「拾う」の表現はいかんのか?「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」 [時事ネタ]
ひげを剃る。そして女子高生を拾う。 (1) (角川コミックス・エース)
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2019/05/25
- メディア: Kindle版
「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」というラノベの広告が男尊女卑的だとして不快だという人がいるんだそう。読んだことないから内容は分からないが、よくある御都合主義の大衆娯楽ラブコメなんじゃないかなあと想像する。興味を引く、いいタイトルだと思うけど。
その人たちの中に、人間を「拾う」という表現がダメだという人もいる。
こっわ…
— 加藤 (@kyoathan) January 9, 2020
これオタクの同好会の中での内輪向けイラストではなく、
公然と何の隔たりも無い区域で視界に入る表象物なのか…
正常な神経してたら、人格を持つ他者に対して“拾う”なんて言葉、絶対に出さないでしょ
>「正常な神経してたら、人格を持つ他者に対して“拾う”なんて言葉、絶対に出さないでしょ」
まで言う。
あまりにも日本語が不自由すぎやしないかと思う。
日本語というのはその裏もあるのだ。
昔の日本には「捨て子は育つ」という考え方があった。
(画像は横山光輝「武田信玄」2巻)
>「子供たちは元気か」
>「子供は捨てて置いても大きくなるものでござります。」
>「うむ、その方が強う育つかもしれんな」
豊臣秀頼の幼名は「拾い」。
これは最初の子供を早くに亡くした秀吉の愛情がこもった名前だ。
(画像は「少年少女日本の歴史」。ちなみに本書の監修は学習院大学名誉教授の児玉幸多。)
他にもある「拾った」表現。
鳥山明、「ドラゴンボール」17巻
>「尾のはえた赤ん坊をひろったが…」
ジョージ秋山、「浮浪雲」6巻
>「えらい大きいの拾っちゃってさ」
少女漫画でもある。
楠桂、「たとえばこんな幽霊奇談」
>「お前なんか道でひろったんだよーっ」
自業自得で叱られて、拾われた子なんじゃと拗ねるのび太に対し、ドラえもんの返事が。
「やっぱりひろわれたのかねえ」
「拾う」という言葉は、対象との親密度があるからこそ出てくる言葉である。
もちろんその逆で、相手に対して高圧的だからこそ出てくる場合もある。
件のラノベを批判した人にはこちらのイメージしかなかったのだろう。
(画像はゆうきまさみ「機動警察パトレイバー」ワイド版8巻)
(画像は竹内桜「ぼくのマリー」4巻。)
文脈を意図した解釈をするべきである。
こういうヒステリックな流れで日本語が一括で不自由になっていくのは辛いなあと思ったので、今回記事を書かせていただいた。
ちなみに直上的な批判をするフェミニスト用に念の為で解説しておくと、引用した「ぼくのマリー」はゲイカップルの争いを描いたコマである。性別を限定して虐待しているわけではないので悪しからず。
<2021.4.13追記>「姉が男主人公を拾ってきた」なる作品があることを知る。
姉が拾ってきた可愛らしい男の子。しかし彼にはとんでもない秘密が…?https://t.co/3LpL4EGXAS pic.twitter.com/eKGzIbaI5i
— 【公式】ピッコマ (@piccoma_jp) March 19, 2021
松尾諭のエッセイ、「拾われた男」をNHKとディズニーが2022年にドラマ化。
こんなもんだー。
他人(たにん)という名前がある。
— ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊) (@hondanamotiaru) February 28, 2024
捨て子は育つという思想が由来なんだと。
山屋他人(1866ー1940年)日本の海軍軍人。
皇后雅子さまの曽祖父。 pic.twitter.com/Kzt4YWUKCR
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