竜馬がゆくを汗血千里の駒で引き算したら真実の龍馬像が明らかに? [歴史漫画]
ちょっと前に「坂本龍馬が教科書から消える」というスレッドがまとめサイトで流行った。
今そのまとめを探そうと検索したら、2018年頃に書かれた記事が大量に出てくる。
定期的に出てくる龍馬サゲのスレッドなのだろうか?
で、スレッドの流れは
やら「坂本龍馬なんて何もしてない」とか、
「司馬遼太郎が作り上げた虚像」とか、お決まりの書き込みが踊るわけですが。
まあね、
「孔明すげえ!」をきっかけに歴史にハマって→「孔明なんて無能www」ってイキって多幸感に親しむ時期は歴史好きなら誰しも通る道なですよ。かわいいじゃないですか。
そういった書き込みの中でちょっと気になったのが、
「『竜馬がゆく』が書かれるまで坂本龍馬は全くの無名だった」
という、これまたよく見かけるガセ情報。
一度、この件についてしっかりまとめておこうと思った。
みなもと太郎の龍馬伝ともいえる「風雲児たち」にて、
40年以上の連載期間を経て、ついに龍馬と海舟が対面するわけですが、
>「1962年、産経新聞で『竜馬がゆく』が連載開始された時、先輩作家たちは『誰でも知ってる話を何で今さらと不思議がったという。司馬遼太郎は『竜馬』を戦後の昭和にリニューアルしたと言っていい(司馬遼風文体)」…という注釈が入り、『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)という明治時代に書かれた本が紹介されている。


「風雲児たち」ではこの後、作者が「汗血千里の駒」を読んでみるも、あると思っていた龍馬伝記の定番シーン、「勝を殺しにやってきたのに弟子になって帰っていった龍馬」描写がなかったことが説明されている。
龍馬は司馬遼太郎が作った幻想の英雄などとは言いたくないが、盛った部分は間違いなくあるはずで、そこは明確にどこなんだと。「竜馬がゆく」に「汗血千里の駒」を引き算してみればわかるんじゃないかと思い、自分でも「汗血千里の駒」を購入してみた。
みなもと太郎が購入した岩波文庫版は昔風の文体で読みにくく、現代語訳の完全版は高かったので、6割ぐらい現代語訳してあるという『坂本龍馬伝 明治のベストセラー「汗血千里の駒」』を発注。
この現代語訳は、福山雅治の「龍馬伝」の冒頭で、岩崎弥太郎に龍馬のことを尋ねる坂崎紫瀾なるインタビュアーが出てきたことから企画したものだそうだ。この坂崎紫瀾が「汗血千里の駒」の作者である。
紫瀾は龍馬と17歳違いの土佐人。ドラマのように岩崎弥太郎にしたかは知らないが、実際に関係者に取材をして坂本龍馬の一代記を新聞に連載し大ヒット。明治16年、歴史に埋もれていた龍馬という人物が再評価されて、やがて戦前の教科書に載るぐらいに誰でも知ってる人物となるのである。
ちなみに自分は「竜馬がゆく」を読んだことがない。
が、子供の頃に伝記漫画の坂本龍馬を読み耽った(安田タツ夫、ムロタニツネ像、小井土繁など)ので、だいたいの龍馬定番エピソードは分かる。
汗血千里の駒は井口村刃傷事件から始まる。


