漫画は女を表現できるのか?手塚治虫「ばるぼら」は傑作だった。 [モテる漫画]
「ヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し…」
1988年から連載の江川達也「まじかるタルるートくん」6巻で見たフレーズを、また漫画で見るとは!
手塚治虫「ばるぼら」(1973年)のヒロインが登場時に暗唱していたので衝撃を受けた。
ポール・ヴェルレーヌの詩で、どちらも上田敏(うえだびん)訳。
昔の漫画家はよく詩を引用するよね。
この詩はノルマンディー上陸作戦の暗号に使われたとして、歴史好きにも有名なのだそうだ。
だらしがないが、変にアートへの造詣が深い不良少女のバルボラ。
彼女に手を焼きながらも共に暮らすことで、色々と思い留まる破滅型の天才文筆家の話だ。
積読になっていたが、山田玲司ときたがわ翔のYouTubeで語られているのを見て、読んでみたら超傑作だった。
まず女性をしっかり描こうとしている。
男女どちらにとっても異性を描くのは難しいとされる。
漫画家の大半は若い頃から仕事漬け。読む方も若いので、あまり経験値は求められない。
ステレオタイプになりがちだが、むしろそれでもいいとされる。
ヒロインのバルボラは、
男性が目を背けたくなるようなあられも無いポーズをとる。
思わず説教したくなるようなノイズだらけのキャラクターだ。
従来の典型的な漫画のヒロイン像を打ち破りたいという手塚治虫の執念を感じる。
他にもタイプの違う、それでいて色気たっぷりの美女を何人も登場させている。
(画像は「ある日の手塚治虫」に寄稿された つのだじろうの作品。)
変態的な性衝動に駆られる作家の美倉洋介を、
最後にバルボラが「いい加減にしろ!」と引っぱたく構成が面白いと思うのだが、話は黒魔術的な変な方向に。
作品のテーマは芸術論に行き着く。芸術とはなんなのか。
このブログでもたびたび引用してきた手塚治虫の言葉、「マンガは残りませんよ」に通じる話だ。
「ばるぼら」が面白かったので、さらに調べてみたら永井豪がリメイクを描いていたので取り寄せ。
2020年から全4回描かれたもので、永井豪と手塚治虫のアメリカ旅行記が巻末に収録されている。
いかにも永井豪らしいアレンジがされていた。
バルボラは堕落しているが性にだらしないかといえばそうでもなく、そこがまたリアリティがあって良いのだが、その辺のバルボラ像の解釈が自分とは違って永井版は今ひとつ合わなかった。
「ばるぼら」は2018年に実写映画も作られている。
バルボラ役が二階堂ふみ。
彼女をひろう作家役が稲垣吾郎で、なかなか現代的で惹かれるキャストだ。
ムネーモシュネー役の渡辺えりも再現度が高い。(お決まりのポーズが無かった気がするが)
Amazonで有料レンタルするか、専門チャンネルに加入することでレンタルより安く視聴ができる。
ちなみにその初回加入時の無料視聴期間があったので、実質タダで見ることができた。
(その専門チャンネルで見たい動画を見つけられなかったので、すぐ解約してしまった)
映画版の監督は手塚眞。
二階堂ふみはかなり景気良くヌードになってくれていたが、自分がイメージしていた、男が目を背けたくなるような堕落したポーズが無かった。ちょっと記号的な不良少女という印象に終わったのが残念に思う。
映画「ばるぼら」公式読本も購入した。
要するにパンフレットのようだ。
撮影を担当した大物、クリストファー・ドイルのコメントが面白い。
>ばるぼらの面白いのは、関わる男性たちに「あなたが思っている夢の女、すなわちファンタジーって、これくらいでしょ、でも、私って、もっとこうなのよ」とビシって鞭を打ったりする。僕はかねがね思うんだけど、日本の男性が抱く、特に映画人の描く女のイメージ、ファンタジーって小さすぎる。それを怖そうよ。
ところで、
女性なら女性をわかるかというとそうでもないと思う。
近年のツイッターでのフェミニスト騒動を見ていると、女性もスケベだという視点が欠けていて、漫画におけるエロ表現は全て男性発だと思い込んで批判をしている人がいる。発信している人が女性とわかると謝罪するかと思いきや、裏切り者扱いが始まる。
異性のことを分かってるなどとは思い込みたくはないが、
幼い頃から同人誌を読んでいた俺には理解できないムーブだ。
ところでバルボラと、彼女に振り回される作家の美倉洋介の関係って、
桜玉吉とぱそみちゃんの関係に似てるよね。
(画像は2001年初版の桜玉吉「幽玄漫玉日記」5巻)
だから俺は「ばるぼら」に惹かれるのかもしれない。
1988年から連載の江川達也「まじかるタルるートくん」6巻で見たフレーズを、また漫画で見るとは!
