江川達也「江川式勉強法」を読んだら血液が沸騰した話 [あの人は今]
「江川達也のようなプロが描いても失敗したのだ」
という小林よしのりの印象深い言葉がある。
SAPIO2006年7月26日号掲載の
「ゴー宣・暫(ごーせんしばらく)」に描かれた言葉だ。
ここで言う失敗とは、
江川達也版ゴーマニズム宣言といわれるエッセイ漫画、
「江川式勉強法」※が予想に反して全然ハネなかったことを指している。
※雑誌サイゾーに2002年から2004年に連載されたエッセイ漫画。未単行本化。
小林よしのりは売れることの難しさ、
新しい才能に対し畏怖を感じることを比較的忘れない作家である。
もちろん江川達也の才能も十分すぎるほど認めていただろう。
ゴーマニズム宣言的な漫画を江川達也が描いたら、
とんでもない傑作になると予感していたのは容易に想像できる。
ところで、
単行本化されなかったこの「江川式勉強法」という漫画が時々無性に読みたくなる。
数回本屋で立ち読みした記憶はあるのだが、内容が全く思い出せない。
腐っても江川達也だ、そんなに面白くないこともないだろう、読みたい。
そうして最近、何冊か掲載誌を取り寄せて読んでみたのだが、
「なにこのゴミ。」
…という率直な感想が浮かんで自分でも驚いた。
取り寄せて最初に読んだ回は
「ドラえもん読んでると殺人事件を起こすようになる」ということを嬉々として書いている。
〇〇に××を持った人のような見識だ。以前はこんな人じゃなかった。
江川達也は教員時代にドラえもんを描いて小学生を喜ばせていた人なのだ。
上の画像は
「まじかるタルるートくん」15巻に掲載されたエッセイ漫画、
「まんがと私」から引用したものである。
このエッセイ漫画は面白く、決して江川達也はエッセイ漫画が不得手な作家でない。
なのに約10年後に書かれた「江川式勉強法」では、前述したような体たらくだ。
そういえば
江川達也がSPA!で連載していたコラムの単行本、
「江川達也の時事漫画 にあいこ≒るリアル 1 この国のバカたち」を持っている。
時々思い出して「腐っても江川達也だ」と読み返してみるのだが、
「ひどすぎる」と感じていつも読むのをやめてしまう。
いまだに全部通して読んだことがない。
この本も「江川式勉強法」と同時期に書かれたものだ。
江川達也は「まじかる☆タルるートくん」で知った作家だ。
「東京大学物語」と「GOLDEN BOY」の連載を始めた頃は天才だと思った。
「腐っても江川達也」、この時期の印象がいまだに消えない。
その天才がなぜ没落したか。
早い話が天狗になったからだ。
己の能力を過信し、処理できない量の仕事を引き受け、さらに顧客を甘くみた。
そういえば江川達也の弟子で、GTOをヒットさせた藤沢とおるが、
北斗の拳の原哲夫に「天狗になったことはありますか?」と尋ねる漫画がある。
(画像は萩原一至「バスタード!!」20巻)
しかし悲しいかな、天狗になろうがなるまいが、
ほとんどの作家はダメになっていくものだ。
ある意味、自然の掟であり、普遍的な人間の営みなのである。
つまらんものはつまらんが、戦って散っていった作家たちに一定の敬意は持ち続けているつもりだ。
ところが江川達也ときたら、
作品クオリティの劣化ぶりが漫画界の常識を越えすぎなのである。
いまや世代を超えて語り継がれる代表的な江川作品が、
究極の手抜き漫画との呼び声高い「仮面ライダー THE FIRST」のみという事実。
あんたそれでええんか?と思う。
デビュー作「BE FREE!」に
熱心な漫画研究への痕跡の数々が散りばめられていることは
元アシスタントの山田玲司らが詳しく解説している。
次作である「タルるートくん」は掲載誌がウルトラ激戦区の少年ジャンプだったことから、
ずっと中堅作家的な扱いだったが、作品には常に心地よい緊張感があった。
読者質問コーナーに答える江川氏の態度も今からでは考えられない腰の低さである。
(別に謙虚になれと言いたいわけでは無い)
青年誌に移った際のヒット作のひとつ、
「ゴールデンボーイ」のOAVを最近サブスクで見たのだが素晴らしい出来だった。
アニメスタッフの手間のかけ具合から作品へのリスペクトが伝わってくるし、
そこに参加している江川達也も実に楽しそうである。
江川達也はなぜそれらを全部捨ててしまったのだ?