井口村刃傷事件は身分の高い武士の横暴に反抗した下級武士が、最終的に切腹して終わった事件。
「お〜い!竜馬」に出てきた刀の紐に血を付けるシーンは汗血千里の駒にも出てきた。しかしこれに龍馬が絡むのは史料的には辻褄が合わず、紫瀾によるフィクションであるらしい。
この井口村刃傷事件を掴みに、汗血千里の駒では次章から龍馬の出生がざっと語られる。明智光秀の末裔という伝説。家族構成。発育が遅かったというキラーエピソードは説明はあるものの、ほとんど印象に残らない文量である。ただ雨の日に水泳の練習をしていた話にはしっかり行数を割いている。ここまでで乙女姉さんは登場していない。
そして江戸への剣術修行の話になり、千葉さな子との出会いについてはかなり面白おかしく書かれている。当時は本人が存命だったせいか、名前が光子(みつこ)とされていて違和感がある。
そのあとは近藤長次郎や山本琢磨の時計を盗んだ話が出てくる。時計は懐中時計ではなく柱時計!柱時計の定義はよく分からんが、でっかいイメージだ。やはり「お〜い!竜馬」に出てくるように懐中時計の方がスマートだろうということで後の作品では脚色されていったのか。
武市半平太や土佐勤王党の描写はあっさりである。暗殺描写がまだ生々しい明治16年の執筆なので、その辺は避けられたのだろうか。乙女姉さんはこの後に龍馬が手紙を送った相手として初めて登場する。名前は「留(とめ)」になっていた。
この後、大きく項を割かれるのは勝海舟との出会い。薩長同盟からの寺田屋(瀬戸屋名義)襲撃でお龍さん(お良名義)が半裸で龍馬の危機を救う名シーンは汗血千里の駒から健在である。その後の日本人初のホニームーン(原文ママ)の描写は当時の読者に大きなインパクトを与えたようだ。
そして海援隊、いろは丸事件と続くのだが、大政奉還についてはなんと諸大名が勢揃いする二条城にて、龍馬自ら慶喜に決断の説得をするという荒唐無稽な展開となっていて度肝を抜かれた。後世、いくらなんでもこれはないわということで、アイディアを最初に思いついた人ぐらいの描写に落ち着いたのだろうか。学研の伝記漫画はこの路線だが、自分が大人になって考えてみると幕府が政権を朝廷に返上するというアイディアを龍馬以外が思いつかないということはありえない。
その後は龍馬暗殺が語られ、犯人は新選組ではないかとほぼ断定する形になっており、天満屋事件の説明が入って汗血千里の駒は終わる。


(天満屋事件が語られる漫画といえば壬生義士伝9巻)
勝海舟が「暗殺にきた龍馬」を語ったのも汗血千里の駒ブームのあとのようなので、竜馬がゆくと汗血千里の駒を引き算をしたとしても司馬遼太郎が初出かどうかは単純には分からないことに気づく。千里の駒から竜馬がゆくまで75年の間に、さまざまな人が語ったり、調べた新事実が分かったりしたことだろう。が、印象としては主要エピソードの輪郭は千里の駒からすでに出ているような気がする。現在の龍馬ファンたちに司馬遼太郎が与えた影響が強いのは間違い無いだろうが、アンチ龍馬が振り撒くような、戦後突然にメジャーになった人物でもないし、その際に業績を付け足されたわけでは無いことは今回ハッキリと分かった。
さらに面白いことが分かったので次回に続く。
今そのまとめを探そうと検索したら、2018年頃に書かれた記事が大量に出てくる。
定期的に出てくる龍馬サゲのスレッドなのだろうか?
で、スレッドの流れは
やら「坂本龍馬なんて何もしてない」とか、
「司馬遼太郎が作り上げた虚像」とか、お決まりの書き込みが踊るわけですが。
まあね、
「孔明すげえ!」をきっかけに歴史にハマって→「孔明なんて無能www」ってイキって多幸感に親しむ時期は歴史好きなら誰しも通る道なですよ。かわいいじゃないですか。
そういった書き込みの中でちょっと気になったのが、
「『竜馬がゆく』が書かれるまで坂本龍馬は全くの無名だった」
という、これまたよく見かけるガセ情報。
一度、この件についてしっかりまとめておこうと思った。
みなもと太郎の龍馬伝ともいえる「風雲児たち」にて、
40年以上の連載期間を経て、ついに龍馬と海舟が対面するわけですが、
>「1962年、産経新聞で『竜馬がゆく』が連載開始された時、先輩作家たちは『誰でも知ってる話を何で今さらと不思議がったという。司馬遼太郎は『竜馬』を戦後の昭和にリニューアルしたと言っていい(司馬遼風文体)」…という注釈が入り、『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)という明治時代に書かれた本が紹介されている。

