思ってたのと少し違った、白土三平「からすの子」 [名作紹介]
YouTubeを再開した都合、3ヶ月も放置になってしまった。
しかし放置した方がなぜか見入りは良いのである。
いるんだかいないんだかよく分からない読者様たちありがとう。そしてすまん。
今回は白土三平の「からすの子」を読んだので紹介するよ。
タイトルの「からす」は黒、つまり黒人の子ということだ。
終戦後の日本を舞台にした、差別を受けた黒人少女の物語。
それを階級闘争の漫画を描いてきた白土三平が描いていたことを知って興味を持ち、読みたいと思っていた。
描かれたのは1959年。
購入したのは2011年の復刻版だ。
ついでに言うと、購入してから1年ぐらい積んでいた。
読んでみるとあらびっくり。
若干思っていたのと違う内容だったのである。
食い扶持を稼ぐのは嫁任せで、
育児担当に徹している男が、赤ん坊の入浴を銭湯に行く知人女性に預けたところ、黒人客の赤ん坊とすり替えられ、それに気づかないまま赤ん坊を返しに来てしまうという、ツッコミどころが満載のオープニングであった。
まず気づけよと。
「私が入ってる間に」って、その間は脱衣所に赤ん坊を放置してたんかい?
意外と下町の銭湯に黒人の客は珍しくなかったのか?
黒人の親が実子と日本人の子供を取り替えるメリットは?
めちゃくちゃである。
で、大騒ぎしてる直後に妻が事故に遭い死んでしまって、捜索はうやむやになり、そのまま黒人の子を育てることになる。成長して、肌の色を理由にいじめられることになるという展開。
女性の描き方は忍者武芸帳の頃より艶があると思う。
禁止ワードとして聞いてきた「クロンボ」と言う言葉が何度も使われていて、読んでいて「ウッ」となる。でもまあ差別されるシーンを描いているのだから、いじめる相手が言葉を選んでちゃ問題の深刻さが伝わらない。
(画像は「ゴーマニズム宣言差別論スペシャル」)
で、さらにめちゃくちゃなのが、
ヒロインが神様に祈ると、ある日、肌の色が白くなってしまうのである。
でも代わりに父親の方が肌が黒くなる。等価交換!
で、今度は魔女扱いされて、さらにいじめられてしまうのだ。
新聞で号外が出るわ、ラジオで臨時ニュースが流れるわ、怪獣扱いだ。
最後は一波乱あり、
みんな差別は良くないよねということで、一応ハッピーエンドで終わる。
復刻版では別紙に評論家の梶井純による解説があるが、やはり「無理がある作品」とされている。
「からすの子」は、このように無茶苦茶な作品ではあるが、
梶井氏も指摘されている冒頭の下町の朝の描写が素晴らしい。
貧しいが力強く、庶民が出勤する様子を描いている。
ここだけ見ても白土三平という作家がいかに非凡だったかが分かる。
ネットではたまに「漫画やアニメは黒人が出ないから差別」とか言い出す人が現れる。
差別を糾弾する側に回りたいのだろう。
自分をヒーローにする、新たなフロンティアを見つけたと喜んでいるように見える。
そういう人はサイボーグ009ですら読んだことないのだろう。
過去にいかに黒人描写で激しいトラブルがあったかも知らない。
ほとんどの人が理解していると思うが。
漫画に黒人の描写が少ないのは、まず身近じゃなかったからだ。
自分が黒人と接したのは、東京で格闘技やってた時にナイジェリア人の大男とスパーした時ぐらい。
戦争のにおいが残る昭和中期の漫画に、黒人描写は多くはないが全くないことはない。
「からすの子」にあった、黒人の子が肌の色を汚れだと思って一生懸命洗うというシーンは、昔ジャンプ漫画でも読んだことがあった。確か平松伸二先生の作品だったと思う。こういったテーマを扱う上での、ある種の定番だったのかも知れない。
今は地元でもハーフの子はよく見かけるようになって、
満田拓也先生のメジャーセカンドのアンディやアニータなど、褐色キャラがチームメイトで時代を感じる。
しかし放置した方がなぜか見入りは良いのである。
いるんだかいないんだかよく分からない読者様たちありがとう。そしてすまん。
今回は白土三平の「からすの子」を読んだので紹介するよ。
タイトルの「からす」は黒、つまり黒人の子ということだ。
終戦後の日本を舞台にした、差別を受けた黒人少女の物語。
それを階級闘争の漫画を描いてきた白土三平が描いていたことを知って興味を持ち、読みたいと思っていた。
描かれたのは1959年。
購入したのは2011年の復刻版だ。
ついでに言うと、購入してから1年ぐらい積んでいた。
読んでみるとあらびっくり。
若干思っていたのと違う内容だったのである。
食い扶持を稼ぐのは嫁任せで、
育児担当に徹している男が、赤ん坊の入浴を銭湯に行く知人女性に預けたところ、黒人客の赤ん坊とすり替えられ、それに気づかないまま赤ん坊を返しに来てしまうという、ツッコミどころが満載のオープニングであった。
まず気づけよと。
「私が入ってる間に」って、その間は脱衣所に赤ん坊を放置してたんかい?
