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雁屋哲節よ永遠なれ!作画シュガー佐藤「まさかの福澤諭吉」 [歴史漫画]

グルメ漫画を描く人は、だんだん頭がおかしくなっていくのではないか?という疑問が前からある。「美味しんぼ」の雁屋哲は徐々に作品のリアリティーを無視し、登場キャラクターに自身の個性的な信条をベラベラと喋らせるようになってしまった。そのことがリアルに数々の問題に発展している。
 
 
福沢諭吉批判もその一つ。
金玉均5.jpg

美味しんぼでそれを読んだのは、もうすでに四半世紀前。
近年、「まさかの福澤諭吉」という上下巻の描き下ろしの単行本を出版して、さらなる福澤諭吉批判を展開していた。作画はシュガー佐藤。

マンガまさかの福澤諭吉 上

マンガまさかの福澤諭吉 上

  • 作者: 雁屋 哲
  • 出版社/メーカー: 遊幻舎
  • 発売日: 2016/11/01
  • メディア: 単行本

最近、安彦良和「王道の狗」や、小林よしのり「大東亜論」で福沢諭吉が描かれ、「東日流外三郡誌」事件で福沢諭吉が本人の知らないところで巻き込まれていたのを知るなど、マイ福沢諭吉ブームが起こっていたので「まさかの福沢諭吉」上下巻も購入するに至った。もちろん、問題おじさんの雁屋哲が、どんなむちゃくちゃなことを言っているのか見てやろうという、挑戦的な気持ちも多かった。

 
…で、読んでみたのだがキツイ。
上巻は割と熱心に読み切れたと思うが、下巻で力尽きた。
もうええわ、と言う感じだ。

少なくともエンタメではない。
だらだら資料の引用が長い。
作画の密度が薄い。

つくづく「傲慢ゆえに端的に語る」という表現方法を編み出した小林よしのりはすごいと思う。

「まさかの福澤諭吉」がなんでエンタメにならなかったかと分析すると、そもそもこの作品は安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)という学者の主張のコミカライズを目指したものだからなのだ。当初は原作安川、脚色雁屋でやりたかったのだが、安川に断られたのだとあとがきに書かれている。そういう安川リスペクトの強い作品なので、大きく「原作」から逸脱できなかったというのが、だらだら資料の引用が長い原因の一つと考えられる。

ある意味、雁屋が安川に責任を押し付けているようにも思える。
と、いうのも出典はとても膨大な量があり、当然昔の文体で書かれており、とても個人で検証できるようなものではないという。だから雁屋哲が私が責任を持って調べました!と主張することが出来ないし、大胆に脚色して読みやすく再構成することが出来なかったのではなかろうか。ちなみにあとがきには、「この本で間違っているところがあるなら、それは私(雁屋)が安川先生の考えを誤読したせいだ」みたいに書かれている。

ちなみにその安川論を漫画読者に読ませるように、雁屋哲がどう再構成したのかというと、

1:学校の授業で、主人公の教師が「福沢諭吉は差別者だ」と教えて父兄の一部が抗議
2:父兄を集め、教師がその根拠を三日間かけて講義する
3:講義は大評判になり、日を追うごとに参加者が増え、抗議する父兄を完全論破!

というストーリーになっている。
まあいつものですわ。
ユートピア的というか、宗教団体の折伏的というか。
なぜ読者の反応まで「この漫画の素晴らしさがわからないなんてイモだぜ?」みたいに露骨に誘導しようとするのか。非常に古くさいと思う。

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リアリティのカケラもない雁屋哲の定型構成ですけども、「美味しんぼ」は社会的に名作扱いされているわけですから、あえてそこから漫画表現的に進歩するつもりはないのでしょう。

だがしかし、この「まさかの福沢諭吉」では若干の進歩も見られた。
まず、結末が父兄たちの「俺たちの反論はこれからだ!」で終わっている部分。
「どうせロクな反論なんてねーだろうけどな!」という雁屋哲の思惑が透けて見えるものの、結論を読者に委ねるというのは雁屋哲的には新しいと思う。

さらに「福沢諭吉はすごい人物」と、主人公に一応言わせている点。
「美味しんぼ」の山岡の時には出てこなかったバランス感覚だ。
まあそう言いつつ、丹念に細かく嚙んで含めるように、冷静に福沢諭吉差別者論を講義し続けるのだから、どこまで本気かはわからない。