漫画オタクが漫画を捨てたら、
単なるニヤけた小太りのオッサンになってしまった。
タモリ倶楽部で江川達也をみるたびに思っていたことだ。
最近知ったのは、江川達也の家庭環境が結構特殊だったということ。
そのことは「江川式勉強法」でも最終回で触れていた。
この辺にも江川達也没落の原因があるのではないかと思いたい。
そうすれば江川達也を軽蔑しなくても済む。
そんな時、「“全身漫画”家」という江川達也の自伝本があることを知り、購入して読んでみた。
…読んでみたのだが、どうにも書かれている家庭環境には半信半疑にならざるを得ない。
没落期の江川達也の腹立たしい作風の特徴的なところは、
実行不可能な厳しい節制を読者に要求しつつ、自らには甘くブレがあるところである。
普段の言動からしてこの本は、自分の都合のいいように描いてる疑念が捨てきれない。
自分は氏の育児漫画「タケちゃんとパパ」が好きだったのだが、いま家庭はどうなっているのだろう。
…自伝を読んで収穫だったこともある。
ウィキペディアには著書からの引用で、
江川達也の最も尊敬する漫画家は水木しげると書かれていて、
そこは永井豪じゃねーのかよと不満に思っていたが、
「“全身漫画”家」ではデビルマンへのリスペクトについてしっかり項が割かれていて安心した。
手塚治虫については雑誌インタビューでボロクソに言っているのも見たが、
「“全身漫画”家」では批判しつつも
「生前もっとお話を伺っておけばよかった」
「誰しもが認める戦後漫画最大の功労者」とリスペクトも語っている。
他に「ど根性ガエル」「荒野の少年イサム」を愛読していたようだ。
変わったところでは小室孝太郎の「ワースト」の解説に5ページちょっと項を割いてる。
「ワースト」は単行本が四度も新装、復刻されるほどのカルト的人気ジャンプ漫画だ。
読んだことないけど、YouTubeやってる時にリクエストがあって知って印象に残っていた。
<追記>「ワースト」読んだので、こちらで感想書いてます。
ところで、
「“全身漫画”家」によると、
江川達也が初めて読んだ漫画は石森章太郎の「仮面ライダー」だそうである。
しかし江川達也はTV版を「今も時折、ビデオで見返すほどのファンである」と絶賛する一方で、
石森章太郎の原作漫画については否定的である。
自分も「TV>原作」なので同感なのだが、
江川氏による原作漫画への論評が鼻につくので以下に引用する。
>作者石森章太郎の取って付けたような社会的な味つけが子供心にしっくりせず、他の石森作品と比べてもあきらかに精彩を欠く内容だった。
>ぼくが漫画を自分で描きはじめたのも、ライダーが変身する際に回転するライダーベルトの、ある一コマの描き方が他のものに較べ、あきらかに手抜きで雑だったのに腹を立ててのこと。それなら「自分で描く」と不遜にも思ったのがきっかけだ。
なにこの遥かな時空を飛び越えて戻ってきたようなブーメラン。
取って付けたような社会的な味つけ、手抜きで雑。
ぜんぶ没落期の江川達也じゃん。
時々思う。
タイムマシンで若い頃の江川達也に没落期の作品を読ませたらどう思うだろう。
絶望するだろうか。自分のことだから意外と気に入る可能性もあるけども。
そういえば「“全身漫画”家」では、
大ヒットした小林よしのりの「戦争論」のことにも触れている。
>最近、ある漫画家の書いた戦争論が話題になったが、なぜ戦争自体を漫画で描こうとしなかったのか、ぼくには不思議だ。それ自体に膨大に学ぶべきものがあるのに…。その作家に、それだけの能力がなかったからもしれないが、漫画家というのは漫画でもって勝負するべきだと思う。
戦争論は漫画だと思うけど、戦記物として描くべきと言いたいのだろうか?
