読んではいけない?プロに否定されるプロが描いた「漫画のかきかた」 [漫画の描き方が書かない漫画の描き方]
ワンピースは誰しもが認める偉大な漫画だが、
一箇所だけ俺だけが評価している箇所があると思う。
それはキャラクターの初登場シーンで、
テロップで名前を紹介するワンピースおなじみの演出。
下のコマでいえば、右下の「村の少年 モンキー・D・ルフィ」。ここだ。
ワンピースの連載開始から遡ること10年前、
1987年に小学館から出版された「新・めざせ!!まんが家」という本がある。
少年サンデーで連載されていた、いわゆる漫画の書き方コーナーを単行本化したものだ。
構成が「ミヤ王」こと宮岡寛。作画が桃鉄シリーズの土居孝幸。
この漫画教本に、テロップで人物紹介するのはよくないと書かれている。
もっと印象を強める方法がいくらでもあるはずというのがその理屈だけども、なるほどなあと当時思った。なのでワンピースを最初に読んだとき、真っ先にそのことが思い出された。
なのにあのウルトラメガヒットである。
「新・めざせ!!まんが家」も間違っちゃいないが、尾田栄一郎はワンピースの世界観にこの手法がベストだと思ったのだろう。
漫画に定法はあるけども、無いといえば無い。
適しているかどうかを最終的に決めるのは読者だ。
漫画はもっと自由なものだと分っちゃいたけど、またやられたなと思った出来事だった。
ワンピース連載当初は社会的評価で上回る鳥嶋和彦が苦言を呈したが、尾田栄一郎は後にそれを上回る社会的評価を得る。マシリトの苦言を杞憂に終わらせたわけである。
漫画の書き方が実態にそぐわないという話は、神様の手塚治虫の件が一番有名だろう。
江川達也が「まじかるタルるートくん」のオマケ漫画の中で自らの漫画史を振り返り、「手塚治虫のマンガの描き方」に書かれてあることを鵜呑みにして失敗した話を描いている。
島本和彦も近年、「アオイホノオ」の中で「手塚治虫のマンガの描き方」に描かれていることを鵜呑みにして失敗した話を描いている。
ちなみに江川達也とは同い年だ。
ちなみに「アオイホノオ」では石ノ森章太郎も批判されている(笑)。
名選手名コーチならずという言葉があるが、
神様の言ってることだって当てにならないことがあるのだ。
漫画の場合は。
一箇所だけ俺だけが評価している箇所があると思う。
それはキャラクターの初登場シーンで、
テロップで名前を紹介するワンピースおなじみの演出。
下のコマでいえば、右下の「村の少年 モンキー・D・ルフィ」。ここだ。
ワンピースの連載開始から遡ること10年前、
1987年に小学館から出版された「新・めざせ!!まんが家」という本がある。
少年サンデーで連載されていた、いわゆる漫画の書き方コーナーを単行本化したものだ。
構成が「ミヤ王」こと宮岡寛。作画が桃鉄シリーズの土居孝幸。
この漫画教本に、テロップで人物紹介するのはよくないと書かれている。
もっと印象を強める方法がいくらでもあるはずというのがその理屈だけども、なるほどなあと当時思った。なのでワンピースを最初に読んだとき、真っ先にそのことが思い出された。
なのにあのウルトラメガヒットである。
「新・めざせ!!まんが家」も間違っちゃいないが、尾田栄一郎はワンピースの世界観にこの手法がベストだと思ったのだろう。
漫画に定法はあるけども、無いといえば無い。
適しているかどうかを最終的に決めるのは読者だ。
漫画はもっと自由なものだと分っちゃいたけど、またやられたなと思った出来事だった。
ワンピース連載当初は社会的評価で上回る鳥嶋和彦が苦言を呈したが、尾田栄一郎は後にそれを上回る社会的評価を得る。マシリトの苦言を杞憂に終わらせたわけである。
漫画の書き方が実態にそぐわないという話は、神様の手塚治虫の件が一番有名だろう。
江川達也が「まじかるタルるートくん」のオマケ漫画の中で自らの漫画史を振り返り、「手塚治虫のマンガの描き方」に書かれてあることを鵜呑みにして失敗した話を描いている。
島本和彦も近年、「アオイホノオ」の中で「手塚治虫のマンガの描き方」に描かれていることを鵜呑みにして失敗した話を描いている。
ちなみに江川達也とは同い年だ。
ちなみに「アオイホノオ」では石ノ森章太郎も批判されている(笑)。
名選手名コーチならずという言葉があるが、
神様の言ってることだって当てにならないことがあるのだ。
漫画の場合は。
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