手塚治虫「ばるぼら」(1973年)のヒロインが登場時に暗唱していたので衝撃を受けた。
ポール・ヴェルレーヌの詩で、どちらも上田敏(うえだびん)訳。
昔の漫画家はよく詩を引用するよね。
この詩はノルマンディー上陸作戦の暗号に使われたとして、歴史好きにも有名なのだそうだ。
だらしがないが、変にアートへの造詣が深い不良少女のバルボラ。
彼女に手を焼きながらも共に暮らすことで、色々と思い留まる破滅型の天才文筆家の話だ。
積読になっていたが、山田玲司ときたがわ翔のYouTubeで語られているのを見て、読んでみたら超傑作だった。
ばるぼら 全2巻(計2冊揃) [完結全巻コミックセット] (角川文庫)
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2023/08/28
- メディア: コミック
まず女性をしっかり描こうとしている。
男女どちらにとっても異性を描くのは難しいとされる。
漫画家の大半は若い頃から仕事漬け。読む方も若いので、あまり経験値は求められない。
ステレオタイプになりがちだが、むしろそれでもいいとされる。
ヒロインのバルボラは、
男性が目を背けたくなるようなあられも無いポーズをとる。
思わず説教したくなるようなノイズだらけのキャラクターだ。
従来の典型的な漫画のヒロイン像を打ち破りたいという手塚治虫の執念を感じる。
他にもタイプの違う、それでいて色気たっぷりの美女を何人も登場させている。
(画像は「ある日の手塚治虫」に寄稿された つのだじろうの作品。)
変態的な性衝動に駆られる作家の美倉洋介を、
最後にバルボラが「いい加減にしろ!」と引っぱたく構成が面白いと思うのだが、話は黒魔術的な変な方向に。
作品のテーマは芸術論に行き着く。芸術とはなんなのか。
このブログでもたびたび引用してきた手塚治虫の言葉、「マンガは残りませんよ」に通じる話だ。
「ばるぼら」が面白かったので、さらに調べてみたら永井豪がリメイクを描いていたので取り寄せ。
2020年から全4回描かれたもので、永井豪と手塚治虫のアメリカ旅行記が巻末に収録されている。
いかにも永井豪らしいアレンジがされていた。
バルボラは堕落しているが性にだらしないかといえばそうでもなく、そこがまたリアリティがあって良いのだが、その辺のバルボラ像の解釈が自分とは違って永井版は今ひとつ合わなかった。
「ばるぼら」は2018年に実写映画も作られている。
【6/28まで】映画『ばるぼら』(完全受注生産)[Blu-ray]
- 出版社/メーカー: 2019『ばるぼら』製作委員会
- 発売日: 2023/08/28
- メディア: Blu-ray
バルボラ役が二階堂ふみ。
彼女をひろう作家役が稲垣吾郎で、なかなか現代的で惹かれるキャストだ。
ムネーモシュネー役の渡辺えりも再現度が高い。(お決まりのポーズが無かった気がするが)
Amazonで有料レンタルするか、専門チャンネルに加入することでレンタルより安く視聴ができる。
ちなみにその初回加入時の無料視聴期間があったので、実質タダで見ることができた。
(その専門チャンネルで見たい動画を見つけられなかったので、すぐ解約してしまった)
映画版の監督は手塚眞。
二階堂ふみはかなり景気良くヌードになってくれていたが、自分がイメージしていた、男が目を背けたくなるような堕落したポーズが無かった。ちょっと記号的な不良少女という印象に終わったのが残念に思う。
映画「ばるぼら」公式読本も購入した。
要するにパンフレットのようだ。
撮影を担当した大物、クリストファー・ドイルのコメントが面白い。
>ばるぼらの面白いのは、関わる男性たちに「あなたが思っている夢の女、すなわちファンタジーって、これくらいでしょ、でも、私って、もっとこうなのよ」とビシって鞭を打ったりする。僕はかねがね思うんだけど、日本の男性が抱く、特に映画人の描く女のイメージ、ファンタジーって小さすぎる。それを怖そうよ。
ところで、
女性なら女性をわかるかというとそうでもないと思う。
近年のツイッターでのフェミニスト騒動を見ていると、女性もスケベだという視点が欠けていて、漫画におけるエロ表現は全て男性発だと思い込んで批判をしている人がいる。発信している人が女性とわかると謝罪するかと思いきや、裏切り者扱いが始まる。
異性のことを分かってるなどとは思い込みたくはないが、
幼い頃から同人誌を読んでいた俺には理解できないムーブだ。
ところでバルボラと、彼女に振り回される作家の美倉洋介の関係って、
桜玉吉とぱそみちゃんの関係に似てるよね。
(画像は2001年初版の桜玉吉「幽玄漫玉日記」5巻)
だから俺は「ばるぼら」に惹かれるのかもしれない。
手塚治虫「ばるぼら」を読みだす。
— ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊) (@hondanamotiaru) July 29, 2023
「ヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し…」
このフレーズを漫画でまた見るとは!Σ(°Д°; pic.twitter.com/GHiczMQzQB
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