ちなみに「“全身漫画”家」は江川達也が「日露戦争物語」を描き始めて1年が経過した頃に出版されている。
日露戦争物語はちゃんと読んだことがない。
これも後半ひどい作画な上に打ち切られたことで知られているが、
…画像検索で出てきた日露戦争物語のこの見開きは、
果たして江川達也の言う文脈で「漫画」と言えるのだろうか。
ちなみに江川達也が最も尊敬するという水木しげるも、
「カランコロン漂泊記」で小林よしのりの「戦争論」にふれている。
という小林よしのりの印象深い言葉がある。
SAPIO2006年7月26日号掲載の
「ゴー宣・暫(ごーせんしばらく)」に描かれた言葉だ。
ここで言う失敗とは、
江川達也版ゴーマニズム宣言といわれるエッセイ漫画、
「江川式勉強法」※が予想に反して全然ハネなかったことを指している。
※雑誌サイゾーに2002年から2004年に連載されたエッセイ漫画。未単行本化。
小林よしのりは売れることの難しさ、
新しい才能に対し畏怖を感じることを比較的忘れない作家である。
もちろん江川達也の才能も十分すぎるほど認めていただろう。
ゴーマニズム宣言的な漫画を江川達也が描いたら、
とんでもない傑作になると予感していたのは容易に想像できる。
ところで、
単行本化されなかったこの「江川式勉強法」という漫画が時々無性に読みたくなる。
数回本屋で立ち読みした記憶はあるのだが、内容が全く思い出せない。
腐っても江川達也だ、そんなに面白くないこともないだろう、読みたい。
そうして最近、何冊か掲載誌を取り寄せて読んでみたのだが、
「なにこのゴミ。」
…という率直な感想が浮かんで自分でも驚いた。
取り寄せて最初に読んだ回は
「ドラえもん読んでると殺人事件を起こすようになる」ということを嬉々として書いている。
〇〇に××を持った人のような見識だ。以前はこんな人じゃなかった。
江川達也は教員時代にドラえもんを描いて小学生を喜ばせていた人なのだ。
上の画像は
「まじかるタルるートくん」15巻に掲載されたエッセイ漫画、
「まんがと私」から引用したものである。
このエッセイ漫画は面白く、決して江川達也はエッセイ漫画が不得手な作家でない。
なのに約10年後に書かれた「江川式勉強法」では、前述したような体たらくだ。
そういえば
江川達也がSPA!で連載していたコラムの単行本、
「江川達也の時事漫画 にあいこ≒るリアル 1 この国のバカたち」を持っている。
江川達也の時事漫画 にあいこ≒るリアル 1 この国のバカたち (江川達也の時事漫画にあいこーるリアル (Vol.1))
- 作者: 江川 達也
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2005/04/21
- メディア: 単行本
時々思い出して「腐っても江川達也だ」と読み返してみるのだが、
「ひどすぎる」と感じていつも読むのをやめてしまう。
いまだに全部通して読んだことがない。
この本も「江川式勉強法」と同時期に書かれたものだ。
江川達也は「まじかる☆タルるートくん」で知った作家だ。
「東京大学物語」と「GOLDEN BOY」の連載を始めた頃は天才だと思った。
「腐っても江川達也」、この時期の印象がいまだに消えない。
その天才がなぜ没落したか。
早い話が天狗になったからだ。
己の能力を過信し、処理できない量の仕事を引き受け、さらに顧客を甘くみた。
そういえば江川達也の弟子で、GTOをヒットさせた藤沢とおるが、
北斗の拳の原哲夫に「天狗になったことはありますか?」と尋ねる漫画がある。
(画像は萩原一至「バスタード!!」20巻)
しかし悲しいかな、天狗になろうがなるまいが、
ほとんどの作家はダメになっていくものだ。
ある意味、自然の掟であり、普遍的な人間の営みなのである。
つまらんものはつまらんが、戦って散っていった作家たちに一定の敬意は持ち続けているつもりだ。
ところが江川達也ときたら、
作品クオリティの劣化ぶりが漫画界の常識を越えすぎなのである。
いまや世代を超えて語り継がれる代表的な江川作品が、
究極の手抜き漫画との呼び声高い「仮面ライダー THE FIRST」のみという事実。
あんたそれでええんか?と思う。
デビュー作「BE FREE!」に
熱心な漫画研究への痕跡の数々が散りばめられていることは
元アシスタントの山田玲司らが詳しく解説している。
次作である「タルるートくん」は掲載誌がウルトラ激戦区の少年ジャンプだったことから、
ずっと中堅作家的な扱いだったが、作品には常に心地よい緊張感があった。
読者質問コーナーに答える江川氏の態度も今からでは考えられない腰の低さである。
(別に謙虚になれと言いたいわけでは無い)
青年誌に移った際のヒット作のひとつ、
「ゴールデンボーイ」のOAVを最近サブスクで見たのだが素晴らしい出来だった。
アニメスタッフの手間のかけ具合から作品へのリスペクトが伝わってくるし、
そこに参加している江川達也も実に楽しそうである。
江川達也はなぜそれらを全部捨ててしまったのだ?
