱっと見で違う人物だと認識できるだろうか。

ソフィア2.png
(唐突に登場するもう一人のソフィア。右下に小さく描かれているのが主人公のソフィア)

この二人のソフィアがいたのも史実通り。
しかも二人とも「ソフィア・イワーノヴナ」と、全くの同姓同名であったらしい。
今はどうだか知らないが、この頃のロシアは名前のバリエーションが少なく、いわばロシアあるあるだったようだ。

年増のソフィアは宮廷の秘書官の妻で、
それより若くて未婚のソフィアは光太夫の居候先の娘で漫画の主人公。
光太夫をモチーフにした歌を作り、演奏して聴かせたと徳川幕府の記録にも残っている。

同じ名前、これだけ聞けば何かしら伏線だと思ってしまうだろう。
同じ名前を持っているが全く違った二人の対比が描かれる物語なんだと構えてしまう。
が、この漫画「ソフィアの歌」は全くそうではない。
このプロットは、話の展開に全く影響を及ぼさないのだ。

というか、描いている人が、二人をまるで同姓同名だということに
気づいて無いかのようですらあるのだ。
なんなのだこれは。

漫画の定石から言えば、「単に史実通りです」と注釈を入れるか、むしろ年増のソフィアを全く出演させないか、名乗らせないべきなのだ。実際、同じモチーフの作品、「おろしや国醉夢譚」「風雲児たち」、それ以外のどの作品を見てもどちらか一方のソフィアを無視する手法をとっている。

「ソフィアの歌」漫画版がどうして両方のソフィアを登場させ、
注釈すら入れなかったのかは謎である。

 
この漫画は他にもおかしいところがある。
日本に帰国したのが4人になっているのだ。
実際は3人で間違いない。新事実が発覚して人数が増減とかもない。
ロシアまで取材に行って本を書いている五木氏が間違えるとは考えにくい。
森川久美1.png
森川氏が写し間違え、担当編集者の山口氏が見逃してしまった?
五木氏が描き間違えたにしても、
森川、山口の二人ともあまり史実に関心がなかったとしか思えない。

もっとも読者も史実に関心がないのかもしれない。
ネットに山ほどある感想は絶賛で埋め尽くされており、誰も間違いを指摘してない。
というか、月刊カドカワの連載という形で作品が世に出て、単行本が出るまで誰も気づいていないのだ。原作者も献本をチェックしてないのだろうか?

漫画の中で、
最初に光太夫一行の人数に触れた箇所では5名となっている。
「イルクーツクで待ってる4人の仲間」と光太夫で5名だ。
森川久美3.png
(このコマは最初ではないが、こちらの方がわかりやすい)

ここまでは正しく認識されている。
そこから漫画では新蔵という男がロシアに残ると言い出す。
これで4名だ。

実際は庄蔵という男も残るのだが、漫画には登場しない。
庄蔵は大変人間くさい人物で、帰国間際になって周囲をかき回す。
五木氏からすれば勿論ヒロインとの別れを重点的に描きたい。
だから庄蔵は省略されたと思うのだが、そんなことを知らない森川山口両氏は5-1=4だよなと単純に勘違いした?

原作に人数はどう書かれていたのか?
それが気になって文字で書かれている「ソフィアの歌」を購入したのだが、全くジャンルが違う本だった。

五木から森川に渡された原稿には「4」と書いてあったのか「3」と書いてあったのか。3と書いてあった可能性が高いと思うが、気を利かせて4に戻してしまったのだろうか。よくわからない。

別に間違いを指摘してマウントを取りたいいわけじゃない。
どういう制作環境だったんだろうなというのが気になるのである。

 
他に気になる箇所があって、
漫画版「ソフィアの歌」の光太夫の人物描写が、
他の同じモチーフ作品とは全く異なるのである。
文字版の「ソフィアの歌」の中で語られる五木氏の認識とも異なるのだ。

ウルトラ単純に違いを言うと、
卓越した見識で仲間をまとめあげていたと一般的には認識されている光太夫像が
漫画「ソフィアの歌」での光太夫は未熟な男で、仲間たちから軽蔑されているのだ。
クラスで浮いた行き場のない不良少年にように。

これは漫画「ソフィアの歌」の終盤で明かされる事実で、
そもそも漂流の原因は、周囲の忠告を無視して出向した光太夫の蛮勇であったと明かされるのだ。

森川久美2.png
これまでの光太夫像をひっくり返す思いがけない展開に、ひょっとして歴史的新事実があるのかと思って検索したが、ネタもとになってるような記事は出てこない。まあ「北槎聞略」ですら読んでない私なので単に勉強不足なのかもしれないが、よくよく考えてみると同じ時期にたくさんの船がこの時期に海の藻屑となっているそうなのである。光太夫の出航は、妥当な判断だと思って違いないと思うのだがどうだろうか。

別にそういう脚色があってもいいのだけども、
そういった未熟で皆に嫌われる光太夫だったら、
サンクトペテルブルグまで辿り着けないよなあと思うのだ。

だからこの脚色は、
サンクトペテルブルグ到達以降の光太夫しか知らない人だからこそできるアレンジだと思うのだ。

そうなると、作画の森川さんが怪しいという流れになる。

漫画原作者と作画担当者の関係というのは様々である。
バクマンのように友情パワーに溢れたものもあれば、仲が悪い場合もある。

原作を一言一句変えるなという原作者もいれば、
お好きにどうぞという原作者もいる。
そっちに任せますよ、でも直しには応じませんからねという原作者もいる。

五木寛之と森川久美の関係がどうだったのか。
おそらく五木氏は割と「おまかせ」の態度だったのではなかろうか。

ルポ版「ソフィアの歌」を読んで、五木氏が「井上靖はなぜ一方のソフィアを(おろしや国酔夢譚で)無視したのか?」と書いていることがわかった。そこまで関心があるのである。おそらく最初は二人のソフィアを対比させて描くコンセプトがあった。

が、途中から路線変更があり、それらの伏線は全て無視されたのではないか?
例えば森川さんが「恋愛漫画ってのはそうじゃない」と主張した?
あるいは二人のソフィアをテーマに結末を書くのが難しくなって五木氏が投げた。

どちらにせよ、漫画の後半は森川氏に主導権が移ったと考えるのが自然だと思うがどうだろうか。

漫画「ソフィアの歌」の後書きには、原作者と作画家の両方で互いに賛辞を送っている。
特に五木氏は4pに渡って、上下段で作品の解説をしている。
ミュージカルにしたいとまで言っている。
仲は悪くなさそうだ。


 


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