司馬懿が絶賛、曹丕もお気に入りの蜀の降将、黄権とは? [歴史漫画]
劉備が夷陵の戦いで馬忠に助けられた時、
「黄権を失ったが馬忠を得た」と喜んだという。
黄権って誰やねんって調べてみたが、結構面白い人だったのでメモ。
黄権は劉璋に仕えていた人。
劉備の入蜀に強硬に反対したが聞きいられず、歯まで折ったとか。
横山三国志でもそのシーンはしっかり描写されていて印象深い。
ただ、コマによって髪型が違っていていい加減である。
この辺をリアルタイムで読んでいて、
劉備が国持ちになる流れを能天気に喜んでたけども、
善良な市民が運営する会社がヤクザに乗っ取られるのとも似てるな、と少し嫌な気分になったものだった。
せっかくの進言を聞き入れられなかった黄権だったが、その後はしっかり国を守る働きをしたそう。
劉璋が降伏した後は劉備に仕え、漢中の重要性を説く。
そして夏侯淵を撃破し、劉備が漢中王になる流れをプロデュースしたという。
夷陵の戦いでは進言が劉備に聞き入れられず、蜀軍敗走の結果、孤立してしまい魏に降伏。
蜀では残された黄権の一族の処罰論が持ち上がったが、劉備は「黄権が私を裏切ったのではない。私が黄権を裏切ったのだ」と自らの不明を恥じて処罰に反対した。この時、命を救われた息子の黄崇は、滅びゆく蜀のために死ぬまで戦った。
曹丕は黄権をよくイジっていたみたいだ。
「そなたが蜀を捨て、魏に降ったのは古の陳平と韓信に倣おうとしたのか?」と、曹丕が黄権に尋ねたことがあった。黄権は「私は漢中王から身に余る厚遇を受けておりました。私が魏に降ったのは単に死を免れようとしただけで、故人に倣おうなどとは思っておりません」と答えたという。曹丕はこの答えが気に入り、黄権をさらに出世させたという。
司馬懿も黄権を高く評価し、仲良くしていたという。
諸葛孔明に送った手紙の中でも、黄権を褒めていたそう。
光栄のゲーム、三國志シリーズの能力値を見比べてみた。
(年数は参考にした攻略本による)
「そこそこ使える系」的な扱いなのが厳しい。
1988年(1)武力29知力76魅力29健康61
1992年(3)武力45陸戦75水戦71知力84政治72魅力64
1996年(5)武力46知力82政治70魅力66
2000年(7)戦闘74知力76政治58魅力68
2005年(10)統率76武力61知力83政治71魅力79
2013年(12)統率75武力59知力82政治79
魅力が1〜3で29からの64で爆上げ。何があったのだ。
その後、8年間で給料みたいにジワジワ上がって2005年は夢の80台に迫っていた!
しかし2013年判定では魅力の項目がなくなっている?
17年間で魅力が50も上がった男、黄権。
「17年間で魅力が50上がる方法」とかの本を出せば売れると思う。
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