意外と下町の銭湯に黒人の客は珍しくなかったのか?
黒人の親が実子と日本人の子供を取り替えるメリットは?
めちゃくちゃである。
で、大騒ぎしてる直後に妻が事故に遭い死んでしまって、捜索はうやむやになり、そのまま黒人の子を育てることになる。成長して、肌の色を理由にいじめられることになるという展開。
女性の描き方は忍者武芸帳の頃より艶があると思う。
禁止ワードとして聞いてきた「クロンボ」と言う言葉が何度も使われていて、読んでいて「ウッ」となる。でもまあ差別されるシーンを描いているのだから、いじめる相手が言葉を選んでちゃ問題の深刻さが伝わらない。
(画像は「ゴーマニズム宣言差別論スペシャル」)
で、さらにめちゃくちゃなのが、
ヒロインが神様に祈ると、ある日、肌の色が白くなってしまうのである。
でも代わりに父親の方が肌が黒くなる。等価交換!
で、今度は魔女扱いされて、さらにいじめられてしまうのだ。
新聞で号外が出るわ、ラジオで臨時ニュースが流れるわ、怪獣扱いだ。
最後は一波乱あり、
みんな差別は良くないよねということで、一応ハッピーエンドで終わる。
復刻版では別紙に評論家の梶井純による解説があるが、やはり「無理がある作品」とされている。
「からすの子」は、このように無茶苦茶な作品ではあるが、
梶井氏も指摘されている冒頭の下町の朝の描写が素晴らしい。
貧しいが力強く、庶民が出勤する様子を描いている。
ここだけ見ても白土三平という作家がいかに非凡だったかが分かる。
ネットではたまに「漫画やアニメは黒人が出ないから差別」とか言い出す人が現れる。
差別を糾弾する側に回りたいのだろう。
自分をヒーローにする、新たなフロンティアを見つけたと喜んでいるように見える。
そういう人はサイボーグ009ですら読んだことないのだろう。
過去にいかに黒人描写で激しいトラブルがあったかも知らない。
ほとんどの人が理解していると思うが。
漫画に黒人の描写が少ないのは、まず身近じゃなかったからだ。
自分が黒人と接したのは、東京で格闘技やってた時にナイジェリア人の大男とスパーした時ぐらい。
戦争のにおいが残る昭和中期の漫画に、黒人描写は多くはないが全くないことはない。
「からすの子」にあった、黒人の子が肌の色を汚れだと思って一生懸命洗うというシーンは、昔ジャンプ漫画でも読んだことがあった。確か平松伸二先生の作品だったと思う。こういったテーマを扱う上での、ある種の定番だったのかも知れない。
今は地元でもハーフの子はよく見かけるようになって、
満田拓也先生のメジャーセカンドのアンディやアニータなど、褐色キャラがチームメイトで時代を感じる。
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