あなたのライブラリーはいつか古文書になる。島本和彦「ワンダービット」より「死ぬまでゲーム」 [自炊]
Twitterで、昭和の終わり頃に膨大なビデオライブラリーを作っていたお金持ちのおじいちゃんのインタビュー記事を読んで、「死ぬまでゲーム」を思い出した。
「死ぬまでゲーム」は島本和彦「ワンダービット」の最終話。
ワンダービットは「世にも奇妙な物語」のフォロワー的作品。
基本1話完結で、島本流の奇妙な話を書いている。
「死ぬまでゲーム」は仕事を引退した老人が主人公。
おそらく仕事で大成功して結構なお金持ち。
息子に事業を譲り渡りして悠々自適の身。
終活として、撮り貯めておいた膨大な数のビデオをすべて見るという話。
タイトルが「死ぬまでビデオ」でなく、ゲームになっているのはゲーム雑誌に連載されていたからで、同じようなチャレンジをしているゲーム好きの老人がオチとして使われている。
最初はビデオ鑑賞を楽しんでいた老人だったが、一ヶ月もビデオを見続けていると虚しさを覚え出す。
突如キレ出し、ビデオライブラリーを破壊、焼却。空いたスペースで事業を始めようとする。
親父がおかしくなったと止めに入った息子もまた、老後の楽しみに膨大なビデオライブラリーを作っていた。老人は息子に言う。「ためるだけためるがよい。そして安心して仕事に打ち込め。人生ビデオをためるヒマあっても、見るヒマなどなしっ!」
数年後、老人は死ぬ。
建て増しされた書斎には、また大ビデオライブラリーができていた。
「このビデオたちは一度も見られることがなく処分されてしまうのだろうがー、だからこそ録画主に悔いはないのだろう。」とナレーター的人物がまとめて話は終了する。
ちょっと考えさせられる話である。
おそらく、超多忙な作者の実体験が入っているのだろう。
四半世紀前の漫画なので作者はまだ現役バリバリだが、よくよく考えると老後はこうなるのではと着想したのだろう。それでも録画を止めないのは決して無駄な作業ではなく、安心して仕事に打ち込むためなのだと、肯定的に解釈している。
(こっから漫画の解釈とはちょっとズレてくる話になるが)自分もガチに電子化作業をやっていると、結構な時間を取られてしまう。もっと他に有意義なことができるのではと思うことがよくある。というか将来、定額読み放題制が始まったら無駄な作業である。電子端末がもっと進化して画質が良くなったら?自分のライブラリーなど、見るに耐えないものになってしまうかもしれない。
子供の頃はカセットテープの時代だった。MDになってだいぶ進歩したと思ったものだが、それでも録音編集に結構な手間がかかったものだった。ジョグダイアルで曲名打ち込んだりして。MP3全盛(?)の今、まあMDライブラリーはゴミである。
昔、職場の上司がわざわざ一部屋借りてビデオテープライブラリーを作っていた。DVDが出てきて次世代録画メディア争いが始まった時期、上司はデジタルVHSを選んだ。バカだなあと思ったが、DVD覇権の時代など一瞬で、今やハードディスクの時代(?)である。
ソフトも買い揃えても、ブルーレイだの4Kだの8Kだの次の規格が出てきて、必ずやがてゴミになってしまう。その上、定額制見放題の時代が始まって、もはや物理的にソフトを買う時代でないのかもしれない。
Twitterの老人はすでに亡くなられているそうだが、ビデオライブラリーは現在どうなっているのだろうか。当時の風俗を知る、貴重なデータも多かろうと思う。しかしその情報にアクセスするのも困難だし、保管だって大変だ。ある意味古文書だ。
古文書といえば、今なお解読待ちの古文書が山ほどあり、最近になって歴史の新事実が発見されることも多いけども、ビデオテープも似たようなものなのかもしれない。カウボーイビバップに、ビデオテープを再生しようとして大冒険する話があったなあ。
俺の電子書籍ライブラリーも、いつか古文書になるのだなあ。
誰かアクセスしにくる人はいるのだろうか。
今の若いマニアに「死ぬまでゲーム」を読ませたらどう思うのだろうか。
TeLePAL西版創刊号(昭和57年12月11日発行)を入手。クラレ元会長、仙石襄氏のビデオコレクションが凄まじい。昭和57年の段階でビデオ暦33年。映画・オペラなんでもかんでも録画してたそうな。写真上、全部Uマチックですよね。専属運転手さんもお手伝いさせられてるのくだり、なんか微笑ましい。 pic.twitter.com/b3BFXB2Bh6