漫画オタクが漫画を捨てたら、
単なるニヤけた小太りのオッサンになってしまった。
タモリ倶楽部で江川達也をみるたびに思っていたことだ。
最近知ったのは、江川達也の家庭環境が結構特殊だったということ。
そのことは「江川式勉強法」でも最終回で触れていた。
この辺にも江川達也没落の原因があるのではないかと思いたい。
そうすれば江川達也を軽蔑しなくても済む。
そんな時、「“全身漫画”家」という江川達也の自伝本があることを知り、購入して読んでみた。
…読んでみたのだが、どうにも書かれている家庭環境には半信半疑にならざるを得ない。
没落期の江川達也の腹立たしい作風の特徴的なところは、
実行不可能な厳しい節制を読者に要求しつつ、自らには甘くブレがあるところである。
普段の言動からしてこの本は、自分の都合のいいように描いてる疑念が捨てきれない。
自分は氏の育児漫画「タケちゃんとパパ」が好きだったのだが、いま家庭はどうなっているのだろう。
…自伝を読んで収穫だったこともある。
ウィキペディアには著書からの引用で、
江川達也の最も尊敬する漫画家は水木しげると書かれていて、
そこは永井豪じゃねーのかよと不満に思っていたが、
「“全身漫画”家」ではデビルマンへのリスペクトについてしっかり項が割かれていて安心した。
手塚治虫については雑誌インタビューでボロクソに言っているのも見たが、
「“全身漫画”家」では批判しつつも
「生前もっとお話を伺っておけばよかった」
「誰しもが認める戦後漫画最大の功労者」とリスペクトも語っている。
他に「ど根性ガエル」「荒野の少年イサム」を愛読していたようだ。
変わったところでは小室孝太郎の「ワースト」の解説に5ページちょっと項を割いてる。
「ワースト」は単行本が四度も新装、復刻されるほどのカルト的人気ジャンプ漫画だ。
読んだことないけど、YouTubeやってる時にリクエストがあって知って印象に残っていた。
<追記>「ワースト」読んだので、こちらで感想書いてます。
ところで、
「“全身漫画”家」によると、
江川達也が初めて読んだ漫画は石森章太郎の「仮面ライダー」だそうである。
しかし江川達也はTV版を「今も時折、ビデオで見返すほどのファンである」と絶賛する一方で、
石森章太郎の原作漫画については否定的である。
自分も「TV>原作」なので同感なのだが、
江川氏による原作漫画への論評が鼻につくので以下に引用する。
>作者石森章太郎の取って付けたような社会的な味つけが子供心にしっくりせず、他の石森作品と比べてもあきらかに精彩を欠く内容だった。
>ぼくが漫画を自分で描きはじめたのも、ライダーが変身する際に回転するライダーベルトの、ある一コマの描き方が他のものに較べ、あきらかに手抜きで雑だったのに腹を立ててのこと。それなら「自分で描く」と不遜にも思ったのがきっかけだ。
なにこの遥かな時空を飛び越えて戻ってきたようなブーメラン。
取って付けたような社会的な味つけ、手抜きで雑。
ぜんぶ没落期の江川達也じゃん。
時々思う。
タイムマシンで若い頃の江川達也に没落期の作品を読ませたらどう思うだろう。
絶望するだろうか。自分のことだから意外と気に入る可能性もあるけども。
そういえば「“全身漫画”家」では、
大ヒットした小林よしのりの「戦争論」のことにも触れている。
>最近、ある漫画家の書いた戦争論が話題になったが、なぜ戦争自体を漫画で描こうとしなかったのか、ぼくには不思議だ。それ自体に膨大に学ぶべきものがあるのに…。その作家に、それだけの能力がなかったからもしれないが、漫画家というのは漫画でもって勝負するべきだと思う。
戦争論は漫画だと思うけど、戦記物として描くべきと言いたいのだろうか?
ちなみに「“全身漫画”家」は江川達也が「日露戦争物語」を描き始めて1年が経過した頃に出版されている。
日露戦争物語はちゃんと読んだことがない。
これも後半ひどい作画な上に打ち切られたことで知られているが、
…画像検索で出てきた日露戦争物語のこの見開きは、
果たして江川達也の言う文脈で「漫画」と言えるのだろうか。
ちなみに江川達也が最も尊敬するという水木しげるも、
「カランコロン漂泊記」で小林よしのりの「戦争論」にふれている。
台湾有事が勃発したら江川達也と小林よしのりは真っ先に最前線で戦って貰いたい。
by ミカン男 (2023-08-21 17:49)
ヒットラーも最前線で戦ってましたもんね。
やっぱ求めるものは軍事政権ですか。
by hondanamotiaruki (2023-08-22 01:32)