最後の日本兵の暴露本はなぜ爆死したのか? [あの人は今]
『小野田少尉との三ヵ月「幻想の英雄」』をKindle読み放題で読んだ。
めちゃくちゃ面白かった。
一度も中断することなく一気に読み終えた。
44年前に描かれた暴露本である。
こんなに舞台裏を赤裸々に描かれた日にゃあ、
小野田少尉の名声は地に落ち、
宮内庁に出入り禁止に。
作者の津田信は小野田少尉に車で轢き殺されていたはずである。
しかしどうだろう。
小野田少尉が暴露本に対してリアクションを起こした形跡はなく、
暴露本出版の翌年に行われた式典で現在の上皇陛下は小野田少尉への気遣いを見せ、
2005年に略奪シーンをややマイルドにTVドラマ化したら苦情がくるという世間の小野田少尉への聖人扱いっぷり。
いや、そうはならんやろ。
という、何とも不条理な結末になっている。
何なのだこれは。
ちなみに本を読む前の自分の小野田少尉に関する知識は、
むかしTVで見た再現VTRや、「死神くん」程度だった。
えんどこいちの「死神くん」(初版7巻)。1986年に描かれたエピソードに小野田少尉をモチーフにしたと思われるものがある。終戦を知らない→誰とも会っていない→イノセントな人→現代日本に説教できる人という、シンプルな論法で創造されたキャラクターという印象を受ける。一般的なイメージもこれではないか。
それが現実では現地住民を襲い、奪ったラジオで使って情報を収集しまくり、それでも終戦を疑っていたというのだから人生というのはおとぎばなしのようには行かない。それがなぜあまり世間に浸透しなかったのか。
色々調べてみた。
作家の筒井康隆は暴露本の書評に「書くのが遅すぎた」と締めくくっている。
たった3年で世間が全く関心を失ってしまったということなのだろうか。
2ちゃんねるの2004年のスレッドを見ても、読まれてない感が伝わってくる。
548の投稿があって、暴露本を読んだ感想が出てくるのはなんと547番目なのだ。
まるで知られていない。
2014年、小野田少尉が亡くなると、暴露本の著者の息子が暴露本をネットに無料公開。父親の無念を晴らしたいということなのだろうか。出版界のタブーを破ってのゴーストライターの暴露、失ったものは多そうだが、得られたものがそれを上回ったとは到底考えづらい。Togetterに本の反響がまとめられている。
小野田少尉のスルー力(りょく)?という言葉も頭をよぎる。
いや、暴露本を読むと、この人に限ってスルー力というものは考えられないはずなのだ。
小野田少尉に批判的だった野坂昭如や、都合の悪い証言をした元部下の赤津勇一に対し殺害予告とも取られかねない発言をしている。赤津の存在は2005年のドラマ版からも存在が抹消されている。半世紀以上も怒りが持続する人なのだ。
筒井康隆の書評によると、暴露本出版時は小野田少尉がブラジルに渡って2年が経過した時期だったという。何らかの手段で暴露本の内容を知った小野田少尉が烈火の如く怒った姿を容易に想像できるが、気軽に反論できる場所にいなかったというのが結果的に小野田少尉を守ったということなのではないかと思う。
暴露本では天皇観について批判的な態度だったと描かれているが、
小野田少尉は1992年に秋の園遊会に招かれて上皇上皇后両陛下と歓談している。
これはどういう心境の変化なのであろうか。
1978年の式典の一件で宗旨替えしたのかもしれない。
ついでに2005年に小野田少尉は藍綬褒章を受章。
暴露本を読んで最初は憤りを感じていたのだが、小野田少尉は色々と気の毒な人ではあると思う。存命だったとして吊し上げられるのを見たいのかと問われれば、そうでもないと思える。同じ立場だったら、とも思うし。
ただ、大東亜共栄圏だなんだと言ってる軍人でも現実はこの程度の倫理観かというのは失望した。それこそが幻想の英雄だった。
現在、フランス人監督による三時間の大作映画「ONODA一万夜を越えて」が公開中。
主演は奇しくも暴露本の作者のペンネームと同じ姓の津田寛治。
撮影に入る前に何か資料を読むべきかとアドバイスを求める津田寛治に、監督は台本以外は読む必要がないとアドバイスしたとか。
ある新聞によると、「美化することなく事実を描いた作品」だそうである。
キャストをみると2005年TVドラマ版では登場しなかった赤津勇一が出てくるそうだ。気になる。
潜伏中だったジャングルでは落ちこぼれだったが故に早々に投稿した赤津の判断が結局は正く、グループのリーダーだった小野田少尉は無為に26年を過ごし島民の生活を脅かし部下の二人を失った。そんな男が帰国の決断をする。そんな葛藤を描く映画だったらぜひ見たいと思うのだが。
続き↓
https://ihondana.blog.ss-blog.jp/2021-10-20-1