「風雲児たち」ではこの後、作者が「汗血千里の駒」を読んでみるも、あると思っていた龍馬伝記の定番シーン、「勝を殺しにやってきたのに弟子になって帰っていった龍馬」描写がなかったことが説明されている。
龍馬は司馬遼太郎が作った幻想の英雄などとは言いたくないが、盛った部分は間違いなくあるはずで、そこは明確にどこなんだと。「竜馬がゆく」に「汗血千里の駒」を引き算してみればわかるんじゃないかと思い、自分でも「汗血千里の駒」を購入してみた。
みなもと太郎が購入した岩波文庫版は昔風の文体で読みにくく、現代語訳の完全版は高かったので、6割ぐらい現代語訳してあるという『坂本龍馬伝 明治のベストセラー「汗血千里の駒」』を発注。
この現代語訳は、福山雅治の「龍馬伝」の冒頭で、岩崎弥太郎に龍馬のことを尋ねる坂崎紫瀾なるインタビュアーが出てきたことから企画したものだそうだ。この坂崎紫瀾が「汗血千里の駒」の作者である。
紫瀾は龍馬と17歳違いの土佐人。ドラマのように岩崎弥太郎にしたかは知らないが、実際に関係者に取材をして坂本龍馬の一代記を新聞に連載し大ヒット。明治16年、歴史に埋もれていた龍馬という人物が再評価されて、やがて戦前の教科書に載るぐらいに誰でも知ってる人物となるのである。
ちなみに自分は「竜馬がゆく」を読んだことがない。
が、子供の頃に伝記漫画の坂本龍馬を読み耽った(安田タツ夫、ムロタニツネ像、小井土繁など)ので、だいたいの龍馬定番エピソードは分かる。
汗血千里の駒は井口村刃傷事件から始まる。

井口村刃傷事件は身分の高い武士の横暴に反抗した下級武士が、最終的に切腹して終わった事件。
「お〜い!竜馬」に出てきた刀の紐に血を付けるシーンは汗血千里の駒にも出てきた。しかしこれに龍馬が絡むのは史料的には辻褄が合わず、紫瀾によるフィクションであるらしい。
この井口村刃傷事件を掴みに、汗血千里の駒では次章から龍馬の出生がざっと語られる。明智光秀の末裔という伝説。家族構成。発育が遅かったというキラーエピソードは説明はあるものの、ほとんど印象に残らない文量である。ただ雨の日に水泳の練習をしていた話にはしっかり行数を割いている。ここまでで乙女姉さんは登場していない。
そして江戸への剣術修行の話になり、千葉さな子との出会いについてはかなり面白おかしく書かれている。当時は本人が存命だったせいか、名前が光子(みつこ)とされていて違和感がある。
そのあとは近藤長次郎や山本琢磨の時計を盗んだ話が出てくる。時計は懐中時計ではなく柱時計!柱時計の定義はよく分からんが、でっかいイメージだ。やはり「お〜い!竜馬」に出てくるように懐中時計の方がスマートだろうということで後の作品では脚色されていったのか。
武市半平太や土佐勤王党の描写はあっさりである。暗殺描写がまだ生々しい明治16年の執筆なので、その辺は避けられたのだろうか。乙女姉さんはこの後に龍馬が手紙を送った相手として初めて登場する。名前は「留(とめ)」になっていた。
この後、大きく項を割かれるのは勝海舟との出会い。薩長同盟からの寺田屋(瀬戸屋名義)襲撃でお龍さん(お良名義)が半裸で龍馬の危機を救う名シーンは汗血千里の駒から健在である。その後の日本人初のホニームーン(原文ママ)の描写は当時の読者に大きなインパクトを与えたようだ。
そして海援隊、いろは丸事件と続くのだが、大政奉還についてはなんと諸大名が勢揃いする二条城にて、龍馬自ら慶喜に決断の説得をするという荒唐無稽な展開となっていて度肝を抜かれた。後世、いくらなんでもこれはないわということで、アイディアを最初に思いついた人ぐらいの描写に落ち着いたのだろうか。学研の伝記漫画はこの路線だが、自分が大人になって考えてみると幕府が政権を朝廷に返上するというアイディアを龍馬以外が思いつかないということはありえない。
その後は龍馬暗殺が語られ、犯人は新選組ではないかとほぼ断定する形になっており、天満屋事件の説明が入って汗血千里の駒は終わる。

(天満屋事件が語られる漫画といえば壬生義士伝9巻)
勝海舟が「暗殺にきた龍馬」を語ったのも汗血千里の駒ブームのあとのようなので、竜馬がゆくと汗血千里の駒を引き算をしたとしても司馬遼太郎が初出かどうかは単純には分からないことに気づく。千里の駒から竜馬がゆくまで75年の間に、さまざまな人が語ったり、調べた新事実が分かったりしたことだろう。が、印象としては主要エピソードの輪郭は千里の駒からすでに出ているような気がする。現在の龍馬ファンたちに司馬遼太郎が与えた影響が強いのは間違い無いだろうが、アンチ龍馬が振り撒くような、戦後突然にメジャーになった人物でもないし、その際に業績を付け足されたわけでは無いことは今回ハッキリと分かった。
さらに面白いことが分かったので次回に続く。
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