進撃の巨人は読めないけど、読売の巨人が読めるのはジャンプだけ!な時代があった! [心に残る1コマ]
土田世紀の「編集王」を読んでいて、首を傾げていたところがあった。
13巻の若かりし頃の仙台さんのデビュー未遂エピソード。
仙台さんがのちの100万部雑誌「ヤングシャウト」黎明期の、新人起用三本柱の一人に選ばれるも、急遽「読読拒人軍(よみよみきょじんぐん)」との独占契約が決定してワクがひとつとられてしまい、仙台さんが割りを食ってしまい、結局デビューできなくなるという話。
このエピソード、最近「さらば、わが青春の少年ジャンプ」を読んで初めて意味がわかった。
ジャンプの前身的雑誌である「少年ブック」が、いわゆるジャイアンツ、「読売巨人軍」と過去に肖像権の独占契約を結んでおり、その実話を元にした話だったのだ。
いや、そのまんまでしょ、とお思いになる方もいるだろうけども、編集王をリアルタイムで読んでいてこの箇所はポカーンだった。 なぜ急に野球の話?って感じだし。さらに言えば編集王に登場するキャラクターや劇中劇のネーミングセンスが、マンボ好塚とか空手ラブスカッチとかもっきり番長とか、独特というかいい加減すぎて、「読読拒人軍(よみよみきょじんぐん)」というペンネームの大御所漫画家と、ジャンプの専属契約制度みたいな話がまとまったという風に誤読していた。
まあ、よくよく読めばわかるんだけど、編集王にはバカバカしすぎて、読み飛ばしたくなるデティールがたくさん存在する。
ちなみにこの独占契約は少年ジャンプが引き継ぎ、「侍ジャイアンツ」などの作品が生まれている。
契約の影響で少年サンデー連載の、水島新司「男どアホウ甲子園」では主人公が巨人に行くことができなくなり、阪神と契約するという話になったと「青春の少年ジャンプ」で西村繁男は書いている。このことはウィキペディアの「男どアホウ甲子園」の項目にも載っていない(2019年8月20日現在)。
(画像は河合克敏「帯をギュッとね!」12巻より、「男どアホウ甲子園」ネタ)
…ちょっと腑に落ちないので調べてみた。
「青春の少年ジャンプ」には、この独占契約を受けて少年ブックで連載がスタートし、人気になったのが梅本さちおの「流星球団」だと書かれている。この実績から、梅本さちおは「くじら大吾」でジャンプ創刊号のイチオシ漫画になる。
「流星球団」をツイッターに画像を上げている人がいた。その人の記事によると、雑誌の廃刊によって「流星球団」は10回で終わってしまったという。
少年ブックは月刊。ウィキによるとブックの廃刊が1969年なので、独占契約がまとまったのは1968年という計算になる。
水島新司データベースによると、男どアホウ甲子園の主人公の項目にこうあるので笑える。
>1972 ジャイアンツにドラフト1位指名されるも拒否。
>1973 東京大学入学、東大を初のリーグ優勝へ導く。
つまり、1968〜72年には確実に集英社に独占契約権があったということになる。これって読売巨人漫画の不動の一番星である少年マガジンの「巨人の星」の連載期間、1966〜1971年にぶち当たりますけど。。。契約前に連載していた漫画はOKという独占契約なんですかね。
この契約がいつ切れたのか。
「少年ジャンプ暗黒50年史」によると、76年の高橋よしひろ「悪たれ巨人」が最後っぽい。ウィキによると1980年に単行本22巻で完結している。77年に王貞治の半生記「BIG1」が始まっているが、20回足らずで年内に終わっている。
<2022/8/20追記>
大野茂「サンデーとマガジン~創刊と死闘の15年~」によると、
梶原一騎に「巨人の星」の着想をさせた内田勝編集長が、
巨人の球団広報責任者の坂本幸夫に直談判し、
集英社との独占契約を無理やり破棄させたということになっている。
つまり独占契約が締結される前に契約が破棄されたが、
水島新司は契約があるので主人公の巨人入団を諦めた、ということになる。
なるほどわからん。
このことについて既に矛盾を感じ考察していた人をTwitterで見つけた。
その人は「契約と言えるほど厳格なものではなかったが、水島新司はジャンプと遺恨があったため圧力をかけられた」という推理をしていた。
俺の推理はちと違う。
梶原一騎が怖くて止められなかった、というのはどうか。
ただ、この頃の梶原一騎がそれほどのネームバリューがあったとは考えにくい。
うーん。
13巻の若かりし頃の仙台さんのデビュー未遂エピソード。