めちゃくちゃ面白かった。
一度も中断することなく一気に読み終えた。
44年前に描かれた暴露本である。
こんなに舞台裏を赤裸々に描かれた日にゃあ、
小野田少尉の名声は地に落ち、
宮内庁に出入り禁止に。
作者の津田信は小野田少尉に車で轢き殺されていたはずである。
しかしどうだろう。
小野田少尉が暴露本に対してリアクションを起こした形跡はなく、
暴露本出版の翌年に行われた式典で現在の上皇陛下は小野田少尉への気遣いを見せ、
2005年に略奪シーンをややマイルドにTVドラマ化したら苦情がくるという世間の小野田少尉への聖人扱いっぷり。
いや、そうはならんやろ。
という、何とも不条理な結末になっている。
何なのだこれは。
ちなみに本を読む前の自分の小野田少尉に関する知識は、
むかしTVで見た再現VTRや、「死神くん」程度だった。
えんどこいちの「死神くん」(初版7巻)。1986年に描かれたエピソードに小野田少尉をモチーフにしたと思われるものがある。終戦を知らない→誰とも会っていない→イノセントな人→現代日本に説教できる人という、シンプルな論法で創造されたキャラクターという印象を受ける。一般的なイメージもこれではないか。
それが現実では現地住民を襲い、奪ったラジオで使って情報を収集しまくり、それでも終戦を疑っていたというのだから人生というのはおとぎばなしのようには行かない。それがなぜあまり世間に浸透しなかったのか。
色々調べてみた。
作家の筒井康隆は暴露本の書評に「書くのが遅すぎた」と締めくくっている。
たった3年で世間が全く関心を失ってしまったということなのだろうか。
2ちゃんねるの2004年のスレッドを見ても、読まれてない感が伝わってくる。
548の投稿があって、暴露本を読んだ感想が出てくるのはなんと547番目なのだ。
まるで知られていない。
2014年、小野田少尉が亡くなると、暴露本の著者の息子が暴露本をネットに無料公開。父親の無念を晴らしたいということなのだろうか。出版界のタブーを破ってのゴーストライターの暴露、失ったものは多そうだが、得られたものがそれを上回ったとは到底考えづらい。Togetterに本の反響がまとめられている。
小野田少尉のスルー力(りょく)?という言葉も頭をよぎる。
いや、暴露本を読むと、この人に限ってスルー力というものは考えられないはずなのだ。
小野田少尉に批判的だった野坂昭如や、都合の悪い証言をした元部下の赤津勇一に対し殺害予告とも取られかねない発言をしている。赤津の存在は2005年のドラマ版からも存在が抹消されている。半世紀以上も怒りが持続する人なのだ。
筒井康隆の書評によると、暴露本出版時は小野田少尉がブラジルに渡って2年が経過した時期だったという。何らかの手段で暴露本の内容を知った小野田少尉が烈火の如く怒った姿を容易に想像できるが、気軽に反論できる場所にいなかったというのが結果的に小野田少尉を守ったということなのではないかと思う。
暴露本では天皇観について批判的な態度だったと描かれているが、
小野田少尉は1992年に秋の園遊会に招かれて上皇上皇后両陛下と歓談している。
これはどういう心境の変化なのであろうか。
1978年の式典の一件で宗旨替えしたのかもしれない。
ついでに2005年に小野田少尉は藍綬褒章を受章。
暴露本を読んで最初は憤りを感じていたのだが、小野田少尉は色々と気の毒な人ではあると思う。存命だったとして吊し上げられるのを見たいのかと問われれば、そうでもないと思える。同じ立場だったら、とも思うし。
ただ、大東亜共栄圏だなんだと言ってる軍人でも現実はこの程度の倫理観かというのは失望した。それこそが幻想の英雄だった。
現在、フランス人監督による三時間の大作映画「ONODA一万夜を越えて」が公開中。
主演は奇しくも暴露本の作者のペンネームと同じ姓の津田寛治。
撮影に入る前に何か資料を読むべきかとアドバイスを求める津田寛治に、監督は台本以外は読む必要がないとアドバイスしたとか。
ある新聞によると、「美化することなく事実を描いた作品」だそうである。
キャストをみると2005年TVドラマ版では登場しなかった赤津勇一が出てくるそうだ。気になる。
潜伏中だったジャングルでは落ちこぼれだったが故に早々に投稿した赤津の判断が結局は正く、グループのリーダーだった小野田少尉は無為に26年を過ごし島民の生活を脅かし部下の二人を失った。そんな男が帰国の決断をする。そんな葛藤を描く映画だったらぜひ見たいと思うのだが。
続き↓
https://ihondana.blog.ss-blog.jp/2021-10-20-1
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