名古屋城エレベーター論争に決着?賛成する黒川清作の「江戸城再建」1巻が発売 [歴史漫画]
「江戸城再建」の単行本が出ていた。
第二話の頃に一度感想を書いていたけども、続きを読んでも面白かった。
いろいろと深い考証がなされている。
一番興味深かったのは、エレベーター推しというところ。
おそらく今、日本で一番江戸城を再建したいと考えているグループの総意もそうなのだ。
私は単なる傍観者なので、ほほ〜う、と思うしかない。
これについて、名古屋の皆さんはどう思うのだろうか。
他に面白かったのは、実際には江戸城はもっと広かったという話。
ついお城というと天守閣が建ってればOKみたいな風潮がある。
それは学校で例えれば「校舎」だけ再現したみたいな話だ。
校庭まで再現しなければ「学校」を再建したことにはならないのではないか。
江戸城再建はさすがにそこまで目指さないけども。
皇居はすでに広いので、あれでもまだ一部ってのは驚いた。
いわゆる天守閣を初めて作ったのは松永久秀で、1560年ごろだという。
(画像は、みなもと太郎「風雲戦国伝 風雲児たち外伝」より)
1560年といえば、桶狭間の戦いのあった年。
そうなると、天守閣がボコボコ建っている横山光輝の「織田信長」の描写は間違いだらけということになる。
所有している横山光輝「織田信長」は1985年の発行。
間違いと言うよりも、当時はまだそういう認識が一般的だったのだろう。
1986年に描かれた池上遼一の「信長」もそんな感じである。
ところが1982年に出版された小学館の傑作、「少年少女日本の歴史」はその辺ちゃんと考証してある。さすがは十数年経って、わざわざ桶狭間の戦いの地形を書き換えるなどの細かい修正を加えた本である。
ちなみに、この少年少女日本の歴史は近年批判の多い長篠の戦いの三段撃ちなどもよく見ると描かれていないことに気づく。やり手である。監修は児玉幸多(学習院大学名誉教授※)、シナリオは小和田哲夫(静岡大学教育学部助教授※)。※=当時
イカロス出版が2011年に発行した「あやしい天守閣」によると、現在の清洲城は平成元年に建てられたものなんだそうだ。結構最近だ。ちなみに廃城になったのは1610年に家康が名古屋城を作ったせい。
再建に関してきちんと学術的に考証されたかについては明記がないが、「模擬天守にありがちな犬山城風のデザイン」「見た目も場所もかなり微妙」とコメントされている。場所に関しては、城跡あとに新幹線が走ることになってしまったので移築にならざるを得なかったらしい。赤い欄干がいかにも信長風で逆に安っぽい。
引き続き「あやしい天守閣」を引用するが、茨城県にある逆井(さかさい)城が印象的。
細かい話は省くが、
見てわかる通り逆井城は日本初の中世城郭の忠実再現に挑んだ城なんだそうである。
そんな逆井城にも弱点があり、写真で一番目立っている天守閣風の物見櫓。これは客寄せのために作られたものであると言う。
隣町に豊田城という怪しげな城があり、怪しげにもかかわらず城といえば天守閣ということで大評判。
あれに負けないようなものを!という町議会員のゴリ押しに争った復原考証担当者の存在あって、逆井城はこの折衷案に落ち着いたのだという。
いい話だと思う。
さて名古屋城のエレベーターはどうなるのか。
エレベーター廃止論者に対し、「じゃあ水洗トイレ禁止な」と皮肉る人もいるそうだ。
それは別に無くていいんじゃない?って思うけど。
第二話の頃に一度感想を書いていたけども、続きを読んでも面白かった。
いろいろと深い考証がなされている。
一番興味深かったのは、エレベーター推しというところ。
おそらく今、日本で一番江戸城を再建したいと考えているグループの総意もそうなのだ。
私は単なる傍観者なので、ほほ〜う、と思うしかない。
これについて、名古屋の皆さんはどう思うのだろうか。
他に面白かったのは、実際には江戸城はもっと広かったという話。
ついお城というと天守閣が建ってればOKみたいな風潮がある。
それは学校で例えれば「校舎」だけ再現したみたいな話だ。
校庭まで再現しなければ「学校」を再建したことにはならないのではないか。
江戸城再建はさすがにそこまで目指さないけども。
皇居はすでに広いので、あれでもまだ一部ってのは驚いた。
いわゆる天守閣を初めて作ったのは松永久秀で、1560年ごろだという。
(画像は、みなもと太郎「風雲戦国伝 風雲児たち外伝」より)
1560年といえば、桶狭間の戦いのあった年。
そうなると、天守閣がボコボコ建っている横山光輝の「織田信長」の描写は間違いだらけということになる。
所有している横山光輝「織田信長」は1985年の発行。
間違いと言うよりも、当時はまだそういう認識が一般的だったのだろう。
1986年に描かれた池上遼一の「信長」もそんな感じである。
ところが1982年に出版された小学館の傑作、「少年少女日本の歴史」はその辺ちゃんと考証してある。さすがは十数年経って、わざわざ桶狭間の戦いの地形を書き換えるなどの細かい修正を加えた本である。
ちなみに、この少年少女日本の歴史は近年批判の多い長篠の戦いの三段撃ちなどもよく見ると描かれていないことに気づく。やり手である。監修は児玉幸多(学習院大学名誉教授※)、シナリオは小和田哲夫(静岡大学教育学部助教授※)。※=当時
イカロス出版が2011年に発行した「あやしい天守閣」によると、現在の清洲城は平成元年に建てられたものなんだそうだ。結構最近だ。ちなみに廃城になったのは1610年に家康が名古屋城を作ったせい。
再建に関してきちんと学術的に考証されたかについては明記がないが、「模擬天守にありがちな犬山城風のデザイン」「見た目も場所もかなり微妙」とコメントされている。場所に関しては、城跡あとに新幹線が走ることになってしまったので移築にならざるを得なかったらしい。赤い欄干がいかにも信長風で逆に安っぽい。
引き続き「あやしい天守閣」を引用するが、茨城県にある逆井(さかさい)城が印象的。
細かい話は省くが、
見てわかる通り逆井城は日本初の中世城郭の忠実再現に挑んだ城なんだそうである。
そんな逆井城にも弱点があり、写真で一番目立っている天守閣風の物見櫓。これは客寄せのために作られたものであると言う。
隣町に豊田城という怪しげな城があり、怪しげにもかかわらず城といえば天守閣ということで大評判。
あれに負けないようなものを!という町議会員のゴリ押しに争った復原考証担当者の存在あって、逆井城はこの折衷案に落ち着いたのだという。
いい話だと思う。
さて名古屋城のエレベーターはどうなるのか。
エレベーター廃止論者に対し、「じゃあ水洗トイレ禁止な」と皮肉る人もいるそうだ。
それは別に無くていいんじゃない?って思うけど。
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