仙台さんがのちの100万部雑誌「ヤングシャウト」黎明期の、新人起用三本柱の一人に選ばれるも、急遽「読読拒人軍(よみよみきょじんぐん)」との独占契約が決定してワクがひとつとられてしまい、仙台さんが割りを食ってしまい、結局デビューできなくなるという話。
このエピソード、最近「さらば、わが青春の少年ジャンプ」を読んで初めて意味がわかった。
ジャンプの前身的雑誌である「少年ブック」が、いわゆるジャイアンツ、「読売巨人軍」と過去に肖像権の独占契約を結んでおり、その実話を元にした話だったのだ。
いや、そのまんまでしょ、とお思いになる方もいるだろうけども、編集王をリアルタイムで読んでいてこの箇所はポカーンだった。 なぜ急に野球の話?って感じだし。さらに言えば編集王に登場するキャラクターや劇中劇のネーミングセンスが、マンボ好塚とか空手ラブスカッチとかもっきり番長とか、独特というかいい加減すぎて、「読読拒人軍(よみよみきょじんぐん)」というペンネームの大御所漫画家と、ジャンプの専属契約制度みたいな話がまとまったという風に誤読していた。
まあ、よくよく読めばわかるんだけど、編集王にはバカバカしすぎて、読み飛ばしたくなるデティールがたくさん存在する。
ちなみにこの独占契約は少年ジャンプが引き継ぎ、「侍ジャイアンツ」などの作品が生まれている。
契約の影響で少年サンデー連載の、水島新司「男どアホウ甲子園」では主人公が巨人に行くことができなくなり、阪神と契約するという話になったと「青春の少年ジャンプ」で西村繁男は書いている。このことはウィキペディアの「男どアホウ甲子園」の項目にも載っていない(2019年8月20日現在)。
(画像は河合克敏「帯をギュッとね!」12巻より、「男どアホウ甲子園」ネタ)
…ちょっと腑に落ちないので調べてみた。
「青春の少年ジャンプ」には、この独占契約を受けて少年ブックで連載がスタートし、人気になったのが梅本さちおの「流星球団」だと書かれている。この実績から、梅本さちおは「くじら大吾」でジャンプ創刊号のイチオシ漫画になる。
「流星球団」をツイッターに画像を上げている人がいた。その人の記事によると、雑誌の廃刊によって「流星球団」は10回で終わってしまったという。
ジャンプ創刊当時、少年誌の役割を終えようとしていた
— 海老原 優 (@ebiharayu) September 22, 2018
月刊誌の一角・『少年ブック』にも
梅本さちお先生による、こんな野球漫画の連載が始まりました。
超人的な選手たちが、里見八犬伝的に集結して行く…
つまり後の、同じ集英社・ジャンプ『アストロ球団』の
原型的作品。作家は全く違いますが。 pic.twitter.com/K6l7LOuqqi
少年ブックは月刊。ウィキによるとブックの廃刊が1969年なので、独占契約がまとまったのは1968年という計算になる。
水島新司データベースによると、男どアホウ甲子園の主人公の項目にこうあるので笑える。
>1972 ジャイアンツにドラフト1位指名されるも拒否。
>1973 東京大学入学、東大を初のリーグ優勝へ導く。
つまり、1968〜72年には確実に集英社に独占契約権があったということになる。これって読売巨人漫画の不動の一番星である少年マガジンの「巨人の星」の連載期間、1966〜1971年にぶち当たりますけど。。。契約前に連載していた漫画はOKという独占契約なんですかね。
この契約がいつ切れたのか。
「少年ジャンプ暗黒50年史」によると、76年の高橋よしひろ「悪たれ巨人」が最後っぽい。ウィキによると1980年に単行本22巻で完結している。77年に王貞治の半生記「BIG1」が始まっているが、20回足らずで年内に終わっている。
<2022/8/20追記>
大野茂「サンデーとマガジン~創刊と死闘の15年~」によると、
梶原一騎に「巨人の星」の着想をさせた内田勝編集長が、
巨人の球団広報責任者の坂本幸夫に直談判し、
集英社との独占契約を無理やり破棄させたということになっている。
つまり独占契約が締結される前に契約が破棄されたが、
水島新司は契約があるので主人公の巨人入団を諦めた、ということになる。
なるほどわからん。
このことについて既に矛盾を感じ考察していた人をTwitterで見つけた。
その人は「契約と言えるほど厳格なものではなかったが、水島新司はジャンプと遺恨があったため圧力をかけられた」という推理をしていた。
俺の推理はちと違う。
梶原一騎が怖くて止められなかった、というのはどうか。
ただ、この頃の梶原一騎がそれほどのネームバリューがあったとは考えにくい。
うーん。
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