現代口調にろりろりする時代劇ファンの13人 [歴史漫画]
ゆうきまさみの「新九郎奔る」の9巻を読んでいたら、
「ろりろりするでない」というセリフが。


トリビアでやってたやつだ!
慶長時代に宣教師が書いた記録に出てくる言葉らしい。
意味がわかった人はどれぐらいいたのだろうか。
自分はこの「新九郎」という漫画にいまひとつピンときてないのだが、熱心に読んでいる知人二人に「ろりろり」についての反応をうかがってみたところ、「そんなセリフあったっけ?」という反応だった。…うおーい!
ところで、
三谷大河の序盤は「この言葉遣いはねーだろ」という批判が浴びせかけられ気味。
今回の「鎌倉殿の13人」でも「首ちょんぱ」とか「頼朝と八重さんがデキちまったんだよ」今風な言葉が話題にはなりましたけど、さすがに三作目ということで慣れたのかバッシングというまでには至らなかった印象。
togetterも好意的な意見が多いが、違和感を持つ人も多い。
>時々出てくる現代的にくだけた口調が引っ掛からないで見られるようになるまでちょっとかかりそうかも。
>なんでこんな現代語ばんばん喋ってんの?黄金の日日は戦国時代だが主人公の一人称ワシ呼びだぞ?平安鎌倉にオレ呼び?あり得たの?
>ひどい 口語が過ぎる バカにしてるのか
>これって現代劇だっけ?セリフの口調が時代劇じゃなさすぎて、ビックリなんだけど〜
ちょっと考えてみよう。
現代口調でない時代劇ってどんなだ?
自分はそれほど時代劇に詳しいわけではない。今までで自分が見た一番古い時代劇は太平洋戦争で亡くなった山中貞雄の三作品あたりだろうか。内容についてはあまり記憶がないけど、特段、近年の時代劇とセリフ回しに関して差異を感じたことはない。
というか、いうほど時代劇は現代口調を使っていないのであろうか。
過去の時代劇は現代口調では無かったと憤慨する人たちは、それっぽい言葉を聞いて満足してただけなのではなかろうか。
それに実際「ろりろりするでない!」みたいなセリフが氾濫した時代劇を見せられたら、それこそろりろりするばかりなのではなかろうか。(ちなみにろりろりを使った新九郎も現代口調に頓着しない作品である)
何百年前の日本にタイムワープして、言葉が通じるかという議論は昔からある。
特に明治時代に多くの言葉が出来たという。
それ以前は「自由」という言葉すらなかった。
(元は仏教用語なのでお坊さん除く)


※余談だが、対面した二人が「アメリカはすごい。フリーダムは訳す言葉がない」と打ち震える漫画がなんだったか探してます。知ってる人は教えてください
みなもと太郎「風雲児たち幕末編」によると、
哲学、理想、本能、意識、命題、芸術、技術、権利などは西周(にしあまね 1829〜1897年)の造語だという。


となると例えば戦国時代ドラマで「お主のおかげで自由の身になった!」とか、「それがしの理想は!」とか喋ったら、サンキューベリーマッチとか言ってるのとあまり変わらない事になる。そのことを、時代劇に現代口調はありえない派の人たちはあまり気にしてないような気がするがどうだろうか。
以前も「よろしかったでしょうか撲滅委員会を撲滅する!」の記事で取り上げましたけど、明治文豪の日本語が今と違うって話もありました。


(画像は「月と日本語」井上純一)
お分かりいただけただろうか。
800年前の歴史を映像化するのに、
現代口調が入らないわけがないのである。
完全再現など出来るはずもなく、仮にされたとしても「ろりろりするでない」などの意味不明で難解で変態しか見ようと思わない映像になってしまうのは間違いない。時代劇の現代口調に文句をつけるのは、歴史小説が漢文で書かれてないとクレームをつけている様なことかもしれない。
漫画「風雲児たち」は他にも言葉に関しての面白エピソードが満載だ。
アメリカへの返書を送る際にプレジデントをどう訳すのかに困り、大工の棟梁から「大統領」という言葉を生み出すエピソードなども印象的。


時代劇に関わりが深いみなもと氏のエッセイ「挑戦者たち」ではこの件に関してとんでもない真理が飛び出す。
>「時代劇には『なに時代』というのはないのじゃ。
あるのは『時代劇時代』というものだけじゃっ」


