聖闘士もスタンド使いもみんな忍者だ!横山光輝「伊賀の影丸」が少年漫画に与えた影響を知る [名作紹介]
伊賀の影丸 全8巻完結セット (秋田コミックセレクト) 【コミックセット】
- 作者: 横山 光輝
- 出版社/メーカー:
- メディア: コミック
レジェンド漫画家たちに強い影響を与えたという、横山光輝の「伊賀の影丸」を読んでみた。
みなもと太郎は「風雲児たち」の中で影丸の由井正雪編をまんま模写している。
ちなみに掲載誌はコミックトムで、同時期に横山光輝が三国志を連載していた。
みなもと氏は書評本「お楽しみはこれもなのじゃ」でも影丸愛を語っている。
「伊賀のカバ丸」という少女漫画もあった。
主人公の名前が伊賀野カバ丸。焼きそばが大好物な現代の忍者。
1983年にTVアニメも放送され、主題歌も覚えているが伊賀の影丸を知ったのはだいぶ後。
実写映画は配給収入10億を超えている。同年公開のヤマトやドラえもんと同じぐらいの成績だ。
このカバ丸に対し、横山光輝がどういう感想を持っていたのか?興味深い。
伊賀の影丸の連載期間は1961〜1966年。
横山は66年に「赤影」、67年に「水滸伝」を書いている。
「バビル二世」や「三国志」が始まったのが1971年だ。
影丸はいろんな版が出ているが、掲載順を入れ替えたものも存在するらしいので混乱した。
選んだのは秋田コミックスセレクション全8巻。これは掲載順に正しく収録されているらしい。
影丸を読んで驚いたのは物語や、登場人物の内面が描かれず、ひたすら戦いを繰り返すその構成だ。
戦いしか書いてないと言っていい。にも関わらず、善とか悪とかもないに等しい。
ちばあきおの野球漫画、「キャプテン」を読んでる気分にもなってくるから不思議だ。
さらに主人公以外の登場人物のほとんどが、現れては次々と死んでいき新陳代謝を繰り返す。
その割り切り具合には荒木飛呂彦感がある。
荒木飛呂彦は「ジョジョの奇妙な冒険」で定期的にキャラクターを一新する。ポルナレフみたいな名キャラクターに育ったものを作品から退場させるのは相当もったいない気がするが、作者は執着しない。億泰やグイード・ミスタのような似たようなキャラ新たに作ればいいから平気平気って態度である。
さらに「伊賀の影丸」における、それぞれが違う忍術を駆使して戦う騙し合いのチームバトルという構成もジョジョっぽい。荒木飛呂彦が横山光輝ファンで、バビル二世や三国志の影響について言及しているのは読んだことがあるが、伊賀の影丸についての言及はこれまで確認したことがない。ジョジョ三部も影丸っぽいが、第五部なんかはもっと影丸っぽい。
五部はチームバトルというのもそうだが、死ぬ寸前の仲間が特殊能力を使って土中に敵の人相を残すという描写が、伊賀の影丸にも存在していることに驚いた。
(「伊賀の影丸」ACS版2巻)
(「ジョジョの奇妙な冒険」69巻)
魔夜峰央のパタリロ!にも伊賀の影丸から引用したシーンがある。
影丸ACS版8巻。夜目が効く忍者が仲間に指示をだし、敵を自分のところに誘導。
「そしてここにおれがいた」という決め台詞がかっこいい。
「パタリロ!」17巻「11月のサナトリウム」という話で、
やはり夜目が効くバンコランがパタリロに指示をだし、容疑者を自分の元に誘導する。
決め台詞は「そしてわたしがここにいた」。
パタリロ!5巻54ページにも影丸ネタがあり、
「伊賀の影丸を愛読していたお兄さん、もしくはお父さんに聞いて下さい。」と欄外に書かれている。
影丸で最も興味を引いたのは車田正美に与えた影響だ。
クリックすると大きいサイズで読めます
「風魔の小次郎」はタイトルからして俺流の影丸を作るという気概が伝わってくる。
小次郎2巻の内容は影丸の模倣っぽいが、すぐに自分流のスタイルを編み出すので車田正美はすごい。
もっと直接的な類似表現を挙げていく。
影丸ら忍者は「赤星」という通信手段をたびたび使うが、
風魔の小次郎の2巻では敵の忍者が同じ赤星という通信手段を使う。
めちゃくちゃ印象的なシーンだが、このセクシーなお姉さんはこれっきりのモブである。勿体無い!
伊賀の影丸が車田正美に与えた影響は、風魔の小次郎前後の作品にも見ることができる。
伊賀の影丸ACS版6巻では伊賀忍者と「七つの影法師」の対抗戦が勃発。
アニメ版ジャイアントロボにも登場する幻也斎がメンバー表の巻物を交換し、
「たしかに見とどけた」瞬間から対戦開始するのだが、
「リングにかけろ」17巻でもギリシア十二神とメンバー表の巻物を交換し、
「たしかにみとどけた」瞬間から対戦が始まる。
聖闘士星矢8巻に敵がみせる幻を、盲目状態の連れが見破るシーンがあるが、
伊賀の影丸ACS版3巻に、やはり盲目の連れの忍者が敵の幻を見破るシーンがある。
ちなみにこの指摘を2年前にTwitterで見たのが、今回伊賀の影丸を読むきっかけだった。
伊賀の影丸では影丸の死体を見た半蔵が、「むっ こ、これは…そうか…」
聖闘士星矢では仲間の墓を掘り起こした星矢が「うっ こ…これは…!!そうか…」と、共にわけ知り顔で全てを説明せずに引っ張る。
引用はさらに続く。
伊賀の影丸では、そうして敵に死んだと思われた影丸が自らの生存を誇示するために署名を残すシーンがある。聖闘士星矢でも敵に死んだと思われた星矢が、自らの生存を誇示するためにカードを残すシーンに続く。聖闘士カードという設定は、実に取って付けたような、このエピソードのみしか出てこない謎設定なのだが、作者が伊賀の影丸を再現したかったのだと考えると納得がいく。
車田正美は「伊賀の影丸」の他に、白土三平「忍者武芸帳影丸伝」からも引用していることで知られているので、そちらの方も読んでみた。近いうちに紹介したい。
また「伊賀の影丸」も山田風太郎「甲賀忍法帖」の影響がよく言われている。
こちらも小説を購入しているので、いずれ読んで感想を記事にしたいと思う。
なんにせよ「伊賀の影丸」が漫画の歴史に大きな影響を与えた作品ということは理解できた。
忍者漫画が古くなり、超能力漫画になったということはよく言われることだ。
今は異能力バトルというらしい。
影丸を読むと、スタンド使いも聖闘士も、
みんな歴史の影で人知れず戦う忍者の一種なのだということがわかる。
横山光輝は偉大だ!
コメント 0