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さらに左翼呼ばわりされるのを恐れている点。
やっぱりそういうことは気にするらしい。
論理的に、公平中立、フラットな立ち位置だということを表すのに心を砕いているのが、漫画を読んでいて伝わってくる。
 
だがしかし、この漫画には致命的な嘘があり、フラットな立ち位置とは言い難い。
そもそも福沢諭吉に関する大きな論争が2001年にあり、安川の理論が批判されたのだが、それをこの2016年に出版された漫画では一切無視している。

下巻では、福沢諭吉の擁護しようもないひどい発言がこれでもかと引用されるのだが、その出典の多くが福沢諭吉の名前を借りて他の人が書いた可能性が別の学者から指摘されているんだそう。だがそれを認めると、せっかくここまでひたすら嚙んで含めるように説明してきた理論が、根本から崩れ去ってしまう。

だからこの漫画は、フラットな視点で福沢諭吉を評価する作品ではなく、前述の通り、批判派の立場である安川寿之輔の学説のコミカライズを目指した作品と言えるのだ。

ちなみに、安川寿之輔は「福沢諭吉が東日流外三郡誌をパクった手紙詐欺」に引っかかってしまた人なんだそう。詐欺師が福沢諭吉の手紙を偽造して慶應義塾大学に持ち込んだものの、あまりの低クオリティさにさっさとお引き取りをお願いされてしまったあの事件。一年くらいの間、騙され続けていたらしい。

誰しも騙されるし間違えるのだ!

 
この漫画からある程度、新しく仕入れられる福沢諭吉の素顔もあると思う。
そこは読んだ価値があった。

ところで、そもそも誰が雁屋哲のように福沢諭吉が平等主義者だと思っているのか。
みなもと太郎も、安彦良和も、手塚治虫も、太田じろうも、バラエティアートワークスもそんな風には描いてなかった。人格者だとは思うが、クソジジイだとも思う。福沢諭吉はもっとドライでシニカルな人物だったのではないか。

福沢の生きた時代は、今以上にドラスティックに世界が変わる時代だった。
鎖国を解いてみたら、再び戦国時代に放り込まれてしまったような情勢だったのである。
列強が無限に植民地を増やし、天下分け目の合戦が起こるような未来もあったのかもしれない。
今の考えに当てはめたら、そりゃあ問題が出ないワケがない。
そんなことを問題にする奴は、NHKの大河ドラマでも見てろって話だ。

今の考え方に当てはめてみたら問題はあるけども、当時としては福沢は恐ろしく情勢を見極めた人物だったことはこの「まさかの福澤諭吉」を読んでもハッキリと分かる。所詮、雁屋哲の批判などは後出しジャンケンに過ぎない。そして雁屋哲は当時の考え方でなんか考えなくていい!とハッキリ描いてる。少なくとも、当時の考え方では適切だったと暗に認めているのだ。

まさかの.png

織田信長や源義経は単なる人殺し。
英雄として語るなんておかしいと言っているのと同じだ。

 
そして、卓見の人がいつまでも卓見の人でいられると考えてしまうのも人間の悪い癖だ。
福沢諭吉がそれなりに落ちぶれ、老害化したこともあったのだろう。
そういう部分を掘り返して叩くのは、悪いとは言わないが、そもそもどういった趣旨で福沢批判を始めたのさと思わざるを得ない。

 
俺はこの漫画で、福沢諭吉があれこれと無理くりに悪人に仕立て上げられるのを見て、当初悪人予定で登場した海原雄山が無理くりに善人に仕立て上げられる「美味しんぼ」の逆パターンだと思ったよ。

 
さらに次回、
この漫画の欠陥について続きます。

 

マンガまさかの福澤諭吉 下

マンガまさかの福澤諭吉 下

  • 作者: 雁屋 哲
  • 出版社/メーカー: 遊幻舎
  • 発売日: 2016/11/01
  • メディア: 単行本



さようなら! 福沢諭吉    日本の「近代」と「戦後民主主義」の問い直し

さようなら! 福沢諭吉 日本の「近代」と「戦後民主主義」の問い直し

  • 作者: 安川 寿之輔
  • 出版社/メーカー: 花伝社
  • 発売日: 2016/03/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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