— hisashiBLACK (@hisashiblack) 2019年2月8日
「死ぬまでゲーム」は島本和彦「ワンダービット」の最終話。
ワンダービットは「世にも奇妙な物語」のフォロワー的作品。
基本1話完結で、島本流の奇妙な話を書いている。
「死ぬまでゲーム」は仕事を引退した老人が主人公。
おそらく仕事で大成功して結構なお金持ち。
息子に事業を譲り渡りして悠々自適の身。
終活として、撮り貯めておいた膨大な数のビデオをすべて見るという話。
タイトルが「死ぬまでビデオ」でなく、ゲームになっているのはゲーム雑誌に連載されていたからで、同じようなチャレンジをしているゲーム好きの老人がオチとして使われている。
最初はビデオ鑑賞を楽しんでいた老人だったが、一ヶ月もビデオを見続けていると虚しさを覚え出す。
突如キレ出し、ビデオライブラリーを破壊、焼却。空いたスペースで事業を始めようとする。
親父がおかしくなったと止めに入った息子もまた、老後の楽しみに膨大なビデオライブラリーを作っていた。老人は息子に言う。「ためるだけためるがよい。そして安心して仕事に打ち込め。人生ビデオをためるヒマあっても、見るヒマなどなしっ!」
数年後、老人は死ぬ。
建て増しされた書斎には、また大ビデオライブラリーができていた。
「このビデオたちは一度も見られることがなく処分されてしまうのだろうがー、だからこそ録画主に悔いはないのだろう。」とナレーター的人物がまとめて話は終了する。
ちょっと考えさせられる話である。
おそらく、超多忙な作者の実体験が入っているのだろう。
四半世紀前の漫画なので作者はまだ現役バリバリだが、よくよく考えると老後はこうなるのではと着想したのだろう。それでも録画を止めないのは決して無駄な作業ではなく、安心して仕事に打ち込むためなのだと、肯定的に解釈している。
(こっから漫画の解釈とはちょっとズレてくる話になるが)自分もガチに電子化作業をやっていると、結構な時間を取られてしまう。もっと他に有意義なことができるのではと思うことがよくある。というか将来、定額読み放題制が始まったら無駄な作業である。電子端末がもっと進化して画質が良くなったら?自分のライブラリーなど、見るに耐えないものになってしまうかもしれない。
子供の頃はカセットテープの時代だった。MDになってだいぶ進歩したと思ったものだが、それでも録音編集に結構な手間がかかったものだった。ジョグダイアルで曲名打ち込んだりして。MP3全盛(?)の今、まあMDライブラリーはゴミである。
昔、職場の上司がわざわざ一部屋借りてビデオテープライブラリーを作っていた。DVDが出てきて次世代録画メディア争いが始まった時期、上司はデジタルVHSを選んだ。バカだなあと思ったが、DVD覇権の時代など一瞬で、今やハードディスクの時代(?)である。
ソフトも買い揃えても、ブルーレイだの4Kだの8Kだの次の規格が出てきて、必ずやがてゴミになってしまう。その上、定額制見放題の時代が始まって、もはや物理的にソフトを買う時代でないのかもしれない。
Twitterの老人はすでに亡くなられているそうだが、ビデオライブラリーは現在どうなっているのだろうか。当時の風俗を知る、貴重なデータも多かろうと思う。しかしその情報にアクセスするのも困難だし、保管だって大変だ。ある意味古文書だ。
古文書といえば、今なお解読待ちの古文書が山ほどあり、最近になって歴史の新事実が発見されることも多いけども、ビデオテープも似たようなものなのかもしれない。カウボーイビバップに、ビデオテープを再生しようとして大冒険する話があったなあ。
俺の電子書籍ライブラリーも、いつか古文書になるのだなあ。
誰かアクセスしにくる人はいるのだろうか。
今の若いマニアに「死ぬまでゲーム」を読ませたらどう思うのだろうか。
ワンダービット 1~最新巻 [マーケットプレイス コミックセット]
- 作者: 島本 和彦
- 出版社/メーカー: アスキー
- メディア: コミック
2019-02-09 09:32
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0