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ダチョウ夫人に仲良く捕まったズッコケ蜀将、馬忠と張嶷。実際は南方のスーパースターだった。 [歴史漫画]

前回は、関羽を生捕り、黄忠を射殺した武将、馬忠について調べてみた。
その結果、陥った劉備のピンチに颯爽と駆けつけたのが馬忠だったという歴史の不思議。
馬忠は二人いたッ!!

今回は呉の馬忠に続いて、
蜀の馬忠について調べてみたいと思う。
ついでにその副将である張嶷(ちょうぎょく)についても。
張嶷1.png
正史での呉馬忠は関羽を捕らえただけの一発屋だったが、
蜀馬忠は逆に正史がすごくて演義で貶められるパターン。

蜀馬忠に助けられた劉備は
「黄権を失ったが、狐篤(蜀馬忠)を得た」と喜んだのだそうだ。

この黄権についても説明すると長いが面白い。
黄権はあの司馬懿も孔明への手紙の中で有能さを認めるぐらいの人物。
その黄権と蜀馬忠は同等なんだと劉備は言っているわけだ。

 
蜀馬忠は、主に蜀の南方の統治に実力を発揮した。

馬忠は人となり寛大で公正、度量があり、戯言に大笑するが怒りは顔に出さなかった。決断力に富み、恩威を並び施したため、任地の異民族から畏敬された。馬忠が亡くなると彼らは涙を流して哀しみ、廟を立てて祭った。庲降都督は張表・閻宇が後任となったが、風格や功績の点ではいずれも馬忠には及ばなかったという。(ウィキペディア)

ところが三国志演義ではそれをモチーフにしたであろう南蛮遠征で、祝融夫人に一騎討ちで敗れ、人質交換されるというみっともない扱いにされている。どうしてこうなったのかという感じだ。
張嶷3.png

悪く書かれているだけかと思いきや、
三国志演義ではあのウルトラベテランの張郃を射殺する脚色が加えられている。
張嶷2.png

演義では上司である蜀馬忠と仲良く祝融夫人に捕まった、
張嶷(ちょうぎょく)もウィキペディアが長い。
張嶷4.png
蜀馬忠の南方での人心掌握も、張嶷の手腕によるところも大きいらしい。

晩年は重病で歩行も困難な状態に陥ったが、姜維が北伐を再開した254年、重病の身を押して従軍した。この戦いにおいても、狄道の李簡の帰順を成功させるなど(後述)知略は衰えず、最後は魏の徐質と戦って戦死したが、張嶷の部隊は味方の損害の倍以上の敵を殺傷し、徐質を戦死させた。恩顧を受けた多くの異民族は張嶷の陣没を聞き、涙を流して慟哭を繰り返し偲んだ。(ウィキペディア)

張嶷は異常にコミュ能力の高い人物であったらしく、人を見る目も一流だったのだそうだ。
横山三国志最終60巻で、正月の宴席で費禕が魏の降将・郭循に殺されるコマがある。
張嶷5.png
これも事前に張嶷が警告していたのだそうだが、費禕は聞き入れなかったらしい。
他にも色々エピソードが載っているので、ウィキペディアを読むことをお勧めする。

 
この二人がなぜ三国志演義で扱いが悪いのか。
むかしから孔明の南蛮遠征には「東映まんがまつり」的なアニメオリジナル臭を感じてきた。
フィクションを盛り込むならココ!孔明の戦績を盛るならココ!っていう、意気込みみたいなものを感じる。そのために実際の功労者、蜀馬忠、張嶷が邪魔だった。

単純にそういうことなのだろう。
死後、英雄として語られとるやろうなあ。。。と思いながら死んだら、
ダチョウ夫人に捕まったズッコケ武将コンビとして語られていた。

周瑜みたいに血を吐いて死にそうな仕打ちである。

 

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