氏の作品を2度に渡って映像化している三谷幸喜が、その辺のDNAを受け継いで鎌倉殿の13人の脚本を執筆しているのは当然なのである。
ちなみに旧13人ともいうべき1979年大河「草燃える」でも「現代口調でやる」がコンセプトだった様だが、実際にその映像を見ても自分の感覚では普通の時代劇と大差ない。
「ろりろりするでない」というセリフが。
トリビアでやってたやつだ!
慶長時代に宣教師が書いた記録に出てくる言葉らしい。
意味がわかった人はどれぐらいいたのだろうか。
自分はこの「新九郎」という漫画にいまひとつピンときてないのだが、熱心に読んでいる知人二人に「ろりろり」についての反応をうかがってみたところ、「そんなセリフあったっけ?」という反応だった。…うおーい!
ところで、
三谷大河の序盤は「この言葉遣いはねーだろ」という批判が浴びせかけられ気味。
今回の「鎌倉殿の13人」でも「首ちょんぱ」とか「頼朝と八重さんがデキちまったんだよ」今風な言葉が話題にはなりましたけど、さすがに三作目ということで慣れたのかバッシングというまでには至らなかった印象。
togetterも好意的な意見が多いが、違和感を持つ人も多い。
>時々出てくる現代的にくだけた口調が引っ掛からないで見られるようになるまでちょっとかかりそうかも。
>なんでこんな現代語ばんばん喋ってんの?黄金の日日は戦国時代だが主人公の一人称ワシ呼びだぞ?平安鎌倉にオレ呼び?あり得たの?
>ひどい 口語が過ぎる バカにしてるのか
>これって現代劇だっけ?セリフの口調が時代劇じゃなさすぎて、ビックリなんだけど〜
ちょっと考えてみよう。
現代口調でない時代劇ってどんなだ?
自分はそれほど時代劇に詳しいわけではない。今までで自分が見た一番古い時代劇は太平洋戦争で亡くなった山中貞雄の三作品あたりだろうか。内容についてはあまり記憶がないけど、特段、近年の時代劇とセリフ回しに関して差異を感じたことはない。
というか、いうほど時代劇は現代口調を使っていないのであろうか。
過去の時代劇は現代口調では無かったと憤慨する人たちは、それっぽい言葉を聞いて満足してただけなのではなかろうか。
それに実際「ろりろりするでない!」みたいなセリフが氾濫した時代劇を見せられたら、それこそろりろりするばかりなのではなかろうか。(ちなみにろりろりを使った新九郎も現代口調に頓着しない作品である)
何百年前の日本にタイムワープして、言葉が通じるかという議論は昔からある。
特に明治時代に多くの言葉が出来たという。
それ以前は「自由」という言葉すらなかった。
(元は仏教用語なのでお坊さん除く)
※余談だが、対面した二人が「アメリカはすごい。フリーダムは訳す言葉がない」と打ち震える漫画がなんだったか探してます。知ってる人は教えてください
みなもと太郎「風雲児たち幕末編」によると、
哲学、理想、本能、意識、命題、芸術、技術、権利などは西周(にしあまね 1829〜1897年)の造語だという。

となると例えば戦国時代ドラマで「お主のおかげで自由の身になった!」とか、「それがしの理想は!」とか喋ったら、サンキューベリーマッチとか言ってるのとあまり変わらない事になる。そのことを、時代劇に現代口調はありえない派の人たちはあまり気にしてないような気がするがどうだろうか。
以前も「よろしかったでしょうか撲滅委員会を撲滅する!」の記事で取り上げましたけど、明治文豪の日本語が今と違うって話もありました。

(画像は「月と日本語」井上純一)
お分かりいただけただろうか。
800年前の歴史を映像化するのに、
現代口調が入らないわけがないのである。
完全再現など出来るはずもなく、仮にされたとしても「ろりろりするでない」などの意味不明で難解で変態しか見ようと思わない映像になってしまうのは間違いない。時代劇の現代口調に文句をつけるのは、歴史小説が漢文で書かれてないとクレームをつけている様なことかもしれない。
漫画「風雲児たち」は他にも言葉に関しての面白エピソードが満載だ。
アメリカへの返書を送る際にプレジデントをどう訳すのかに困り、大工の棟梁から「大統領」という言葉を生み出すエピソードなども印象的。

時代劇に関わりが深いみなもと氏のエッセイ「挑戦者たち」ではこの件に関してとんでもない真理が飛び出す。
>「時代劇には『なに時代』というのはないのじゃ。
あるのは『時代劇時代』というものだけじゃっ」

氏の作品を2度に渡って映像化している三谷幸喜が、その辺のDNAを受け継いで鎌倉殿の13人の脚本を執筆しているのは当然なのである。
ちなみに旧13人ともいうべき1979年大河「草燃える」でも「現代口調でやる」がコンセプトだった様だが、実際にその映像を見ても自分の感覚では普通の時代劇と大差ない。
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